秘書の小部屋 2003.12

2003年12月31日(水)晴れ

あと数時間で本年も終わります。とりたてての感慨はございません。思えば前世紀末からいろいろとあり過ぎまして、このまま無事におさまる訳がない、と皆様先刻ご承知でして、ただ、口にしてしまえばそれまでよ、なので、とりあえず澄ました顔をしております。

21世紀が輝ける未来だったのは、前の世界大戦直後の幻想でありました。世の中、文明が進歩しても、文明を司る人間そのものは太古の昔とさして変わっておりませぬ。となれば、凶器が進化した分犯罪が悪質になりました。

先日信州の山の中からお友達が上京して参りまして、田舎はいいよお、と秘書の頭に吹き込んで帰りました。秘書は田舎者ですが、田舎暮らしのできる人間ではありません。お友達に、来年の夏は避暑に行く、と約束しましたが、3日で音を上げること確実です。

東京の片隅でごちゃごちゃ暮らしていて何が面白いか、と真剣に考え始めると、昼から日が暮れる気分になります。多分秘書は一生東京から離れられないでしょう。人はパンのみにて生くるにあらず、水も飲まにゃならんのですが、さらに厄介なことに清浄な空気だけでもだめで、健康にとてもよろしくない汚濁も必要なのであります。

秘書の業は深いのであります。

取りあえず、今年もお世話になりました。
どちら様も、来年こそは木村書店の本をお買い上げくださるよう、お願い申し上げます。

2003年12月30日(火)晴れ

お仕事してますよ~ん。某団体の会報をせっせと入力しております。清く正しく美しい中学生の作文です。それによると、税金というものに「何の意味があるんだ、などと文句をいってはならないのである」そうです。そして「喜んで税金をおさめるようになりたい」そうです。ナントカ所長賞を取る中学生はやっぱり秘書なんかとできが違って、とっても立派です。文句垂れ秘書はとてもかないません。

2003年12月29日(月)晴れ

世間様はお休みに入ったというのに、秘書は31日までお仕事(内職)をいたします。忘年会で全部ぶちまけちゃったみたいで、気分が非常にさわやかなのが救いですが、歳の暮れまで狭い社内で編集長とご一緒というのはどうかと・・・

2003年12月27日(土)~28日(日)晴れ

秘書はお友達と忘年会をいたしました。ついついストレスが吹き出したようで、プッツンいたしました。目が覚めたら、なんでだか、よそんちの居間のお布団の中におりました。どうやって潜り込んだか記憶がございません。なんかやらかした気がします。勿論、絵に描いたような二日酔い。

ああああーっ

2003年12月26日(金)お天気はなんだったかな・・・

今日も仕事をやる気がしませんです。尺取り虫みたくパソコン机を移動しておりますと、巨大なハエたたきが振り落とされます。うわあ~止めてくれ、と叫んだところで目が覚めました。居眠りしてちゃいけませんな。

2003年12月25日(木)雨?

へらへらと楽しい毎日を過ごしておりましたら、バチがあたりました。内職のお呼びが掛かりまして、納期は「正月開けでいいよ」とのこと。具体的には何日でございましょう、とお聞きしますれば、1月の5日でいいよ、と申されます。これ、即ち正月も働け、ってことでございますね。へえへえ、仕事があるのは喜ばしいことです。(それにしても・・・ああ)

しかし、ちいともやる気がしません。紅茶入れたりビスケット齧ったりゴミ箱ひっくり返したりする合間の気晴らしに、預かった原稿のうち、データ有りの分を開いてみれば、ワードにエクセルにパワーポイント、作成者の苦労がありありと伺えるファイルが作ってありますなあ。もっと簡単に作ればいいものを、何を血迷って複雑怪奇なデータを作りたがるのじゃ、世間の皆様は。ま、しかし、ちょちょいと手直しして見場良くすれば金になるというのは、有難い商売かも。この分は明日やろうっと。

秘書のモットーは、明日でいいことは明日にすべし、です。

2003年12月24日(水)晴れ

本日秘書は東京地方裁判所に行ってまいりました。と聞いて、某社のオヤジ共と同じ勘違いをなされませぬように。

いよいよ出頭か、とか、しっかりお務めして来いよ、とか、阿呆だれを抜かすでありません。社会科見学にまいったのです。

秘書の同居人のお友達の物書き修業者が某月某日思い立って裁判傍聴に行ったところ、これが実に面白くて・・・という話を同居人に致しました。面白い、というのは「可笑しい」の面白いではなく、「興味深い」の面白いです。15分位の裁判に、様々な人生模様が、徳用昆布ダシのごとく、ぎゅっと凝縮されているのです。

