米兵によるイラク人への残虐行為
この責任はどこまで登りつめるのだろうか?

(1)
American soldiers brutalized Iraqis.
How far up does the responsibility go?


アブ・グレイブにおける拷問
セイモア・M・ハーシュ
TORTURE AT ABU GHRAIB
by SEYMOUR M. HERSH


ザ・ニューヨーカー 5月2日号より
http://www.newyorker.com/fact/content/?040510fa_fact

[翻訳] ピース・ニュース



 日本がかつて中国・東南アジアに侵略を繰り広げたとき、暴行・陵辱・強姦・拷問・虐殺など獣のような蛮行の限りを尽くした南京大虐殺などのおぞましい出来事が起こりました。
 
今、イラクで南京大虐殺と同じような蛮行が起きています!
 侵略戦争こそが拷問と虐殺を生み出している!

 私たちはこう考えます。
 米軍がアブガリブ刑務所をはじめイラク中で繰り広げている獣のような蛮行。これは決して一部の兵士の暴走によるものではありません。CIAとCIAから尋問を請負う民間事業者、軍が一体となって組織的にこうした暴行・陵辱・強姦・拷問・虐殺を行っているのです。
 イラクでは侵略と占領に反対して民衆が抵抗しています。民衆が侵略と占領支配に抵抗することは当然のことです。米軍はイラク民衆全体を敵に回してそれを暴力で無理やり抑ええつけようとしているのです。
 イラク民衆の中から占領に抵抗するものを選別することなどは不可能なことなのです。侵略者・占領支配者が自分に都合の良い自白を得るため、こうした拷問と虐殺を必然的に引起しているのです!


 ブッシュ・ラムズフェルドは直ちに辞任せよ!イラク民衆への拷問・虐殺を止めよ!
 イラクへの侵略と占領を直ちに止めよ!
 小泉首相はイラクへの侵略戦争支持を撤回し自衛隊を直ちに撤退させよ!!

 イラクでの米軍によるイラク民衆への拷問・虐待・虐殺を最初にまとまった形で報道した雑誌「ザ・ニューヨーカー」5月2日号を2回に分けて紹介します。

 セイモア・ハーシュ記者は、ベトナム戦争中に南ベトナムのソンミ村で起こった米軍による約500名の村民の虐殺=ソンミ大虐殺をスクープした記者です。ハーシュ記者はこの記事でピューリツア賞を受賞しています。
http://eritokyo.jp/independent/nagano-pref/aoyama-col501.html



サダムフセインの時代、バグダッド西方20マイルのアブ・グレイブは拷問、毎週のように行われる死刑執行、そして劣悪な生活環境などにより、世界で最も悪評の高い刑務所の一つであった。一度に5万人もの男女−正確な数字は知ることができない−がアブ・グレイブに詰め込まれた。12フィート四方(約3.6メートル四方)の独房、それは墓穴にも満たない大きさの部屋である。

 昨年4月、体制崩壊の後の略奪で、その頃までには閑散としていたこの巨大な刑務所施設はドアや窓、レンガにいたるまで取り外せるものは全て丸裸にされた。同盟軍当局は床をタイル張りにし、小部屋を清掃し修理し、トイレ、シャワー、新しい医療センターを付け加えた。アブ・グレイブは今では米軍の刑務所になっていた。しかし、拘置者のほとんどが−秋までには女やティーンエイジャーを含む数千人が収容された−多くは軍の捜索やハイウエイの検問所からランダムに捕捉されてきた市民であった。

 彼らは3つの大まかに決められた分類に従って分けられた:一般犯罪人;「同盟軍に対しての犯罪」の疑いがある安全保障抑留者;そして同盟軍に対して反対派の「高位の」リーダと疑われるわずかな数の人々。
  
 昨年6月、陸軍予備役准将のジャニス・カーピンスキーは第800憲兵隊の司令官に任命されイラクの軍事刑務所の責任を負った。戦闘地域でのただ一人の女性司令官であるカーピンスキー将軍は、1991年の湾岸戦争に特殊部隊として従事したことのある経験豊かな作戦と諜報司令官であった。しかし彼女は刑務所組織を運営したことはなかった。
今や彼女は3つの大きな監獄、8つの大隊、そのほとんどは彼女と同様に刑務所を運営する訓練は受けていない3千4百人の予備役兵を担当することになった。

 カーピンスキー将軍は5歳のころから軍人になるのが希望で、軍を離れればビジネスコンサルタントであるが、自分に与えられた新たな任務に熱心になっていた。
昨年12月のセント・ピータースブルグ・タイムスのインタビューで彼女は、アブ・グレイブのほとんどの収容者にとって「今の刑務所での生活条件は自分の家にいるよりも良い。私たちの懸念しているのは彼らがここから去ろうとしないことだ」と述べていた。

