エル・エスパシオ・デ・ラ・ペリクラ

「11’09”01 セプテンバー11」

"11' 09" 01 September 11" 2003
参考上映:
場所:キノ・キュッヘ
日時:2003年11月24日(月)15:30〜

解説: 佐々木健

 「セプテンバー11」は国籍の違う11名の映画監督が、2001年9月11日をテーマに撮ったオムニバス映画だ。製作の条件は「11分09秒01フレーム」という時間だけ。

参加した監督は、上映順にいうと

◆サミラ・マフマルバフ(イラン)代表作:「りんご」「ブラックボード/背負う人」
◆クロード・ルルーシュ(フランス)代表作:「男と女」「愛と悲しみのボレロ」
◆ユーセフ・シャヒーン(エジプト)代表作:「炎のアンダルシア」
◆ダニス・タノヴィッチ(ボスニア=ヘルツェゴビナ)代表作:「ノーマンズ・ランド」
◆イドリッサ・ウェドラオゴ(ブルキナファソ)代表作:「掟」
◆ケン・ローチ(イギリス)代表作:「ケス」「大地と自由」
◆アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ」(メキシコ)代表作:「アモーレス・ペロス」
◆アモス・ギタイ(イスラエル)代表作:「キプールの記憶」
◆ミラ・ナイール(インド)代表作:「カーマ・スートラ」
◆ショーン・ペン(アメリカ)代表作:「インディアン・ランナー」
◆今村昌平(日本)代表作:「楢山節考」「黒い雨」

 それぞれが、「11分09秒01フレーム」という短い時間のなかに、世界各地の多面的な捉え方が凝縮されて表現されていてとても充実した映画に仕上がっていると思った。今回で、見るのは2度目だが、1度目とは違った見方が出来たように思う。この映画は是非2回は見てもらいたい。そして皆で見終わったあとにワイワイと映画を話題に話すのに良い映画だと思う。

 サミラ・マフマルバフの作品では、イランにいるアフガン難民の子供たちに女性教師がニューヨークの事件の悲惨さを伝えようとするのだが、子供たちは身近なことの方に関心があり、なかなか伝わらない。

 クロード・ルルーシュはニューヨークにやってきた聾唖者の女性を主人公に、手話ガイドの彼との別れ話を9月11日当日の出来事として描くのだが、聾唖者を主人公にすることで、サイレント映画の様な効果が、感情の微細な動きを良く表現出来たと思う。

 ユーセフ・シャヒーンは自分の分身ともいえる映画監督を主人公に、目の前に幽霊として現れた、若い米兵(ベイルートの自爆テロによって死んだ)とのやりとりのなかで、パレスチナの自爆の問題、アメリカによる他国の犠牲のことを訴える。

 ダニス・タノヴィッチの作品ではボスニア戦争で男たちを失った女性たちがいつか自分たちの家に帰ることを夢みながら、毎月11日には平和デモに出かける。しかしニューヨークの事件の日はデモを取りやめようとする。しかし、全人類にとって悲惨な日にこそ、デモをすべきだと、黙々と女性たちは失った自分たちの家族を思い行進するのだった。

 イドリッサ・ウェドラオゴ作品は、ブルキナファソという西アフリカでのお話で、病気の母親の薬代を稼ぐために学校にも行かず働く子供が、ビン・ラディンにかけられた賞金を友人たちと稼ぐため町で見かけたビン・ラディンを捕まえようとする冒険活劇だ。

 ケン・ローチ作品は、1973年のまさに9月11日に起ったチリのクーデターが、アメリカが後押しした軍部のテロであり、ニューヨークの10倍以上の人の命を奪った。民主的に選ばれたアジェンデ政権が暴力よって強引に破壊されたことを語っている。

 メキシコのアレハンドロ作品は、最初黒い画面に呪文の様な音声が流れるといった実験的作品。時折フラッシュの様に貿易センタービルから飛び降りる人の映像が映し出される。現場の実況音や、ビルのなかから家族や恋人に話す電話の声などが流れ。その実在感が凄い・・・

 アモス・ギタイ作品は笑わせる。エルサレムでの自爆テロ事件を取材し現場から実況しているのに、ニューヨークの事件により、小さな事件として中継されないことになる。

 インドのミラ・ナイールは、アメリカ在住のイスラム教徒たちが事件の後、いわれなき誹謗中傷を受けたことを事実に基づき描く。アメリカの都合の良いように、イスラムの青年がテロリストと言われたり、英雄と言われたりする。キリスト教徒だったら決してそうはならなかっただろうに。

 アメリカからはショーン・ペンが痛烈な皮肉で、美しく悲しい物語を作った。日陰で朝の訪れの遅い安アパートに住む老人が死別した愛妻のことを思いながら生活している。ある日、予期せぬ早い朝を迎えるのだ。窓の枯れ果てた生け鉢が生返り花を咲かせ、崩壊するビルと共に部屋には光が当たるのだ。

 ラストは今村昌平作品。戦地より復員してきた男がヘビになってしまった話を中心に、彼の住む山村の人々を描き「人間」というものを戯画化しながら、反戦を訴えている。

 とまあ、ざっと書いてみたが、それぞれの作品はアメリカという一国の「セプテンバー11」に収斂されず、それぞれが「セプテンバー11」を持っているのだということが、このオムニバス作品から見えてくる。

 この映画は、ヴェネツィア映画祭で公開され、日本では2002年9月11日にTBSで放送された。インターネットでもブロードバンド配信されたらしい。劇場公開は新宿のテアトルタイムズスクエアで当日のみ特別公開されたあと、2003年4月5日より銀座テアトルシネマでレイトショー公開されている。

 アメリカでは放送されなかったという。まあ反米的な作品が多いのとショーン・ペンの作品などアメリカの権力者を逆なでするような作品だからしょうがないか?しかし、マイケル・ムーアの「ボーリング・フォー・コロンバイン」がアメリカでも大ヒットしたんだから、この「セプテンバー11」もアメリカ人にこそ、見て欲しいと思うのだが・・・

 しかし、日本でも知らないうちに劇場での公開が終わり見る機会がなくなったのは、残念だ。一度大画面で見てみたい。とりあえず、配給元の東北新社からDVDが¥4000位で発売されているので、近くのレンタルビデオ屋さんにあるかも。                            

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