秘書の小部屋
2009.11

  青筋たてて怒るうし  

んもう~(まったくう~)

大人の水疱瘡日記
突発性難聴

2009年11月30日(月) 曇り

血を吐くiMacだとか言われて画面が真っ赤っかになったまま編集長に見捨てられていた、iMac DV G3が復活いたしました。

リストア、再インストール、ノートン先生受診など何をやっても改善せず、オークションで売っぱらう訳にもいかず、どっかにモニターが余ってたらつないでみようかな~、とか言っていたあのiMac DVです。

落ち着いていろいろ考えていました。リストアすることないです。再インストールでいい筈です。順を踏んでやれば・・・

どういう順を踏むか。まずゼロフォーマットします。そして9.0をインストール。その時点でノートン先生に診てもらいます。これは、OS Xがとにかくインストールしたらアクセス権の検証をしないとダメ、ということから思いつきました。

それから、9.1へ9.2.1へ9.2.2へとアップデートするたびノートン先生にお願いします。

と、ここで、今までのミスも発見。どうしたことか、この貧乏会社にシステムワークスが2個あります。2.0と3.0です。3.0はこれを使って10.3.9をへろへろにしてしまったので(バージョン対応している筈なのに)VirusVarrierにとってかわられてお役御免となりました。

だもんで、ついつい新しい方がいいだろう、と3.0の9.2対応版のノートン先生にiMac DVがお世話になることにしましたのです・・・

今回パッケージをしげしげ見ましたら、あらら対応OSが9.2.2ですと。再インストールしたばかりでは9.0です。それから9.1、9.2.1を経て9.2.2になるのです。わああ、今まで対応してないバージョンで診断しちゃってたのね、だから・・・と今になって気づきました。遅いけど気づいただけまし。

というので、しこしこアップデートしては2.0ノートン先生に診ていただき、またなにかソフトを入れる度にもおいで願い・・・診ていただく度に結構「重度エラー」があったりして、今までは重度なまま放置していたので取り返しのつかない事態になったのですね・・・と勝手に納得してとにかくもろもろを最新バージョンに上げて・・・「真っ赤っか」じゃなくて「ピンクがかった」画面にまで回復しました。

とにかくこれで使おう。画面は判別できるのだし、としばらく使い続けました。

そして、ある日。

ブラウザを立ち上げたら、いきなり綺麗な画面になりました。おおおーっ。奇跡じゃ。

そしてこの奇跡、一時的かと思ったら、その後ずっと続いています。おおおっ。何が起こったのでしょう。iMac DV、ういヤツじゃ。iTunesもインストールしてかわいがったるぞ。

(多分電圧の関係だと思います。ボロ会社の電圧自体が安定して来たような・・・秘書部屋の、壊れた様子はないのに点灯しなかった蛍光灯がつくようになりました。)

2009年11月27日(金) 晴れ

我が社の座敷狸の風呂入らず記録更新中・・・

どうしましょうかね。どこかへチクりましょうかね。チクってどうしましょうかね・・・

考えても仕方ないことは考えないようにしましょう、それが正しい処世訓であります(ほんとかね)。

さて、「本を出す」と声高らかに宣言されてからどんだけ待たされたか、いい加減忘れちまいそうな「新しい本の原稿」がメール添付で届きました。というか、メールで送るのにどれだけ秘書の手を煩わされたことか。

まず、秘書のアドレスが分からない、ですと。ばっかもん、ちゃんと入っているわい。何度もメールを送って来たのをお忘れですかい。

お次は何度言ったことか、某編集長はMac Jeditで原稿書きしますが、こちらはWindowsで処理します。そのまま送られたのでは 改行コード が違うんです、変換して下さいまし。

で、届きました。なんで段落が変わる度に1行空きにするんでしょうね、一括削除するわけにもいかないし、ぶつぶつぶつ・・・とワードに取り込んで直して、ざっと組版ソフトに流しました。

ワードで眺めているうちから予感はしていたのですが、

分量が足りないよっ

あんだけ待たせておいて、本文が20ページですかい。あと70ページはおまけ資料ですぞい。

なにが「カール・マルクスの大罪」ですか。これじゃ

「カール・マルクスの軽犯罪」

じゃい。「カール・マルクスの条例違反」じゃい。せいぜい「立ち小●」じゃい。始末書で済む微罪じゃわい。即刻書き直せっ。

と秘書、切れ上がるのは当然ですわな。すると、御仁、なんと申したか。

「適当に書き足しといて」ですと。あのなあ、そりゃなあ、あの悪文スタイルを真似ることくらい訳ないわい。けどなあ、罪をでっち上げるような真似はしとうないわい。

ここで、はたと気がつきました。今、このやる気のない御仁に何を言ってもだめ。大罪は棚上げすることにして、まずきちんと文章を書く習慣を見につけさせなければ。ホームページをほったらかしにすること約2年、その間に文章を書く習慣が絶滅しています。

