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ボーイズン・ザ・フッド

Boyz'n the Hood
監督:ジョン・シングルトン
出演:キューバ・グッデイング・ジュニア
1991年/112分/カラー

場所:キノ・キュッヘ
日時:2004年5月23日(日)16:00〜

解説:佐々木健

 90年代は、アメリカ国内でブラック・ムービー(黒人監督映画)が活気を見せてきた。その中でも史上最年少で、アカデミー賞監督賞にノミネートという偉業を達成した(それまでの記録は「市民ケーン」のオーソン・ウェルズの26歳)ジョン・シングルトンの「ボーイズン・ザ・フッド」を見た。

 シングルトンが生まれたとき両親は共にティーンエイジャーで、11歳までは母親のところで、のちにロサンゼルスのサウス・セントラル地区に住む不動産金融業者の父親と一緒に暮すようになった。この映画の主人公(トレ)と全く同じ境遇である。しかしシングルトンは、両親の教育のおかげで町の荒廃にふれずに済んだという。その後、彼は南カリフォルニア大学の映画科に入学し映画の脚本を学び在学中に学内で権威のある「ジャック・ニコルソン脚本賞」を受賞。彼が卒業した1990年、大手コロンビア映画が彼の半自伝的な作品「ボーイズン・ザ・フッド」の脚本を買い取ろうとした。そこで彼は「自分が監督をやる」ことを条件とした。ここにシングルトンの意志が反映されている。彼はいままで作られた、黒人についての映画が黒人以外の監督によって作られていて、あまりにもお粗末なものが多いことに幻滅していた。自分が実際に育ってきた世界にまつわる映画を他の監督に台なしにされてはたまらないということだ。その意志は映画のなかにもたっぷりと反映されていて、映像の醸し出す雰囲気が派手なアクション映画とは全く違い、緊張感をともなってサウス・セントラル地区の様子が静かに伝わってくる。
 
 舞台は1984年、サウス・セントラル地区。ここは92年4月に起きた「ロス暴動」で知られる所だ。主人公の10歳の少年トレは、学校で黒人問題を提起するという問題を起し、それまで一緒に暮していた母の手から金融業者の父親フューリアスへと引き取られ、厳しくも暖かく、また黒人としての社会意識を持つ教育を受けながら成長していった。近くにはダウボーイとリッキーという兄弟が母親と共に済んでいて良き友人だった。

 7年後、トレはまじめな青年に成長し、ダウボーイは不良になり、リッキーは母親に溺愛されながらフットボールの名選手になっていたが3人とも互いに友情を大切にしていた。トレにとっての不満は恋人のブランディがセックスをさせてくれないことだった。トレ、リッキー、ブランディ共に大学入試のための勉強に励んでいたが、周囲の環境は悪くなるばかりで、ストリート・ギャング達が銃を乱射したりするのは、日常茶飯事だった。トレの父フューリアスは、トレとリッキーを危険地帯と言われているコンプトンに連れ出して、集まった人々に黒人意識の高揚を訴えた。二人はその姿に感動したが、リッキーの兄ダウボーイはそれをよそに麻薬取引に手を出していた。ダウボーイはある日、トレとリッキーも巻き込んで、敵対するギャングと小ぜりあいをした。帰り道トレは黒人警官から首筋に拳銃を突きつけられて尋問されるというギャングの様な扱われかたをして、ひどい屈辱を受ける。恋人のブランディの部屋で、ぶつけようもない怒りに涙するトレをブランディは優しく受け入れた。

 ある日敵対するギャングに目を付けられていたトレとリッキーのうち、運悪くリッキーが殺されてしまう。家には大学の合格通知が届いていたのに。親友を殺され、怒り心頭のトレをフューリアスはいさめたが、トレはダウボーイたちと報復に向かった。しかし、途中考え直したトレは車を降り、ダウボーイたちは復讐を果たした。しかし、その数日後ダウボーイもまた殺されてしまった。
 
 なんとも、心苦しくなるようなラストなのだが、自分が生活していたからこそ描けたと思えるところがたくさんある。たとえば、トレの近所の家庭は両親と一緒ではなく、母親と一緒で父が不在だということだ。ダウボーイとリッキーの兄弟も父親は別で、父親から厳しい教育など受けてはいない。また、よちよちと赤ん坊が一人で道に飛びだしてきたかと思うと、母親は家で薬をやっているのだ。夜ブランディが勉強していると銃声は聞こえるは、パトカーのサイレンはなるは、それでも気にしていたら勉強など出来ない環境なのだ。

 アメリカでは1957年にアファーマティブ・アクション(人種差別撤廃措置)が施行されて以来、教育現場や職場などで、黒人や女性を優遇する措置や政策がとられた。その結果社会進出を果たした黒人達は中流化し、危険な都市の地域から、郊外へと流出した。また他方でそうした政策の恩恵を受けることが出来なかった下層の黒人は危険地域(ゲットー)に取り残された。レーガン政権以降の保守化政策はそうした貧富の差をますます拡げたと言われている。 この「ボーイズン・ザ・フッド」は、そうした危険地域に取り残されながらも懸命に生きている黒人達の生活とその環境そのものを捉えることが出来た貴重な作品といえる。ジョン・シングルトンに喝采を送りたい。