アジア連帯講座 2001年上半期連続講座

5月26日(土)  第3回セクシャルライツ

異性愛中心社会と私たち(パート2)
講師 伊藤悟さんすこたん企画-ゲイネットワーク



(講演の続き)
  さて、同性愛者の置かれている状況についてです。色々と同性愛者に対して不利益なことというのは色々とあります。仕事を拒否されるということもあります。究極的には自分の命が危ぶまれるということもあります。
 現実問題として、昨年2月、東京都夢の島講演で同性愛者が少年たち3人に暴行され、強盗されるという事件が起きています。なぜか世の中は、この事件に関して同性愛者のことタブーにしている傾向があります。ニュースステーションでは、この事件を取り上げた際に全く同性愛者の問題を触れずに報道されました。この事件で、同性愛者が絡んでいたということは非常に少ないんですね。どうして同性愛者をターゲットにしていたかといいますと、夢の島公園は出会う場がなかなかもてない同性愛者たちの出会いの場でした。その場所で、3人だけではなく少年たち10人くらいで、強盗をしていたわけですが、やはり、同性愛者だとわかると警察に何をされるかわからない。実際に警察を信用できません。警察に被害届を出しても、同性愛者だとわかると何もしてくれないということまであります。取り上げられたとしても、同性愛者であることが家庭や学校に知れ渡ってしまうかも知れない。またいじめられてしまうかもしてないという恐怖感がありますのでなかなか警察に届けにくい。その意味で、同性愛者たちからカネを奪うことは簡単である。少年たちは「ホモ狩り」という言葉で、「オヤジ狩り」と一緒の発想で強盗を繰り返していました。たぶん弱いだろうから反抗もしないし、警察に届けないだろう。
 三十年前ですが、警察が同性愛者を放火犯人に仕立て上げようとしたこともありました。要するに、放火事件の犯人だと見なされた同性愛者に対して、「もし自白しないならお前が同性愛者だということをばらすぞ」というふうに警官に脅迫されて、自白してしまったということがありました。この事件は、自白強要によるえん罪事件であることが現在では証明されていますが、このようなことが行われている。この事件は、えん罪事件の本などにも「都立富士高校事件」として出ていたりします。
 その意味で、警察を信用できないということがずっとありました。私たちは、仕事上の不利益や命の危険などがあります。もっとこれから危険な状況になるかもしれません。自分は同性が好きだという人が公然化して増えてきますと、反発する人たちも当然にも増えてくる。だからこのように活動していく意味はあります。
 殺されるかも知れない、そして誹謗中傷される、直接的に不利益が起こるということは実際に同性愛者団体が公共施設である「青年の家」を同性愛者団体を理由として利用できないという事件がありました。その団体は、動くゲイとレズビアンの会ですが、東京都を相手取って裁判を起こします。そして、お上を相手に勝訴してしまいました。そういった事実はわかりやすいんですね。

