シェイク(導師)たちとイカサマ師たち

マリア・トムチック
ZNet原文
2003年4月22日


イラクが完全に略奪され、その歴史も略奪され焼き払われた今、ペンタゴンは旧体制を新体制に置き換える仕事に乗り出した。不幸にして、新体制は、旧体制とほとんど同じようなものになる可能性がある。

ブッシュ政権がイラクでとった最初の行動は、バアス党の中堅幹部たちを、イラクの諸都市で市長や公務員に据えようというものであった。これまでのところ、それは失敗している。とりわけ、バスラでは劇的に。

2週間前、英軍が遂にバスラを「確保」したとき、バスラの「行政」のために現地のシェイクを指名した。当初、英国筋は、その名前の公表を拒否し、それを悔しがったメディアは、その人物を「秘密のシェイク」と読んだ。バスラの住人をなだめることはできず、人々は名前を明らかにするよう要求した。英国はまもなくしてそれを公表した:シェイク・ムザヒム・ムスタファ・カナン・タメエミであった。

タメエミは、単なる一地方のシェイクではないことがわかった。彼はサダムの軍隊で准将を勤めていた経歴をもち、元バアス党員だった。直ちにデモが起きた。英国は、どう考えれば、もとバアス党員をバスラ運営のために指名できるというのだろう?教育を受けた人々にとって、地方のシェイクを支配者に据えるのは侮辱であると述べた。自分たちで自分たち自身の市長を選びたいと。

タメエミの家の外に多数の敵意を持ったグループが取り囲み、家族に向かって石を投げた。一方、別のグループは、バスラの貧しい地域を行進し、イスラム政府を要求した。英国は意見を取り下げ、タメエミのかわりに裕福な現地のビジネスマンをバスラの支配者に据えようとした。ガリブ・クッバを据えようとした。けれども抗議は続いた。結局のところ、サダム・フセイン政権下で、ビジネスマンが、これほどまでに富を蓄えることができることが、バアス党との関係やサダム本人との関係なしに、可能だろうか?

次にナジャフでの大失態が起きた。アブドゥル・マジド・アルホエイという名の亡命イラク人が、米軍の進軍に随伴し、イラク南部で現地の人々との間の通訳兼つなぎ役として働いていた。アルホエイは、1992年にナジャフで自宅監禁下で死亡した著名なイラクのシーア派シェイクの息子だった。12年間英国に住む間に、アルホエイはトニー・ブレア及びジャック・ストローの友人となった。アルホエイは、イラク新政府構成のために中心的役割を果たす者として予約済みだったのである。

アルホエイは軍のエスコートを偽って、ナジャフに行き、現地モスクの元バース党指導者ハイデル・アルカダルとアルサドル家の武装メンバーとの間の論争をなだめようとした(モハメド・ブラガ・アルサドルは著名なシーア派宗教指導者で、1991年ペルシャ湾岸戦争時のシーア派蜂起の際、サダム・フセインに殺害された)。アルホエイはまずアルカダルと面会し、アルサドルのところに行って和平を合意すべきと提案した。戦闘がどのように起きたかは不明であるが、戦闘の中で、アルカダルとアルホエイはともに、刀やナイフで刺し・切り殺された。多くの見物人たちによると、人々は、神聖なモスクに憎まれていたアルカダルを据えようとする試みに腹を立て、彼を切り刻んだという。アルホエイは、アルサドルのナジャフでの後継者に取って代わろうとしている米国の傀儡と見なされたか、あるいは、サダム・フセインのバアス党メンバーを支持していたか、どちらかの理由で殺されたようである。

反バアス感情が高いのは、サダムの粛正により多くの精神的指導者を失った人々の間では無論のことである。イラクのシーア派は、自分たちの宗教的休日を公に祝福したり礼拝したりすることを許されてこなかった。この二週間、イラクでは、驚く程の数の公の宗教的礼拝と集会が、スンニ派でもシーア派でも、モスクで行われている。そして、ほとんどのモスクで、宗教指導者たちは人々に同じことを語っている。自ら指導者を選ばなくてはならないこと、アメリカ人をできるだけ早く追い出さなくてはならないこと、そして、イスラム国家を持たなくてはならないこと、である。

