1998年8月5日 農民福音学校
   (山形県 あゆっこ村) 
  NSCF『夏の集会』ジョイント



矢作静雄氏(福音学校校長)あいさつ

 新庄の農民福音学校は85回目。40年以上にわたり活動を続けている。凶作が続き娘を身売りに出すという東北農村の悲惨を救済するため、賀川豊彦の指導により藤崎盛一が立体農業論を展開したのが農民福音学校の始めである。
 宮城県佐藤利吉氏の指導を得て畜産を開始するなどの活動があった。現在では新しい農法に関する学習などの分野に新しい展開は見られないが、メンバーの現状を共有し無事を喜び合う会として活動している。

学生YMCAの紹介(高徳宗和)

 キリスト教を根幹に据え、さまざまな社会問題に取り組んでいる。日韓学生交流やジェンダースタディが盛ん。
 NSCFは東北地区の学生YMCA組織であり、東北大学YMCAを中心に活動している。特に最近では「東北固有の問題」に注目し、昨年から新庄教会のアレンジで民泊を実施している。

戸沢村国際交流塾について(芳賀欣一氏)

 新庄の農民福音学校などの活動に尽力した藤崎盛一氏が逝去された。
 アジアの農業研究をする団体が前身。農村伝道神学校に留学経験のある韓国人牧師を通じて国際交流の提案がなされたのを機に、農業技術の交流などを目的に国際交流塾を設立。韓国青年たちの農業に取り組む意欲に触発されることが多かった。
 今回は小学5年生の子どもを引率して韓国に行ってきた(5泊)。イヌ売りなど、日本と異なる食文化に触れて驚く子どもたちの様子が収穫であった。戸沢村には高麗館という日韓交流施設があるので、そこを利用していきたいと考えている。戸沢村全域を見据えた農業研究・日韓交流を推進していきたい。韓国の山村を見るとき、賀川豊彦の思想に基づく農業指導が必要な地域がまだまだ多いのを痛感する。農民福音学校の働きは、これからも重要であると確信する。 (加藤久幸氏により、アジア学院との関わりについてなど補足説明がされた)。

開会礼拝(加藤久幸牧師)

 讃美歌(21)57(ガリラヤの風かおる丘で)
 聖 書 マルコ4:26−32
 祈 祷
 奨 励

 1980年の第2回農村伝道協議会以降、日本キリスト教団レベルにおける農村伝道への取り組みは宣教委員長会議という形で協議されるまで行われなかった。また、教会には農村伝道という領域に積極的に関わる人が非常に少ないという現状がある。
 しかしイエスの使信には、農業的な表現・食に関わるコミュニケーションのあり方についての問題提起が数多く含まれている。特に第1次産業を巡る今日的な課題を見るとき、教会の農村宣教に対する責任はますます重いと言わねばならない。が、教会ばかりでなく、日本社会そのものが農業を度外視した虚構(98年度の減反は過去最大の規模で行われるが、それについての報道は殆どなされていない)の中で営まれる生活を送っているという現実がある。その文脈の中で教会が何を語るべきかを問うとき、農業との関わりを取り上げざるを得ない。新しい神学を作っていく必要は高まっている。

 讃美歌(21)424(美しい大地は)
 主の祈り
 ( 昼食 )

自己紹介(民泊の感想など)

 温井 悠崇・・・東北学院英文科。ミッションスクールであるにも関わらず、たとえばパンについての話にも農業の話題に触れられたことがない。食を巡る関心を喚起された。

 熊切めぐみ・・・東北地区の集会は初参加。牛の世話を手伝ったが、その経営のシステムに初めて触れた。(芳賀宅)

 川村幸子・・・幼稚園の教員。牛に角が生えていることに初めて気づいた。牛それぞれに顔が違い、個性があるのだと感じた。動物と接する機会がなかったので感動の連続であった。食の恵みへの感謝を幼稚園でも指導していたが、「農業」という視点がまったく欠けていたことを反省している。(芳賀宅)

 白戸かおり・・・弘前学院英文科。牛の世話と稲の消毒、ジャガイモ掘りなどを体験した。普段接することのない環境で、父親が牧師をする地元では農業者がいるので話をいろいろと聴いてはいたが、改めて考えさせられることが多かった。
 特に若い人たちが物事に感謝するという感性を失っているが、キリスト教の使信が伝わらない現実の中で、「神がすべてを作ってくれた」ということが農業との関わりの中から伝わっていくのではないか。信仰生活のありかたが、食材を作る人々との関わりで変化することになるだろう。(栗林宅)

 朝比奈朋子・・・学Y関東地区スタッフ。作業内容そのものより「農業的環境」の体験が大きかった。栗林さんのお話も刺激的だった。自分が今まで持っていた農家に対するイメージがマイナスのものばかりだったが、知らないままで作られたイメージが大きかったことを反省している。自然との関わりがある生活は大切だと思った。(栗林宅)

