アチェ:繰り返される侵害の中で

TAPOLより(益岡が部分的に編集しました)
2003年5月23日



戦争状態の中、何千人もの人々が殺害されてきた

インドネシア、アチェ特別州。スマトラ島の最北端に位置し、500万人ほどの人口を擁するアチェは、南アジアと東アジアの要路に位置し、南東アジア最古のスルタン王国の一つとして栄えた。アチェは、植民地勢力オランダに対して抵抗を続けて植民地化をはねつけ、さらに、インドネシアの独立・建国にも大きく貢献してきた。1945年のインドネシア独立後、インドネシア中央政府に対する不満が高まったため、中央政府はアチェに特別州の地位を与え、教育や宗教、慣習法をアチェ独自に行うことが認められた。けれども、この決定は実施されなかった。大規模な天然ガス資源が発見された後、そうした資源の恐ろしく不平等な分配に対して、1976年、自由アチェ運動が結成され、ジャカルタ政権に対して抵抗運動を開始した。

スハルト政権は、これに対して残忍な弾圧で応答し、1989年には、アチェを「軍事作戦地域(DOM)」に指定(スハルト政権が崩壊する1998年5月まで)、その間弾圧は激化した。アチェ人男女・子供が、何千人も、殺害され、拷問を受け、「失踪」した。アチェは、恐怖と貧困が支配する地域となった。DOMのもとで、インドネシア政府官僚や軍人は、好き勝手に地下ビジネスに手を出し汚職に手を染めてきた。

スハルト政権崩壊後、アチェの人々は、初めて、テロと残虐行為の時代について証言をし始め、インドネシア及び国際的な注目を集めた。これに圧倒された当時のインドネシア国軍司令官ウィラント[1999年の東チモール住民投票時に、インドネシア軍と手先の民兵が破壊と虐殺を行なっていたときの司令官でもある]は、DOMの終了を宣言し、侵害に対して謝罪した。けれども、スハルトのあとを継いだハビビ政権もその後のワヒド政権も、軍も、アチェの人々が求めた正義と補償に応える手だてを取らず、人権侵害責任者を裁判にかける手だてを取らなかった。ウィラント将軍は、後に、インドネシア軍士官たちは「単に職務を果たしていただけなのだから」、アチェを巡る裁判には決してかけさせはしない、とまで述べた。

1999年と2000年には、一連のコード名を持つ軍事作戦が、地域の部隊、アチェ以外からの部隊、そして警察(特に残忍さで名高い警察機動隊Brimob)により行われた。1999年の前半にはいくつかの虐殺が犯され、数十名の人々が殺された。50人以上の人々が先生とともにムスリムの学校に出席していたところを殺害されたという一件の事件に対してだけ、24名の下級兵士が裁判を受けただけであった。被告は馬鹿馬鹿しいほど軽い刑を言い渡され、司令官たちは全く告発されなかった[1991年11月12日、東チモールでインドネシア軍が300人近くを殺害したサンタクルス虐殺の後も、かたちばかりのショー裁判が行われました]。それ以外には、軍と警察は完全に不処罰の状態で作戦を続けた。

エクソン・モービル(Exxon/Mobil)

1971年以来、アチェの天然ガスを搾取してきたのはモービル石油である。モービル社は1999年にエクソンと合併し、エクソン・モービルとなった。同社は、近くで液化天然ガス工場を運営するインドネシア国営石油企業プルタミナと提携して操業している。これらの施設は、軍により厳重に守られているが、その防衛にあたっている軍は、過去長年にわたり、工場の近くに住む村人たちに多数の人権侵害を加えてきた部隊である。2001年、工場近くに住む11人の原告のために、米国で、エクソン・モービル社に対して訴訟が提起されている。

GAMと市民社会の成長

インドネシア軍がますます信頼を失う中、武装抵抗組織である自由アチェ運動(GAM)が力をつけ、人気を増してきた。その部隊はアチェの全地域で活動し、様々な地域で、実質的に村や地方行政を統制している。

市民社会もまた成長を遂げてきた。特に、人権NGOや人道NGOは、人権状況を監視し、何万人もの国内避難民(IDP)に対して支援を提供してきた。多くのIDPは、GAMメンバーを標的とするインドネシア軍の掃伐作戦を避けて自分の家を逃れたものである。

