戦争後、イラクの人々は自らを組織する

ウェード・ハドソンとスコット・ハリス
ZNet原文
2003年4月28日


ブッシュ政権のイラク征服大勝利という国家管理下のメディア・イメージが忘却の彼方に沈み込む中で、日毎に、米国による占領の過酷な現実が明らかになってきている。サダムという残忍な独裁者を追放したことについてイラク市民の一部が示した米軍に対する歓迎は、イラクの主権と自決権を求めるますます強くなってきた声に取って代わった。

イラクの宗教・民族集団の様々なセクターが組織する路上の抗議行動は、サダム・フセインの政権を批判すると同時に、イラクを占領している米軍を非難している。ブッシュ政権がイラク運営に指名した退役将軍ジェイ・ガーナーに対して、多くのイラク人たちが、病院や美術館、図書館の略奪を全く阻止せず、また、米国の攻撃の中で米軍の爆弾が破壊した水道や電気を復旧しないと、非難を浴びせている。何千人ものイラク一般市民が、怪我や戦争による欠乏で犠牲となっているにもかかわらず、ペンタゴンは何十もの非政府組織(NGO)がイラクに入って活動することを妨害している。というのも、これらのNGOが、自らの中立性を曲げて米軍の指揮下で活動することを拒んでいるからである。ブッシュ政権は、同様にして、国連救援支援の役割を妨害し、また、国連武器査察団による化学・生物・核兵器査察再開を拒否している。こうした大量破壊兵器は、いっとき、米軍による不法なイラク攻撃の口実に使われていたにもかかわらず。

「行間を読む」のスコット・ハリスが、「荒野の声」に所属するイラク・ピース・チームのウェード・ハドソンにインタビューした。ハドソンは活動家・作家・カリフォルニアのタクシードライバーで、4月13日まで31日間イラクで過ごし、米軍の爆撃とイラク侵略とを目撃してきた。それに基づき、彼がイラクの状況を語る。

ウェード・ハドソン:爆撃が開始された直後から、私たちの最も重要な活動は、爆撃により引き起こされた、民間インフラへのダメージ、民間人の犠牲者、怪我、死者に関する証拠を収集することでした。その情報を編集して、4月4日に報告書として発行しました。私自身は、爆撃が開始された初日に、爆撃を受けた多くの建物を視察することを含むツアーを行いました。そこでは、これらの建物が一体何だったのか知ることは困難でした。私たちは、このツアーで、近くには政府関係のビルも軍事標的も全く存在しない、住宅地までたどり着きました。何百万トンもの爆弾をある国に投下したとき、そして、その大部分が、バグダッドのように人口の密集した都市に投下されたとき、そのかなりの部分が一般市民を殺害したり重傷を負わせたり、住宅や商業ビルを破壊したりすることは不可避です。

パレスチナ・ホテルが米軍戦車が発射した砲弾により襲撃されたとき、私はホテルのバルコニーに座っていました。この事件は広く伝えられました。それは、ここが、バグダッドにいた各国メディアの拠点だったからです。私は肩越しに振り返りましたが、煙がもうもうとしており、その数分後には、死亡した2人のジャーナリストの部屋から火が上がりました。そのうち一人はスペインのテレビ局で働いており、私たちのためにバグダッドから電子メールを送ってくれていた人でした。それはこの事件を強烈なものにし、私阿智はパレスチナ・ホテルでこれまでよりも安全に感じなくなりました。

スコット・ハリス:ブッシュ政権は、サダム・フセイン政権への戦争を正当化しようとして、繰り返し繰り返し、この戦争における民間人犠牲者の代価は−私たちは正確な犠牲者数を今も知らないのですが−目的のために払うに値するものだと述べてきました。横暴な戦士君主が追放されるからというのです。戦争中にあなたが話をしたイラクの人々は、この紛争をどう見ていますか?これが正当化されると考えているでしょうか。

ウェード・ハドソン:イラクの人々について一般的にお話しするのは簡単ではありません。というのも、人々はとても抑圧的な独裁政権のもとでくらしており、自分たちの考えを自由に話さず、また、信頼できる世論調査も存在しないからです。ですが、どんな利益があるとしたとしても、この戦争は根本的に不道徳で不法で、決して正当化できるようなものではありません。イラクは米国を威嚇していませんでしたし、そして、私たちは、国際法の伝統を擁しており、それによると、国は、明白な脅威を受けない限り、他国を侵略したり攻撃したりしてはいけないと規定しています。