ブッシュ政権が憂慮しているのは、この最後の司令である。イラクのシーア派は、シーア派が大多数を占める東隣のイランと宗教的関係を持っている。さらに、イランの原理主義的政府と政治的関係もある。イラク最大のシーア派グループの一つは、イラクイスラム革命最高評議会(SCIRI)であるが、それはイランの軍と関係しており、原理主義的イスラム国家を提唱している。先週、武装した30名のSCIRIメンバーたちがクットの市庁舎を占拠し、徐々に確実に根気強く、クットに駐留する米軍海兵隊から町の行政を奪回した。米軍海兵隊司令官はSCIRIが自ら任命した市長の暗殺さえ検討したが、あらゆる人々がこの人物に恭しく従い決断をゆだねているのを見て思いとどまった。彼を殺すと暴動になったかも知れなかった。

一方、4月15日火曜日、ウル近くの空軍基地で、コミュニティの代表を選ぶための最初の都市行政会議を行った。用いられた言葉は「選択する」(select)であり、その選択を米国の使者たちが行うことが協調されていた。注目すべきことに、南部イラクにおける著名なシーア派宗教指導者のほとんどが、この会議をボイコットした。唯一出席したシーア派指導者は、シェイク・アヤド・ジャマル・アルディンという名の人物だった。米国の使者たちは、アルディンが世俗的国家をと論ずる者として見つかった唯一の指導者であったため、アルディンを好んだ。

同じ時、近くのナシリヤでは、少なくとも5000人のイラク人が15日に路上で抗議行動を行った。人々は、「この会議では誰も我々を代表していない」といったメッセージを掲げていた。確かにこれは正しい。会議はほとんど米国が資金提供している亡命イラク人により支配され、それ以外の使節は、事前の米国の使者たちから注意深く指名され選別された者たちであった。16日水曜日にはナシリヤの抗議行動はさらに2万人規模へと成長し、反対の声はバグダッドにも広まった。バグダッドでは、数百名の人々が、守備隊に取り囲まれたパレスティナ・ホテルを取り囲み、「米国打倒、居座るな、出て行け」と声をあげた。

18日金曜日は、サダム・フセインが権力の座に就いて以来、人々が完全な祈りに参加することができた最初の日となった。この日、イラク全土のモスクは人で溢れていた。ムラーたちは宗教と政治を重ね、占領者米国に反対し、多民族イスラム国家を求める講演を行った。朝の祈りが終わった後、バグダッドで人々は路上になだれ出た。米国の新聞は何千人もからなるデモと報道したが、電信では何万人もが路上に出たと述べていた。アルジャジーラや一部のレポータたちは、人数を5万人から10万人と述べた。デモ参加者たちは、「アメリカにノー、世俗国家にノー、イスラム国家にイエス」といったバナーを掲げていた。デモの組織者たちは、スンニ派とシーア派が団結して、米国によるイラク亡命者たちを政権の座につけようという策動を拒否しようと呼びかけた。

全てのイラク人がイスラム国家を望んでいるわけではないのは確かである。けれども、米国はイラクの教育を受けた層に対し、何の申し出も行わなかった。実際、米軍は、サダムの大量破壊兵器プログラムについて何か知っているように思われる学者や科学者、ビジネスマンにだけ、関心を示していた。石油生産を即時に開始する助けとなる地学者と技師も大いに求められたが、米軍は、制憲議会構成のために人を集めることも、地方の政治討議グループの設置も、正当の登録も、有権者リストの作成も、何も行っていない。

そのかわりに、ペンタゴンは、たった一人の人物だけを後押しした。大規模な抗議行動がバグダッドで行われているのと同じ日に、米軍は亡命イラク人のアフマド・チャラビ[イラク国民会議のボス]のお抱え運転手役を務めて彼をバグダッドに連れていった。チャラビはそこで、以前はサダムの息子達がよく訪れたソーシャル・クラブに自分の本部事務所を設置した。チャラビはイラクの次期大統領としてペンタゴンが選んだ人物である。一方、CIAと国務省はともにこの人物を忌み嫌っている。チャラビは犯罪者で、ヨルダンで銀行詐欺により欠席裁判で有罪判決を受けており、ヨルダンに身柄引き渡しされるならば、22年の禁固刑となる人物である。さらに、スイス当局は、同様の罪状で彼の兄弟2名を起訴している。チャラビはまた、他のイラク亡命人からも広く嫌われており、イラク内外に全く支持基盤を持たず、他のイラク指導者たちを団結させる力も全くなく、多民族からなるイラクの人々を団結させる能力はなおさら持っていない。

さらに、CIAと国務省は、他の全ての人々にとって明らかであると思われることを恐れているかも知れない。つまり、チャラビが、米国が支援して第三世界諸国に据え付けてきた多くの「終身大統領」タイプになるだろうという点である。チャラビはサダムにそっくりの人物であり、彼の経歴もサダムとほとんど同様である。選挙を不正操作し、多数の人権侵害を犯し、公金を略奪した。