どこぞの小学校の社会科見学の団体と一緒だったそうで、それはそれで結構な公民教育なのですが、引率の先生はどこに目がついている、強盗強姦裁判の傍聴を小学生にさせてどうする、とお友達は思ったそうです。んまあ。

阿呆だれ秘書と同居人は、前夜、裁判所のホームページを覗いて首を突き合わせて、この殺人未遂はどうだ、いやこっちの準強姦は、と不謹慎極まりない合議をしたのでした。

さて、秘書はヤクザな稼業をしておりますもので、勤務時間などというものはとっくに消滅しております。仕事があれば日曜祭日も働きますが、休みたければ休めばいいんです。といって、真っ当な勤労者の方々が羨む必要も余地もございません。世の摂理にのっとって収入も働きに応じておりますゆえ。

同居人は営業職でありますから社を出てしまえば融通がききます。示し合わせて裁判所で落ち合って、地下の食堂でお値段に見合ったランチをいただき(ここで味に文句垂れるのは身の程知らずってもんですぞ。マキシムへでも行ってごねなさい)、傍聴券を頂いて法廷へとむかったのです。

初体験ゆえ、うろうろきょろきょろしていると、職員が「こっちですよ」と教えてくれるのですが、裁判所に入る時に荷物のチェックがあったのに、また法廷前で、今度はボディチェックをされました。手をあげて開いて、荷物を見せて下さい、携帯にカメラついてませんね・・・ 見るからに善良そうな秘書はすぐ済みましたが、同居人は念入りにやられていましたね。わははは。

待ち合い室で開廷を待っておりますと、ん? 視線を感じます。ふっと視線を上げると、向こうが目をそらします。視線をずらせば今度は別の方が目をそらします。いらっしゃるのは50~60代のただのおじさんおばさんじゃなさそうな方々。しかもみなさまお知り合いの様子です。あきらかに秘書と同居人は場違いです。

裁判が始まってみると、これが、いきなり「パリで」とか、「ウィーンからデュッセルドルフへ」とか「西ヨーロッパ脱出」「ストックホルムの番号」、他にも東ベルリン、ベオグラード、ソフィア、バグダッド、と話が何ですか、これは。「1974年の8月10日にあなたは・・・」と弁護士が証人に質問をしています。

日本の裁判は長いと聞いたけれど、そんな昔のことを裁判しているのか、とお口があんぐりしかけたところ、でました。「日本赤軍・・・」

げっ、そういう事件だったの。

秘書も同居人もやっぱりお馬鹿だと再認識しまして、1時間20分経過したところで途中退廷しました。30年前の事件で今捌かれて、いえ、裁かれているのですね。俗人秘書はちょっと切ないです。しかしまあ、30年前の何月何日に誰と会って何をした、とよく覚えているものですね。30年前と言ったら、秘書は存在そのものが、まだ生命神秘の深い闇の中でしたぞ。

ボカッ(嘘をつくんじゃない、と殴られました。訂正、歳を少しサバ読みしました)

ヴォカッ(少しじゃないだろうが、と張り倒されました。四捨五入すればたいして変わりゃしないものを・・・)

秘書には何のかかわりも義務もございませんが、「ハーグ事件」に関わった被告「WH」氏はお元気そうでありましたことを、お伝えしておきます。

他に、覚醒剤関係を2件、恐喝を1件傍聴してまいりました。3件とも暴力団絡み、2件の奥さんは内縁。たった3件で決めつける訳にはいきませんが、犯罪のパターンを見た気がしました。1件は弁護士が官選なのかやる気に疑問あり被告人の反省の言に真実味なし裁判長に得心なし、ありゃきっと執行猶予なしの実刑だぞ、後で同居人と討議をしました。

巷はクリスマスイブでも、被告人は暗雲に塗り込められているのでしょう。秘書みたいなやじ馬の目にさらされるのを自業自得と言うのは、ちと辛いです。

2003年12月23日(火・天皇誕生日)晴れ

ふと気が付きましたら、一週間が経っております。はて、わたくしはどこで何をいたしておりましたのでしょう。とんと記憶がございませぬ。こういう時は後から法外な請求書が回って来るものです。払える金額でありますように・・・

編集長の講演も無事済みました。忘年会のシーズンですので、ほぼ連日夜遊びに精を出されておるようで、パソコンにむかってはこっくりこっくりやっておられます。書くぞ!と高らかに宣言した本がちっとも進みません。年賀状もまだほったらかしです。きっと今年も間際でじたばたするのでしょう。秘書を巻き添えにしての大騒ぎが目に見えるようです。

毎年、賀状にいろいろ詰め込むんじゃない、とご忠告申し上げるのですが、毎年、老眼に喧嘩を売っているような、微細文字ギッシリの文面を作り上げます。来年こそは、すっきりくっきりとしたいものです。

