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エボリ

Christ Stopped at Eboli
場所:キノ・キュッヘ
日時:2005年6月19日(日)16:00〜

担当:濱村 篤

フランチェスコ・ロージ監督『エボリ』(原題は『キリストはエボリにとどまりたまいぬ』、カルロ・レービ原作)1979年、イタリア映画

 この映画では、ファシズム政権下のイタリアで、北部の都市から政治犯として、南部の小さな村に流刑される医学の知識を持った画家が主人公になっている。キリストはエボリにとどまりたまいぬとは、キリストもエボリを含めて、エボリよりも南に行くことがない、つまり、イタリアの中の「卑しいイタリア」、文化も宗教も不毛な最果ての地という意味である。北から来たこの主人公の知識人が、南部のただ中に入ってゆき、これまで知ることのなかった南部農民の存在の仕方を次第次第に肌で感じ取るようになるプロセスがこの映画のテーマとなっている。イタリアの中の構造化された南部の貧困、貧困ゆえそこからアメリカへ移民してゆく人々、また同じ貧困からイタリアファシズムに流れてゆく農民、イタリアファシズムもまた、イタリア南部に対するこれまでの数々の外来の支配者のひとつとして無関係であるとしてかたくなに南部農民の世界を守ってゆく農民...こうした様子が、イタリアのエチオピア侵略の時勢を背景にして描き出されている。

監督のフランチェスコ・ロージ

 「19221115日、ナポリに生まれる。法律の勉強を中断して演劇界に入る。初め舞台演出家のエットレ・ジャンソニーニの助手となり、次いでヴィスコンティ、(「揺れる大地」「ベリッシマ」「夏の嵐」)アントニオーニ、モニチェッリの助監督をつとめる。58年、ナポリの地下犯罪組織、カモッラを題材とした「挑戦」で監督デビューし、この作品はヴェネツィア映画祭銀獅子賞を受賞。以来、社会派の監督として高く評価されるが、「エボリ」からは文学的な題材に方向を転じる。」

ネオレアリズモ

 neorealismoというイタリア語で、文字通りには、新しいリアリズムという意味であるが、この用語は、所定のイタリア文学と所定のイタリア映画を指すのに用いられている。「文学史的にはふつう、反ファシズム闘争を題材にした第二次世界大戦後のイタリア文学を総称していう。」文学の「ネオレアリズモは、1940年代から50年代にかけて社会的責務を果たし、叙事・抒情の手法を目指した文学」であり、パベーゼの長編小説『故郷』(1941)とビットリーニの長編小説『シチリアでの会話』(1941)を出発点としている。

 映画『エボリ』の主人公と同様に、詩人・小説家のパベーゼもまた、1935年にトリノから「海辺の岩山の下にへばりつくように固まっている」イタリア半島南端の僻村ブランカレオーネに流刑されている。反ファシズム闘争の経験は、北部の典型的な知識人の南部の風土や民衆との邂逅をもまたもたらしたである。

 もう一方の映画におけるネオレアリズモであるが、「戦後のイタリアでは、ナチス・ドイツ軍の過酷な弾圧に対する抵抗運動や貧困と生活苦などをテーマにした数々のイタリア映画の傑作が生まれた。ロベルト・ロッセリーニ監督『無防備都市』(1945)、『戦火のかなた』(1946)、ビットリオ・デ・シーカ監督『靴みがき』(1947)、『自転車泥棒』(1948)、ルキノ・ビスコンティ監督『揺れる大地』(1948)等々である。これらの作品に共通する現実告発の厳しい態度ときわめてドキュメンタリー的な撮影方法、主人公は貧しく、主としてしろうとを使い、ロケを主体とする現場主義、即興的演出(同時録音はせずに、せりふもすべてアフレコだった)、生きたスラングや方言の採用、さらにクローズアップを少なく、ロングショットを多用したこと等々に対して、人々は新しいレアリズムの誕生という意味で<ネオレアリズモ>と呼んだ。」

 「<ネオレアリズモ>は明確な芸術的マニフェストをもつ映画運動ではなく、同時代の映画作家たちに共通したリアルで鋭い状況認識の下に自然発生的に生まれたものであり、そうして生まれた作品群が今度は逆に一つの運動体として映画作家たちによって認識され、意図的な方向が探求されはじめたものであった。」

 ドキュメンタリーではなく、ということは、それぞれの作家性というフィクション性を不可避的に用いながら、現実を把握するときに同様な方法が短期間ではあったがイタリアの映画界で採用されたということになる。なぜこの時期、同時代的な現象がイタリアの映画作家の中で見られたのであろうか? 作家性というフィクション性は、そのそれぞれが異なるために、イタリアが日本と同様に戦後「奇跡の復興」を遂げる過程の中で、それぞれ独自の方向性を見出してゆくことになる。ロッセリーニの「宗教的救済への旋回」、フェリーニの「象徴的ネオレアリズモ」、ミケランジェロ・アントニオーニの「内的レアリズモ」などのように。これを「ネオレアリズモ」の発展的解消と呼ぶこともできるが、個々の作家性について明瞭に見る上でも出発点である<ネオレアリズモ>が同時代的に発生した点は見落とせない。

参考までに、

フランチェスコ・ロージが助監督をつとめたビスコンティ監督の『揺れる大地』(1948)について触れておきたい。

以下「フランチェスコ・ロージの語る『揺れる大地』」からの引用

 「ヴィスコンティは、彼が実現しようとしていることの大部分は、説明しなかった。これをやれとか、あれをやれとか、命令するだけだった。彼自身も、少しずつ進展しつつあることの大部分は、わかっていなかったのだ。一歩ずつ前進してゆくことで満足していた。が、その一歩一歩は正確で、確固たるものだった。前述したように脚本は存在しなかったが、このことは、彼の側からすれば人間についてのいろいろな事柄について、絶えず発見をもたらすことになった。そういう事柄から、彼は真のインスピレーションを、登場人物の感情だけでなく、(物語上の)出来事についても、得ていたのだ。役者たちは、アーチ・トレッツァの漁師と住民の中から選ばれた。しかし、ヴィスコンティは、こういう、どこにでもいる人の素人臭さには満足しなかった。この単純で、映画・演劇の仕事の規則などまったく知らない人々に、プロの役者だけが有する規則や方法論を要求したのだった。映画は、オールロケで撮影され、演技は次の工程、つまりシンクロの段階への過渡的なものとは考えられず、変更不可能な、決定的なものと見なされた。彼は素人の俳優に実際の日々の行動の瞬間の幾つかを、創り出すよう要求し、そしてそれに成功したのだった。人々は、ほとんど自然にヴィスコンティの《フィクション》の中の登場人物と自分とを、少しずつ同一視できていった。セリフも、この《役者たち》の手助けによって、ヴィスコンティが書いた。彼は、物語の進展のため、彼らに提案していった。物語の中の感情を、実際の生活でのものよりも、さらに真実らしくする方法を教えてもらったのだ。」