『最高裁長官殺人事件』

第一章 《お庭番》チーム出動

 影森智樹はいつもどおり6時半に目覚め、スイミングクラブが開く7時を待ちかねて入場した。

 朝食前の早朝水泳である。クラブまで自転車で飛ばすのもウオーミングアップとして勘定している。軽くストレッチ体操をしてからシャワーを浴び、すぐに泳ぎ始めた。

 プールの水は冷たくて心地良かった。適温である。冷た過ぎるのも困るが、暖か過ぎても、かったるくて調子が出ないものである。ウオーミングアップを済まし、いつもの50メートル・ハーフダッシュの練習にはいった。

〈このまま一気に、20本いけるかな〉と頭の片隅でつぶやきながら、智樹はクイックターンで身をひるがえし、両足で力一杯プールの壁をけった。

 泳法はクロール、自由形である。智樹が「20本」と考えているのは、インタバルと呼ばれる訓練法の本数である。この成城スイミングクラブのプールは25メートルだから、往復50メートルをクロールのハーフダッシュで37秒以内に泳ぐ。37秒に13秒のインタバルを加えた50秒を、1サイクルとも1本とも呼ぶ。これを20本続けるのが、このところの智樹の最高目標となっている。50メートル1本だけなら全力を出して30秒を切ることができるのだから、それより7秒の余裕があるハーフダッシュは楽勝である。しかし、それは最初だけのことで、まず全身が熱くなる。脈搏が早まる。力一杯呼吸しても息苦しくなる。だんだんと疲れが溜ってくる。ひとかきひとかきが、ますます重くなる。最後は精神力で泳ぎ抜く感じとなる。

 スタート台から見て右側のプールサイドの壁には、直径約2メートルの大時計がかかっている。真白の盤面に、鮮やかな青の分針と赤の秒針、同じく青の太線が5分兼5秒の刻み、赤い細線が1分兼1秒の刻みになっていて、泳ぎながらでも良く見える。秒刻みの練習には持ってこいの条件である。秒針の動きと体力の消耗状態を対比することができる。その瞬間の身体の調子が良く分かるのだ。

 泳いでいる間は、ほかのことをなにも考えないようにする。腕の伸び、掌の角度、太腿の振り、足首の粘り、顎の引き、腰のひねり、手の中指の先から足の親指の先まで全身に注意を払い、自分自身をしっかり掌握する。雑念を払って、自分自身を取りもどす心地が大切なのだ。

 

 前日は泳げないどころか、1日の会議終了後に夕食を取りながらの打ち合わせのうえ、ただちに最高裁長官公邸に赴く羽目となった。極秘の情報機関連絡会議《いずも》の定例会議の席上、最高裁長官が3日前から失踪という連絡がはいったのである。

 会議の場所は、霞ヶ関の法務省別館ホール。

 日時は、昭和Xデイ準備の噂が立ち始めた年の初夏……。

 もっともそれは、退屈な会議の眠気覚ましには持ってこいの刺激であった。

 定例会議はお偉方むけの儀式だから、実務サイドが居眠りをするわけにはいかない。自分の報告は終わってしまったのだが、残りの報告も畏まって聞いている振りをしなければならない。だが、1度襲いかかった眠気を追い払うのは容易ではない。仕方なしに、壁の飾り時計の針の動きをそっとうかがい、会議終了後の交通時間を暗算で確かめることで、気怠さをこらえていた。

〈時間どおり6時に終わってくれれば、このへんで食事を済ませて30分。帰宅中の1時間で胃袋は落ち着く。7時半に帰宅。5分で着替えてプールに直行する。1時間以上泳げる。結構、結構〉

