学校訪問

フランスからの来訪者(2) 
フランクとデルフィーヌが教室に来る! 


 

 

松 岡  勲 (1999・12・14)

子どもたちよ、ありがとう!

 12時40分頃、二人が柳川中にタクシーで到着。

 校長室で昼食。校長、教頭も加わり、談笑。校長は英語科教師でえらく乗り気。(私、この人と係争中なんですけど・・・うそみたい)1時に通訳をお願いした宗本さんが到着(彼女は私の息子の後輩)。コンピュータ室に詳しい同僚、Kさんとみんなでコンピュータ室へ。コンピュータへの接続、即座に完了。

 5時間目が始まり、私の担当クラス(2年6組)の生徒たちが来る。参観者は校長、英語科のKさん、となりの相談室のカウンセラーのAさんの3人。最初と最後に、練習しておいたフランス語の「こんにちは」、「はじめまして」、「さようなら」、「よいご旅行を」をみんなでやりました。スクリーンに投影された映像とユーラシア大陸の大きな地図をバックに2人の話が始まり、生徒たちは歓声をあげ、大喜びでした。その写真ももうできました。

 生徒たちの質問をいくつか。

 世界一周のコースについては先に送った通りの返答でした。

 旅行中にけがをしたかの質問には、デルフィーヌがモンゴルで乗っていたらくだが調子悪くなり、あばれて落馬(らくだから落ちるのはなんていうのだろう?)、10日ほどベッドに寝たきりだったとのこと。また、病気は中国でのひどい食あたりにあったとのこと。

 お風呂に入れるのですかの質問には中国、そして日本に到着するまで2回入ったきりとのことで、日本では毎日入れている。お風呂に入れなくとも平気とのことでした。2年も旅行するためのお金はどのように用意したのですかには、フランクが7年間、必死に働いてためたと答えました。(その他は後日、「個人ノート」に生徒の感想が出るので、またまとめます。私はカメラをとるのと、質問したそうな子に話しかけるのと、自閉症のT君を膝の上に抱いたりしてたもんで、正確に記憶できていません。) 
 
 フランクから「みんなは将来にどんな夢があるのか」という質問があり、「できるだけ英語で言ってみてほしい」との注文でした。ちょうど英語の時間に「My Dream」というスピーチをやっているので、二人がそれを英語でしゃべりました。Yさんは「将来、おいしいパンを焼き、パン屋さんになりたい」と、かなり長いスピーチをつっかえ、つっかえながら言いました。とてもかわいく感じました。なにせ、英語でしゃべることは大変ですし、「てれ」もありまから、その場で言えなかった子らから、「私の夢をEメールで送ってほしい」という希望があるので、フランクに後日に送るつもりです。

 最後に、「日本の歌を知っていますか」というNさんの質問に対して、逆にフランクから「日本の歌を歌ってほしい」と希望が出て、音楽の時間に習っている「歌をありがとう」をみんなで歌いました。会が終わって、握手をしてもらったり、英語でしゃべろうと二人の周りに集まってくる子たちがいて、最後になって「てれ」がなくなり、みんな大はしゃぎでした。子どもたちよ、ありがとう!

 フランクとデルフィーヌと宗本さんと今後の日程等について打ち合わせをし、大阪に行く2人と分かれましたが、2人は私たちにとって「まれ人」でした。本当にありがとう!

 先ほど宗本さんにお礼の電話をしたら、2人が京都の宗本さんの家に立ち寄っているとのことでした。なんとすばやい行動!宗本さんに子どもの感想のいくつかを英訳してもらうことになりましたから、これから世界を移動中の2人に交信していくことにします。
(12月2日)

小学校でのフランクたち


 今日で大阪でのフランクとデルフィーヌについての報告の最後になります。昨日(2日)午前の長谷川さんの勤務校訪問、今日(3日)の末広さんの勤務校訪問、私のクラスでのその後などを送ります。

 (2日午前、大冠小)

 11時頃よりコンピュータ室にて2人を迎える。2年生の長谷川さんのクラスの子どもたちが2人を歓迎するフランス語とスペイン語の言葉をカラフルに彩色し、掲示。練習したその言葉であどけなくあいさつをしました。画像を投影しながらの説明の後にたくさんの幼い質問が出たそうです。通訳は私の友人の平野良男さんでした(英語で)。フランクからの質問もあり、それに答える子どもたちをフランクがデジタルビデオに撮りました。「10日ほどの後にホームページにのせるから、見て欲しい」とのことでした。子どもたちの歓声があふれ出る一時だったとのことです。そして、柳川中へ移動。