なぜ、秘書は本日休日出勤をしているのでしょう。人生は色々なのです。ああ・・・ 人間が黄昏れてくると言訳が多くなります。

   師走に 溜め息つく 能書き大明神(字合わず 多々野 木瓜茄子)

2003年12月17日(水)晴れたよね

世情の不安を反映して、秘書極めて体調不備でございます。こういう時に何故か内職の口がかかります。金になる、と思えば多少無理もいたしますが、何故に心臓がバッコンバッコンする。その手のお薬とは無縁だぞ・・・

2003年12月16日(火)雨だったかな

近頃、赤色灯を点滅させたパトカーが、巷をよく流しています。朝も昼も夜も見ますので、ほぼずっと見回っているのでしょう。ちんたら歩いている後ろを、ゆっくり来られるのは気分のいいものではありません。

思い出しました。オウム真理教が世を騒がしていた頃も、パトカーが流しをやっておりました。あの頃は赤色灯はつけていなかったような気がします。

その頃ハードな宮仕えで、毎日が過労死予備軍だった秘書は、体もきついがストレスも溜まりまくっておりまして、夜の巷を意味もなくふらふらしておりました。ファッションは上から下まで黒づくめ、頭はほとんど出家の過激ベリーショート、鬱屈した気分を反映して、目は焦点が合っておりません。何も持たず、厭世的に通りをのたくって歩いておりましたら、なにやら気配を感じます。振り向いてみますと、パトカーが速度を合わせて後ろをついてまいります。

ばかやろー

と、叫べば良かったと思います。きっと逮捕されたでしょうが、とっても気分が悪いのはスカッとしたでしょう。後からもっと不快にさせられたかもしれませんが。カッターナイフを持っていただけで信者が捕まっていた頃でした。

今回は、「テロ」対策なのでありましょう。戦争に加担するのが悪いのであります・・・

2003年12月15日(月)晴れ?

災害は休刊日知らずにやってくる・・・ フセイン元大統領捕捉事件はどうなっているのかね、と思いましたのに今日は朝刊がありませんでした。

2003年12月14日(日)ぴっかぴかの晴天

秘書のお友達のエツ子さんは、よくよく編集長に縁があると見えて、あちこちで遭遇しては、ひえええと身を隠しているそうです。街頭演説の最中などに見つかったら最後、半径100メートルに知らない人のいなくなる位に名前を連呼されかねません。

やあ! そこを行くは二又商事の看板娘のエツ子さん。膏薬社長は元気かねっ、とか・・・

嫁入り前の娘としては、それはあんまり嬉しくないです。なのに昨夜も遭遇しました。電車を降りて、ふいと前を見れば、あれま夜遊び帰りの編集長がおるではありませんか。遊び過ぎてお疲れとみえ、とっとと階段を昇ろうとせず、車椅子使用で止まっているエスカレーターが再開されるのを待っております。使用停止の鎖が外された途端に乗っかりまして(まだじゃないの、とエツ子さんは思ったそうです)ずずずずーっと上方へ運ばれて行きます。

じゃ私もと思った瞬間、エスカレーターが急停止したとお思い下さい。物理法則に基づき、編集長はあえなくスコンとさかさまに転がりました。

さあ大変、瞬間湯沸かし器と化した編集長が大沸騰します。責任者出せっ!担当大臣呼んでこいっ!たるんどるにも程があるっ!!!!!!

とエツ子さんは思わず顔面を覆ったそうですが、こわごわ指の間から覗くと、シーンと静まり返っております。くたびれて面倒くさくなっちゃった編集長は、恐縮しきっている駅員にバンドエイドを貼って貰ってさっさと帰っちゃったそうです。

これぞ題して師走の奇跡。

あはは、と馬鹿笑いをして電話を切って、どれテレビでも見ましょとスイッチ入れましたら、あれええええ~、なんだなんだ某富士テレビが番組表にないニュースをやっているではありませんか。ええ~、写っているこのむさ苦しいおじさんは誰だっ。

フセイン元大統領だっ。

心臓に良くないことはやめてくれっ、と一人で騒いでおりましたら、某tbsテレビも番組を変更してニュースに突入・・・ もう嫌だあ。

2003年12月13日(土)ハレハレ

秘書が極道OLをやっておりました時の下らない話です。

建設会社に就職した筈が、ぼったくり金融に化け、債務者の事業に口出しして印刷屋になったりファッションメーカーになったり、とまあしょうもないことばっかしまして、ついには、ワシは食い物屋をやりたかったんだ、うまいもの食わせてやろうぜい、と社長は焼き鳥屋になっちまいました。さんざん人を食い物にした後で、なあにが食い物屋ですか、この食わせ者。

