アジア連帯講座 2001年上半期連続講座

5月26日(土)  第3回セクシャルライツ

異性愛中心社会と私たち(パート2)
講師 伊藤悟さんすこたん企画-ゲイネットワーク



 5月26日、アジア連帯講座セクシュアルライツ企画として「異性愛中心社会と私たちパート2」が五十名の仲間があつまり開催された。
 まず、八十九年に収録された「NHKスペシャル 世紀を越えて絆 ともに生きる4」を放送した。同年フランスで採択されたPACS(連帯市民契約)法やその背景にある社会運動や同性愛解放運動の流れなどについて深めた。PACS法とは、婚姻ではなくパートナーとの共同生活関係を承認して、さまざまな法的保護を与えようとするものだ。そして、その法的保護の対象に同性愛カップルを含め、異性愛カップルと同等の位置づけをすることになった。同性間の共同生活をも法的に承認するということは、政治的には画期的な意味をもっている。
 しかし、フランスでもジャック・シラクをはじめとする保守派による反対意見も根強く、「野蛮への回帰だ」、「奴らに避妊手術をさせるだけだ」、「田舎の動物と一緒になるさ」というホモフォビア(同性愛嫌悪)や女性蔑視を振りまいている。PACS法の成立をめぐって、国会はもとより街角ではPACS法に反対する若者たちが賛成派と対立し、小競り合いが繰り返されるというような、社会を二分する現象もまき起こっていた。
 しかしながら、PACS法の成立するフランスの歴史的背景をひもとけば、ヨーロッパにおける同性愛者の権利が獲得される流れを無視することはできない。この間、八十九年にデンマーク、九十三年にノルウェー、九十四年にスウェーデン、九十六年にアイスランドというように次々と同性愛カップルの法的保護に基づく契約関係が認められてきた。この四月にはオランダでも同性間パートナーシップが婚姻制度として認められているという状況である。まさに、異性愛カップルだけに社会的優位性が法的に確立されるという時代が終わろうとしている。
 続いて伊藤悟さんの講演では、同性愛者の生きづらさだけではなく異性愛中心会の中で男性が優位な構造そのものが問題であることを指摘した(発言要旨別掲)。伊藤さんは、同性愛者の正しい情報発信の場、そして出会いの場としてHPすこたん企画(現在約五万八千アクセスを数え)を運営している。イラン人であり同性愛者でもあるシェイダさんの難民認定を求める運動や最新の同性愛者に関する情報、ゲイバッシングなどにもすぐにHPを通じて反撃している。
 質疑応答などでは、フェミニズムとセクシュアルマイノリティとの密接性やポルノグラフィ、パートナーシップと結婚制度など問題を共有化した。(S)