 (3日、北大冠小)

11時頃より視聴覚室で6年生全員(3クラス)が画像を投影しながら、フランクから話を聞いた。この学年にはフランスから帰国した子どもがいるので、フランス語で話がされました。通訳は末広さんの教えた子(今は大学生)が3人。デルフィーヌは疲れが出たようで来れませんでした。(昨日、風邪気味のようでしたので、心配です)その後、子どもたちと給食を食べ(日本での給食の初体験を彼はどのように感じたのだろうか)、5時間目には6年生と縄跳びを楽しみ、サインなどをした後、2時頃に子どもたちと別れたたそうです。

私のクラスのその後

 今日、英語の時間にやったスピーチ「My Dream」を全員分手に入れました。一読しましたが、上昇志向のないのがいい感じです。フランクらにEメールで送って欲しいか聞きましたが、10人の子だちが「ぜひ送って欲しい」と言うので、打って送るつもりです。

 放課後、3人の女子に数学を教えて欲しいと言われ、教えていた時ですが、そのうちの1人が「なぜ送って欲しいと言えなかったか」を話してくれました。彼女の文章中の「日本人と外国人との間にコミュニケーション・ギャップある」という所を「between foreigners and we Japanese」と英語の先生に直されたそうです。しかし、塾の先生は「その表現は外国人には断絶を感じさせる」と言われ、「失礼かな」と思ったので、送って欲しいと言えなかったとのことでした。それで、よい訳を考えて、送ろうとなりました。彼女も考えているんだなと感心しました。もう1人の女子は美容師希望なのですが、英文が「baber」となっているのを気にしていました。これも直そうと、話になりました。「hair-dresser」に直しました。

 その後、学年でのテスト前の勉強会に出ましたが、うちのクラスの女子たちは「オールヴォワール」、「アンシャンテ」と口ずさんで、勉強していました。その1人が「昨日、聞きたかったけど、聞けなかったことがあるの」と言います。それは「2人は夫婦なのか、恋人どうしなのか」ということだった。(私も気を使って聞けなかったことですが、長谷川さんのところの2年生が質問したと後で知りました。「夫婦ではない」とのフランクの返事だったとのことです。恋人どうしか、いいな!)

 今回の2人の訪問を通じて、私のなかである「ふっきれたもの」があります。今の学校に転勤して2年目になりますが、同僚との間に違和感があり、一定の距離を持って接してきていました。しかし、今回、私の動きで人を巻きこむという陽性の方向への切り替えがスタンバイできたように思います。フランクとデルフィーヌに深く感謝しています。それと今回の学校訪問では多くの友人たちに助けてもらいました。人とのつながりの大切さを実感しています。
 今頃、フランクとデルフィーヌは移動中なのだろうか。デルフィーヌの体調は気がかりです。東京の方々、コンタクトをよろしくお願いします。東京からの報告を心待ちにしています。
(12月3日)

ヨーロッパとの学校間通信

村田さんから私の報告に対して、次のようなメールをいただいた。

 ごくろうさまでした。最初に,どうしようかと悩んでいたのがウソみたいですね。東京での受け入れ体制については,5日(土曜日)に相談して決めます。大阪での成果を生かしてうまくやりたいと思います。自信をつけた子どもたちに外国との(手紙、メール、FAXを生かした)学校間通信を呼びかけてみてください。相手はさがしますので。

 そして、私は村田さんのメールに次の返信を送った。

 今日は久しぶりに半日休暇で、昨日は遅くまでメールを打って寝ました。そうか!この後、「学校間通信」につなげるか。フランクとデルフィーヌの訪問からの波紋を学校間通信に結びつけるという発想はありませんでした。思い起こせば、10年前の「飛ぶ教室」で、イタリア、フランスの学校訪問をした後、当時の3年生の生徒とイギリスの学校との学校間通信の計画が村田さんの紹介で始まり、子どもたちが英文を作るとこまでいったのでしたが、私の英文が間に合わず、卒業させてしまいました。(当時の生徒の文章が今もさびしく眠っています。)10年前の中断を「Eメール」を使って復活するのはいいですね!まずは、フランクたちを追いかけて、子どもたちの文章を送ることにします。ぜひ、スペイン・フランス・イタリアのどこかの学校と、英文による交信ができるよう、学校を探していただけますようにお願いします。