とにかくこの社長、常識なんぞ○○食らえ、の阿呆だれでしたから、店の名前も一筋縄じゃございません。口にするのも憚られる、オ○○コと○○タマをくっつけて○○○○にしちゃいました。やめてくれ~。

さて、店の売り上げは事務員秘書が管理いたしておりました。ド阿呆社長は他の人間を信用しなかったのですが、秘書が、こんなド阿呆の金に手をつけるものか、と意地になっておりましたからでもあります。だって、給料の他にむにゃむにゃ出すから、と毎日迫られてみなされ。好みでなくても嫌いではない、というレベルが、あっという間に、一億貰ったって嫌だよ○○ったれ、にグレードアップするものです。乙女というのは、そういうもんなんです。世のスケベオヤジどもよ、よく覚えておけっ・・・ととと、そう言う話ではございません。

毎日秘書は近くの銀行に通帳持って入金にいきます。その頃は小銭が混じると窓口に差し出しておりました。銀行は某多分一流銀行のダイヤマークです。窓口のお姉ちゃんは、ぴかぴかのブリッコ、アイドル風です。手続きが終わると、お客の名前を呼んで返してくれます。

このお姉ちゃん、最初は通帳を手にして絶句したようですが、さすがは一流の客商売、にこっと笑って社長の名前で呼んで下さいました。おのれ、社名を呼ばんかい、などと秘書は腹の中で毒づいたりしません。社長の名前も、金尾取三みたいな、あまりお上品とは言えない名前でした。

当時、社長は自ら包丁を握って、レバ刺しをスライスなんぞしておりました。この阿呆だれ会社を辞めて相当経って、少しはお利口になった秘書は、ある日ふと気付きました。豚の生肉って寄生虫がいるから食べちゃいけないんだ・・・清浄豚じゃなかったぞ・・・ 当時、仕入れ伝票に牛レバーの記載はございませんでした。

当時のお客様へ、相済みませぬ。この場を借りてお詫びいたします。

2003年12月12日(金)曇り

我が社には、縄文人だか泥縄人だか旧石器だか新鉄器だか知りませんが、とにかくいにしえ人が数多生息しておりまして、大人しく石をぶつけて矢じりでも作っていればいいものを、マウスなんぞを握りましてはクリッククリックをしよります。

御存じのように、パソコンは力で押しまくってどうにかなるものではございません。なのに・・・ 何故言うことを聞かんのだ、こいつらは、と今日も響くよ罵倒と怒声。秘書は火星に逃げて行きたいのですが、むんずと襟首を掴まれまして、無料インストラクターに転職させられます。

できの悪い生徒は、巷では指導料をカモれますが、我が社内では秘書のストレスが溜まるばかり。今日も、メディアプレーヤーで、さるサイトの動画を見る設定をして差し上げました。ちっとは感謝して欲しいものですのに、○務省の馬鹿どもが小細工をしよって、と切れまくっておりまして、ついに爆発。とうとう出ました、やるぞ宣言。

確保したこの写真を我がサイトに載せるぞっ!!

へいへい・・・

2003年12月11日(木)雨

忙しいだなんだとうだうだ抜かしおって、編集長が日記を書きません。よって、かねてよりの構想にもとづき、『随時追加「編集長日記風」木村愛二の生活と意見』のタイトルは、『時玉追加「編集長のネジとクダとトグロ」巻きオダ揚げ風』に変更させて頂きます。ふんっ。

今日はとっても寒いです。毎度のことながら毎日が“この冬一番の寒さ”更新中。秘書の住む外れ東京は、ことによると雪らしいです。秘書のいる部屋もすきま風がすーすー。酸欠の心配がないのは有難いのですが、身も財布も底冷えします。

とぶちぶちつぶやいておりましたら、ほれよ、と出ました電気行火(あんか、って読んで下され)。下に置いて足をのっければ、ぽかりぽかりと幸せが昇ってきます。生きてるっていいな・・・

にっ、と経理部長が笑いました。それね、今期のボーナス、現物支給だよ、って。

おい、まて、いつからあんたそんな冗談を言うようになった。確か、謹厳実直巧言令色少仁が売りだったよな。不況は人格をも破壊するのか。

と秘書が色をなしましたら、お前が一番性格が悪くなった、と逆襲されました。生きていくのは辛い。

(色をなす(作す)の意味を取り違えませんように。辞書をお引きくださいまし。秘書は清純派です。)

2003年12月10日(水)晴れっ

本日は地元市議会において、編集長が陳情陳述を行います。お題はえーと確か・・・ゴミ関係でした。前回、手違いがあって、一言も喋らせてもらえなかった編集長がぶっちぎれちゃったもので、今回はまあ、先方もいろいろと気を使ったようです。

