英仏の帰りに韓国で


◆ チェアムリ教会にて ◆


こちらのサイトからの引用です
今から
80年ほど前,韓国は大日本帝国の植民地下にありました。
文化を奪われ,自由を奪われ,民族としてのアイデンティティーも奪われました。
韓国人としての名前を使うことを許されず,日本名に改めさせられ,
韓国語を使うことも許されず,日本語で話すように強要されました。
それに逆らう者たちに対しては残酷な刑罰が待っていました。

そんな中,
191931日に独立運動が起こり,
日本から独立した国家になろうという気運が高まりました。
その運動の中心にクリスチャンがいましたので,翌月,日本軍の兵隊は
ソウル郊外のチェアムリという村の男たち
30人以上を教会に集め,
閉じ込めた上で火を放ちました。
そして,火の中から逃れようとして出てきた者たちを銃剣で突き刺し,
夫を助けてくれるように求めた妻や子どもを殺したのです。
焼け落ちていく教会の中で,彼らは神に向かって叫びました。
こちらのサイトからの引用です




当時のチェアムリ教会の再現模型。



それはトルコ領アルメニアの蛮行ではない。
300年前ピエドエントにあった殺戮ではない。
アジア大陸の東端に行われた惨事である。
永遠の平和を期する会議中の出来事である。

我らの愛する祖国においては、
人種差別を撤退すべしと、
所謂志士がいきまきどよめいた時だ。



そこは都を離れた淋しいひな里、
木造りの粗末な教会堂が立っている。
白い着物をつけた土地の人々、
或る者は大病の老いたる父を離れて、
或る者は産褥に入りし妻を残して、
或る者は辛くもその日を過すたづきを去って、
今日は日曜でもないのになぜ集るか、
お布令のためだ、厳めしい憲兵のためだ。

〜「或る殺戮事件」  斎藤 勇  より





日本軍が教会を焼き討ちしているシーンです・・。




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