1999年以来、紛争を平和的に解決する手段として、アチェの将来について住民投票を行うことを求める大きな運動が生まれた。

GAMとインドネシア政府の交渉

アブドゥルラフマン・ワヒド元大統領のイニシアチブで、インドネシア政府とGAMとの間で交渉が行われ、2000年6月「人道的休戦」が合意された。軍はこれに不満を抱いており、「休戦」の時期にも同じように殺害を続け犠牲者を増やしていった。現在、交渉は無期限に中断されている。

2001年3月にエクソン・モービル社が、月1億ドルの収入喪失と国際市場の喪失可能性を伴う操業停止を決定した後、弱体化したワヒドに圧力をかけた国軍は、2001年4月に「大統領指示」を出させた(これは2001年10月に更新された)。これは、アチェでインドネシア当局の行政を回復するための6項目からなる包括的な方策であることになっていたが、実施されたのは「治安」項目だけであった。2001年5月2日、新たな軍事作戦が展開され、さらに多くの兵士が投下された。対ゲリラ訓練を受けた部隊が投入されるとともに、ガス施設周辺の「防衛」が強化された。2001年だけで、2000人近くの人々が殺された。その大多数は民間人であった。

人権活動家が、主な標的とされた。2000年8月以来、軍や警察の狙撃部隊により著名な人権活動家が何名も暗殺され、事務所が押し入られ、沢山の人権活動家がジャカルタに逃げたり海外に逃亡した。これにより、独立の監視と調査は大きな打撃を被った。

ワヒドを追放して副大統領メガワティを据えるために、国軍は和平交渉の名残を全て破壊しようとした。最後の一撃は、バンダアチェ(アチェの州都)で、インドネシア政府と交渉にあたっていたGAMの代表5名が、2001年7月に逮捕されたことであった。この5名は釈放されたが、そのうち一人は「反逆罪」で現在裁判にかけられている。

メガワティ大統領

ワヒドと異なり、2001年7月23日にインドネシア大統領となったメガワティは、インドネシア共和国の統一を維持するとして、軍事行動を全面的に支持した。ワヒドの軍改革に抵抗していたメガワティは、軍内強行派の完全な支持を得ていた。2001年広範に、メガワティは、人権侵害を伴おうとどうだろうと、インドネシアを一つにしておくよう軍に命令した。交渉による紛争解決の望みは潰え、メガワティの「治安アプローチ」により、アチェは、全面戦争・死と悲劇が蔓延する中に置かれることとなった。

その後、2002年12月7日に「敵対行為停止合意」が結ばれたが、武力行為と人権侵害は止まず、インドネシア軍は、アチェで2003年5月19日、全面軍事作戦を展開し始めた。それから数日。アチェからは、インドネシア軍が英国製の英国自慢のホーク戦闘機[東チモールにも投下された]を投入して攻撃を行い、住民に対する虐殺が既に犯されているとの報告が入っている。また、偉大なるオーストラリアでは、ヒル上院議員が、「オーストラリア人とインドネシア人に対するテロ行為を防止するために、オーストラリア軍はインドネシア軍特にその特殊部隊コパススとの良好な関係を維持する」との、事実上、アチェ侵攻を擁護するメッセージを送っている[コパススは人権侵害で悪名を馳せるインドネシア軍の中でも最悪の記録を有するエリート部隊]。


緊急に出来ること:

ファックスでの抗議表明:

 ・メガワティ・スカルノプトゥリ大統領:010-62-21-345-2685
                   010-62-21-526-8726
                   010-62-21-345-7782
 ・駐日インドネシア大使:03-3447-1697
 ・文例
  Dear President Megawati Sukarnoputri / Dear Ambassador,
  I am gravely concerned with what Indonesian military is
  doing in Aceh. Please stop immediaterly the military
  operation in Aceh, and make every efforts to find a peaceful
  and negotiated solution to the conflict in the region.
  Sincerely yours,
  お名前・住所・署名