いつの間にか話がどんどん大きくなる編集長の性格を、議会担当者はよく御存じの筈なのに、前回は抜かりましたね。あの時喋らせておけばそれで済んだのに、今回は地元のゴミ問題が地球規模の環境問題に発展しております。

その一環として、ンコ、シッコを有効利用せいだと。勿論正論です。あんたの言ってることは正しい。正しいけれど、秘書がお昼のパンに、粒粒の混ざった茶色いイチジクジャムを塗りつけている側で、でかい声で、ンコ、シッコを連発しないで下されっ。カレーうどんを食べてるときに回虫の話をしているようなもんですっ。

資料だ、といってインターネットで見つけた糞転がしの写真を拡大コピーして持っていくそうです。糞転がしことスカラベ、エジプトの王家の印章にも使われている高貴な虫だそうです。それ即ちンコ、シッコが大事なものであることの証左・・・

分かりましたから、糞でも何でも転がして下さい(土地とか女はダメです)。

2003年12月9日(火)晴れ

戦(第二次世界大戦のことです)前は真っ暗けの暗黒時代じゃなかった、という話を山本夏彦氏の本で読みました時には、ぼんくら秘書は、へえええ~、と感心したものです。氏曰く戦前戦中といえども市民の日常生活はあった、暗黒史観で塗りこめるのは間違いである(うろ覚え)。

考えてみれば、そりゃそうです。どんな時でも人間は寝て起きて食べて飲んで恋をして愛を交わして子どもを産んで、と太古からの営みを続けてまいります。人がいる限りどん底でも底が抜ける程笑うこともあります。恋していれば空腹も忘れて互いを貪ります。大きな不幸より目の前の小さな幸せが、人を時の流れに乗せて運んでいきます。

でなければ、秘書も貧乏ライフを楽しんでいられません。

それなりに面白可笑しく日々が過ぎていきます。

日本軍がイラクに戦争に行くそうです。後から振り返れば、2003年の12月9日に日本国民の運命が決まったと分かるのでしょう。教科書には、日本の参戦により世界情勢は云々・・・と書かれるでしょう。その頃日本が存在していればの話ですが。

白昼夢は頭を殴られても醒めません。

2003年12 月8日(月)晴れ

秘書は金縛り体質です。少々体調が悪い時にお昼寝をすると、確実にかちんかちんになります。

秘書は少々心臓の弱い、小心者体質でもあります。

刺激は極力避けておりまして、例えば秘書はコーヒーを殆ど飲みません。よそ様へお客に行って出されれば、手をつけないのもなんですから、ミルクをたっぷり入れて近頃は砂糖も山盛り入れて頂きますが、通常はお紅茶なんぞを愛飲しております。

近頃各方面からこき使われることが多いもので、睡眠が不足気味でございまして、毎日眠くってかないません。津波のような眠気に襲われましたある日、たまりかねまして、編集長のコーヒー粉を少々失敬して密かに飲んでみました。

効っく~

まるで覚醒剤みたいにお目めがぱっちりします。こりゃいいわい、と毎日飲み続けておりましたところ、夜お布団に入ってさあ寝ましょう、という段になって心臓がどっきんどっきんしまして、夢の国へお出かけするどころでなくなりました。うっかり寝ると永遠にお休みしそうです。こりゃいかん、とコーヒー粉を頂くのを止めましたら、おさまってまいりましてホッとしました。

懲りたもので、寝酒も極力控えております。

さて、秋も深まり銀杏のシーズンです。誰が拾ってくるのか、汚い銀杏が、こともあろうに湯沸かし室の流しに放り込んであります。秘書がお昼のパンを捏ねる場所なのに許せない・・・ さっさと始末しろ、と眺めていても、いつまでたってもそのまま。仕方ないので秘書が、くっさい思いをしながら、キレイに洗い上げました。すると、次の日もその次の日も放り込まれています。秘書がするものだと思い込んでいる人がいるようです・・・

気がついたら編集長がフライパンを振り回して銀杏を煎っておりました。おのれ~ 

文句を言ってもカエルの面にダブル洗顔泥パック、効果を期待するほうが無駄というもの。煎りあがった銀杏をちょろまかして缶カラにしまっておくほうが利口です。その煎り銀杏をおやつにムチムチと頂きます。銀杏はアルカロイドを含んでおりますので、沢山食べてはいけないそうです。10粒ずつ食べるとして、ムフフ、2週間分あるぞ・・・

