秘書の小部屋 2004.11

2004年11月25日(木)晴れ

シカゴから秘書あてに(木村書店経由で)お見舞いメールを頂きました。ありがとうございます。とっても嬉しかったです。

それに引き換え、編集長の強引愚昧ウェイなこと。昨日もしこしことお仕事に励んでおりましたら携帯にお電話ありまして、おや、この番号は病院だ、またしても編集長徘徊かいなと思って出てみれば、焦り気味の看護婦さん(看護師と言わねばならぬのですが、師では気分が出ない)が「退院しますっ」

ぎえっ。

「強引に退院するんですか」と反射的に聞き返す秘書。内心は(嫌だよ~やめてくれよ~)。

しかし、なんと先生から許可を取り付けていたのでした。(先生、退院させないでくれってあれほど秘書が頼んだじゃないですかあ)。

昨日お昼に様子を見に行った時も、秘書は忙しいんだから、出てくるな暫く病院にいろ、と言ったばかりです。あんまり秘書が機嫌悪かったもので、「迎えに来なくていい」と言っているようですが、そうはイカのリングフライ。焦ってぶっ飛んでいきました。

かくして、予想外のスピード退院。普通の人なら喜ぶのでしょうが、普通じゃない編集長が普通でない状態で病院から出てくる・・・ 

まったく手のかかるしょうもないオヤジです。せめて安静にして欲しいのに、明日26日は大事な集会があるから出かけるだとお・・・ 頭から塩を振って漬物樽に押し込んで重しをしておきたいです。秘書は、お父様亡き後、山ほどすることがあって田舎に帰らにゃならんのです。

それはそうと、シカゴさん。秘書んちのベランダは、1週間留守をしている間に鳩に占拠されまして、日々抗争に明け暮れております。

2004年11月24日(水)晴れ(秘書の心は暴風雨)

田舎から帰って以来、秘書は溜め込んだ内職とアホたれ編集長の入院騒ぎで、ほとんど徹夜続きで御飯も1日1.5食くらいの悲惨な生活を送っておりますだに、アホたれ編集長は神経を逆撫でしてくれますだ。

22日の月曜日、様子を見に行けば、病室に姿がありません。調べてみると、靴がないズボンがない上着がない引き出しには本日早朝のコンビニのレシート → どこへ行ったあ?!

病院にばれるとまずいので、探しまわることしばし、病院内を探しまわり屋上も見てコンビニを覗き直ぐ近くの市役所を覗き(2年前の入院の時は、抜け出して市役所内を徘徊していた)、いないだよ。図書館も覗いてみようとしたら、携帯に電話をよこしまして「今病院にいる」。病室で詰問すると「書店に雑誌を買いに行ってた」

あんたは入院患者だろっ!

おとなしくしていろ、と言いおいて帰って来ましたが、素直に言うことを聞くよな性格じゃありません。

昨23日は全国的に勤労感謝する日で巷は休日。因果を背負った秘書は、日の当たらない事務所でせこせことパソコン相手にお仕事をします。普段とまったくかわらない時間に出勤してみれば、へ?、昨日夜中に編集長がいた形跡あり。おのれ、馬鹿者めがっ、とかっくらしながら一心不乱にキーボードを叩いておりましたら、昼過ぎに、ぬーっと編集長登場。

何やってんですかあ! と思わず叫ぶ秘書

大事なことをしなくては、とかで夕方近くまで居座っておりました。取り敢えず病院に帰して安心していたら、夜、病院から、くたびれ果ててうだうだしている秘書の自宅へ電話。

「いないんです」

「靴と上着がないので外出したようなんです」と看護師さんもびっくりしますわな。「何時からですか?」と聞きますと、夕食の後とのこと。昼の外出はばれていない。この馬鹿オヤジと思いつつ「探してみます」。

探さなくたって、会社でインターネットしてるに決まってます。編集長、何やってるんですか、とどなりつつ、発見したふりして病院に電話して、「これから連れて行きます」、でどうにか落着しましたが、編集長よ、担当外の看護師さんに、「ボケ老人の徘徊」扱いをされたのは、自分で蒔いた種ですからね。秘書は知らん。

外出するなら許可をとれ。許可がないなら外出するな。

2004年11月22日(月)晴れ(人の心もしらないでピカピカと・・・)

疲れたあ~。なけなしの脳味噌がパンパンに腫れ上がって思考力ゼロでございます。少々振り返ってみましょう。

傷心の秘書が田舎から戻ったのが17日夜。留守電メッセージを聞いて腰を抜かしつつ電話をかけまくって(参考ながら16-17日の救急車の出動状況を調べることによって入院先が判明いたしました)、やっと病院に電話してみれば、「明日手続きに来て下さい」「どんな具合ですか?」「医師からでないと病状説明はできません」「明日何時にお伺いすればよろしいでしょうか」「面会は3時からです」