 高徳宗和・・・昨年も参加した。ニラの出荷作業を手伝った。収穫されたニラを出荷するための作業は、これまで考えたことがないまま買って食べていたのだが、その手間を何も知らずに食べているのはゆがんだ事だ、と感じた。減反の様子を観察して、農業への無関心さを強く自覚した。「災害が起きても自然を恨まない。収穫があれば感謝する」という言葉を昨年郷野さんから聞いたが、それを再確認した。来年も来たいと思う。(矢作宅)

 辻 健夫・・・昨年も参加した。この企画がどんな実を結ぶのかわからないまま始めた活動だが、昨年の積み残しを清算したいという願いを持っていたが、今回も果たせなかったように思う。しかし行くのと行かないのとは大きな違いがあると願っている。 
 たった2日間で何が、という気持ちもある。学生という立場は現実に具体的に関わるということがしにくいものだが、こうした活動によってその溝が少しでも埋められることを期待する。(矢作宅)

 増田隆史・・・京都大学2年。親戚の家にお邪魔したかのようにくつろいでしまった。野菜の生命力に驚いた。農業者との関わりを持ったことがなかったが、作り手の実在感を、作業を通じて得ることができたように思う。(山内宅)

 石河信幸・・・今回は遅れて参加したので、まだよくわからないが、農業について関心が薄い世情に不満を持っている。寮内でも野菜を食べたいが価格が高いという議論が起こっているが、消費者には高く感じられても生産者には利益が薄かったりする。実家が兼業農家なのでこの企画を通じて認識が深まることを期待する。

 高橋かすみ・・・実家が農家だが、「農家コンプレックス」を自分に感じている。作物を価格だけで計るのでない対話を家族としてみたいと考えている。

 加藤輝勢子・・・新庄に来て丸9年になる。幼稚園の手伝いをしているが、幼稚園で田植えをしたお米がお餅になる。その働きを通じて「トラクターに乗りたい!」という希望を持つようになった。これが来年の夢。

 古敷谷 昇・・・東北大学歯学部5年生。来年から患者を診察する実習に入るので、今は模型実習をしている。大きな牛相手の細かい作業に驚いた。実際には草むしりをしたが、さっぱり進まなかった。作業のひとつひとつが想像以上の手間にもとづいてなされていることを感じた。そうした苦労を知らずに動いていく社会のありかた全般に問題を感じる。(郷野宅)

 郷野ルツ子・・・子育て真っ最中にあって、学生たちに手伝ってもらえたのは助かった。昨年とメンバーが違うことに新鮮さを感じた。新しい人々の話が聴けるのは良かった。自分自身は農家の出身ではなく、農民とはいえない生活を送ってしまいがちであり、少し頑張らないと農業生活から簡単に離れてしまう自分を感じている。

 郷野 孝・・・酪農を中心に営農している。家屋の増築や子育てなどでバタバタしている最中で、学生の受け入れに不安を感じていたが、来てくれて良かったと思っている。若い人たちが自分で考えて答えを求めながら活動するのはいいことだと思う。自分も「農業をやりたい」と思ったのは、藤崎先生の農民福音学校が存在していたとき、それとの関わりからのことであった。藤崎先生の影響は大きく、「神を信じて農業に取り組む」と言うことの尊さと恵み深さを考えさせられる。農業は「出世」のない世界であり、生涯一労働者である。こういう世の中にあって「人間の思い通りにならない」領域に生きることの重要さを思う。大変さの裏側で謙虚さを養われる日々を過ごす仕事が、「農業」であることを痛感する。

 竹佐古真希・・・東北地区共働スタッフ。東京と青森の違いの大きさにショックを受けることが多い。南北問題は日本対アジアの問題ではなく日本国内にもある、ということを学生や他のスタッフと共有することが願いだった。問題の片鱗を垣間見るに過ぎない働きではあるが、貴重な機会を提供する働きでもある。地方でできることはもっとたくさんあるという確信を深めている。

 栗林由美・・・農家の跡取り娘だったので「このまま継いでしまっていいのか」と悩んでいるときに、藤崎先生の福音学校とであった。藤崎先生がなくなられたと聞いて、胸がいっぱいである。

 東矢高明・・・考古学をやっていた関係で農村にはよく出入りしていたが、農業との関わりはまったくなかった。農業との関わりは、かえってベトナムやタイで農村に滞在したときの方が多い。図書館で「安全な食品」の参考書を借りていく人が増えているが、それらをいかにして購入するかという発想が先行するばかりで作り手との交流が生まれてこない実情に問題を感じている。

