電力と貧困の創造

ギャリー・M・リーチ
2002年11月11日
コロンビア・ジャーナル原文


コロンビア北東部ラ・グアヒラ州の多くのコミュニティは、コロンビアにおける暴力の周縁に位置している。その乾燥した地帯はゲリラ戦に適さず、風景は、コロンビアというよりは、米国南西部のようである。地理的な理由で、コロンビアの暴力はすぐ手の届く範囲にあるが、現在、ラ・グアヒラの多くのコミュニティに対して加えられている闘いは、経済のグローバル化という、別のかたちのものである。1980年代前半に、エクソンモービル社が、全株所有の子会社インターコルを通して、コロンビア国有石炭会社カルボコルとともに、ラ・グアヒラ南部のエル・セレホン炭坑で石炭採掘を開始した。エル・セレホン炭坑は、まもなく、世界最大の露天掘り鉱山となり、その規模は縦30マイル、横5マイルとなった。炭坑の拡大により、現地のコミュニティに混乱がもたらされた。そのうちいくつかは、既に炭坑に飲み込まれてしまい、他のいくつかも、向こう数年のあいだに破壊される対象とされている。

2002年1月、ブルドーザが、タバコ村の破壊を完遂した。炭坑拡大のために、既に多くの住民が家から追放されたあとのことであった。タバコ村に住んでいた1100名のアフリカ系コロンビア人−その多くは、村を作った人たちの直系子孫なのだが−が、自発的に住居を立ち去ろうとしない人々を「除去」するために派遣された200名以上の兵士と警察による暴力的な攻撃にさらされた。犠牲者の一人、エミリオ・ラモン・ペレスは、次のように証言した。「警察は私を殴り、私の頭蓋骨は4カ所骨折した。それから、警察は私を家から連れだした。20日間、私は病院で意識不明の状態にあった。警察は私の家を破壊し、私にはものを取り出す時間も与えられなかった。警察は、すべてを持っていった。冷蔵庫、ストーブ、テレビ、椅子。私の持ち物すべてを持ち去った。」

タバコ村350家族の多くが、現在、追放された。その一部は、地元から逃げだし、公式の失業率が20パーセント近いコロンビアの都市部で困難な生活を送っている。他の人々は近隣のコミュニティにとどまり、炭坑の拡大に対して闘い続けると同時に、補償を求める訴訟を起こしている。村を破壊する前にインターコルが提案した1000ドルの受け取りを拒否したタバコ村の家族は、軍と警察により強制的に追放された自分たちの家と土地について何の補償も手にしていない。

2002年5月、コロンビア最高裁は、タバコ村があるハトヌエボ市域行政当局に、タバコ村の元住民たちに対して新しい家を建設する予算をつけるよう命じた。けれども、予算はほとんどなく、村人たちには、裁判所命令が実行に移されることを保証する手段はない。最高裁はまた、今後、先住民地域におけるすべての採掘プロジェクトは影響を受けるコミュニティとの事前協議なしに進めてはならないという命令を出した。この判断は、タマキトのワユ先住民コミュニティに多少の保護を与えるかもしれないが、エル・セレホンのまわりで追放の危機にさらされているアフリカ系コロンビア人コミュニティの問題をほとんど緩和することはない。

そうしたコミュニティの一つがチャンクレタである。その住民の一部は、炭坑の侵略により、既に自宅を放棄した。73歳のフアナ・アレゴセス・ディアスは、自分の家に19年間住み続けており、そして、生まれたときからずっとチャンクレタに住んでいる。この地域の住民のほとんどと同じく、彼女は、小規模な食料農産物を栽培し、小さな動物を育て、地元の川で魚を釣って生き延びてきた。けれども、今や、炭坑が、川の流れる土地を占拠し、会社は、地元住民が釣りをすることを許可しない。自給のために釣りに依存していた村人たちは、既に、自分たちの家を放棄しなくてはならなかった。その結果、チャンクレタは、炭坑会社の治安警備員たちがピックアップ・トラックを乗り回して、よそ者と話をしようとする村人を脅迫してまわっている、不気味に乾いた泥の家と埃っぽい道からなる村へと変容してしまった。

フアナの粗末な木造の家は、炭坑の端から1500フィートも離れていないところにある。毎日、彼女は、埃と汚染、そしてひどい騒音に耐えている。ほぼ確実に、まもなく、彼女は、会社の提案を受け入れるか、強制撤去されるか、選ばなくてはならないことになろう。フアナには、地元に残った家族はいない。そして、長い間、田舎で自給自足の生活をしていたフアナは、今、仕事の見込みのない大都市か町の馴染まない環境に適応しなくてはならない可能性に直面している。エル・セレホン地域でフアナや他の住民が直面している困苦は、開発途上世界のあらゆる場所で、経済のグローバル化の犠牲となっている何百万もの貧困状態に追いやられた人々が典型的に経験していることである。