 ・日本政府川口順子外務大臣:03-6402-2551
 ・文例
  川口順子外相
  インドネシア軍によるアチェでの軍事作戦に憂慮しています。
  既に多大な人権侵害がなされたという報告がメディアで報じら
  れています。日本政府におかれましてはインドネシアへの最大
  援助国として、5月17日の和平仲介において示された努力を
  一層強化し、インドネシア政府に対し、軍作戦の即時停止と平
  和的交渉による問題解決を強く訴えて下さいますようお願い致
  します。
  お名前・住所・署名

 ・Exxon Mobil社:010-1-972-444-1000
  Dear Chairman Lee R. Raymond,
  I am gravely concerned with the current situation in Aceh,
  the reagion in which your company maintains a large presence,
  with your installations guaded by the same Indonesian
  military which commits atrocities to civilian population
  in Aceh.
  Please urge Indonesian government to immediately stop the
  military operation in Aceh, and contribute fully to the
  peaceful and just solution to the conflict there.
  I will keep close eyes especially on the human right
  violations in the vicinity of Exxon Mobil's installations
  in Aceh.
  Sincerely yours,
  お名前・住所・署名

今後の動向については、
 インドネシア民主化支援ネットワーク
 日本インドネシアNGOネットワーク
に対応が提示されると思います(多分)。そちらもご覧下さい。

希望が無いと考えてしまえば、確実に希望は無くなる・・・   


アチェについて知るための簡便なブックレットとして、Tapol著、南風島渉訳『暗黒のアチェ インドネシア軍による人権侵害』(インドネシア民主化支援ネットワーク、800円)があります(上記の解説はこのブックレットの「はじめに」と重なりがあります)。『東ティモール』『東ティモール2』(ともに明石ブックレット)とともに、簡単に読める本ですので、よろしければお読み下さい。国際的な構図についてもかなりわかるようになっていると思います。

なお、「益岡のページ」は、主としてコロンビア情勢を紹介するもので、新たな紛争や人権危機が起こる度に、それをすぐさま紹介することを意図したものではありません。イラク侵略に関しては、2003年2月の米国パウエル国務長官が安保理に提出した捏造・強弁からなる「証拠」を契機としてたまたま続けて紹介することになったもので、むしろ例外的です。一方、アチェについては、インドネシア軍が今回の大規模なアチェ侵略を進めるに至ったのは、東チモールでの人権侵害・破壊・虐殺を行なってきたその同じインドネシア軍が、東チモール人権侵害を不処罰のままやり過ごしても「国際社会」は何も言わないことで自信を付け、インドネシアの民主化を封じ込めたという背景があり、私自身の主活動領域である東チモールに直接関係するために、紹介するものです(しかも、今回のアチェ侵攻は東チモールの解放一周年記念と同時期に行われたもので、アチェの作戦には、東チモールの人権侵害に関与したインドネシア軍のアダム・ダミリ少将が参画しています)。

5月17日から日本で二日間にわたり行われた和平調停会議では、日本政府もEUも米国も、インドネシアにかなり自制を促したようです。けれども、インドネシア側には、一方で、米国が国連安保理も国際法も無視してイラクを侵略し不法占領して平然としており、日本政府がそれに嬉々として追従し、戦争体制作りを着々と整えている状況で、インドネシアにだけ自制を求めるメッセージは、真剣に取るには値しないものと映ったのでしょう。「暴力の連鎖」というと、多くの場合、「攻撃」「復讐」「復讐に対する復讐」・・・といった連鎖を指すようですが、現在行われている最悪の暴力は、「右に倣え」のかたちで、米国のイラク侵略、ロシアのチェチェン攻撃、イスラエルのパレスチナ虐殺、北朝鮮独裁の人権侵害、インドネシアのアチェ侵攻、コロンビアの人権侵害激化、日本の有事法制と、連鎖しているようです。

こうした暴力の連鎖の中で、おそらく日本語でこのページを読んで下さる多くの方々にとって最も身近なものは、現在、国会で強硬採択がなされつつある有事法制かと思います。これに反対するためのイベントはここにあります。首相官邸へ抗議のfaxを送る場合は 03-3581-3883 に、オンラインで意見を送る場合はこちらにアクセスして下さい。
  益岡賢 2003年5月23日

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