6)ペンギン
ジョニー・イッセル氏

 私と地元ケープタウンの州議会議員ジョニー・イッセル氏は、青く美しい大西洋に伸びたケープ半島にあるホウト湾の小さな漁港の岸壁の腰を下ろして海を見ていました。真冬に近い季節だというのにこの日は暖かく、日本から持ってきた冬物のコートも初めてぬいで歩いていました。いくらなんでも泳ぐのは寒いだろうと思うのですが、何人かの元気のいい子どもたちが海に飛び込んでは波に乗って浜に打ちあげられて楽しんでいました。私たちふたりは、なかなか会話がはずまないので、なんとなく子どもたちを見たり湾を見回したりしていました。海鳥がたくさんいて、ウミネコなど私たちの昼食をねだりにすぐ近くまで来るのですが、私が波間に見つけた小さくて黒い鳥がやっと私たちの話題になりました。『あれはペンギンですか?』。『いや、ペンギンがいるのはこの湾ではないから、あれはちがうだろう』。私たちはこの湾にある魚市場に隣接した魚料理の店で、この近海でしかとれないという魚(ジョニーは名前を教えてくれたが、忘れた)を唐揚げにしたものと、フライドポテトと、ロールパンを買ってこの岸壁に座って遅い昼食をとっていました。有名なフィッシュ&チップスという食べ物の南ア版です。飲み物はもちろんといっていいアップルタイザ−。ここでは誰もがこのリンゴサイダーを飲みます。50円くらいで買えるどうでもいい缶ジュースとしては圧倒的においしいのです。私たちはかつてアパルトヘイト下の経済制裁に反して日本企業がこのジュースを輸入しようとした時に反対運動をしたことがあるのですが、こうして新生南アで飲んでみると・・・・、おいしいです。
 この日、私とジョニーはケープタウンの中心街にある南アフリカ共和国の国会議事堂で合流しました。私が絵画を見ながら撮影している時に彼が遅れてやってきたのです。日本から来た反アパルトヘイト運動の『仲間』のために国会に入れてくれるように交渉してくれたのはこの人でした。藤川という初対面の男を案内するように彼にたのんでくれたのはもちろん津山直子さんで、ジョニーは彼女の古い友人なのです。国会議事堂を後にしてからの私たちは、ジョニーの車に乗って目的もなく市内に出ました。決まったスケジュールもなく、私としては午後の行動はすべてジョニーにまかせるしかなかったのです。ジョニーは、どこにいきたいのか、昨日は片桐君と何を見たのか、しつこく聞きました。そういわれても私としてはANCの要職にあって忙しいであろうジョニーが休日を私ひとりのために費やしてくれていることに恐縮してしまっていたので、観光見物のようなことを言い出すのはためらわれていました。本当の気持ちをいえば、アフリカ大陸最南端のケープポイントか喜望峰に行ってみたかったのですが、これには一日の行程が必要なのを知っていました。そのうえ極度の睡眠不足でクラクラしていたし、午前中の国会議事堂での緊張もありました。いずれにしても今回の私の旅の大きな目的のひとつを午前中に果たしていたので、あまり欲張るつもりもありませんでした。ジョニーに何を見たいのかと問われても、積極的な答えを持てなかったのです。『ペンギンを見たいか?野性のペンギンがいる湾がある』とジョニーがいいました。一応、見たいといったのですが、ジョニーには本当に見たいと思ったようには受け取れなかったようです。ペンギンの話はそのまま立ち消えになりました。私の英語の会話力では、この辺の微妙な気持ちを伝えるのは無理でした。ジョニーはいかにケープタウンの海が美しいか、自然が素晴らしいか、運転しながら話してくれます。私は聞くだけになってしまいます。ジョニーはそれが不満みたいで、何回も同意をもとめました。私はやっと知っている単語を総動員して答えを試みました。『南アフリカには環境問題はないんですね』これがまずかったみたいで、ジョニーは考え込んだ後に私に聞き返しました。『なぜそう思うんだ』。私はもう対応できません。ただ私が使ったenvironmentalproblemという言葉がよくなかったのだろうということは解りました。よく考えてみれば、いくら自然が豊かでも環境問題がないなんてことはあり得ないでしょう。私はこの会話は正確にしなければならないと思って荷物から和英辞典をとりだして、必死に答えました。『私がいった環境問題とは、自然のことより、pollution(汚染)のことなんだ。酸性雨とか』。なんともしらじらしい会話になってしまいました。
 この旅で私は、機上でも空港でも銀行でも、なんとか自力で会話をして、自分の英語もなんとか通じるものだな、と安心していたのでした。みさと屋にも外国人のお客様が来るようになったので、一念発起して38才から始めたラジオ英会話の効果で、英検3級にも合格できました。その微かな自身のようなものが崩れ去りました。
 さっきの小さな黒い鳥が私たちのいる岸壁に近づいていました。会話は完全に途絶えてしまっていたので、私は、『やっぱりあれはペンギンのように見えるんだけど』といいました。ジョニーは鳥を見て、『ペンギンだね』 。といいました。そしてポツリといいました。『Naokoは英語は得意じゃないとはいったけど、話せないとはいわなかった』。

ジョニーと食事をした岬

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