Edward Said Interview

ペンと剣

なるほどアラブ世界の政治は腐敗・堕落しきっており、その点については西洋の専門家たちの批判はもっともなのですが、皮肉なのは、そういう批判をしておきながら、この人たちの誰ひとりとして、そうした現状に対する闘いがアラブ世界の内部で起こっていることを認めたり、それに共感したりすることがないという事実です。

アラブ世界の内部には、大きな反体制勢力が存在します。例えば、アラブ世界の一流の作家、ジャーナリスト、芸術家、知識人、学者のほとんどが、いまでは反体制派になっています。彼らの多くは書くことも発言することもままならず、逮捕者も出ていますが、そういう事態について、欧米ではまったく言及されることがないのです。女性解放や人権運動のような闘争も、国によってそれぞれ事情は異なりますが、アラブの各国で進展しています。でも、これらについては決して語られません。なによりも象徴的なのは、表現の自由、集会の自由、結社の自由を求めるパレスチナ人の闘争がほとんど問題にされていないことです。それがすべてを物語っています。そこで、これはいったいどういうことなんだと考えてしまうわけです。ほんとうの悲しみに襲われるのは、こっちが何をしても欧米の見方に何の影響も与えないと気づいたときです。彼らは自分たちの言っていることを、ただ繰り返すばかりです。デーヴィッド・プライス=ジョーンズの本のタイトルを拝借させてもらえば、これこそが「閉じたサークル」です。アラブ世界がそうなのではありません。そこでは多くの動きが展開しているのですから。


The Middle East
中東とメディア

DB:中東に対するイメージとシンボルを取り上げ、この10年間の変化を見てみましょう。たとえば、イラクによるクウェート侵略の記憶も生々しい1990年8月に『ニューズウィーク』の巻頭を飾った記事。ここでは、中東では「政治家は、三度のメシより裏切りが好き」と紹介されています。

中東は、河を渡っているラクダを刺すサソリの物語でたとえるのが最もふさわしい社会とされています。まっ先に浮かぶイメージは、本質的に一九世紀のものです。変則的で時代錯誤という観念がいちばんぴったりあてはまるのが、今日、中東が描き出されている姿です。ロマンティックなものと非ロマンティックなものが共存するオリエンタリズムの語彙はいまも健在です。そっくりそのまま継承されていると言っていいでしょう。

例えば、デーヴィッド・プライス=ジョーンズ〔David Pryce-Jones 1936〜 イートン校、オックスフォード大学出身の保守的な英国の評論家、作家〕は、『閉じたサークル──アラブ人についての一解釈』(The Closed Circle : An Interpretation of the Arabs、 Weidenfield & Nicholson, UK, 1989)という本のなかで、自分はアラビア語を知らないし、学者でもないと自認していたと記憶しています。それにもかかわらず、彼はアラブ文化について恐ろしく大雑把な一般化をやってのけ、それは恥の文化であり、暴力の文化であり、堕落と官能に溺れた、まったく信頼のおけない世界である、などとしゃあしゃあと述べているのです。この本が出版されてすぐ、イギリスの大手新聞が、この本に対するコナー・クルーズ・オブライエン〔Conor Cruise O'Brien  1917〜 アイルランドの文芸批評家・劇作家〕の書評を載せました。そのなかでオブライエンは、初めてアラブ世界の真相を語る人物が現れた、と絶賛しています。この書評は、その後、最近の『パブリック・インタレスト』誌に取り上げられました。こうして次々と継承されていくのです。それがアラブ人というものさ、ということになってしまう。なにひとつ、変わりません。

DB: 失望させられますか。

こういう人たちには、もとよりそんなものしか期待していません。むしろ、がっかりして悲しくなるのは、アラブ世界の内部では学者や作家やアラブ世界の研究者たちが、政権の腐敗や残虐行為に対して身を挺して闘っているにもかかわらず、この人たちの活動が欧米の認識を何ひとつ変える力を持たないということです。

なるほどアラブ世界の政治は腐敗・堕落しきっており、その点については西洋の専門家たちの批判はもっともなのですが、皮肉なのは、そういう批判をしておきながら、この人たちの誰ひとりとして、そうした現状に対する闘いがアラブ世界の内部で起こっていることを認めたり、それに共感したりすることがないという事実です。