銀杏の薬効を御存じでしょうか。

秘書の場合、即、来ました。アルカロイドの作用で心臓がばっこんばっこん、もありましたが、別の方面の薬効が・・・ 強壮、精力増進、しかも速効性だそうです。

その日、かなりおくたびれの秘書は早退なんぞをしまして、おウチでお昼寝をしました。お約束のように金縛りがやってまいります。むぎゅっと重たいものがのしかかります。大抵は鬼みたいな顔した巨大観音が胸の上に立っていたり、凄まじい形相の婆様が並みの体して3トン位の重みでおぶさったりなのですが、今回はその、あの、重たいことは重たいんですが、人間の形をした適度な重みでございまして、それも女じゃないみたいでして、全身真っ黒けののっぺらぼーなんですが、別に顔なんぞなくても肝心な所さえあれば、へのへのもへじでもいいんですが・・・ なんでこういうことになるんでしょうかね。医学的にはどういう説明がつくのでしょうかね。睡眠障害プラスむにゃむにゃ・・・ ま、楽しかったですが・・・ 低俗サイトに指定されそ・・・

2003年12月7日(日)晴れ

イラク情勢のついでに秘書もどんどん深みにはまっていきます。情報蒐集だの分析だのは、秘書はようしませんが、スペイン語の記事が~、フランスの週刊誌が~、アラブの新聞が~、と編集長が雄叫びを上げます度に、はいはいスペイン語を英語にすればいいんですね、はいはい鎖につながれたアヒルならここにいますよ、アラビア語の翻訳サイトはこれじゃけにさっさと登録せえ・・・と召し使われるのであります。

翻訳サイトを探しておりましたなら、ふっふっふっ、面白いものを見つけました。日本語から日本語への翻訳ができるサイト・・・ ふっふっふっ、何だ詰まらないと思ったら、人生重大な損を致しますぞ。

その名は、大阪弁化フィルタ http://www.yorosiku.net/yan/osaka.html

秘書の日記のURLを放り込んでみたら、阿呆にピカピカ磨きがかかりました。あー脇腹が痛い。

2003年12月6日(土)晴れ?

たらりんこん、と「まぐまぐ!」を覗いてみまして、ログインしてウチのメルマガの部数を調べてみれば、あれ~何の間違いでございましょ~、部数が、部数が・・・

倍以上に増えております。400部近く増えております。後から、すみません、あれは間違いです、とかメールが来ませんでしょうね。

これだけ増えると「まぐまぐ!」の来週の「部数増加ランキング」に載ります。上位の8000部増には比べるべくもありませんが、400部ったら好成績であります。期末テストの結果が壁に張り出されて、トップ10に自分の名前を見つけるより嬉しいです。

ここに載るのはやっぱ面白いマガジンが多いようです。お暇でしたらのぞいて見て下さいまし。

その中から「転送大歓迎!どんどん友達に転送して下さい! m(__)m 」というので早速ご紹介。

「男を磨く~思考力改造のアメリカン・マニュアル」(←マガジンタイトル)

2.気をつけよう、そのひと言が命取り
  ~ バーベキュー・グリル ~

結婚して16年になるカップル。
ある休日の午後、仲良くガーデニング、、、のはずが、、、
夫:「おい、お前も太ってきたな~。お尻なんかスゴイぞ。
   あのバーベキューグリルほどあるんじゃないか?」
妻:「...」
─ 証明しようとメジャーを手に取り、グリルと妻のお尻を測る夫。
夫:「う~ん、思ったとおり、ほとんど同じサイズだ。」
怒った妻、ガーデニングをほっぽり出し家の中へ。
その後一日中、夫とは口もきかずに過ごす。
─ その夜...
ベッドに入ると妻にすり寄る夫。
夫: 「なあ、どうだい? いいだろ?」
─ 寝返りを打ち、冷たく夫をあしらう妻。
夫:「どうしたんだい?」
妻:「わたしが、ちっぽけなソーセージ1本のために
   このでっかいグリルに火をつけるとでも思ってるの?!」

2003年12月5日(金)雨?

OL秘話秘書編2。

昔の話なので、記憶が多少少々多々曖昧なのはご勘弁を。暴力金融の参考書を書く積りもございませんですし。

強制執行するには執行官が必要です。裁判所を定年退職した方々がおやりだと聞きました。

さて、この執行官の方々も、仕事とはいえ、大抵の場合がぼったくり高利貸しの片棒を担ぐのですから、葛藤というものを生じいろいろと鬱屈する場合もあるようです。事務員秘書があたったのも、苦悩を面に刻み多分胃痛を抱え込んでいるであろう痩せこけた執行官でした。八つ当たりでよく苛められましたが、同じ悩みを抱え込んでいる同士ゆえ事務員秘書はえへらえへらと受け流しておりました。