というので、ブログをつくりました。ぜ~んぶ、お膳立てして、後は記事を書くだけにして渡しました。どんなことでもいいから毎日更新するように、と言い聞かせました。返事だけは立派でした。さあ、どこまで続くかな。

勝手に作ったタイトルとプロフィール。酷いとは思います。直したくなるよな酷さです。自分で直せと言ってあるけれど直すかな・・・

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できたてのほやほやですので、検索にはまだ引っかからないと思います。ココログです。

2009年11月25日(水) 雨のち晴れ

連休が終わった後はお約束のように仕事が重なって入りまして、ふうう、ちょい忙しかったです。と言っても今年の年収はまた去年を下回りそうな勢いなのですが・・・

通りがかりに見た、小料理屋かな?の新規開店の募集の張り紙には「時給850円~」とありましたから、世の中全体が収入低下傾向にあるようです。去年より少なくても入ってくるお金があるだけマシだ・・・(と思いませう)

さて、四十九日は無事というかやっぱりというか、それなりに終わりました。今回初参加の人もおりまして、すっかり終わって自宅で茶なんぞを飲みながら言いますのは「愛嬌のあるお坊さんだこと」。

はて、70過ぎた坊様のどこか可愛らしいか。

それはですね、5年前のお父様の時も法要の最中けつまづいてスリッパでおっとっとをしたり木魚叩くバチを取り落としたりだったのですが、今回は法要の最中に袈裟の裾で七本塔婆を引っ掛けて倒して下さいました。こちらはもう慣れっこなので「そうきたか~」で済ませたのですが、初参加の方は目が点になったらしいです。

いろいろ片づけるのは四十九日が終わってから、の筈でしたが、せっかち揃いの我が一族は「明日親戚の人が来るのに家の中が散らかっているから」という理由をつけて四十九日の前日に模様替えをいたしてしまいました。

どたばたどたばたソファベッドを物置き部屋から客間(実質お母様の洋服やらいろいろなもの置き場になっていた)に出し、客間にごたごたあった大小様々の引き出しを物置き部屋に移動し、お仏壇が新しく巨大化して居間に鎮座して圧迫感があったので、隣り合わせの本棚やら電話台を動かして納まりよくしました。一安心。

安心してそのままおとなしくしていればいいものを、勢い余って階段下の倉庫まで開けて「明日親戚の人に持って行ってもらえるものを出しておこう」と石油ストーブ3台を引っ張りだし、ついでに中身もを全部だして片付け。

なにやってるんでしょうね、つくづく。

で、法要が終わったら早速、「これは要らんかね」を始めまして、かなりの分量を捌きました。形見分けだかガレージセールだか分からんでし。

で、親戚も帰ったあと、残ったメンバーで今度は細かいところのお片づけ。いやあ、ゴミが山のようにでましたぞ。勢いづいちゃってるもので、本棚の中のどうでもいい本や町内会の古い総会資料や20年前の公共料金類の領収書だとか。それらにこだわりのある人が亡くなってしまったのですから、学術的に貴重な資料でなし、残された人間にはゴミでしかありません。

(もちろん、お父様の日記とかご先祖様の古い書類とかは保存してあります。戦争中に亡くなった先祖の香典帖や外地動員された際の書類なんぞは大事大事にしまい込みました。)

お母様は昔はさっさと物を捨ててしまう人で、秘書は大事な物をあっという間に捨てられて悲しんだことが多々ありますが、晩年はなんでもかんでもしまい込んでいました。新聞折り込み広告に「永久保存版」とあれば内容がなんであれ大事にしまっておく。郵便受けに勝手に投げ込まれるフリーペーパーもしまっておく。市報も全て綴じてしまっておく。実にばらばらあちこちにしまっておくだけで一切読みませんでした。

思うに、何が大事か判断ができなくなっていたのだと思います。そんなんですから、大事なものがどこにあるかわからなくなる。あれがないこれがない、といつも探し物をさせられるのにうんざりした秘書が整理しようとすると、「捨てては困る」と必死に抵抗されました。