アラブ世界の内部には、大きな反体制勢力が存在します。例えば、アラブ世界の一流の作家、ジャーナリスト、芸術家、知識人、学者のほとんどが、いまでは反体制派になっています。彼らの多くは書くことも発言することもままならず、逮捕者も出ていますが、そういう事態について、欧米ではまったく言及されることがないのです。女性解放や人権運動のような闘争も、国によってそれぞれ事情は異なりますが、アラブの各国で進展しています。でも、これらについては決して語られません。なによりも象徴的なのは、表現の自由、集会の自由、結社の自由を求めるパレスチナ人の闘争がほとんど問題にされていないことです。それがすべてを物語っています。そこで、これはいったいどういうことなんだと考えてしまうわけです。ほんとうの悲しみに襲われるのは、こっちが何をしても欧米の見方に何の影響も与えないと気づいたときです。彼らは自分たちの言っていることを、ただ繰り返すばかりです。デーヴィッド・プライス=ジョーンズの本のタイトルを拝借させてもらえば、これこそが「閉じたサークル」です。アラブ世界がそうなのではありません。そこでは多くの動きが展開しているのですから。


DB:〔イスラム復興現象は〕 一種の土着性への回帰ですね。

そういう反応です。これには大きな欠陥があると思います。たいていは反動的です。ただし、主張は客観的です。合衆国の新聞によく描かれるように、何か邪悪な実在論を掲げているわけじゃないんです。バーナード・ルイス〔Bernard Lewis〕はアトランティック・マンスリー誌に「ムスリムの怒りの根源」について書いていますが、これなんか読むと、イスラム教徒はただ近代的なものに頭にきているだけという印象を受けます。まるで近代化が何か漠然とした勢力であり、イスラム教徒たちはそれを攻撃し罵ることによって七世紀に帰りたがっているとでも言うみたいに。これは、ほんの一例です。西洋におけるイスラムの描き方というのは、アラブ圏のみならず、イスラム世界全般が闘っている共通の問題の一部なのです。パキスタンでもバングラデシュでもイランでも、それは同じです。欧米ではイスラムを理解しようという関心はほとんど見られず、それと対話を持とうとする気持ちも感じられません。それどころか、押しかけてくるのはマスコミの大軍団です。これについては、欧米のメディアの怠慢と無能に大いに責任があります。また、こういうたぐいのことに手を貸している、いわゆる識者たちも同罪です。普通のテレビドキュメンタリーであれニュース番組であれ、彼らの仕事はもっぱら素材を刈り込み、圧縮し、矮小化し、時には戯画化さえして、サウンドバイトを制作することなのです。映画でさえも、そういうことは起こります。クリスマス前の一週間にテレビで見た映画のうち、『デルタ・フォース』(Delta Force)を含め少なくとも三本はイスラム教徒のアラブ人「テロリスト」を殺す話でした。アラブ人やイスラム教徒を殺すという考えは、大衆文化によって正当性を与えられているのです。こうしたことを容認する環境に目を向けなければなりません。

DB: 大衆文化について発言なさるとはおもしろいですね。あなたはハイブローな文化に浸りきった人だと思われていますから。なにせ学者ですからね。それはともかく、おっしゃるように『デルタ・フォース』のような作品があるのです。それに加えて、『アイアン・イーグル』(Iron Eagle)という、このジャンルでは突出した傑作もあります。

僕はボールダー市のコロラド大学で、メディアによるアラブ人やイスラム教の提示の仕方について話してくれと頼まれたことがあります。「アラブ認 識 週 間」という妙な名前の付いた催しでした。そこで、山のようなビデオを借りてきて目を通しました。『アイアン・イーグル』では、アメリカのティーンエージャーが、アリゾナでF16型戦闘機を盗み出しノンストップで中東まで飛ぶという、すごいことをやってのけるんです。彼は、自分の父親を人質にとっている狂信的なアラブ人の武装集団を皆殺しにします。父を救い出して、アリゾナに連れ帰るというお話。僕がいちばん気に入っているのは『ブラック・サンデー』(Black Sunday)というやつです。アラブ人は、何ものにも屈しません。邪悪な行為の極致を見せてくれます。こともあろうにアメリカ文化の至高の殿堂「スーパーボール」を妨害し、爆弾でスタジアムを吹き飛ばそうと企てるのです。この手の映画がいくつもあります。ついでながら、テロリストたちは、とてつもなく無能です。彼らはちゃんと撃つこともできなければ、装備を使いこなすこともできません。アメリカ人やイスラエル人が、たった一人で百人ものアラブ人テロリストをくい止めるのです。

