こどもたちが元気に遊びまわる園内のいたるところに弾薬庫が残されているのであるが、それが弾薬庫跡であり、この地が戦争中砲弾を製造していた跡地であることを知らせてくれるものがない。こどもら家族はそのことをなにも知らずに遊びに満足して帰ってゆくのだろう。私たちはフィールドワークの帰り際、公園の本当に片隅(女学生休憩所跡)に「平和を祈る」碑を発見した。この碑を建てて「こどもの国」は何であったのか語り継ごうと追求した元動員学徒の方々の努力に感激させられた。以下に碑文を紹介する。

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戦争のない世界を願って
「こどもの国」は第二時世界大戦中、「東京陸軍兵器補給廠 田奈部隊」と呼ばれ、園内の森には高射砲や手りゅう弾などの砲弾を作る工場とたくさんの弾薬庫がありました。
戦争がはげしくなった一九四四年から一九四五年、神奈川高等女学校の学生であった私たちは、国の命令で勉強をやめ、この工場で砲弾を作る作業につきました。その砲弾が地球上のだれかを傷つけたのではないかと思うととても恐ろしい気持ちです。戦争を再び起こしてはなりません。この思いをこめて、女学生休憩所跡の丘に、平和を祈る碑をたてました。
平和な世界のなかで、こどもたちがのびのびと育ちますように。


一九九六年 二月二十八日
神奈川高等女学校(現、神奈川学園)
本科二十九回、三十回卒 動員学徒
有志 一同

公園の片隅にあった「平和を祈る」碑