「セントローレンス川のシロイルカの悲劇」
  P.ベラン

(日経サイエンス1996年7月号より要約)

 セントローレンス川は、五大湖の下流にあたり、両岸に数多くの化学工場が進 出している。この川に住むシロイルカ(Beluga Whale)は、19世紀には5000頭か ら1万頭いたと推定されているが、乱獲により、1979年には500頭にまで減った。 その年からカナダ政府が捕獲を禁止したため、個体数が増加することが期待され たが、頭打ちのまま今日に至っている。その原因として、化学工場の有害廃棄物 が考えられている。

化学物質による汚染

 1982年に、川に打ち上げられていたシロイルカの個体をはじめて調査したとき、 腎臓疾患で命を落としたと判明したその個体は、PCB,DDT,マイレックス などの殺虫剤のほか、水銀や鉛にもひどく汚染されていることがわかった。
 この後ほぼ15年間にわたり、73頭の死体を調べた。結果として、セントローレ ンス川のシロイルカの系統群全体が、これら化学物質で汚染されていることがわ かった。

病気と発育不全

 一方、病理的な所見は、40%に腫瘍があり、そのうち14例はガンだった。胃潰 瘍の発生率も高く、3例は穿孔していた。メスの45%が、乳腺の感染や壊死、腫瘍 のために、わずかな量の乳しか分泌していなかった。免疫力の低下が原因と見ら れる、細菌や原生動物による感染をおこしている個体もあった。数個体には歯が なかた。1個体は雌雄双方の特徴を示していた。
 北極海に棲息するシロイルカにはこのような現象はみられない。

脂肪への蓄積・母から子へ

 北極のシロイルカのPCB含有量は最高5ppmだが、セントローレンスでは最大で 500ppm、ほとんどの組織が50ppm以上を示している。
 PCBのような有機ハロゲン化合物は脂肪に蓄積しやすい。脂肪組織のPCB を調べると、ごく若い個体の方が年長の個体よりも高レベルの有機ハロゲン化合 物が多かったり、メスの方が汚染の度合いが低いことがわかった。この二つの現 象を考え合わせると、かなりの量の化学物質が母親から子供に移っているのでは ないかと思われた。
 出産後まもなく死亡した数頭のメスに遭遇したので、分泌が続いているその母 乳を調べた。シロイルカの母乳は、牛乳の8倍、約35%の脂肪を含むが、その中か ら他の有毒物質とともに平均して10ppm のPCBが検出された。すなわち母親の 脂肪組織に蓄積した有害物質は母乳を通して代々、子供に伝わってしまう。これ は、とっくに製造を中止したDDTのような殺虫剤が、現在のシロイルカの体内 から見つかっていることをも説明する。
 また、大きくなったイルカの子供が食べる魚にも、有害物質が生物濃縮により、 高濃度に蓄積している。つまり、新しい世代ほど、高濃度の有害物質を体内に含 む結果になる。

生殖能力の低下?

 このことをさらに確認するために子供のシロイルカを探しているが、生後1年 以内のシロイルカはめったに発見されない。この原因については、そもそも生ま れる個体が少ないのではないかと推定される。子宮内で有毒物質にさらされたた めに生殖機能の発達が阻害された可能性がある。さらに成熟した後に体内に取り 入れられた有毒物質が、生殖に不可欠なホルモンの働きを妨げているとも考えら れる。

確証は今後に

 まだ確実な結論を手にしたわけではないが、すべての材料を検討すると、セン トローレンス川のシロイルカの個体数が、捕獲全面禁止措置にもかかわらず増加 しないのは、さまざまな有害物質に長期にわたってさらされたためであろう、と いう推測が成り立つのである。

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