主の食卓礼拝 

1999 
2/14 ご飯を食べる礼拝を試みました!! 

 10月の様子(浪岡)
  
 3月の様子(浪岡)    
 
お茶を飲む礼拝」(浪岡)


「共食、わかちあうことの恵み」  帯広教会牧師 深代 従 さん

 10月31日 帯広教会 説教より

 
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聖書:マルコによる福音書6章30節〜44節

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◆五千人に食べ物を与える

(30)さて、使徒たちはイエスのところに集まって来て、自分たちが行ったことや教えたことを残らず報告した。(31)イエスは、「さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい」と言われた。出入りする人が多くて、食事をする暇もなかったからである。(32)そこで、一同は舟に乗って、自分たちだけで人里離れた所へ行った。
(33)ところが、多くの人々は彼らが出かけて行くのを見て、それと気づき、すべての町からそこへ一斉に駆けつけ、彼らより先に着いた。(34)イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた。
(35)そのうち、時もだいぶたったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。「ここは人里離れた所で、時間もだいぶたちました。(36)人々を解散させてください。そうすれば、自分で周りの里や村へ、何か食べる物を買いに行くでしょう。」
(37)これに対してイエスは、「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」とお答えになった。弟子たちは、「わたしたちが二百デナリオンものパンを買って来て、みんなに食べさせるのですか」と言った。(38)イエスは言われた。「パンは幾つあるのか。見て来なさい。」弟子たちは確かめて来て、言った。「五つあります。それに魚が二匹です。」
(39)そこで、イエスは弟子たちに、皆を組に分けて、青草の上に座らせるようにお命じになった。(40)人々は、百人、五十人ずつまとまって腰を下ろした。(41)イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて、弟子たちに渡しては配らせ、二匹の魚も皆に分配された。(42)すべての人が食べて満腹した。(43)そして、パンの屑と魚の残りを集めると、十二の籠にいっぱいになった。(44)パンを食べた人は男が五千人であった。
 

○主の食卓礼拝
 青森県南津軽郡にある浪岡伝道所では、「主の食卓礼拝」が月に1回の割合で実施されています。つまり、礼拝の中で食事をします。この報告を受けて、大阪淡路教会でも実施されました。
(参照ホームページ 「主の食卓礼拝報告」 竹佐古真希さん作成)

 この二つの教会・伝道所は、イエスの恵みを分かち合う喜び、感謝、祝う事、これらをいかに大胆に表現していくか、どうやったらリアルに私たちが追体験できるか、分かち合うことが出来るか。ということを、考え、実行しようとしたのだと思います。礼拝に来て、話を聞いて、帰る。という礼拝で終わらせたくない。一緒に礼拝を作る、一緒に礼拝を考える、一緒に礼拝を分かち合う、ということを、大切にしようと考えたのだと思います。ただ単に、食事をする、という事でなく、一緒にいる人と、課題を分かち合い、一緒に悩み、一緒に祈り、一緒に生きていこう。そういう思いが食事の中に象徴的に凝縮されているのです。
 一緒に食べることが、イエスにおいて、一緒に生きていくことの象徴的行為であったように、礼拝の中で「イエスと一緒に、会衆と一緒に、食事をする」ということは、イエスは会衆と一緒に生きている、そして「わたしもそこにいる」という意志を、意味しているのです。


○イエスに遡る二通りの食事
 聖餐式は、「イエスの死と十字架」を追体験するというルートで、イエスに遡ろうとしています。主の食卓礼拝は、「イエスの活動」というルートを通して、と言えます。主の食卓礼拝は、「生前のイエスの振る舞い、食事、行動」を追体験するものであります。どちらも、食事を通してイエスに遡ります。


○恵みの結果残されたもの
 5つのパンと2匹の魚が、10000人を越える人々(男性約5000名、女性約5000名?、子ども約5000名?)の恵みとなり、そして救いとなりました。恵みを受けた者、救いを得た者の目の前には、12のかごに一杯になったパンと魚が残りました。
 この目の前に残された、12のかご一杯のパンと魚は、誰の為のものでしょうか?。今満たされた者が、それ以上に腹一杯になるための食事でありましょうか?。この問いは、私たちに託された宿題なのだと思います。


○1万人以上に対してパン5つ、魚2匹
 「1万人以上に対してパン5つ、魚2匹しかない」という食糧事情から、「現在の地球の総人口と、そして食料のバランス」、ということをイメージするのは、短絡的あるいは飛躍のし過ぎでしょうか?。1万人にとって、絶対的不足であるパンと魚を、分かち合う事。その分かち合いを通して、恵みが豊かに与えられました。その奇跡的行為の中に、神の愛と恵みが実現しました。
 今この地球上で、「一緒に食べる」「一緒に生きる」とは、一体どういうことなのでしょうか?。

 
 
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