 【伊藤悟さん報告要旨】
 伊藤悟です宜しくお願いします。自己紹介およびすこたん企画については、簡単にレジュメに紹介してあります。
 すこたん企画については、インターネット環境にあるかたでしたら見られます。すこたん企画のスタッフが総力を挙げて制作していますので、非常に充実しております。内容を簡単にいいますと同性愛者の正確な情報を流すことを心がけています。私をはじめとして同性愛者の多くの当事者が思っていたことですが、正確な情報がないということがどれだけ大変かということをひしひしと感じております。私は、本当は学校に講演に行きたい。小学校、中学校、高校などに行って話をしたいのですが、小さい頃から性に関する認識をしっかり持って欲しいなということと、社会全体に対してもしっかりと認識して欲しいと思っています。どうしても少数派の情報というのは、多数派の情報よりも数も多いので必然的にゆがんだ情報が流されてしまいます。一生懸命発信して、同じ事を何度も何度も言っていかないと伝わらないという中で、すこたん企画もスタッフも増えてきて情報も伝わるようになってきたので、そろそろ次のステップを考えております。
 私自身もゲイ男性であるばかりではなく、一般的な常識、社会の通念などと違ったところで生きています。例えば、私はネクタイをしたことがなく仕事をしています。生活は大変ですが。
 それから私は「ひょっこりひょうたん島」ファンクラブという会員をやっております。でも、ひょうたん島という人形劇で、作者たちは人間の多様性を訴えていたという側面があります。
 さて、本題の今日のタイトルである「異性愛中心社会」。私たちの周りでは、色々な常識とか知識の思いこみがたくさんあります。例えば、日頃日常的なあたりまえだと思っていることでもずいぶん違うことがあります。学校の制服何てものが中学、高校とあるわけですが、地域によっては小学校にもあります。しかし、学校に制服があるなんてのは世界的にもめずらしいんです。そして、制服をめぐって「着る」、「着ない」なんて議論がされている。学校の中で教員と生徒のエネルギーの無駄遣いが行われていると思わざるを得ません。とりわけ性に関しても、日本は性を語るということがない、性はいやらしいもので表向きにはタブーになっていることがあります。建前としては、清廉潔白、純血で清らかな「純血」という言葉を持っている反面親しくなると性や恋愛のことを語るという見えないルールみたいなものがあります。恋愛の話などは、何歳になっても、職場でも学校でもするし、友情を作っていく上でかなり有効なものですよね。ですからそういう意味で、性というのは語りたいけど語れないという社会的規範のために同性愛の問題に限らず、性の問題がゆがんでしまう。たとえば「異性愛中心社会と私たち」というタイトルですが、このタイトルの意味は、異性愛があたりまえで、そこからずれる性の形は受け入れにくいという意味です。じつは、異性愛そのものもいろいろな制約があるんですね。簡単なはなし、結婚制度を「受け入れる」、「受け入れない」という議論がフランスなどであるわけですが、日本ではない。婚姻制度に則って結婚しようというときに、結婚式場にカップルで申し込みに行くと家と家の式をとりたくないという場合でも、結婚式場のかなりの部分で「家と家にしたほうがよろしいですよ」と看板なども家/家という形で書かれてしまうことがある。ですから今日、これからするお話は、当事者としての同性愛者の話なのですが、異性愛の常識とかしばり、思いこみというようなもの、当たり前だと思っていたけど当たり前ではないということ、そのようなことを皆さんとともに考えて行けたらと思っております。
 さて、まず、今日のニュースからお話をしたいと思います。実は、これは最新の情報なのですが、昨日、森山法務大臣に法務省の「人権推進審議会」という諮問機関が答申案を出しました。要するに、日本の人権を守る、人権救済のための審議をしていたわけです。そして、この審議は、かなり長いこと行われていまして、中間審議の時には取り扱う人権の数がかなり少なかった。そのあと何度も公聴会が行われていくにつれて、ハンセン病の人たちのことが入り、HIV感染者のことが入り、そして同性愛者のことも入りました。これが入る過程では、札幌ミーティング、動くゲイとレズビアンの会など団体や個人が、法務省に対してメッセージを送り、そして公聴会に参加して発言をするという形で、審議会の委員に同性愛者の置かれた状況ということを伝えるなどしました。家に帰ったら今日(5月26日付)の新聞を読んでみてください。それから法務省や毎日新聞のHPに行くと、そこに全文が載っています。見てわかると思うのですが、日本の中の差別についてほとんど認めています。アイヌの人々、外国人、HIV感染者、同性愛者など。気を付けてみてもらいたいたいのは、「性的指向」に注がついています。
 「異性愛、同性愛、両性愛の別を指すセクシュアルオリエンテーションの訳語。この他、同じく性的少数者である性同一性障がい、インターセックスに対する差別的取り扱いも同様である」