 そのとき、少し前から中座していた内閣官房審議官の秩父冴子が、重い扉を静かに押し開けてもどって来た。

 悪い予感がした。

 案の定、冴子は、獲物を狙う雌豹のような目つきで智樹を見据えた。真っ直ぐにすり足で近寄って来て、耳元でささやく。

「影森さん。ご予定もおありでしょうが、会議のあとで緊急の相談があります。最高裁長官が行方不明だということです。どうでしょう。都合をつけていただけますか」

 そういう事態では否も応もない。軽くうなずくしかなかった。冴子は次なる獲物を目がけて、足音ひとつ立てずに歩み去った。

 足取りが異常に軽い。踊るように歩くのも道理で、学生時代には社交ダンスの選手権を取ったことがあるという噂の翔んでる女。ダンスの名手で司法試験にも合格ときては、気障の標本みたいな女流エリートである。しかも最近は空手修行で身体を鍛えているという。検事上がりで、法務省から内閣官房に引き抜かれた審議官。官房長官の補佐役、キャリアの女性官僚中では出世コースの筆頭。夫は弁護士で、娘が1人。家事はもっぱら夫と家政婦にまかせて男性官僚に負けず劣らず、夜の顔もつないでいる。40歳。智樹よりひと回り年下だ。

 列席者全員がもっともらしい顔作りを競っている秘密情報機関連絡会議の席をぬって、超々極秘の最新情報を耳打ちして歩く。正式の仕事ではない。いやいや、職業柄、こういうのが本命の仕事というべきであろうか。ともかく、秘密好きの冴子には打ってつけの仕事である。努めて無表情で平静を装っているのが、かえっておかしい。

〈いくら隠したって駄目だよ。ほら、腰が踊ってるじゃないか〉

 智樹は、冴子が絶好の題材にめぐり合って、心の底では時を得顔の喜びに浸っていると見た。耳打ちをして回っている相手は、いつもと同じ《いずも》事務局の選抜メンバー、通称《お庭番》チームの面々であった。

 会議の参加者で民間人の資格の者は、智樹のほかに、NTTとKDDの両社長室長、NHK専務理事と新聞協会理事長、日本民間放送連盟専務理事の5人だけであった。だが、NTT,KDD,NHKは半官半民の性格、新聞協会理事長は元内務官僚、民間放送連盟の専務理事は元郵政官僚の天下りだから、どちらも純粋の民間人とはいえない。智樹自身もそうであった。日本の官僚集団は、この種の秘密組織に純粋の民間人を仲間に加えたがらないのである。

 智樹は防衛大学校、略称〈防大〉を卒業し、しばらくは地方師団の部隊で勤務したのち、本庁の防衛局調査課で情報関係を担当してきた。調査隊別班の隠密活動も経験した。昔の陸軍大学に当たる防衛研修所の教官を兼務したのを最後に退官し、以来、山城総力研究所、略称〈山城総研〉の特別顧問という身分になっている。陸上自衛隊での最後の階級は二等陸佐、昔だと中佐の位であった。防大では3期生だったが、同期生が将官になり始めている。

 だが智樹の身分は単なる天下りではない。

 特別顧問の時折の仕事は隠れ蓑で、本命の任務は《いずも》のホスト・コンピュータを中心とするネットワークのお守り役である。山城総研は世界で最高水準の大型汎用機やスーパー・コンピュータを何十台も備えているし、次々に最新型を導入する資力もあった。《いずも》は内密に山城総研を通じて、日本全体の情報機関だけでなく、合法非合法に連結できる限りのコンピュータ情報のネットワークを築いているのであった。《いずも》の事務局にはKDとNTTも加わっており、盗聴防止のスクランブル暗号方式で守られた特別の秘密ネットを確保している。端末機器も特別誂えで製造し、常に最新型を先取りする高性能を確保してきた。愛称は《ヒミコ》。現在使用中のものは第七代目だから、正確な呼び名は《ヒミコVII》である。1台でパソコン、ワープロ、ファックス、マルチ機能電話を兼ね備え、画面は緊急時のテレヴィ会議にも使える。もちろん、《ヒミコ》シリーズは市販されるどころか、その存在自体が秘密にされている。