どうやら一刻を争う事態ではなさそうなので、ああそうですか、と電話をきりまして、ともかく溜め込んだ内職もケリをつけにゃならん、と翌18日朝お得意様へお伺いしているところへ病院から電話「退院すると主張しています」(もちろん困りきって電話してきたに決まってます)「すぐ行きます」

所は23区内の脳外科病院。担当先生の“編集長の饒舌にもう打つ手がない”といった表情をみた途端、こりゃダメだと思いまして、即刻退院。もちろん退院して済まされる状況ではありません。午後、毎度おなじみの病院に行くも、一人で診察室に入れたのが間違いだった。とうとうとお得意の演説を始め高説をぶちまかし点滴も投薬も拒否したらしく(詳細不明)、家へ帰って寝ているという結果になりました。

かくして亡者のごとき顔色でうろうろすること2日。自力で直せるもんじゃありません。20日に助っ人を呼んで、二人掛かりで診察室に入って編集長の演説を必死に止めた甲斐あって、やっとこさ入院にこぎつけました。二人が解放されたのは夕方近く。昼飯も食わず、疲れたよ~。

21日、様子見に行ってみれば、「元気になったから退院する」だとお。馬鹿こくでねえ。

本日、秘書は朝っぱらから「現病院」「市役所」「前病院」「内職先」「雑誌打合せ」「内職先」「病院」「内職」~と、分身が欲しいほどちょこまかしておりますです。

完治するまで、ぜえーったい、退院させません。

人の気も知らないで、この馬鹿オヤジ。

2004年11月19日(金)雨、秘書の心は湿度100%

お股あ~、じゃない、お待たせいたしました。お久しぶりでございます。

11月11日、かのアラファト様がお亡くなりになりましたが、秘書の父上も亡くなりました。まさか、と思っているうちにどんどん事態が進行しまして、夢をみていたようです。後悔ばっかりです。

初七日を終えて17日の夜に戻って参りましたら、お家の留守電がピカピカ。はてなんざんしょ、とメッセージを再生してみれば

ひえ~、編集長が入院しただと。「○○病院ですが来て下さい」ったって、病院さんよ番号非通知で電話しておいて電話番号も残しておかないってのはないでしょうに。その上焦ってメッセージを聞き直すつもりで消去してしまったので、病院を突き止めるのにどれほど苦労したことか。20本くらいの電話をかけまくったぞ。

ともかく

ばかやろー、どうすりゃいいんじゃい

2004年11月10日(火)晴れ

ご無沙汰いたしました。

秘書は一身上にちょいとありまして、年末のネズミの如くちょろちょろと時間の都合の着き次第、最寄り駅にすっ飛んで行っては特急に揺られて着いたらその駅から5分の病院にまたすっ飛んでいく生活を送っております。

親族に少々具合の悪いことがございまして、親戚中が押し掛ける事態になっております。事物の道理で先に生まれた人間が先に逝くとは分かっておりましても、いざ自分の親族のことになると、奇跡を願うものですなあ。

やりかけの内職を大急ぎで片付けて、「深窓の新装」じゃなかった「真相の深層」の組版もせにゃならん、と焦りまくっているのですが、今日も編集長は裁判にお出かけ。(つい先日は市議会陳情の陳述にも行ってました)。確認せにゃ組めないのです。良きに計らえ、と言われても、編集長の頭の中身と心づもりなんぞ、凡人秘書には分かりゃしません。全部組んでから、原稿差し替え組み直し、って言われたら、今度こそは(も)秘書はブッちぎれますだに。

醤油の仕込み樽に落ちた気分の秘書、暫く音沙汰無しになるです。

2004年11月1日(月)曇り

我が社のアホたれ編集長は本日も趣味の裁判に精を出しております。人様の趣味をとやかく言う立場に秘書はございませんが、おかげで近頃ホームページがほったらかしです。

「生活と意見」とかいう偉そうな名前の「日記風」は、いつの間にか亜空間通信の焼き直しみたいになったな、と思っているうちはまだマシでした。本日現在、4月からただの1行も書いておりません。

我が社の原点たる「雑誌憎まれ愚痴」なんぞは、週刊から月刊になってまた週刊にするぞと言いつつ月刊のままで、それも書き下ろしの原稿が途絶えたもので、秘書が勝手にこねくりまわして、言い訳みたいな代物をでっち上げていたのですが、もう限界。

興味の赴くままインターネット世界を駆け回り、次から次へとお題を発掘してくるので、やりかけのまま埋もれた事物は数知れず。迷路でもがいているところへじゃんじゃか後足で砂をかけられるもので頭に血が上ってしまった秘書が、こっそり変なページをこしらえてリンクしているのにも気が付きません。

編集長や、あなた様の大事なホームページにくだらないネタが埋め込んであるでよ。ちょっとやば気味の写真も入っているでよ。はよ、目を覚まさんかね。乗っ取られるでよ。

と、いう秘書のぼやきなぞミミズの地鳴きも同然。

今日の裁判は何でしたっけね。動員かけるのはいいけれど、結果報告くらいせんのかね、このオヤジは。