エル・エスパシオ・ラ・ペリクラ

2002年5月 第13回映画研究会  森崎東監督とともに 『生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』  を観る

−森崎東監督を囲んで−


場所:キノ・キュッヘ
日時:2002年5月19日(日)15:30〜

担当・編集:小見 憲

森崎  一昨日、舞鶴のSさんという人と会いまして。そこでその人が「もしも『党宣言』と似たようなもの、続編みたいなものをつくる気があるならば、私、金を出します」と言うんですよ。非常にびっくりして、つくづくと顔を見たんですが、どうやら本気らしくて。「役者は誰がいいですか」と言ったら、「それは原田芳雄と倍賞美津子」と。全然考えなかったことだったんですが、聞いた途端、「やらなけりゃあ」と思ったんですよ。それで今日『党宣言』を観たあとのみなさんにお願いしたい。もし続編をつくるなら、こういうのはどうだ、という意見を聞かせてほしい。  

A  続編といわれますと、(原発ジプシーの)原田芳雄は死んじゃいますよね。そうすると、「原田芳雄と倍賞美津子」は成り立たないわけで。だから実は死んでない。最後におばちゃんの「医者を呼んで来る」という台詞もあるし。意識はなくなった。でも何とか助かって生きている、という設定も無理をすればできるかな。  

森崎  そうか。原田芳雄は死んじゃったんだ。すると、続編も「死んだらそれまでよ」か。   

B  この題名は確か、中国の文化大革命のときの党派(?)の…  

森崎  朝日新聞に一段くらいの記事が載ってたんですよ。上海で不良少年たちが紅衛兵のグループをつくって、無茶苦茶しながら立ち上げた。それが「生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ」という党(?)だったという。  

A  それで、この映画も高校生の悪ガキが…  

森崎  彼らの背中に赤い字で書いてありましたよね。中国語で四文字で書くとああいうことなのかなあと思ってやったんですが、でも事情を知る中国人に言わせると、全然あんなんじゃありません、と(笑)。実は、僕の兄は中国の東北の大学(満州・建国大学)で学んだ後、終戦に腹を切って死んでいます。そのことでNHK・BS放送の『心の旅』をつくった時、東北に行ったんです。その時の中国の通訳が上海で紅衛兵を、まあ無茶苦茶やってた方の紅衛兵だったというんで、聞いたんですよ。そういう党名を名乗っていたのがいたかい、と。そうしたら、「いました。私のすぐ側にいました」って言うんですよ。ですから、あったことは確かです。ただ、なんで僕がその題名にしょうとしたかはよく覚えていませんね。なんとなく、残っちゃったという。  

B  僕はこれで『党宣言』を観るのは三回目ですが、また新しい発見がありました。『女咲かせます』で頻繁に出てくる「暗闇祭り」の歌がここでも出てきたなという。原田芳雄と倍賞美津子のバーバラが沖縄からの密航者だったというのも、二回目に観た時にわかって。コザ暴動のシーンがあって、まだアメリカの施政権下にある沖縄から流れてきたんだなあ、と。それから、前にこの映画研究会で女シリーズの一回目の『女は男のふるさとヨ』をやりましたが、そこに出てくるストリッパーの倍賞美津子がアンジェラという名で、役柄だけでなく、似ているというか、作品がリンクしているというか。  

森崎 ついでに言いますが、あの歌、ジャンジャラスッポンポン。あれは、九州の筑豊炭鉱がつぶれていく時にみんな退職金を賭けて、地べたの底で、穴の中で花札をやったらしいんです。その時に、読み人知らずで誰かが歌いだしたというんですね。知っている人は知っているというけども、こういうの知ってると聞いても、僕が聞いた限りでは知らない人ばかりでしたね。(大正炭鉱の)大正行動隊あたりが歌いだしたという説もあるんで、ひょっとするとそういうことかも。上野英信さんあたりに聞けばわかったかもしれませんが、上野さん、死んじゃったし。  

B 暗闇祭りというのは炭鉱の中の話だったんですね。  

森崎  そうみたいですね。ここの近くの府中の暗闇祭りとは全然違う。  

C  (フィリピンから出稼ぎに来ている)マリアがずっと喋らなかったのが、最後に強制送還されちゃう時に言うでしょ。「アフレル情熱ミナギル若サ、キョードーイッチダンケツ、ファイトーッ!」って。  

森崎  思い出しました。最近、倍賞さんが仕事でフィリピンに行ったらしいんです。倍賞さんは覚えていたんですね。彼女のことを。で、空港に着いたら、あの娘に会いたいといって捜しまわったらしいんですね。一緒に風呂に入ったりしてましたから。水のかけっこをしたりとか。あの娘がホームシックになっちゃって駄目だったんですよ。毎晩泣くし。彼女のお付きみたいなことを倍賞さんがやってくれまして。それで、なんとか捜し出して…こんなに太っていて子供を二、三人産んでたそうですよ。そういえば、太りそうな女の娘でしたね。懐かしそうな顔をして、とてもうれしがっていたそうで、「いい出会いでした」と倍賞さんは言ってました。  