何度かご一緒しましたが、ある日、執行官様は、書類の些細な不備を発見されまして、こんなんじゃ差し押さえできない、とご気分を大層お悪くされて帰ってしましました。できないったって、融通きかせろよオイ、とは思いましたものの、笑う鬼と執行官様には逆らえません。

このまま帰れば、あの強欲淫欲社長に○○味噌に怒鳴られまくる。責任取れっ、と迫られる。ひょっとして貞操の危機?! さあ、事務員秘書どうする。

実は、暴力団と刑事がいつの間にかくっついてしまうように、事務員秘書も、借りたアンタも悪いがぼったくるウチの社長が一番悪い、ってんで、債務者に同情的になってしまっておりました。

そこでひそひそ、債務者と口裏合わせをやります。執行官がごねて帰っちゃいました、も一遍手続きとりま~す、と。債務者も取りあえず目の前の差し押さえが延びるんで文句はつけません。あ~、思い出すだけで疲れる。

ある日、この執行官様、手続きが済んだ後、判子を押す段になってポケットから丸い朱肉を出して、これどっかからガメて来ちゃった、と、恥ずかしそうにニコっと笑って告白したのでした。

2003年12月4日(木)今日も晴れだ人生長い

ヤクザ、と書いて思い出しました。以下OL秘話秘書編。

秘書は振り出しは銀行員というと、信じられない、と言われます。信じる人は救われるという話をする積りではないので、どうでもいいんですけど・・・

某田舎では県下屈指の超優良企業・銀行に就職しましたのに一年ちょいで「つまんな~い」と辞めまして、まあ親が嘆きました。思えばこの行動が今日の貧乏を生んでおります。立派なアホタレでございましたな。

それからいろんな仕事と職場を見て参りました。ある時、とにかく就職しないとヤバいという状況になりまして、職安で引っつかんだ求人カードの建設会社に紛れ込みました。秘書の大嫌いな事務職ですが、ちっと我慢すれば済む・・・

この会社、なんでだかいつの間にか高利貸しになっちまいました。利率は俗に“といち”と呼ばれるぼったくり。借りにくるのは、まともな所では借りられなくなった火の車疾走群。借りて返せる当てがありません。担保を取って身ぐるみはいじゃうのが狙いです。

ヤなことをやりましたな。その時のバチがあたってるのかも。裁判所に差し押さえの申請して強制執行して競売に立ち会って・・・ これは仕事でやってるんだ、と自分に言訳しました。今思えば最低のヤロー、じゃない事務員です。その時の反省から、以後は、これはやっちゃいかんと思うことは、社長命令でも逆らうようになりまして、それがまあ、失業につながりまして・・・

その時のお客が他の高利貸しと何かをトラブりまして、会社にどっかの組からびんびんと電話が掛かるようになりました。明らかにヤクザな口調で「そこは何だ」と聞かれますもので、事務員秘書は「事務所です」とアホ草を食いながら応対しておりました。

その時は気がつきませんでしたが、「事務所」というのを、あちらさんは「組の事務所」と受け取ったのでした。

何度電話掛けてきても、話があるならこちらに来いと言え、と言われておりますもので、「事務所においで下さい」と言い続けました。

ある日、○○の○○の親分といういかついお方がやって参りました。どっかと椅子に座って幅を利かせて睨み付けます。その世界ではカッコいい振る舞いなのでしょう。男のロマンと聞くと、頬張った飯を吹き出したくなる秘書にとっては、笑っちゃいかんが鼻がひくひくするもので大変困りました。

問題は、社長。とんでもないド阿呆で、若い頃ヤクザと争って日本刀で袈裟懸けに切られた傷を背負ってたりします。仕事の合間に口説かれるんで辟易しましたが・・・ カッコつける親分を“この馬鹿たれ”呼ばわりして襟首を掴んでつまみ出しちゃいました。

大揉めになるかと思ったのですが、その後音沙汰なし。あの親分というのが偽者だったのか、あるいはド阿呆を相手にしても仕方ないと思ったのか、あるいは昔の行状を知ったのか・・・ 

いずれにせよ、あの会社の事務員秘書は嫌なヤツでございました。関係の皆様のお目に留まることはありませんでしょうが、この場で深く反省していることをお伝えいたします(ペコッ)。

2003年12月3日(水)晴れ

朝起きた瞬間、脳味噌を間違って生ゴミと一緒に出してしまったようないや~な気分になりまして、朝御飯があんまりおいしくなくて、おかわりが二杯しかできませんでした。経験からすると、こういう日はよろずの事物がよろしくありません。