 一ヵ月後、カーピンスキー将軍は公式に誡告と穏やかな謹慎処分を受けた。そしてイラクの最高級司令官であるリカルド・S・サンチョス陸軍中将により承認された陸軍の刑務所組織に対する大掛かりな調査が遂行された。「ザ・ニューヨーカー」誌が入手した53ページの報告書は、2月下旬にアントニオ・M・タグバ少将により作成された非公開のものであった。その報告書の陸軍刑務所組織の制度的破綻についての結論は衝撃的なものである。特に、タグバ少将は、2003年10月から12月の間に、アブグレイブ刑務所において「サディスティックであくどく、ふしだら、犯罪的虐待」の多数の事例があることを見つけた。収容者にたいする、この組織的で違法な虐待は、第327陸軍憲兵企業の兵士と米情報機関により犯されたものであるとタグバ少将はレポートしている。(第327隊はカーピンスキー旅団本部配下の第320憲兵隊に付属していて、更には320憲兵隊はカーピンスキー将軍の旅団に報告義務があった)。タグバ少将の報告書はこれらの悪行のいくつかをリストアップしている。

 蛍光灯を壊し燐の液体を収容者にかける。裸の収容者に冷水をかける。箒の枝や椅子で収容者を殴る。男の収容者にレイプの脅しをかける。独房の壁に錯乱して怪我をした収容者の傷口を憲兵に縫わせる。蛍光灯あるいはおそらく箒の枝で収容者を男色する。収容者を脅かし、怖がらせるために軍用犬を使い、事例の一つでは実際に収容者を噛ませた。

 疑惑を立証する驚くべき証拠があるとタグバ少将は付け加える。−「詳細にわたる目撃証言と極めて生々しい写真の証拠がある」。虐待が行われた時に兵士によって撮られた写真とビデオは彼の報告書にはつけられていない。なぜならそれは「極めて慎重に扱われるべきものだ」とタグバ少将は言う。
 それらの写真は−それらのいくつかは先週のCBSの番組「シックステイ・ミニッツ・ツー」で放送された−屈辱的なポーズをとることを強制された裸のイラク人拘置者を、いやらしい目つきであざけるGIを写している。6人の容疑者−チップとして知られている一番年長者の イバン・L・フレデリック II二等軍曹, ; スペシャリストのチャールズ・A・ガーナー;ジャバル・デイビス軍曹;スペシャリストのメーガン・アブール;スペシャリストのサブリナ・ハーマン;ジェレミー・シビッツ二等兵は今、共同謀議、職務怠慢、拘置者への残虐行為、虐待、強姦、破廉恥行為の容疑でイラクでの訴追手続きに直面している。7人目の容疑者リンディー・イングランド二等兵は妊娠したためにノースカロライナのフォートブラッグに転任させられた。

 写真は全てを語っている。その一つでは、イングランド二等兵はのんきそうに口にタバコをくわえ、若いイラク人の性器に対して、(成功を示す)親指をたてるしぐさをしている。そのイラク人は裸で頭にサンドバッグを被せられマスタベーションをしている。他の3人の裸で頭巾を被せられたイラク人拘置者が反射的に性器のところで手を交差させているのが写っている。5人目の拘置者は手を体側に置いている。他の写真ではイングランドは腕組をしてスペシャリストのガーナーと共に立っている。二人はにやっと笑い、多分7名の裸のイラク人の塊の後ろで親指を立てるしぐさをしている。7人はひざを折り曲げ、お互いの上にピラミッド状に不器用に積み重ねられている。ピラミッド状に積み重ねられた裸の拘置者たちの塊の別の写真もある。彼らの近くでガーナーは腕を組み笑いながら立っている。
写真はすべて「ニューヨーカー」から


 女性兵士が彼の前に腰をかがめて立っている。彼女も笑っている。更にフードを被せられた体の塊の前で女性兵士が写真をとっているものもある。更に別の写真にはひざを曲げた裸のフードを被っていない男性の拘置者が、裸のフードを被せられた他の男の拘置者にオーラルセックスをしているように見せるポーズをとらされて絶えずカメラから頭をそむけているのが写っている。
 そのような人間性抹殺はどのような文化においても受け入れがたいものであるが、特にアラブ世界ではそうである。ホモセクシュアル行為はイスラム法に反し、男が他の男の前で裸にされることは屈辱的なことであると、ニューヨーク大学の中東研究所のバーナード・ヘイケル教授は説明する。「お互いを体の上に載せられマスタベートを強要される、お互いの前で裸でいる−それらはすべて拷問だ」とヘイケルは言う。

 写真に写っている2人のイラク人は既に死んでいるのである。拘置者No.153399の打ちのめされた顔が見える。そしてもう一人の拘置者の血まみれの体はセロファンで氷付けにされている。血がばちゃばちゃ撥ね飛んでいる空き部屋の写真もある。



 第327隊の拘置者への虐待はほとんど日課のようになっていたと思われる−兵士たちが隠す必要を感じなかったという軍隊生活の事実だったのである。4月9日、バグダッド近くのキャンプ・ビクトリーでのフレデリック軍曹に対する第32条項の審理(軍隊での大陪審と同じもの)において、目撃者の一人、憲兵のスペシャリストのマシュー・ウイズダムは、彼と他の兵士が頭巾を被せられ縛られた7人の拘置者を、アブ・グレイブのいわゆる「ハード・サイト」――最も危険と考えられる拘置者が収容されている7階層の独房に送った時に起こったことを法廷で述べた。その拘置者たちは刑務所のほかの場所で暴動を起そうとしたかどで告発されていた。ウイズダムは言う。