D  原発が何回も画面いっぱいに映されますよね。観る者に対して、すごい規定性がある画で。  

森崎  定期検査をしないと、操業できない決まりがありまして。当時、年に四回と言ってました。金をいくらかけても稼動させるということで、相当無理して検査を通しているんですよ。定期検査があって、原発ジプシーという人たちが日本国中をぐるぐるまわっているという図式が非常に異様な感じで迫ってきましたね。今もそれをやっているんでしょう。ひょっとすると、いまや社員たちも動員されてやっているのかもしれません。こう言われてました。社宅には障害をもった子供が多いんだよ、と。たぶん、そういう噂があるよということで、嘘だと思いますが。どこの原発へ行っても同じような話があって、奇妙な現実感があるんですよ。  

D  ストーリーとして見ていくと、どんづまりの下層の流れていく姿があって、これは絶望的だな、破滅的だなあ、と。そこに、晴れた日に雨が降ってくる…狐の嫁入りが二回くらいあって、それで浄化されていく。実際は、狐の嫁入りがあると誰かが死んじゃうわけだけど、天上で仲むつまじくやっていくだろう、そういうサインだと思ったんですね。でも、やっぱり流れていく下層は救われないなあ、という感じはぬぐえなくて、雨が降ってエンディングというのは複雑な気持ちになりました。『黒木太郎の愛と冒険』の時も破滅的な人物が出てきましたが、あれは破滅的なままリアルに展開していったように感じたんですが、今回は狐の嫁入りがあって…  

森崎  原発の現場、現実というのは、これと似ていましてね。死人が出たり…この間の東海村の事件を僕らは知ったわけなんですけども、相当伏せられてるんですね。相当の人数が原発の中で死んでるんですよ。放射能を浴び過ぎたり。それと、アイちゃん、実際にいましてね。映画のように殺されてるんですよ。ギン子さんという人が出ていますが、映画とそっくりな人なんですけど、その人から実際に話を聞いたんです。「アイちゃんが殺された時、私、腹が立って腹が立ってしょうがないから、警察に…」。田舎の警察ですが、でっかい建物でした。僕も見にいきましたけど。「…あんまり腹が立ったのでコーラの大びんを飲んで、朝早くに警察の前でウンコしてやった」。(笑)すごいなあと思いましたね。実際、殺されてる。だから、そういうのを思うと、雨降って地固まるというようなハッピーエンドはないとも思うんですよ。

 でも、暗いんだなあと感じるだけで、暗すぎる現実を知るだけでいいんだろうか。これから先はメロメロになっちゃうんですけども。生きるに値する生があるならば、やっぱりそれを無理してもぎりぎりのところまで見届けたい。だから、続編をつくらなけりゃと思うんですが…ハッピーエンドが何かと言われると、つらいことはつらいですね。バーバラは最後に刑事(梅宮辰夫)を殺してますからね。普通は、あんな顔しては歩けないはずですよね。だけど、だからこそ、しれっとして何もなかったように歩いていきたいとも思うわけで。  

 最後のシーンといえば、こういうことがありましたね。原田芳雄さんとは、僕は初めての仕事だったんですよ。会いに行きまして、僕はその時に、「原田さん、俳優さんの勝負は自発性だと思うから、僕の映画でも自発的にやってもらいたい。それについては、私は反論しませんから」というようなことを言ったらしい。原田さん、もうラストシーンが近づいてきて、ある日、僕に言うんですよ。「監督、俺よく考えたんだけど、どうも女がラストシーンでさらっちゃうのは問題だと思う。そういう映画が多すぎるんじゃないか。俺が全部ぶち殺して…」と。確かにそうでした。ドキッとしましてね。主役になりたいわけですよ。自発性云々と言った手前、ぐっと詰まっちゃって。最後に、殺される男が自分の腸をぶらさげて、ぶらぶら歌を歌いながら歩いて行くという、ガルシア・マルケスの『予告された殺人の記録』という小説があるんですよ。僕は反論できないもんだから、そのマルケスに登場願って、「とにかくあなたは歌いながら死ぬのが私のイメージなんだ。それが一番、あなたらしい幕切れなんだ」と。でも、納得しない顔をしてましたよ。  

A  出だしは不良生徒たちが平田満の先生を誘拐するシーンですよね。学校が舞台かと思っていると、それからストーリーがどんどん広がっていきますよね。  

森崎  この映画の最初のイメージは、修学旅行に行けない、外された連中が金を奪って、先生と一緒に方々をほっつき歩くという話だけだったんですよ。そこへ近藤(昭二)さんというライターが入ってきて、原発ジプシーって知ってますか、と。それで、僕の頭の中はガラガラと音をたてて、回転しまして、それでこういう話になりました。  

D  一番最初のその原案というのは、どういうふうだったんですか。  

森崎  『黒木太郎の愛と冒険』の原作者の野呂重雄さんという小説家がいらっしゃいますが、その小説に『天国遊び』というのがあります。中学生たちがお互いに首を締め合って失神するという遊びのことで、トルエンとかの代わりになる。まあ絶望的な小説があるんですよ。僕はそれは気持ちがいいから「天国遊び」なんだろうと思って、それを否定しないで話をつくろうと原作者に相談したら、賛成であると。それでやろうとしたんですが、原発が入ってきたんで、もとの話は雲散霧消してしまった。  

E  今度の映画の舞台はどこになるのでしょうか?  