もう捨ててもいいですよね。

ところで今回の整理でつくづく感じたことがあります。人間の二分類法には「男と女」「貧乏人と金持ち」「やせとデブ」とかいろいろあるけれど、そこに「箱遺伝子」の有無を加えるべきです。

「箱遺伝子」とは何か。それはですね、人間、本来の用が済んで空いた箱を捨てられる人と捨てられない人とに分類できるという法則。

箱遺伝子を持っている人間は、空き箱は勿論、袋や缶、壜などもなかなか捨てられません。勿論その人なりの基準を満たした物件に限られるのですが。この類いの人間は概してお金を使いたがらない、古いものが好き、高価なものでも己れの基準に合わないものは欲しくない・・・という傾向があります。

持っていない人は概ねその逆だと考えてよろしいでせう。

そして、お母様は箱遺伝子の持ち主でした。大小様々の箱が引き出しやタンスにしまわれ物入れに使われていました。綺麗な包装紙を貼ったものもありました・・・

実はこの遺伝子、しっかりと秘書に受け継がれています。

今回は秘書がお母様の箱をかなり処分しましたが、捨てたのは「材質が悪い」「作りがちゃち」「デザインがよくない」など、秘書の基準に合わないものばかりです。好みの箱は今後ほかの親族に安易に捨てられないよう、ちゃんと重要物入れの機能を持たせてしまってきました。

そんなしょうもないところに気を使うのは「箱遺伝子」のなせる業なんでしょうねえ。

2009年1月20日(金) 晴れ

ご無沙汰いたしております。いっそこのまま消えてしまおうかと・・・いうのはつまらない冗談。笑いものにもなりません。

さて、明日はまた実家に行きます。明後日がお母様の四十九日だからです。親族がお寺に集まって有り難いお経をあげてもらって納骨をいたします。その後は行きつけのお店でどんちゃん騒ぎ・・・じゃなくてお坊さんを上座に招いて仏様(亡きお母様)に陰膳そなえて会食です。

しかし、ま、お葬式の時も、わが一族は声高らかに談笑するどころかアホな思い出話で馬鹿笑いまでしていたのですから、なんとも罰当たりです。しんみりめそめそしたって、死んだ人は面白くないだろ、っていったって。

四十九日は厳密に言えば、お母様の場合は11月30日です。修行を終えてめでたく仏様になります。22日だとまだ修行中の筈ですが、近頃は現世の人間の都合に合わせるらしいです。遅くすると失礼だから早めにするものだとか・・・

秘書はいい加減な仏教徒です。どの程度いい加減かというと、無神論者まではいかないけれど死んだら全てお終いと何となく思っていて、でも状況によっては神様仏様にお祈りして時には賽銭まであげてしまいます。仏教に関しては救ってくれるなら宗派問わず(一応実家は曹洞宗)また大乗でも小乗でもOK、神様のほうも八百万伝統神道に限らず新旧キリスト教その他何でも救済してくれるなら大丈夫、小僧の神様だって歓迎、という口。

いい加減だからこそ、葬儀から始まる諸々の行事に神妙に参加して手を合わせております。手を合わせて目を閉じて、何を考えているかというと、何にも考えちゃおりません。葬儀以来ほんと頭からっぽ。

だからいいんです。型通りに手を合わせていれば、なんとなく悟ったような気分になってきます。人間いつか必ず死ぬんだ、と。お母様が亡くなった時はあたふたしましたけれど、こうして時が経つと自然の成り行きだったのだと思えてきます。

「ひがらもの」とお母様はよく言ってました。日が経つと直る、という意味です。日薬(ひぐすり)、時薬(ときぐすり)という言葉もあります。

四十九日が終われば次は百箇日です。亡くなってから100日目。卒哭忌(そっこくき)ともいい、そろそろ泣き悲しむのを止める、という意味だそうですが、お母様、罰当たり一家は35日目あたりでもう立ち直っております。ご安心を。

2009年11月13日(金) 曇り

下品な話ですみません、とあらかじめ断っておくざます。このお上品な秘書がこんな話題を口にするなんてなんの因果でしょう。世の中間違ってます。

またしても編集長が臭いです。そろそろ1ヶ月以上、引きこもりでせうか。室内でごろごろしています。秘書が出社して来て目にするのは、ご飯食べて新聞ながめてパソコンをちょこっとつける以外は寝てばかりいる座敷狸の姿です。プールに行きません。それどころか風呂にも入ってません。どうして風呂に入っていないとわかるか。それはですね、

