7)いよいよルイボスティの原産地へ

 ジョニー・イッセル氏とはホテルのロビーで別れました。翌日ルイボスティの原産地を見に行くために借りたレンタカーが、ホテルに届いたものの、私たちの帰りが遅れたために返されてしまうというトラブルがあったのでちょっと不安だったのですが、ジョニーがレンタカー会社に電話をしてくれたので、なんとかなるだろうと思ってひとりで待ちました。約束した時間から1時間半も遅くなってレンタカーは届きました。車を持ってきたのは、ツナギな作業着を着た白人の老人でした。こちらの遅刻でこんな時間まで働かせているのに帽子を手にとって丁寧なあいさつをしてくれるので、恐縮してしまいました。彼は車の盗難防止装置の解除のしかたを教えてくれて、じつにうれしそうに『It‘s all yours』といいました。帰りかけた彼を止めて10ランド紙幣をチップとして渡そうとしました。この国でのチップとしては多すぎる(250円くらいなのですが)のですが、二度もホテルまで車を持って来てもらっているので当然だと思ったのです。しかし彼は私の両手を覆うようにして紙幣を私にもどして、笑いながら『No problem』と2回繰り返していいました。その時の彼の顔が忘れられません。この人がこの旅で私が出会った唯一の白人の南ア人です。
 部屋に戻ってCNNを見ながら休んでいると、8時を過ぎたころから、また前夜と同じように電話がかかり始めます。ジョニーがホテルのフロントに、『私の大事なお客に変な電話をつなぐな』と猛然と抗議してくれたにもかかわらずです。よし、今度はこっちから出かけてやるぞ、と思ってロビーに出ました。そこにあるバーにたむろしている連中ではないかという気がしていたからです。ちょっと勇気がいりましたが、アフリカン、カラードの人たちばかりが飲んでいる中に入っていきました。みんながいっせいに私を見ました。ビールを注文すると「キャッスルでいいか?」と聞くので、それでいいといって4.5ランド(110円くらい)払って一番奥のテーブルで飲み始めました。そのなんとおいしかったことか! アフリカの地を踏んでから、まったくお酒を飲んでいなかったのです。結局2本飲んで30分待ちましたが、誰も声をかけてこないので、部屋に戻りました。そしたらまた電話です。やっぱり何をいっているのかわかりません。
翌朝は5時に出発なのでモーニングコールをたのもうと思っていたのですが、極度の寝不足が続いていたのでまたひと晩中電話で悩まされるのはイヤだと思って、電話のコードをぬいて寝てしまいました。
 8月11日(月曜日)朝5時、無事に自力で目覚めた私は、教会関係のNGOで産業開発の調査をしているフェルディナンド・エンゲルさん、片桐君と合流しました。レンタカーのカローラに乗ってまだ真っ暗なケープタウンの街に出ました。いよいよ今回の旅の一番の目的であるルイボスティの原産地をめざすのです。道はまっすぐ北に向かう、ナミビアに通じるハイウェイです。大型トラックばかりが走っていますが、すべてナミビアに物資を運んでいるとのこと。途中でエンゲルさんが『この近くに原発がある』と教えてくれました。窓から海岸の方向を見てみましたが、まだ真っ暗で何も見えません。残念なことに、帰りも夜になってしまったので、やはり見えませんでした。
 こうして今回の旅で最もスリリングな体験となった一日が始まったのでした。ケープタウンから300kmも奥地に入って、日本人に会うのはまったく初めてという山岳地帯の零細農民たちと交流することができたのです。
 ルイボスティというお茶は、日本では『霊験あらたかな秘茶』のような扱いで一部ではたいへんなブームになっているようです。アトピーに効くとか、美容にいいとか、老化を防ぐとかいわれています。私は薬屋ではないので、そのようなことを強調して売りたくないのですが、このお茶が自然な形の健康茶として広く飲まれて、その需要が南アフリカの農民たちの経済的な自立につながって欲しいと考えていました。一部のブームに対して秘茶扱いの高値で販売している日本の商社や流通業者は、誰もこの原産地を訪れていないようです。そしてアパルトヘイトは5年前に撤廃されているというのに、この零細農民たちが白人支配のルイボスティ市場の末端で苦しい営農を強いられていることなど、この秘茶ブームで踊っている人たちは誰も知らないのです。
 それでも、日本の業者がルイボスティを売り込むときに使っている『アフリカの先住民族が昔から不老長寿のお茶として飲んでいる』という文句は、本当だったのです。

ルイボスティの原産地への道

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