 もう1つの市場未公開の秘密はデータベース統合化ソフトウエア、略称〈統合ソフト〉である。方式の違う複数のデータベースを同じキーワードで一挙に検索できる〈統合ソフト〉は、すでにアメリカの大手データベース卸し業者などによって開発されている。だが、日本語で検索できるものは、まだ単一の製品の目途も立っておらず、通産省が4年計画の開発予算を準備中の段階であった。しかし《いずも》は商業ベースを無視した手造りの特注〈統合ソフト〉愛称《ワダツミ》をすでに完成し、極秘裡に使用していた。

 智樹は、これらの巨大な秘密ネットワークの誕生以来の事務局メンバーで、すべての経過に関わってきた。一般には、官僚が定期的な配置転換を避けるのはむずかしい。だが、秘密情報機関の性格上、誰かが文書記録を残さぬ組織と人脈のつながりを押さえていなければ、いざというときの仕事にならない。オンラインからはずして保持するような極秘情報の管理もある。智樹は、そういう陰の部分の支え役の一人となっていたのである。

 頃合を見計らって智樹も中座した。山城総研に直通電話を入れ、必要なときには助手役を引き受けてくれるサーチャーの原口華枝を呼び出した。

「はい、原口です」

「影森ですが……」

「あらッ、また緊急ですか。ウッフフッ……」

 華枝は、わざとらしく〈キーンキューウ〉と引き伸ばして発音した。

「そうです。キーンキューウです。済みませんね。最高裁長官についての個人データと、最高裁に関する資料リストが欲しいんですが。できましたら、うちのヒミコに入れておいてください。目を通してから、またご相談します」

「わッかりました。すぐ取りかかります。でも、たまには顔を見せてくださいよ。本人からの依頼かどうか確かめられませんからねッ」

「はい。努力します」

 原口華枝と軽口をたたいたので少しは気が晴れた。

 会場にもどると、新聞協会理事長が内心いかにも得意そうな口調で説明していた。

「恐れ多いことではございますが……首相からも私どもに、Xデイをまたとない天皇制への理解を深めるチャンス、国家に対する信頼確保の場としてとらえ、この方向でかなり大がかりな一大ページェントとしての展開を考えるように、とのお言葉がありまして、……〈崩御〉という表現で統一することにいたしました」

 昭和Xデイ対策の一環として重視されているマスコミ広報についての説明である。

「記者会見の段取りにつきましても、すでに宮内庁と大手マスコミ28社が所属する記者クラブが極秘の協定を交わしました。万々遺漏なきよう準備にこれ努めております」

 智樹の隣の席には、防衛庁調査課の後輩、徳島3等陸佐が座っていた。

 肘をつつかれて横目で見ると、配られた〈御危篤、崩御時に関する報道体制(案)〉のコピーの数ヵ所に赤線を引いている。そこにはすべて〈予め定められた記者・カメラマンとし、その他の方は、取材出来ません(A記章着用)〉というまったく同じ文句の注意書きが並んでいた。

 徳島は智樹の目を見て、ささやく。

「行コピー移動か文書合成、ミエミエですね」

 智樹も不謹慎に及ばぬ程度に微笑み返した。

 そのワープロ文書にも〈極秘〉のハンコの太文字が朱肉でベッタリ押されていた。この種の内部協定が外に漏れたことは何度かあるが、〈極秘文書の漏洩〉といえるほどの騒ぎになったことはない。騒ぐのは個人規模の出版社のミニ雑誌だけであり、協定の当事者の大手マスコミが黙殺するのは当然のことだからだ。

 Xデイ対策の準備状況についてはさらに各方面からの報告が続いたが、これまた、智樹にとってはいささかも新しい情報ではなかった。だがなぜか〈Xデイ〉というキーワードの刺激を受けて、智樹の脳裏ではチカチカと薄暗い記憶の連想が交錯し始めた。

 