 伊藤誠之・・・あゆっこ村から5分ほどのところで営農している。田んぼ、牛飼い。農業をやるかやらないかで悩んでいたころに藤崎先生との出会いがあった。新庄の山を生かすために牧場を作り牛飼いを始めたが、夢と現実とのギャップは大きいと感じさせられている。自給率が異様に低い日本の現状を考えると、日本農業が土地を遊ばせておく事は大いに問題だが、貨幣で取引される農作物流通システムにあっては問題にしようもないというのも一方の現実である。学生の皆さんが将来どんな仕事に就くかはわからないが、今回の体験はとても役に立つだろうし、自分自身にも良い体験だった。

 栗林幸一・・・今年から農業のことを考えるのをやめにして、ロックバンド活動を始めた。登山にも凝るようになった。それほど日本の農業事情は悪化している。
 金に交換しない農業のありかたを課題にしたいと考えている。藤崎先生が先立たれたと聞いて、「我々が責任を負う時代がきた」と痛感している。

 矢作静雄・・・福音学校のころに比べると農業は格段に良くなった。しかしカネのなさは相変わらず。相場に影響される現代農業は、構造的に海外の農産物に依存している。牛のえさの中にはダイオキシンが必ず入っている。小手先の環境対策ではどうしようもないほど、農業はゆがんできている。本当に安全でおいしいものを食べようとしたら、農村で生活するほかはない。牛肉はエイジングが必要だが、野菜は新鮮さが命。そのことを学んでいただけたら幸いに思う。

  ( 記録:竹迫 之 )

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< 『聖研』から みんなのことば集 >

 ルカによる福音書15章11−32 放蕩息子のたとえ

 15:11 また、イエスは言われた。「ある人に息子が二人いた。12 弟の方が父親に、『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください』と言った。それで、父親は財産を二人に分けてやった。
 13 何日もたたないうちに、下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄使いしてしまった。14 何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べるにも困り始めた。15 それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって豚の世話をさせた。16 彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物をくれる人はだれもいなかった。
 17 そこで、彼は我に返って言った。『父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。18 ここをたち、父のところに行って言おう。
「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。19 もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。』20 そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。21 息子は言った。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』
 22 しかし、父親は僕たちに言った。『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。23 それから、肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。食べて祝おう。24 この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。』そして、祝宴を始めた。
 25 ところで、兄の方は畑にいたが、家の近くに来ると、音楽や踊りのざわめきが聞こえてきた。26 そこで、僕の一人を呼んで、これはいったい何事かと尋ねた。27 僕は言った。『弟さんが帰って来られました。無事な姿で迎えたというので、お父上が肥えた子牛を屠られたのです。』28 兄は怒って家に入ろうとはせず、父親が出て来てなだめた。29 しかし、兄は父親に言った。『このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに、わたしが友達と宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったではありませんか。30 ところが、あなたのあの息子が、娼婦どもと一緒にあなたの身上を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を屠っておやりになる。』
 31 すると、父親は言った。『子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。32 だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。』」


財産:何だったのかな? 土地・奴隷etc
    すぐに換金できたものって何だろう
    →弟にはすぐに換金できたものをあげ、兄には土地や家畜などカネには換えられない物をあげたのでは・・

「天に対しても 父に対しても」 並列のようでいやだ
これは父と息子の物語だが、女性はいないのかな?
「娼婦ども」って何でわかるのか
子牛:何人で食べたのか。なぜ子牛なのか
   
なぜ父親は財産をすぐくれたのかな? 全部の財産だったのか
なぜ祝宴に兄は呼ばれなかったのか? そりゃあ怒るよね。最初から呼べば・・?

全部をカネに換えたことが問題では?
 たとえば農業をしている人は、決して飢え死にしない。

兄の気持ちが良くわかる(特に自分が、長男・長女だから・・)。
弟は何を目的にお金をもらったのか
兄はなぜ怒ったのか?
弟と兄に、それぞれふさわしいものを与えたのでは?

「放蕩の限り」って本当にそうなのか。本当に放蕩したのか
 書き手の意図? 「我に返って・・」も嫌らしい書き方だ
 主体的にしたのではないか
  主体的→失敗もありうる。飢饉など

農家の現状にあてはめる→野菜は美味しいけれど、飢えることはないがナスが取れたら毎日ナスを食べ続ける。そういう生活

兄の方が財産をたくさん相続しているはずだ
友達との宴会と、死んだはずが帰って来た人の祝宴は、重みや意味が違う
兄は見返りを求めていたのか→しかし彼にとっては、それが生き方の全て
弟はイエを出られたけれど、兄は出られなかった  兄の牢獄性
出ていった=死んだ?
指輪:実印〜息子のしるし。しかし、この後どう扱われたかは、書かれていない

農地改革:個人主義の始まり? 個人のもの。売り買いが自由に出来た
地主制:悪い部分はあったが、「みんなで土地を守る」という意識はあった

   ( 記録:竹佐古真希 )


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