1980年代、コロンビア産石炭の60パーセントは、主に発電のために、国内で消費されていた。けれども、グローバル化にともなって、エクソンモービルのような会社がラ・グアヒラに、また、アラバマに本社を置くドラモンド炭坑会社が隣接するセサル州に、安価なコロンビア産石炭を求めて進出してきた。その結果、石炭は、コロンビアの合法的輸出製品第3位の製品となった。この結果、エル・コレホンで年間に生産される1800万トンの石炭のうち、1パーセントしかコロンビア内に止まらないこととなったのである。石炭の71パーセントはヨーロッパに、28パーセントは米国に輸出される。コロンビアは、今や、米国に石炭を提供する国のトップなのである。

2002年3月、エクソンモービルは、エル・コレホンの株50パーセントを、世界最大の炭坑会社−アングロ=アメリカン、BHPビリトン、グレンコア−からなる多国籍コンソーシアムに売却した。このコンソーシアムは、2000年12月に、コロンビア政府所有の炭坑株式を手に入れていた。コンソーシアムが炭坑の唯一の所有者となった現在、エクソンモービルは、易々と、タバコ村から追放された人々に対してもはや責任はないと言い逃れることができる。

炭坑及び石炭をカリブ海沿岸に運ぶために用いられる115マイルの鉄道をめぐる社会経済的問題のいくつかを扱うために、炭坑所有者たちは、1984年にセレホン基金を設立した。けれども、年間運営資金8万ドルでスタッフの給与と州都リオハチャの事務所維持費をカバーしなくてはならないこの基金が、活動範囲にある70のコミュニティの必要に対してどれだけ有効な対処ができるかは明らかでない。

セレホン基金の最高責任者ヨランダ・メンドーサは、基金は小規模ビジネスと先住民コミュニティに対してマイクロ・クレジット・プログラムを提供し、実地職員が、コミュニティへの新たな農業テクノロジー指導を支援していると述べる。けれども、炭坑により追放されたコミュニティを支援するために基金は何をしているのか尋ねると、メンドーサは、次のように答えた。「それらの人々は、実際には追放されたわけではない。というのも、炭坑の場所にはコミュニティなどなかいからだ。それははるか昔のことで、現在、そこにコミュニティはない。」最近起きたタバコ村の破壊について指摘すると、メンドーサははっきりと緊張し、次のように言った。「それが真実だとは思わない。けれども、それについて、私には話をする権限はない。それは、あなたが直接エル・コレホン炭坑会社と話すべき話題だ。」

地元コミュニティの追放について、会社がとる最初の防衛ラインは、それを否定することのようだ。そして、問題について見解を表明することを余儀なくされたときに、炭坑の報道官リカルド・プラタ・セペダは、タバコ村から強制追放された人々に対してどのくらいの補償金を払わなくてはならないか、会社は、コロンビア裁判所決定を待っているところだと述べた。炭坑所有者たちが、司法命令が実際に適用される可能性はほとんどないということをよく知っていることは疑いない。一方、コロンビア政府は、会社の活動契約を2034年まで延長した。現在の炭坑拡大速度を考えると、2034年には、ラ・グアヒラ南部の風景は、地上にぽっかり空けられた縦70マイル横12マイルからなる、環境破滅的な炭坑に支配されることになろう。

炭坑拡大の現在および将来の犠牲者たちは、自分たちが被る困難に関して、国際的な意識を促すことに努力を集中しはじめた。米国とヨーロッパには、ラ・グアヒラの人道的破局を知らしめようとしているグループがいくつかある。その一つは、ロンドンを拠点とするコロンビア連帯キャンペーンである。同キャンペーンは、11月4日、BHPビリトンの年次株主総会に出席し、タバコ村の追放された村人たちに公正な補償を支払うよう求めた。米国では、マサチュセッチュ州セーラムの北岸コロンビア連帯委員会が、PG&Eが所有するセーラム港発電所の伝記は、コロンビアの農民たちの大きな犠牲の上で採掘されているコロンビア産石炭によるものであることについて、コミュニティの意識を向けようとしている。「我々が、人々を自分たちの土地から追放することで得られた生産物を消費している。我々が、不正なことから利益を得ているのだ」と、セーラム州立大学教授で、北岸コロンビア連帯委員会創設者のアヴィ・チョムスキーは言う。

コロンビア生まれの市議会議員クラウディア・チュベルは、9月にコロンビア大統領アレヴァロ・ウリベと面会し、セーラム市議会が採択した議決を彼に提出した。この決議は、炭坑により追放された村人たちへの憂慮を表明し、コロンビア最高裁が命じた、タバコ村もと住民に対する住宅建設を緊急に進めるよう求めている。

残念ながら、ウリベが進めているコロンビア内戦激化という目的が、エル・コレホン炭坑により追放され貧困に追いやられたコロンビア人たちの苦痛により阻害されることを、ウリベは許さないだろう。こうした人権問題に光を当てることは、米国政府が進めているコロンビアへの軍事介入激化政策の根本にある、米国主導の経済のグローバル化を押しとどめることにつながる。この間、そして、非常に不利な状況の中で、73歳のフアナ・アレゴセス・ディアスや、チャンクレタに止まっている他の住人たちは、炭坑の拡大に脅かされている近隣コミュニティに住む人々とともに、自分たちが住む、コロンビア辺境の忘れ去られがちな片隅で、社会経済的正義を求めて闘いを続けているのである。


  益岡賢 2002年11月12日

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