8)麓の町、クランウイリアム

 私たちの車は8時ごろクランウイリアムという小さな町に到着しました。広いメインストリートの両側に小さなホテルや銀行があり、まるで西部劇に出てくる1700年代のアメリカの町のようです。私たちはこの町の1軒しかないホテルに入って朝食をとることになりました。南アフリカで食べた食事は、どこに行っても果物の生ジュースとヨーグルトがおいしかったのですが、それらがふんだんに出る朝食はとくに楽しみでした。このホテルでもたっぷりのヨーグルトと、様々な雑穀で作ったフレークが10種ほども並んでいたので、それぞれの味見をしたりして楽しい食事となりました。同行してくれたエンゲルさんとも自己紹介をしながらゆっくり話すことができました。
 日本ではこのクランウイリアムの町がルイボスティの栽培地であり、生産地であるということになっているようですが、ここが大事なところで、私の旅はそんな甘いレベルでは終わりません。ここはまだ通過点に過ぎないのです。
 私たちは給油をして町はずれにあるルイボスティ工場の前に車を止めました。日本の感覚でいうと中規模の町工場という大きさの工場ですが、ルイボスティ産業にとっては唯一最大の独占企業なのです。車を降りてみると、ルイボスティの香りが漂っていました。エンゲルさんがいいました。「見学していきたいか?もし、どうしても見たいなら頼みに行ってみるが、私としては、商売カタギなので、出来れば行きたくない」。私としては当然ルイボスティの加工現場は見ておきたかったのですが、案内者が行きたくないという所にどうしても行くといえる場面ではありませんでした。この企業は最近まで半国営のようなところがあって、白人たちだけによる支配体制が続いているのです。アフリカン、カラードの教会のNGOで農業協同組合の組織化などを仕事にしているエンゲルさんは、その白人支配をこの産業でも打ち破りたいのでしょう。工場の写真を隠れるように撮って、すぐにそこをはなれました。
 さて、ここからがたいへんな旅でした。日本で出ているルイボスティの本によると、クランウイリアムまでは日本人が何人か来ているようですが、ここから先へは誰も行っていないようです。ルイボスティの本当の原産地で、最大の供給地は、さらに山岳地帯
に分け入った所だったのです。しかしこの町を出発した時点では、私にもその全体像はわかっていませんでした。
 車は舗装道路をはずれ、いかにもアフリカらしい赤い土のデコボコ道を走ります。始めのうちはゆるやかなアップダウンのある平原に牛や羊を放牧しているといった風景だったのですが、やがて風景は一変して奇岩が切り立つ異様な雰囲気となってきました。クランウイリアムを出て1時間、70kmを走ってたどり着いたのは、山間の異郷ともいうべき村でした。ここに来た日本人はおそらく私と片桐君が初めてでしょう。ここで私たちは大勢の山の民に出会い、そしてルイボスティが産業として白人に支配される前に山のひとびとの農産物として生産加工されていた跡を発見したのです。

クランウィリアムから先の山道

クランウィリアムのメインストリート

クランウィリアムの朝食

ルイボスティー工場

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