森崎  お金を出してくれるSさんが、舞鶴の人なので舞鶴をつかってほしい、原発も近くにありますので、とおっしゃってました。ただ、原発をやるとテレビ局は買わないし、最終的にペイしないということがありましてね。大丈夫かなと思うんですが、原発をやりたいらしいんですよ。この間、東海村の事故で亡くなった人のNHKのドキュメンタリーを観たんですけども、無惨でしたね。看護婦さんが言うには「私たちみんな、何をしてるのか、全然わかりませんでした。最初から最後まで」と。人工で皮膚をつくって、それをかぶせるだけの治療だったらしいですね。ただただ、見ている前で人体が腐っていく。すごいことなんだなあ。あれだけの放射能でそういうことになっていくんだから。バケツで臨界点をつくっちゃったこと、他でもあったんじゃないかという気がしますね。僕の聞いた話では、原発サティアンの中にはおしっこする所がない。大体、肉体の一部を露出するということが止められてるわけですから、おしっこできないわけですよ。でも、長い時間就労しないと金をある程度もらえないから、ゴム手袋の中におしっこをして捨てたとか、本当かいという話をたくさん聞きました。たぶん、みんな本当だったんでしょう。東海村の事故があったあとですから、たとえテレビ局が買わないにしても、原発ジプシーの映画を、もしつくる機会があったらやった方がいいのかなあ、という気はするんですね。

 それと、Sさんがチラッと、「『党宣言』の原田芳雄のように、ああいうふうにフラリと帰って来る人を出す気はないんですか」と言ってまして、出してほしいような感じでした。「舞鶴というのもかつては引き揚げ者の街で、今はいいことばかりあるように宣伝しているけど、実はヤクザと何とかと何とかを称して…これはタブーでして」なんてことも言ってました。今、ロシア人が多いんだそうですよ。ロシア人の出稼ぎ人たちがどんなふうに舞鶴の人たちと付き合っているのか。そのような話でもいいのかな、とちょっと思いますけども。  

F  今度の東海村の事故で思ったんですよ。かつては原発ジプシーや寄せ場などの下層の労働者が危険な作業をやらされていたんだろうけども、今回は下請けといっても社員がやらされていた。そういう世の中になっちゃった。出稼ぎ労働者についても、隠蔽されていた問題が今はおおっぴらになっちゃった。何が起こっても不思議じゃないという感じですね。その結果、みんなが鈍感になってしまった。そんな中で、この映画は、沖縄のコザ暴動などを描いていますが、どうしたら連帯感が生み出されるのか、その契機がどこにあるのか、という思いのようなものを感じました。   

C  ヤクザとか、フィリピンの人が連れてこられたりとか、実際は本当に厳しいものがあるんでしょうけど、マリアやアイちゃんのシーン、ああいうシーンで救われます。  

G  それと、あの女子高生が最後に「子供を産むよ」と言いますよね。  

A  やっぱり、映画観たあとで、落ち込んで映画館を出たくないなっていうのはありますよ。  

森崎
  今の時代、何でもアリよ、と言われちゃうとドラマ自体がナシになっちゃう。何でもアリだったら、現実を見ていればいいということになりますよ。だから、一世代前のシンプルな、なんていうんでしょう、『走れメロス』や小学校唱歌やこいのぼりのようなものをつくる努力をした方がいいんじゃないか。そういう気もするんですよ。前田陽一という監督がソ連が崩壊した時に、なぜか幾人かの監督を連れて僕の家にドカドカと入って来て、「これで森崎さん、あなたの映画はおしまいですね」と言うんですね。僕は、「そうかなあ」と非常に落ち込んだんですけども。希望がない。じゃあ、社会主義が希望だったのかと言われると、それはそうではなかった。スターリンというのは、ものすごい人殺しだったわけだし。人間の世の中はすごいスピードで瓦解しつつあるというのだったら、それでもいいや、いつ絶望してもいいんだ、もう何回でも絶望した方がいいかもしれない。それでも、もし希望があるのなら、それを描きたいというのはありますね。ないものねだりだ、というのはわかっているわけですよ。だから描きたいんだ、と開き直りたいという気もします。

 時代も変わっているし、何しろ原田芳雄はラストで死んじゃってるんで、この『党宣言』の中の芳雄さんと倍賞さんのような関係にはならないかもしれません。似たような話になるのか。それとも、芳雄さんをまるで違う、生まれ変わったふうにして…生まれ変われるものだ、そういう野放図なオプティミズムでつくることだってできるわけですから。とりあえず、「つくります」ということをここで「党宣言」して終わりたいと思います。 (2002年5月、国立キノキュッヘ)