 私が本日述べたいのは「心の傷」についてです。心の傷は、非常にわかりずらい。人によっても同じ言葉で傷つけられたとしても、傷つく人とそうでない人がいる。非常に個人差があります。そのとき私たちは、同性愛者に限りませんが、心の傷をについて考えたときに、一番傷ついた人を中心に考えていくことは、色々な差別や単純な人間関係の中でも大切なことではないかと思います。例えば、友達と何かやっていても、誰か悪い冗談をいっているととても傷つく人がいるときに、傷ついた人が悪いということがよくあります。しかし、傷つけられた人やいじめられっ子に対して、日本では「強くなりなさい」という風潮がとても多いんですね。
 ちょっと脱線になりますが、ある講演会が終わった後に、初老の方が発言されまして、「伊藤さんあんたは不幸だ」と言われビックリしたことがあります。不幸かどうかは自分で決めるものですが、いきなり面と向かって「伊藤さん!不幸だ!!」なんて言われますと「何だろうな」と思います。そして、よくその方の話を聞いていると、同性愛であることが、あなたは大変だと言っているが、そんなグチばかり言っていてはダメだというんです。私はグチではなく、色々な自分のこと、同性愛者の具体的な例で講演していたわけです。その人にとってはグチに聞こえたようで、そのような辛さを「乗り越えました」と述べたんですね。どんな大変なことだったのかと聞くと、「私はいじめられっ子でした」というんです。そして、よく聴くと「私がいじめっ子になりました」というんです。私は、個人的に解決しているのかどうか非常に疑問だと思いましたが、日本はそのような構造になるケースが多いんです。誰かにいじめられると「そんなの大げさだ」とか言われてしまうんです。あるいは自意識過剰、「そんなトゲトゲしくしてないで和気藹々としていればいいこと」であって、そこで「傷つけられた」と声高にいうとだめだということが多い。
 そこで一番しんどい思いをしているのは女性ですよね。セクハラとかレイプでさえも、「ニコニコしていたからではないか」とか「声が上げられない」ということは合意の上と判断する人がいるわけですよね。とんでもありません。人間は、怖くて声を上げられないということはあたりまえです。
 その意味で、人間の心理を無視した社会から人間の心理に対して他人が気遣うという想像力を持つことが必要なのではないかと思います。
 一つだけ私が傷ついたことを上げると、今までに色々な講演会をしてきましたが、ある講演の席で泣いてしまったことがあるんですね。泣いてしまったときに、その場にいる人は、経緯をしていますから泣いた理由がわかるのですが、その場にいなかった人が、そのことを知って「伊藤が泣いたのはうそ泣きだ」と流布されて、非常にそれが広がってしまいました。私は、そのことが非常に傷ついたことでした。傷ついた当初は、そのことを思い出すのもイヤで話さなかったんですね。その流布した人の言い分は、「伊藤が泣いたような些細なことで私は泣かない。何で伊藤が泣いたか。いかに同性愛者は大変かと言うことを演技として、伝えたいためにわざと泣いたとしか思えない」。つまり、私が泣いた原因について、その人は泣くということが全然想像できない。人の感情の持ち方というのはいろいろある。同じことでも、泣く人もいれば笑う人もいる。傷つく人もいればそうでない人もいる。それを自分の基準だけで、バサッと切るんですね。これは、非常に怖いことだと思います。
 講演会ででは、話す人、聞く人という関係で成り立っていますが、よほどの講演でも講演者に対して傷つけるということはなかなか出来ない関係にあるんですね。私は講演そのものが闘いだと思っていますが、私の講演会で同性愛者に対して嫌悪感を持っている人がどんどん質問したり紙に悪口を書いたりとものすごく、そのため講演をした後、エネルギーを充填するのに当初は非常に時間がかかりました。お説教はされるは、「自意識過剰だ」と言われるわ「うそ泣きだ」とか「不幸だ」といわれるわ「食わず嫌いだ」とまで言われます。そこまで言われると「あなたこそ『食わず嫌い』だと言われたらどうしますか」と質問し返したのですが、その人はよくわからないようでした。もうとにかくスゴイものがあるんですね。
 それは現実的に、すこたん企画を初めてから傷ついたことなんです。その前にも、自分が同性を好きだとわかってきたときにも周りの人の言動などで傷ついていました。
 例えば「ホモは気持ち悪い」という話をしていると、当事者は「自分はどうしよう」という気持ちになってしまいます。それからテレビで同性愛者を笑いのネタにする番組もある。すると当事者は「どうしよう自分も笑われてしまうかもしれない」と思って、周りの人になかなか言えません。周りの同性愛に対するマイナスイメージや嫌悪感というのは、簡単に小学生でもわかってしまう。
 今でもそうです。幼稚園や小学校の先生に聞いても「ホモ」とか「おかま」という言葉を「バカ」とかいう言葉と一緒にわからず使っているといいます。例えば、水飲み場に「『ホモ』の水道」とか子どもたちが名付けて、そこで知らずに水道を使う子どもを「や〜い、『ホモ』の水道を飲んだ」とからかういじめがあったことを一昨年にある小学校の先生から聞きました。
 ですから私たちは、簡単に同性が好きだと言うことを言えないということを意識せざるを得ません。ただ黙っているだけでもダメなんです。先ほども述べたように、友達と仲良くなっていくためには恋愛の話とか性の話をしなければいけないという日本の人間関係の構造の中で、私たちにとっては大変苦痛なわけです。恋愛やタレントの話題をするときに、素直に言えません。正直に言ったら大変なことになります。「キンキキッズの誰それがいい」とか「嵐の誰がいい」とか私の時代だったら「近藤マッチがいい」とか「少年隊のかっちゃんがいい」とかと言いますと、「お前ホモなんじゃないの」と言われるなど何を言われるかわかりません。もちろん、関係性や個人差にもよります。それでどうするのかというと演技をして「自分は異性が好きだ」ということを表明しなければなりません。友達とか人間関係をなしで生きていくというのは難しい。そのために私たちは、「異性が好きだ」ということをしきりに表明しなければなりません。「好きなタイプは」と聞かれると、自分が異性の誰が好きなのか想定しなければなりません。想定問題集なんかも頭の中でイメージしておいて接することをしなければなりません。このような一瞬、一瞬の手間というのは大したことはありませんが、この労力が積み重なって家や兄弟姉妹、職場や学校でもいつも自己表現ができない。それを二四時間ちかく意識していて、つもり積もっていくと金属疲労をおこします。どんなに堅い金属でも疲労すれば折れてしまうように、自殺ですとか精神的な病気になってしまいがちです。アメリカでは、自殺ですとか、神経症、パニック障がいが明らかにマイノリティに多いという統計結果が出ています。それほど、心の傷というのは私たちの中にあるんです。これを伝えるのが大変難しいんです。
 すこたん企画ととしては、その部分を大切にし、心の傷を受けた人のことを一番に考えたい。ですから、話を聞いた人が周りの人に伝えたり私が出版した本で「勇気づけられた」と読者から手紙やメールをもらったりすると活動していて良かったと思います。インターネットというのはすごい武器になります。これは従来のレズビアン・ゲイにとって情報を知るということが非常に困難なんです。ゲイマガジンなども、書店で買うということが非常に勇気がいることなのです。書店や図書館員の視線というのも結構厳しいものがあります。「同性愛」というのを見るだけでキッとなるひともいるんです。その意味で、同性愛者のことをあつかった本も買えない。その意味でインターネットというのは、一人で情報を見ることが出来る。そして、ホームページなども自分で作ることが出来る。セキュリティを設定すれば、親にもメールが見れないようにもなります。ホームページを通じて、友達やサークルなどができています。それからホームページを支えてくれる人も出てきます。




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