英仏の帰りに韓国で


◆ チェアムリ教会にて ◆




パゴダ公園に展示されている、チェアムリ教会焼き討ちの様子。



忽ち砲声、一発、二発・・・・・。
見るまに会堂は死骸(むくろ)のほこら。
尚あきたらずして火を以って見舞う者があった。
赤い炎の舌は壁を嘗めたが、
官憲の毒手に撃たれた亡国の民を−−
西洋邪教を信ずる者を−−
憚る如く、恐るる如く、守る如く、
彼等の死体を焼き払わない。
それと見て、風上の民家にも火をつけた、
燃える、燃える。40軒の部落は、
一として焼き尽くされざるはない。
君は茅屋(ほうおく)の焼跡に立って、
まだいぶり立つ臭気が鼻につかないか。
乳呑み児をだいたままの若い母親、
逃げまどうて倒れた年よりなどの
黒焦げになった惨状が見えないか。



何、ヘロデの子殺しよりもひどくないというのか。
ピエドモントやアルメニアのより人数が少いというのか。
島原や長崎あたりの昔の事もあったというのか。
君子国にはそんな例が珍しくはないというのか。
もしこれをも恥とすることなくば、
呪われたるかな、東海君子の国。

〜「或る殺戮事件」  斎藤 勇(1919年5月6日) より〜






焼き討ちされた直後のチェアムリ教会。



遺骨発掘現場で涙を流す田同禮(チョンドンネ)長老。

イエスが十字架につけられ息をひきとる様子を遠くから見ていた
女たちがいたように(マルコ福音書15・40以下)、
夫や息子たちがとじこめられた教会堂が燃えあがり
銃撃されるのを息をひそめて隠れ見ていた女たちがいた。
そのうちの一人、当時23歳で夫を失った田同禮(チョンドンネ)さんは、
泣きながら夫を求めて教会の庭にやってきた女性が
首を斬られるのを見た。

また、数日後、カナダ人の宣教師と共に、焼け跡に
21人の黒こげの遺骸が離し難く一塊になっているのを見た。
カン先生は彼らが最後に一団となって
祈りつつ死んだのであろうと推測する。

その祈りは、イエスの十字架上の「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」、
「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」
(マルコ福音書15・34)の祈りにあずかる祈りであったにちがいない。

「3・1独立運動とチェアムリ事件」
日本キリスト教団出版局(1989年)
(小笠原亮一・李 仁夏・澤 正彦ほか)より




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