 その朝、智樹は自宅を出てすぐの狭い道路の先に、うっそりと駐車している車を見かけた。

 灰色の乗用車だった。取り立てて珍しい風景ではない。だが、そのとき、運転席に座っていた黒づくめでサングラスをかけた男の背筋が、智樹が姿を現わした瞬間に、心なしかピクリと震えたような気がしたのである。その真新しい記憶がチラリと瞼の裏をかすめたと思ったら、今度は、10年以上も前に起きた事件の記憶が急にフラッシュバックでよみがえってきた。

〈なぜだ〉と智樹は即座に自問していた。

〈誰かがおれを監視しているのか。それはおれが知っている相手なのか。なにが目的なんだ。Xデイとどういう関係があるんだ〉

 隠密裡に、しかもことは急を要する。内閣官房審議官の秩父冴子が選んだ愛称《お庭番》チームのメンバーは、智樹のほかに、東京地検特捜部の絹川史朗検事と警視庁特捜課の小山田昌三警視である。格好良くいえば国家の危機管理に暗躍する秘密情報グループ。ありていに白状すれば権力上層部のスキャンダル隠しを承る下ばたらきといったところだ。

 打ち合わせの冒頭、いつものように最年長者の絹川が決まり文句を発する。

「さてさて、今度のマスターズ・ヴォイスはどの方面からでしょうか」

 この仕来たりの始まりは、一緒に手がけた事件で複数の注文主が混線したときのこと、

「確か……あれは、ヒズ・マスターズ・ヴォイスでしたね」絹川がとぼけた顔で妙なことをいい出したのである。「昔の蓄音器に、拡声器のラッパに耳を澄ましている犬の絵が貼ってありましてね、そう書いてあった。あれはご主人の声をレコードで聞くという意味なんでしょうね、私は特に調べたことはないんですが……。時々自分が下っ端の犬役人だということを痛切に思い知らされると、あの絵を思い出すんですよ。今は誰がご主人なんでしょうかね」

「あらっ。それじゃ私は蓄音器ですか」冴子は古めかしい用語の〈チ・ク・オン・キ〉を強調した。「絹川さんたら、またまたニヒルなことをおっしゃって。あまり突き詰めないでくださいよ」

「いやなに。ただのぼやきですよ。気にしない、気にしない」

 絹川はニヤリ。それで皆の気分がほぐれたので、以来、この言葉で注文主を確定する習慣がついたのである。

 これまたいつもどおり、冴子がクールなささやき声で受ける。

「はい。ご夫人が直接、最高裁事務総長に相談されました。事務総長から官房長官、法務大臣、警察庁長官、警視総監に連絡されました。それ以外に事件を知っているのは内調室長と検事総長に私たちだけです。総理には官房長官が、ということでした。実際の仕事は、私たちにまかされています」

 〈事件〉といっても、確認できる状況報告はそれで尽きていた。失踪前後の事情を関係者から直接聞かなければ判断のしようもなかった。今のところ、事情が分かる人物としては長官夫人しか考えられない。

 最高裁長官の身分は特別公務員で、首相と同格である。公邸は世田谷区の高級住宅街にあった。和風の広い庭園に囲まれた超一流、数寄屋造りのお屋敷である。だが、古めかしい門構えの内側には篠竹が密生し、町家よりも武家屋敷風の雰囲気が漂っていた。

 家政婦に案内された応接間の中は洋式の造りだった。はいると、夫人はすでに待ち構えていた。地味な和服をピシリと着込んだ古風な老婦人である。いっそのことそのまま、白鉢巻にたすきがけ、薙刀を抱えたほうが似合いそうな風情であった。