ご存じかも知れませんが、映画に出てくるテロリスト、つまりイスラム教徒やアラブ人は、ほとんどイスラエル人が演じているんです。驚いた話でしょう。アラブ人の役者は使わない。こういう役柄を引き受けるアラブ人の役者が見つかるとも思えませんが……。イスラエルでは、撃たれ役や殺され役のアラブ人を演じるエキストラや代役をプロデュースする商売が、小さいながらも繁盛しているんです。わずか二、三人のアメリカ人に、何ひとつまともにできない無能なアラブ人が百人、いや千人も束になってかかっていくのですから。

DB: まるで無能に描かれるうえに、アラブ人が普通のしゃべり方をする場面もありません。彼らは金切り声で怒鳴り合い、吠えたて、わめく。

そういうのは、一般の受けとめ方としては、クルアーンの呪詛、クルアーンの呪いだ、ということになるんでしょう。彼らがしゃべるのは、それしかないのだから。「クルアーンの〜」という言葉はたいしたものです。およそ嫌いなものすべてを意味するんですから。

・・・・・・・・・・・

DB: 僕は、さきほど触れた講演の準備のため調べものをしようと町の図書館へ足を運びました。ボールダーは、けっこう進歩的でリベラルな町です。この町の公共図書館にはどんな本が揃っているのかなと思って、調べてみました。その結果、キリスト教関係の蔵書が二五七冊、ユダヤ教関係が160冊、イスラム教関係は63冊あることがわかりました。この町にはイスラム教徒はほとんど住んでいないのですから、イスラム関係書がこれだけ揃っているのは、ずいぶんと心の広いことだという気がします。

ところが、本の題名を調べてみると、印象は違ってきます。どんな題名があるかというと、『イスラムの爆弾』、『イスラムの進軍』、『戦うイスラム』『聖なるテロル――イスラム教テロルの世界の内幕』『神聖な怒り』『現代イスラム十字軍』、ナイポールの『イスラム紀行』、そしてきわめつけは『イスラムの盗賊』。そこで、キリスト教やユダヤ教関係の書籍に目を移して、『ユダヤの爆弾』とか『クリスチャンの盗賊』なんて本はないかなと探してみたのですが、そんなものはありません。

僕はずっと、いまおっしゃったような現象に対して批判してきましたが、それだけでなく、同時にもう一方の側の態度も批判し続けてきました。つまり、アラブ人やイスラム世界がこの問題に十分な関心を払っていないことについてです。アラブ知識人やイスラム知識人は、西洋に対してものを言う努力が必要です。いまおっしゃったような書物に対して反論しなければならないのはもちろんのことですが、それだけにとどまらず、イスラムに対する別の見方も提示していく努力が必要です。それは誤った見方を否定するだけでなく、多様性にあふれ、全体としてはとても穏やかなイスラム世界の本当の姿を具体的に表現するような見方を提示することです。

昨年の「1492年〜1992年回顧」〔1492年はアラブ・イスラム王朝であるグラナダ王国の陥落により、イベリア半島からアラブ・イスラム勢力が一掃された年〕の催しの期間中、アラブ諸国がアンダルシア文化〔スペイン南部のグラナダを中心に八世紀から一三世紀にかけて栄えたアラブ・イスパニア・地中海の混成文化〕について西洋に伝えようという努力をほとんどしなかったのは残念です。アンダルシア文化は、そのエクメニズム(宗教的多元主義)や壮麗な美術、学問的な業績などによって、人類の進歩に大きな足跡を残しました。同時に、この文化は今日イスラムの本質として理解されているものに対し、そうではない別の姿を突きつけます。それは、多様な集団が共存することに対して寛容であるばかりでなく、むしろそれを奨励したイスラムの姿です。

