有事法制反対ピースアクション

航空自衛隊のイラクからの撤退を求める申し入れ書
(2007年2月24日:<ノーモア南京>名古屋の会)

航空自衛隊小牧基地司令  浮須一郎様
航空自衛隊小牧基地の隊員・家族の皆様

 この2月21日、アメリカのチェイニー副大統領が日本に来ました。私も彼の来日反対で栄の街頭にたちました。「イラクには大量破壊兵器がある」「フセイン大統領はアルカイダを支援している」との情報を開戦理由としてアメリカとイギリスはイラクに一方的に攻撃を仕掛けました。その攻撃命令を発した責任者の一人です。チェイニー副大統領は安倍首相・日本政府に様々な要求を突きつけたことでしょう。@日米の軍事同盟を更に強化することA日本国内の米軍基地をアメリカ軍にとって更に使いやすくすること、加えて沖縄辺野古の新基地建設を進めることBブッシュ大統領のアメリカ兵21000名イラク増派決定によって航空自衛隊を現在以上にイラクに派兵し、決して撤退しないこと、です。
 翌22日の新聞報道によれば、イギリスのブレア首相はイラク南部バスラに駐留するイギリス軍7100人を数ヶ月で5500人にすると発表したという。夏までにさらに500人規模の追加撤兵あり、イラクでのイギリス兵死者は132人という。同じ紙面に、デンマーク政府はイギリス軍指揮下のバスラ駐留460人の兵士を8月までに撤退させるとありました。ブレア首相のイラクからのイギリス兵の撤退発表は2003年3月20日のイラク攻撃以後の歴史に置いて大きな転換点となるでしょう。
 アメリカ兵21000人が増派され首都バグダッドの武装勢力掃討作戦は70年前の日本軍による南京攻略戦の際限ではないかと思われます。武装勢力の掃討であればそれこそアリのはい出る隙間もないような包囲陣がしかれるでしょう。荘でなければ掃討できず、それこそ見境もなく殺戮が行われることでしょう。武装勢力・住民を制圧しアメリカ軍らは一時の勝利を得るかもしれません。しかしその「勝利」はまさに一時的な勝利であって、それは更なるイラク国民全体の反米抵抗闘争に火を付けることでしょう。ベトナムからアメリカ軍が追い出されたように近い将来のイラクからのアメリカ軍の撤退となることでしょう。
 「奢れるものは久しからず、ただ春の夜の夢のごとし」、ローマ帝国もモンゴル帝国も中国の古代王朝も滅びていきました。偽情報とマスコミを大同印紙たこのイラク攻撃は、当初アメリカ国民に支持されていましたが、あの「イラクには大量破壊兵器がある」との情報が捏造されたものであることが分かった以後、アメリカ国民はブッシュ政権への批判を強めていきました。昨年11月7日の中間選挙の結果はアメリカ国民の意思を見事に示しました。ひと言で言えば「アメリカの兵士をイラクから戻せ」ということです。
 「テロとの戦い」と危機を煽り、情報を操作して戦争に持ち込み、戦争でもうけ、占領と復興でもうけるというブッシュ・チェイニーの金儲けを世界の人々はきちんと見ています。アメリカ国民も兵士を犠牲者にして改めてイラク攻撃の意味を知りました。イラクの人々は多くの死傷者を強いられ、多くの建物を破壊され、何でもなかった宗派の違いが、一方のモスクの破壊を気に対立と憎悪を煽られ、分断されています。15年前の湾岸戦争の結果、劣化ウラン弾によって国土を放射能に汚染され、国の未来である子どもたちが小児がんにかかり医薬品不足で治療もままならない状態に置かれています。
 アメリカ軍が撤退しさえすれば3000年4000年の歴史を有するイラクのことです、復興はただちに開始されるでしょう。心ある世界の人々がイラクの復興に手を貸すことでしょう。今生涯となっているのはアメリカ軍の占領支配だけです。
 このイラク、イラク国民の復興の唯一の生涯となっているアメリカ軍のイラク占領の支援に航空自衛隊が使われています。小牧の航空自衛隊C130輸送機3機がアメリカ軍の兵員・物資を輸送しています。イラクと日本の友好にとって現在と近い将来の汚点です。
 アメリカ国防省、「国防」というなでイラクを攻撃選挙するという言葉のごまかし、自衛隊が海外であるイラクに派兵され占領に手を貸し、「自衛」とはかけ離れた作戦任務に就かされているごまかし、イラク復興支援という名目でアメリカのイラク「占領の手助け」をし、イラクの人々の本当の復興をじゃましている「復興支援」というごまかし、こんなことが長続きするはずがありません。アメリカのイラク占領にとって役に立つ航空自衛隊の輸送任務は、占領されているイラクの人々にとっては憎しみの対象となっても感謝の対象とは決してなりません。航空自衛隊のC130輸送機のバグダッド空港への平井が攻撃目標となることはあっても歓迎されることはないでしょう。今、ブッシュ大統領は強大な軍事力で持っても一国を占領支配できないことを世界の人々に実証してみせています。
 過ぎし1世紀にわたり、大日本帝国は1894年から朝鮮半島の支配をめぐり清国と争った日清戦争で勝利したけれども、1904年から中国東北部の支配をめぐりロシアと争った日露戦争で勝利したけれども、1932年「満州国」を建国したけれども、1937年中国の首都であった南京を陥落し占領したけれども、そして多くの中国の都市と農村を武力占領し、東南アジア・太平洋の島々を占領しました。占領された人々に決して平和をもたらさなかったし、占領した日本の将兵に一時的な勝利間はあったかもしれないけれど傷つき仆れた将兵もなお多くいました。1945年8月の敗戦によってすべての占領地から撤退し、皮肉なことに敗戦によって日本は平和を得ました。戦争で得たものが日本国憲法であり、とりわけ9条2項です。「国の交戦権はこれを認めない」このたった13文字が戦後の60年間、外国と戦争をせず、一人の自衛官も戦死することなく来ました。
 イラク攻撃を始めた一方の当事者であるイギリス軍も撤退をはじめるという。りくじょうじえいたいはすでに撤退しました。航空自衛隊がイラクにいなければならない理由はありません。航空自衛隊C130輸送機3機と隊員すべてがイラクの空からこの小牧の地に一刻も早く無事に帰還することを求めます。
 小牧基地司令と隊員のみなさま、そして派遣隊員の家族のみなさま、日本政府に航空自衛隊のイラクからの撤退を求めてください。

<ノーモア南京>名古屋の会

2007年2月24日  <ノーモア南京>名古屋


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