 実はこの注は、とてつもなく大事であります。この注が入って、人権擁護推進審議会は重要になったといえます。それは、同性愛だけではなくセクシュアルマイノリティ全般に対して人権を考えていこうという提起がされているからです。
 それでは、セクシュアルマイノリティ全般については、多様な性ということについて解説してゆきます。私たちはいつも二分法で物事を考えがちです。男と女ということもそうです。しかし、人間を医学的に考えても、色々な学問から考えても私たちの身体が、男性、女性とそう簡単に分類できないんです。たとえば、どうやって男性、女性を決めるのかという決定的な基準はありません。遺伝子で決められるという方もいると思いますが、外性器、内性器、性器やそれからホルモンなどを含めて総合的に男性、女性と判断せざるを得ないところから判断しております。ですから半陰陽(インターセックス)の人たちもいるわけです。外性器、内性器、ホルモンの分泌などどちらも認識できない、様々な組み合わせを持つ人たちが推測では三千人くらい日本でいると言われていますから少なくないわけです。ですから男性、女性とピシッとわけられる存在の人たちがいるわけです。性を考える上で、ゼロと百では考えられないという点からも非常に難しいワケです。
 インターセックスの人たちの生きずらいところは、性が中間的であるのに対して、社会の中ではすべて男か女かということでできています。ですから生まれたときにどちらかの性にしなければならない。一時、インターセックスの人たちは女性の方が暮らしやすいという説が流れて、医者が勝手に「女性」としてしまうこともありました。このような自己決定できず、性器を切除するという野蛮なことがいまだになされています。
 ですから法務省の人権擁護推進審議会の答申の注に、「インターセックス」と書かれていることは重要です。あと、よく性同一性障がいの人たちと同性愛者の人たちがしばしばゴッチャになることがあります。何故ゴッチャにされるというのかというと、今の社会の中では非常にわかりやすいんです。一般的に異性愛の社会では、男性と女性がいてカップルになるという認識があるわけです。異性愛が当たり前だという発想の中で、どうして同性愛なんだろうと考えると、男性なのに男性に惹かれるというのは女性の心を持っているからで、だから同性に惹かれるんだと考えてしまう。そう考えるとすっごくわかってしまう気になってしまうんですね。大学の講義やこのような講演会の参加者の中でも、そういった理解の人たちが多いいんですね。それだと異性愛と同じだからすごくスッキリする。身体は男だけど、心は女。だから男を好きになれる。身体が女で、心が男だから女を好きになる。こういう風に考えてしまう。そこで身体の性と心の性は違うことがあるんだなということです。これは、ヒトが自分の身体を性別でどう思うのかということを「性自認」といいます。これを性自認が違うといいます。
 しかし、身体の性と心の性が違うというのは同性愛ではありません。心の性が違うということを基準に考えたら、男性で女性の心を持って男性を愛しているという場合は、異性愛です。このような人たちをトランスジェンダーといいます。
 同性愛者は、心が男性で男性を好きになり、心が女性で女性を好きになることです。ですから身体と心の性はとりあえず一緒で、そのままで同性を好きになる。トランスジェンダーと同性愛とは、心の性のありようが違うということになります。その点を、マスコミなどでは笑いの種として番組を制作しています。この問題については、あとで紹介します。
 心の性に基づいて、同性のヒトを好きになるか異性のヒトを好きになるかということを「性的指向」といいます。人権審議会の答申の注がありますが、この「性的指向」というのはそういった意味合いがあります。便宜的に、自分は何物かと考え、世の中においてどういった位置かということで同性愛者、異性愛者という言葉を使いますが、色々な中間的なヒトがいる。単純化してしまえば、同性指向60%、異性指向40%というパーセンテージでも現れています。私は、同性指向99%、異性指向1%位だと思います。自分は生物学的に男性ですから、とりあえず身体と心の性が一緒になっています。ですから異性愛というのは、心の性と身体の性が一致していて異性を好きになる人を指します。それは、日本の中の法務省でさえ、明確にそういった人たちが人権の問題であると認識したということが重要です。動くゲイとレズビアンの会副代表の稲場さんは、朝日新聞のコメントで「同性愛者の人権が日本の国レベルで初めて認知された」と述べています。このように性の複雑さというものが社会の中で認知されているということなんですね。みなさんも一度考えてもらいたいのですが、自分が異性が好きか同性が好きか、心は同性的か異性的かということをもう一度よく考えてみてください。
 性の要素は、性自認や性的指向はそんなにかわりません。私がいきなり異性を好きになるということもありません。医学者は研究をして、無責任な発言を「発見」と称して、誤った事実がそのままになってしまうことも多々ありますが、異性愛、同性愛という指向はそんなに簡単に変わりません。




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