弓畠耕一の妻、広江でございます」

 夫人がそう名乗ったとき、智樹は『雨月物語』の亡霊にでも直面した思いで、背筋がゾクリとした。

 ハーフダッシュが10本を超え、智樹の注意力が散漫になった頃、その純日本風の妖怪のような姿が、プールの水の泡の中に現われては消えた。

「中年の女の声でした。2度とも同じです」

 極度に感情を殺した口調で、夫人は失踪時の呼び出し電話らしい声の主について語っていた。

〈中年の女〉がもう1人の亡霊だ。しかし、こちらは姿を現わさない。声も自分では聞いたことのない亡霊だけに、かえって不気味だ。

〈失礼、しばらくはご遠慮願います〉

 智樹は、再び心理を遮断した。あらためて全身の神経を集中し、水をつかみ直した。

〈1,2,3,4……〉

 ストロークを数え、秒針を読む。雑念を追い払うには、これが一番である。

 インタバル訓練の目的は、本来、中・長距離をほぼ同じ速度で泳ぎ切ることである。この訓練法は、マラソンで人間機関車といわれたザトペックの登場以来、スポーツ界の主流となった。筋肉を急速に使い過ぎると乳酸が溜まる。身体が鉛のように重く感じる状態になり、動きが鈍くなる。インタバル訓練によって、この状態がかなりの程度に軽減するのである。もちろん、筋力そのものも強まる。

 智樹の場合、40歳を越えてから水泳を再開した。最初は 200メートル自由型でなかなか3分を切れなかった。高校時代には2分10秒台で泳げた種目だから、いささかショックだった。それが今では、インタバル訓練の結果、50メートルのノルマ37秒を4倍して2分28秒の計算のところ、2秒切って、2分26秒台が50歳以後の自己最高記録となっている。400メートルでは、8倍の4分56秒よりいささか遅れ、5分10秒台である。

  800メートル、1500メートルと、長くなるにつれて平均速度は落ちるが、練習の効果ははっきり表われている。最近流行の年齢別競技会、マスターズ水泳大会にはこのところ毎回のように参加しているが、智樹の年齢グループ、50から54歳の中ではかなり早い方である。メンバー次第では、年齢別優勝の金メダルが取れることもある。しかし、自由型は参加者が桁違いに多いだけでなく、早い選手も多い。全国規模の大会で最高メンバーがそろうときには、3位に食い込むのがやっとであった。

 日本国内のマスターズ水泳大会では、採算が取れるだけの出場者数を確保するために18歳以上を出場資格とする場合が多いが、国際ルールは25歳以上である。しかるべきチームに所属し、週1回以上練習していて、それなりに健康であれば、申込者全員が泳げるように運営されている。競技は、5歳刻みの年齢区分によるタイムレースである。水泳連盟から公式記録証が発行され、入賞者には、1~3位に金・銀・銅、大会によっては以下6位とか8位までに同じ銅または、ちょっと差をつけた青銅のメダルが授与される。要するに大人の遊びなのだが、実際に参加してみると、次第に昂奮が高まってきて、いわゆるプレッシャーも大変なものである。人間、競争心や闘争本能は、何歳になっても変わらないものだと、痛感させられるものがある。衆目を集めるという状況も、刺激的である。有名なところでは、シャンソン歌手の白井雪子が65歳でマスターズ水泳大会に出場して、新聞種になった。あれだけ場慣れしていても、スタート台に立ったら胸がドキドキ、舞台よりも上がってしまったというのである。

 智樹も、そういう大会の参加を励みに泳ぎ続けてきた。メダルも数十個、金、銀、銅、青銅とりまぜて、引き出しに一杯溜まっている。ストレス解消、安眠確保、日々の退屈さを耐え抜くという当面の目的も、とりあえずそれで満たされていた。

 泳ぎ終わってサウナにはいると先客が3人いた。一番奥の上段には、風見達哉があぐらを組んで座っていた。

 達哉は智樹の高校時代の同級生で、水泳部の仲間だった。東大のフランス文学科を出て日々新聞に入社したが、宮仕えに不向きな性格で、10年ほど前に辞めてしまった。シナリオ、テレビ台本、小説からノンフィクション、各種調査報告まで、なんでもこなす自称〈もの書き〉、最近の呼び名ではフリーライターである。毎年1冊は単行本をまとめるほどの能筆なのだが、なかなかヒット作が出ない。だから、サラリーマン時代よりも収入が落ちており、いつもピイピイしている。