これに対して、パレスチナ・イスラエル紛争によるところが大きいと思いますが、イスラムは本質的に狭量で、反動的で、とりわけアウトサイダーを容認することができない狂信的排外主義の宗教だとする新しい見方が後から出てきました。しかし、一般的な意味でのアウトサイダー(バーナード・ルイスがいつも話しているのはこれです)と、イスラエルのようなアウトサイダーとの間には違いがあります。イスラエルは、アラブの領土を侵略したというよりは、かつてエクメニズムを掲げていた地域を侵略したのですから。

僕が育ったパレスチナは、三つの宗教が共棲するところでした。共棲は完全とは言えなかったかもしれませんが、同時代のヨーロッパよりは、はるかにましでした。僕は1935年の末に生まれました。ヨーロッパでは当時、ユダヤ人の虐殺が開始されようとしていたところで、パレスチナには小さなユダヤ人社会が形成されていました。その当時、彼らが今よりもずっと大きな集団になる計画を立てており、実際にその後、もとからの住民を追い出して国を奪うようなことになるとは、誰も想像しませんでした。それにもかかわらず、イスラムに与えられたイメージは、他者を滅ぼすことばかり考えているというものです。

このように描かれ続けるイスラムの姿に対して、欧米に住むイスラム教徒は一度も本気で反駁したことがないと思います。彼らは、そういうのはただのプロパガンダだと思っているのです。アラブ諸国が、情報政策などを通じて、こういうイメージは間違っているばかりでなく、反駁もできるのだということを示す努力を怠っていることに対して、僕は強く批判します。僕は楽観主義者です。人々の考えを変えさせることは可能だし、イスラムやアラブ世界について従来とは異なる見方に接することによって、欧米の人々が別の見方に対して心を開くこともあると思っています。

DB: アラブの大学やカレッジの多くは、合衆国を研究する学部がないと指摘されてましたね。

現在、アラブ諸国のどの大学にも、西洋だけ、または合衆国だけを専門に研究する学部はありません。1992年6月のイスラエル訪問で西岸地区のビル・ゼイト大学を訪れたとき、そのことに触れてみました。すると、この地域では合衆国が最も強力な外国勢力だというのに、そこにはアメリカ研究の学部がないばかりか、ヘブライ語やイスラエルを研究する学部さえもないということでした。何といっても、イスラエルは占領軍です。アラブ人の生活を侵害しているのですから、イスラエルの国家や社会についての体系的な研究にもっと目が向けられてしかるべきではないでしょうか。でも、それはまだできていません。これはみな帝国主義の遺産の一部です。

DB:排外主義の要素もあります。

排外主義だけでなく、それに挑戦すべきではないという空気があるんですね。挑戦する姿勢の欠如が、とても気になります。現代のアラブ世界の人々と、1950年代や60年代、そしてもちろん30年代から40年代にかけての人々がはっきり異なるのは、後者が帝国主義に挑戦しようという姿勢を持っていたことです。現在は、大きな畏怖が支配しています。パレスチナ人も他の者たちも、合衆国は最後のかけ込み寺であり、真の正義の友だとでもいうように、この国に走ります。恐ろしい認識不足です。ワシントンやマドリードの中東和平交渉も、確かにこのパターンでした。合衆国の過去の行状についての認識が非常に乏しいのです。ベーカー〔James Addison Baker 米初代ブッシュ政権の国務長官〕は、「もちろん、あなた方にもぜひ和平会談に参加してもらいたい」と言いました。この言葉は当時は額面通りに受けとめることもできるものでしたが、結局は大きな失望を招いただけでした。

DB: アラブ世界を広く訪れたわけではないので、これは勝手な一般化になるかも知れませんが、僕が接した限りでは、アラブ人、特にパレスチナ人の間には、自分たちは野蛮な仕打ちを受けた被害者だという意識があるようです。この件に関しては、非常に正当性のある立場です。ところが、正義は彼らの側にあり、いつの日にか必ず明らかになるという意識があるため、彼らは強く訴えるまでもないと感じているのです。

まったく、その通りです。正義は我にありという意識や、主張の正当性があれば、そのうえ何をする必要もないという意識があるのです。

DB: 「神は寛大なり」は一種の甘受の哲学。

残念ながら、きわめて非グラムシ的な態度ですね。


< 『ペンと剣』ちくま学芸文庫>

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