不吉なことに、チャラビは既に、米国の使者たちが国家主導の各地方都市会議を設けようとしていた努力をスキップした。彼は、他の4グループの指導者たちをバグダッドに招いて面会し、5名からなるイラク指導評議会を構成すると発表した。4グループとは、SCIRI、イラク国民協定(イラク国民合意:INA、チャラビのグループと同様の亡命イラク人グループ)、2つの主要クルド人グループであるPUK(クルディスタン愛国同盟)とDK(クルディスタン民主党)である。各地の地方イラク指導者たちは、お呼びでないというわけである。

チャラビはまた、自分のための武装民兵を雇うことにも注意を向け始めた。恐らくは、不正に得た財産から支払うものであろう(ただし、彼の懐には、ペンタゴンの資金数百万ドルが転がっているのも確実である)。

一方、他の盗賊たちは米軍の尻馬に乗ってそれに頼っている。北部の都市モスルで起きた最近の暴力[4月15日・16日と立て続けに米軍が群衆に発砲、少なくとも17人が殺されている]の多くは、米軍がミシャアン・アルジュブリをモスルの新市長に据えようとしたことによるものである。アルジュブリがモスル住民に米軍を支持するよう熱心に説く演説をしたとき、集まった人々は彼を嘘つきと呼び、彼に激しく石を投げつけた。その人々に対して米軍が発砲し、少なくとも15人を殺害し、60人に怪我を負わせた。アルジュブリ氏族のメンバーたちは、アルジャジーラTVに対し、ミシャアンはギャングであり、モスルでも周辺地域でも、誰も彼を支持していないと述べている。

戦争と体制の崩壊の後に訪れたカオスと権力の空白の中で、武装ギャングと軍閥、マフィアたちがまもなく権力を握るだろう。元ソ連共和国の多くでも、ボスニア・ヘルツェゴビナでも、コソボでも、アフガニスタンでもそうであった。イラクでは、米軍が軍閥とマフィアの後継者たちを積極的に支持しており、こうした輩の指導者として、アフマド・チャラビという強面を後押ししているのである。

"Sheik's Appointment by British Triggers Protests and Accusations," Susan Glasser, Washington Post, 4/11/03, A29, www.washingtonpost.com

"A Dust-Up in Basra's Leadership Vacuum," Robyn Dixon, Los Angeles Times, 4/18/03, www.latimes.com

"The Shia of Najaf seethe ominously, fearing the yoke of US occupation," Phil Reeves, The Independent, news.independent.co.uk

"Murdered in a mosque: the cleric who went home to act as a peacemaker," Cahal Milmo, The Independent, 4/11/03

"Shiite Power Struggle Threatens Stability," Yaroslav Trofimov, Wall Street Journal, 4/17/03, A10

"Free to Protest, Iraqis Complain About the U.S.," Ian Fisher, New York Times, 4/16/03, www.nytimes.com

"First glimpse of Iraq's new power brokers," Peter Grier and Ben Arnoldy, Christian Science Monitor, 4/16/03, www.csmonitor.com/2003/0416/p01s04-woiq.htm

"5,000 march to have say on future of Iraq," Marcella Bombardieri, Boston Globe, 4/16/03, www.boston.com

"Baghdad Residents Protest U.S. Troops," Ellen Knickmeyer, Associated Press, 4/18/03

"Dilip Hiro: Can Iraq be held together now Saddam is gone?" The Independent, 4/11/03

"Self-proclaimed rulers emerge in Iraq," Al Jazeera, english.aljazeera.net

"US admits Mosul killings," BBC online, 4/16/03, news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/2951789.stm

"Mosul residents tiring of US presence," Odai Sirri, Al Jazeera, 4/17/03


マリア・トムチックの文章は、これまで、「薄弱なパウエルの証拠」と「査察官、米国の批判に反証」を日本語で紹介してきました。今回の文章に含まれている出来事の一つ一つは、それぞれ、断片的に新聞等でも取り上げられているものですが、こうして見ると、パターンが見えてきます。さらに、米軍が占領地イラクで行っているこうした行為は、米軍やCIAが侵略したり転覆して政権をすげ替えたりした他の国々で起きたことを見ると、さらに大きなパターンとして浮かび上がってきます。それについては、『アメリカの国家犯罪全書』をお読み頂けると幸いです(ハンドブックとしても、通読用としても、相当お勧めだと訳者として思っております)。「イラク解放」といった犯罪的茶番については、「来るべき嘘とプロパガンダに備えるために」も改めてご覧いただけると幸いです。
益岡賢 2003年4月23日 

イラク侵略ページ] [一つ上] [トップ・ページ