あなたの質問に戻りましょう。24時間か36時間の間は、サダムが転覆したことに対する安堵と喜びが見られたように思います。サダムがいなくなったことに関しては、多くのイラクの人々が良いことだと思っているのではないでしょうか。けれども、それは全体的な喜びではありません。多くのイラク人たちは、米軍の攻撃を全く一度も望みませんでした。つまり、爆撃が始まる前、私たちは青空市場やお店を回り、また買い物に行ったのですが、そこで人々は、私たちが誰であり、何故そこにいるかの理由をすぐに見つけだし、そして、平和チームの一員であるということに喜びを、自発的に示してくれたのです。もし多くの人々が米国による「解放」を求めていたとするならば、それに反対する私たちに対して、人々が自ら歓迎を示すことなどなかったでしょう。

仮に解放のハネムーンがあったとしても、それは全くすぐに完全に終わりを告げています。イラクの人々は、米国に出ていってほしがっているのです。皮肉なことは、ブッシュ政権は民主主義を望むなどと語っていますが、トルコの人々が人々の民主的な意志として米軍にノーと言ったとき[イラク攻撃前にトルコ領を米軍が使用する件について]、米国はトルコ政府を賄賂で操ろうとしたのです。

スコット・ハリス:ウェード・ハドソン、米国のイラク占領と、暫定政権への移行について、最も心配されることは何でしょうか。暫定政権は、亡命イラク人により支配されるかも知れないしそうでないかも知れません。亡命イラク人の多くは、何十年もイラクの地に足を踏み入れていなかったわけですが。

ウェード・ハドソン:そうですね。米国は全くしくじっているように見えます。イラクを長期にわたる無秩序ともめごとに陥れる以外にその意図を想像することはできません。米国は口ではイラクの石油はイラクの人々のものだと言いますが、計画通り石油企業を私営化したときに、それについてどうするのかは興味深いことです。イラクは多くの異なる派閥で一杯で、お互いに衝突寸前です。無秩序が大きければ、防衛規制として、多くの人々が自分のグループにますます強く結びつくことになり、お互いに敵対が強くなる可能性がますます高まります。合州国は、自分が咀嚼できる以上のものにかみついたことになります。米国は膨大な混乱を造り出し、それを整理するために米国を当てにすることはできません。国連に従う必要があります。現在の状況は、イラクの人々がイランと同様の方向に向かう可能性が高まっているというものです[イランでは米国の傀儡であるシャーの独裁政権が1979年に倒れ、原理主義シーア派のイスラム政権が生まれた]。けれども、それをブッシュ政権が受け入れるかどうかについては、大きな疑いを抱いています。


4月30日付け朝日新聞は、ファルージャで米軍による占領に抗議した人々に米軍が無差別発砲した事件を報道する記事の中で[ファルージャでは、28日夜に米軍撤退を求める住民のデモに米軍が発砲し13人が死亡、50名が怪我、30日にも米軍が発砲し2名が死亡してる。また、モスルでも15日に米軍が押しつけた知事マシャーン・アルジュブリに反対する人々を米軍が射殺、10人以上が死亡した]、この事件は、米軍への反対感情を煽りかねないと述べています。

独裁者サダム・フセインを育てあげ、大規模に武器提供した後、イラクの人々に12年間の過酷な経済制裁を加え50万人以上の犠牲を出してきた米国。全く無根拠に不法な侵略戦争を仕掛け、2000人もの民間人を殺害し、遙かに超える兵士犠牲者を生みだしてきた米国。その後、自分の傀儡政権を押しつけるために軍隊を居座らせている米国。

朝日新聞の記事は、まるで、こうした一連のそして長年の不法介入の最後に(?)行われた不法侵略の後でも、不法占領者たる米国への反対感情が高まっていなかったかのような、「のんき」な書きぶりです。日本を代表するリベラル紙の面目躍如といったところなのでしょうか。。。今、改めて、現地に入った人の声を読み直すのも大切だと思いました。

1996年、当時米国の国連大使だったマドレーヌ・オルブライトとレポーターのレズリー・ストールとの、テレビ放送でのやりとりの中で、ストールはイラクに対する米国の経済封鎖について尋ねています。「50万人の子供たちが死亡したと聞きました。その数は、広島で死んだ子供たちよりも多いのです。この代償は払うに値するものなのでしょうか」。オルブライトは次のように答えています。「これはとても難しい選択だったが、代償は・・・・・・、われわれは、代償は払うに値したと思う」。

オルブライトの返答は問題外として、ストールの質問の形式自体が、そもそもイラクで死亡した人々を、消費可能なモノの場所に位置づけることにより成り立っています。イラクで「米国はしくじっている」というような言葉も、どの位置に立って何を判断しているのか、何を判断する権利を前提としているのか、検討する必要があるようです。
益岡賢 2003年5月1日 

一つ上] [トップ・ページ