てれりんこ、と出勤してくる途中で気がつきました。

本日の秘書ファッション:ズボン茶セーター緑ジャケット赤 → 歩くクリスマスツリー。

おえっ、なんちゅう格好してるんじゃい、と思いましたが、着替えに戻るのもかったるいです。じーっとジャケットのファスナー引っぱり上げて緑を隠しましたが、なーんか珍チクリンです。おかげで仕事に身が入りません。

だもんで、以下最近読んだ本から丸写し(鎧を着ている男たち、笠原和夫)

 やくざの喧嘩は、「男」という商品を売るための宣伝合戦みたいなものだから、実質的な打撃を与えるよりも、うまく見せ場を作った側の方が得をする。
「戦争はペンの代わりに剣を用いる政治の継続である」
 というクラウゼヴィッツの言は、やくざにとっても真理である。
 だから――。
 意気込んでたった一人で相手の一家に殴り込みをかけたら、向こうの方が柳に風でちっとも修羅場の雰囲気にならない。そのうち、
「なんの用で来たんだ?」
 と訊くから、返事に困って、
「飯食いにきた。飯出せ」
 と答えたら、本当に飯の支度をした。
 こっちは殴り込みのつもりだったから、腹一杯詰め込んでいる。しかしここで「食えない」と泣き言を言ったら負けたことになるから、我慢して食ったら、「お代わりを」と言って、向こうだってそのつもりだから、これがまた山盛りにドンブリ飯を出しやがる。
 とにかく死に物ぐるいで食ったが、あんな苦しいことはなかった――。
 というような、森の石松みたいな話も実際に起こるのである。

(徳間書店、1987年)

2003年12月2日(火)ピカ晴れ

気がつけば12月、師走でした。また一年が終わっちゃいます。今年は長かった気がします。小心者の秘書にとってはびくびくドキドキの一年でした(まだあと29日残ってますが)。

阿呆だ馬鹿だチョンだ、と日頃言われる秘書ですが、世の中もっと大馬鹿がいるとこの一年に思いました。しかし、大馬鹿の方が知恵が回って金も持っててやりたい放題ができます。秘書は、頑張っても小利口にもなれない、救いがたい衆生であります。特製五衛門風呂にぬくぬくと浸かっておりましたら、ちと熱くなってまいりました。

さて、我が社の師匠は一年中走り回っておりますので、時々勢いがつき過ぎて止まらなくなっては壁に穴を開けかけたりします。

某日も某原稿へ、「しゃらくせえ」と、お下品なことをお書きになりますもので、もっと品良く書いて下さいましとお願いしましたところ、あいよっ、と言いつつ、「しゃらっくせえ」と1文字追加して、秘書が目を点にしかけましたらば、にやりとしつつ、もう1文字追加しまして

「しゃらっくせえぞ」

おい、まて、と言いたく口をあんぐり開けましたら、何をなさるのじゃオヤジどの

「しゃらっくせえぞっ!」

とは、あんまりでございますが、すっかり失念しておりました秘書の負けです。左と言えば直進、上へと言えば地下室へ、止まれと言えば頭から突っ込み、やれと言えば駄々を捏ねる、この度しがたい性格を。信ずる道を行くがよい。

2003年12月1日(月)雨

緊急事態ゆえ、本日の裁判傍聴は取り止め、と編集長がパソコンにかじりついております。裁判とは、例の百人斬りです。この、声のでかい(態度もでかい)おじさんが来なくて、関係者はさぞかしホッとしていることでありましょう。ナムカラタンノトラヤーヤー・・・

イラク関係の情報が錯綜するので、秘書如きには事態がさっぱりわかりません。編集長の頭の中には壮大なストーリーが組み上がっていて、一々が合致していくようです。よって、今日も新聞社や外務省やら防衛庁やら某筋やらに取材兼抗議兼講義の電話を入れまくっております。

それはそれで、おおいに結構行け即効帰りは黙考なのですが、お願いですから、秘書部屋の窓ガラスをビンビンさせないで下さいまし。割れたらガムテープで貼って下さるのでしょうが、夏ならそれも風流でしょうが、底冷えのするこの季節には願い下げです。

秘書は頭がスースーします。後頭部がメンソレータムをこってり塗ったみたいに、じわんじわんと冷やっこいです。お脳の血管が切れそう、あるいは詰まりそう・・・

頭が冷えるからだと気が付きました。編集長と違って、秘書は、わざわざ頭を冷やす必要なんぞございません。偽毛皮のコートを羽織って衿を立てて首を暖めて、ああヌクいぞえ心地よいぞえ・・・

と、そこへいきなり入って来た編集長(ノックくらいせんかい)、おーっ、と声を上げます。

出会え皆のもの、タヌキがおるぞ

声がでかくて、やかましいんだよっ。