〈器用貧乏で山っ気がなさ過ぎる〉というのが友人間の定評である。その代わり、顔の広さは抜群であった。あらゆる分野に友人知人を持ち、情報ルートを張りめぐらしていた。「よう……」と智樹が声をかけると、達哉は黙ったまま表情を変えずに2度うなずいた。2人だけに通じる合図で、緊急の連絡を承知したという意味である。

 智樹が特別顧問として雇われている山城総研の親会社の山城証券は、証券界では随一の規模である。

 したがって、山城総研の主な仕事は上場会社の分析だが、外部からの研究依頼も引き受けており、独自に政策分析なども手がけている。世界的なシンクタンクとして名乗りをあげている手前、国際的フォーラムを主催するなど、採算を度外視した研究にも人手と予算を割いている。智樹の場合、雇われた経過もあり、仕事は隠れ蓑に過ぎないから勝手が利いた。たまに上司から直接頼まれる仕事も特殊な調査が大半で、ほとんど事務所には出勤しないで済む。自宅のヒミコによる通信と検索で大体の用は足りていた。急ぎの場合には華枝が手伝ってくれる。

 しかし、コンピュータは所詮機械であり、データベースに入力されていない情報は逆立ちしても得られない。ヒミコで割り出した情報源に、さらに足で直接迫る必要が生じる場合も多かった。達哉には、そういう場合の社外契約スタッフになってもらっていた。前夜に智樹が直接電話したときに達哉が不在だったので、ファックスでメモを入れておいたのである。合図は、その返事であった。

 達哉の運動能力は一応人並以上だが、智樹よりはかなり体力が劣り、水泳のスピードも遅い。高校時代もそうであったが、そのごの人生の差はさらに大きい。片や、規則正しく身体を鍛え続けた軍隊生活、片や、最も不規則な運動不足のジャーナリスト稼業である。

 だが達哉には、スピードだけに頼らない独特の楽しみ方があった。

 マスターズ大会で競技種目の穴場を探すのである。そして、〈金メダルは同じ品物だよ。家宝として伝えておけば将来は同じ値打ちさ〉などと涼しい顔を決め込むのだ。

 ただし、最後に残された穴場は、まさに泳ぎ抜くこと自体が苦しい種目となる。

 自由形でも、 200メートル、 400メートル、 800メートル、1500メートルと、距離が長くなるにつれて出場者が減る。消耗の激しい背泳やバタフライ、個人メドレーになるとさらに減る。特に、年齢が高くなれば、200メートル背泳とか 200メートル・バタフライ、 200メートル、 400メートルの個人メドレーは、泳ぎ切ること自体がむずかしい種目になる。大会によっては、それらの種目に40歳とか45歳以上の出場者がまったくいないこともある。50歳以上となればなおさらである。その場合、入賞は最早スピードの問題ではない。完泳できればよいのだ。

〈根性あるのみだよ〉というのが達哉の口癖で、金メダルもすでに十数個取っていた。最初は出場者1人の優勝。{ 頭脳戦だよ〉と鼻をひくひくさせていたが、最近の自慢種は、〈なんと関東地区で4人中の1位だよ〉になった。その年の関東地区大会では、200メートル個人メドレーに同一年齢グループから4人が出場し、達哉が見事優勝したのである。そこで、〈おれと同じことを考えるのが増えたけど、やはり、こちらに一日の長がある〉というのだが、裏を返せばどうやら達哉の〈壮挙?〉がスピードの遅い泳ぎ手を勇気づけ、進出を誘ったらしいのである。

〈マイナーリーグの結成みたいなもんだな〉というのが、そのときの智樹の冷やかし文句であった。