 フランクとデルフィーヌの来訪について、村田さんから電話があってから20日間があっという間に過ぎ去った。彼らは私たちの前に現れ、さわやかな印象を残して走り去っていった。夢中になって、走り回って、気がついてみると次の風景が見えてきた。これから後、村田さんに紹介してもらう予定の学校との学校間通信の進行にそって、また、報告を送っていきたいと思っています。
(12月6日)

(追記)フランクらのプロジェクトについて

 フランクたちは12月13日午後2時にカナダに向けて飛び立った。その直後、黒川さんより「フランクらのプロジェクトについて」正確な情報がメールで送られてきました。大阪でフランクたちに会った時、言葉の壁があり、正確な情報をつかみきれていず、推測や誤りもあるので、黒川さんの情報を最後に追記します。(12月14日)

 フランクは現在31歳で、自動車業界で働いていましたが、7年目にして辞める決心をしました。その際ただ辞めるのではなく、元々好きだった旅行をすることにし、さらにただ旅行するのではなく、なにかできないかと模索。そこで思いついたのが、ホームページを開き、旅のレポートをすること。

 まずネット上で通信をすることを学校関係者に呼びかけたところ、フレネ運動の国際担当クリスチャン・レゴがすぐに反応してきて、クリスチャンがクラスで彼等のホームページにアクセスし、こどもたちが感じたことや質問を送り、フランクたちがそれに答えるという通信をすることにしました。

 それから政府(私たちはgovernmentという単語を使いましたが、おそらく文部省だと思います)、フランス・テレコム、東芝を説得し、援助を得ることに成功。どうやらこれは、学校教育にコンピューターやインターネットを活用するという政府の方針にぴったり当てはまったようです。フランス・テレコムは通信費を無料にしてくれ、東芝はモバイルを提供。

 そして彼等のホームページはフランス語、英語、スペイン語で表記されていますが、フランス語、スペイン語は彼等が書き、英語はやはりフランス内の中学校の生徒たちが英語の授業で英語に訳したものを載せているそうです。

 これら全ての準備に約半年かかり、いろいろな連絡の拠点として会社を設立して、彼等2人に代って連絡を取る人も雇ったそうです。

 旅のルートと日程はおおまかには決めているようですが、旅先で出会った人や物事に応じて、臨機応変に修正しているそうです。ホームページにはメール受け付けアドレスが書かれているので、メールで呼びかけられれば、その相手を訪ねたりもするそうです。今回の場合はクリスチャンから私たちの連絡先をもらい、彼等から逆にコンタクトがありました。

 旅を続けるに従って、彼等が通った土地の学校その他がホームページ上に登場し、自然とネット上でフランスとその他各地の学校が繋がっていくわけですが、これがまさしく彼等の意図するところで、この後1年ぐらいは旅行を続けるけれども、その後も継続してこのホームページを続け、学校で使われる生きた教材となるネットワークを作りたいのだそうです。こどもたちが直接アクセスし、通信をすることによって、教科書で学ぶよりももっと世界について興味を沸かせることができるはずだし、世界を知る喜びをもってほしいと熱く語っていました。また英訳の作業も、教科書での勉強より生徒のモチベーションをより高められるはずだとのこと。(ちょっとわかりにくい英語表現があるのも、まあ大目に見て)。

 今回日本にやってきたので、せっかくだから英語からさらに日本語に訳す作業をしてもらえれば嬉しいけれどとフランク。すると、ちょうど英語教員なので、戸田さんがOKの返事。彼女の授業でトライしてみるそうです。フランス語が出てから1週間後に英語が載り、その後さらに1週間後に日本語訳が出ることになるので、少し時差が生じますが、日本語訳が出たあかつきには、英語その他の言語の勉強にも活用できそうですね。

 と、以上が彼等のプロジェクトなのですが、この後、台湾経由でカナダへ飛び、アメリカ、南米、ニュージーランド、オーストラリア、東南アジア、インド、中央アジア、ヨーロッパというルートで旅行を続けるそうです。

 もし彼等に質問やアドヴァイスなどあれば、是非メールで送ってほしいと言っていました。

 またホームページはこども向けと大人向けの2本立てで、こども用は旅行先の一般情報などを載せ、大人向けには社会情勢や彼等の感じたことを載せているそうです。こちらもどうぞご覧ください!

 ところで、ホームページに出てくるIkoonのキャラクターは、わざわざデザイン会社に描いてもらったそうで、フランス語はこどもや友人たちと話す時に使う2人称単数形と、丁寧語として使用される2人称複数形とがあるので、2人称単数形で親しみを出したい時は、このIkoonに話しをさせるのだそうです。
(黒川素子)

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