 スナイダー一等軍曹は拘置者を掴み山になるように放りなげた・・・彼らを山のように積むことは正しいこととは思わない。フレデリック二等軍曹、デイビス三等軍曹、そしてグラーナー伍長が拘置者たちを殴りながらその山の回りを歩いているのを見た。フレデリック二等軍曹はある拘置者をその(人間扱いしていない。物として扱っている)あばらの横からなぐっていたのを覚えている。フレデリックに対してその拘置者はもはや危険ではなかったのだ・・私はそこを立ち去った。

 後で戻ってきたとき・・、ウイズダムは証言する;

 私は2人の裸の拘置者が、一人が跪いて口を明けもう一人にマスタベーションをしているところを見た。私はそこから直ちに立ち去るべきだと考えたが、そうすべきではないと思い留まった・・・フレデリックが私の方へやって来て言った。「2秒でも二人きりにしたらこの獣たちが何をするか見てみろ」。イングランドが叫んでいるのが聞こえた。「やつは固くなっているわよ」。

 ウイズダムは起こったことを上司に報告しており、「問題は処理されている」と思ったと証言した。「私は犯罪と見なされるようなどんなことにも関わりたくなかった」と彼は言った。

 チップ・フレデリックに対する第32条項審問の役割が浮上した憲兵でスペシャリストのヨセフ・M・ダービーの激怒により虐待は公知のものとなった。陸軍犯罪調査部(CID)のメンバーで政府側の証言者で特別代理人のスコット・ボベックは法廷で語った。私が入手した要約筆記によれば「取り調べはダービーが・・ガーナーからCDを入手した後で始まった・・・裸の収容者の写真にでくわした」と法廷で述べた。ボベックはダービーが「最初に匿名の手紙を我々のドアに指し込み、後になって名乗り出て宣誓陳述書を発表した。彼はそれについて大変いやなことだと感じそしてそれは間違ったことだと考えた」と語った。

 陸軍の調査者は更に問われて、フレデリックと彼の仲間達は、「訓練ガイドライン」と認識できるようなものは何も与えられていなかったと言った。2003年春にイラクへ到着した第327隊の憲兵に与えられた日課は輸送と治安の役割だった。2003年10月に327隊はアブ・グレイブの刑務所警備を命ぜられた。37歳のフレデリックは他の仲間に対してはるかに歳をとっており、生まれついてのリーダーだった。彼はまたバージニア矯正施設の警備の6年間の経験をもっていた、とボベックは語る。

 フレデリックとガーナーは道路の憲兵であり刑務所を任されることになった。というのは彼らは刑務所の民間警備員であり刑務所がどのように運営がされるべきかということについて知識をもっていたからだ。

 目撃者はフレデリックがあるとき「収容者の胸を強く殴ったために心拍停止になりそうだった」と言ったとボベックは証言した。

 第32条項審問において、米軍はフレデリックと彼の法的代理人の陸軍法律家、ロバートシャンク大尉と民間人ギャリー・メイアーに対して、カーピンスキー将軍とフレデリックの共同被告を含む米軍が探した20人余もの目撃者は出廷しないということを告げた。何人かは第5修正条項の権利の発動により免除され、他の何人かは法廷から遠すぎると判断されたことによる。「私たちにとって第32条項審問の目的は目撃者を出廷させ事実を明らかにすることです」、「結局のところ、CID(犯罪捜査課)の課員が一人残っただけで、我々は疑わしいとされたただ一人の犠牲者も調べることができなくなった」とギャリー・メイアーズは私に語った。審問の後、調査を主宰する将校はフレデリックの軍法会議を召集する十分な証拠があると裁定した。

 1970年代のマイ・ライの起訴で軍の弁護士を務めたマイヤーズは、彼の依頼人の弁護は依頼人の上司の命令を実行するだけのものであり、特に軍の諜報機関の指示によるものということになるだろうと述べた。彼は言う、「バージニアの田舎の子供たちのグループがこんなことをすると彼ら自身で決めたと本当に思うかい?最も良いやり方がアラブ人の面目をつぶすことで、彼らにしゃべらせるには裸で歩き回らせることだ、と決めることができたと思うかね」。

 フレデリックは親族に宛てた手紙やeメールで、CIA将校、軍の請負企業の各国語に通じたスペシャリスト、取り調べのスペシャリストを含む、諜報チームがアブ・グレイブ内部の主要な部隊だと繰り返し言及している。1月に書かれた彼の手紙ではこう述べている。

 私は見たことについて質問した・・・収容者を裸で、あるいは女性ものの下着をつけさせて独房に放置しておいたり、収容者を独房のドアに手錠をかけて置いたりすること――「これが諜報部(MI)のやり方なのだ」というのが答えだった・・・MIはまた我々に対して、拘置者をほとんど裸でトイレもなければ流す水もない、窓のない部屋で換気もない独房に3日間、閉じ込めることを指示した。

(2)へ続く