一切着替えていないのだよ。

ずっと同じジャージの上下にずっと同じTシャツ。散髪もいたしませんので、おつむは安達が原の枯れススキみたく茫々として閑々・・・

はたから見るとイライラするのですが、もしかしたら本人のポリシーかもしれませんので、しつこく注意はいたしません。なにせ、その昔見た映画でマーロンブランドがゴミだらけの部屋で暮らすのを「カッコイイ」と思ったという御仁ですから。人はそれぞれだ・・・

が、そこまで寛容な秘書でも堪え難いことがあります。それはですね、

ところかまわずガス噴射するな。

室内を歩きながら、ぷっぷっぷっと匂い付けをされては堪りません。これから寒くなるというのに秘書が窓を開け放って換気扇を回しているのはそのせいなのだよ、おっさん。

一種の嫌がらせかな、秘書が何かしたかな、とも小心者の性癖で思ったりしたのですが、先日のことです。玄関を出た編集長がエレベーターホールで、ひときわ大きな発射音をリズムをつけて連発していました。秘書部屋はエレベーターホールの真ん前なのでよく聞こえるのです。そしてそこには隣の玄関も面しています。おいおい・・・

せめて、エレベーターの中では発射していませんように。毒ガス異臭騒ぎで通報は御免です。

(引きこもりは本の執筆のためとか言ってますけど、ちゃんと書いているのかね。)

2009年11月12日(木) 雨

何かをとちくるったらしく、せっかくOS9.2.2まで苦労してあげたiMacを初期化しちまいました。相変わらず絶不調だから、という理由で。

そして、よそのマシンの9.2.2CDを引っ張って来てインストールしました。おほほ、一発で9.2.2になりましたことよ、なんて便利ざましょ・・・、というのはライセンス違反の禁じ手です。

一発で9.2.2をインストールすれば、少しは事態が改善するかと思いまして、もしそうならば、巷のオークションででも9.2のインストールCDを手に入れましょうかと・・・

事態は変わんねえです。変わんねえどころか、DVDプレーヤーが入ってなかったりして、あああっもうっ。

と言う訳でまた9.0から入れ直し作業中。サイトが混んでいるのか、アップデーターがちっとも落とせなくて、またXPマシンのIE8で落としてUSBで持って来て、とかやってます。つくづく物好き、つくづく暇人。

暇ついでにフィルムスキャンもしています。使い方がよく判んなくて、テキトーにやってました。とりあえずフイルムの半分をやったところで、いろいろ判ってきました。

まずですね、スキャンする前に、フィルムとスキャン面はよく掃除しておきましょう。せっかくスキャンした写真に糸くずみたいなのが結構ついてました。

次にですね、2GBのSDを28.8MBしか認識しないとか騒ぎましたけど、あれはですね、お恥ずかしい操作ミス。なにせ初めてSDなんぞという物に触れましたので使い方を理解しておらず、差し込み不十分で認識されませんでしたのです。28.8MBというのはスキャナー本体のメモリでして、ちょうど24枚撮フィルム1本分。(パソコンがXPもしくはVistaなら、SDカード無しで1本分スキャンしてはパソコンに移して、また別のフィルムスキャン、という手もあり)

それからですね、スキャンした画像をスキャナ本体でスライドショーしようと思ったら、データの名前変更をしちゃダメです。PICT000X.jpgという形式でないとじぇんじぇん相手にしてくれません。

(けど、どうせパソコンで見るんです。分かりやすい名前の方が便利。例えば8007bijo001.jpgみたいな。→1980年7月撮影の美女001、の意味)

それからですね、とりあえずばかばかスキャンしちまったもので、写真の向きがバラバラです。パソコンのプレビューでスライドショーをすると、縦長写真が右に寝転んだり左に寝返ったりで見にくいです。たしか取り込む時に、向きの変更オプションがありました。あとから修正ソフトを立ち上げて直すよか手間がかからない筈です。あれ、使いましょ・・・

という訳で、多分今度の週末はスキャンのやり直しで潰れるでしょう。いいんです。もう実家に焦って帰る必要がなくなっちゃったんですもん。次は四十九日の法要での里帰りです。四十九日過ぎたらあれこれ盛大に片付けることになりそうです。

こんなものはいらん、と片づけちまうのは我が家の血筋です。ひとり貧乏秘書だけが「いらないならくれ」といろんなものを引っ張ってくることでしょう。お仏壇も新しくすることになりまして、秘書は古い小さいお仏壇にツバつけてあります。飾り棚にしようかと思って・・・

2009年11月10日(火) 曇り

昨日は、ベルリンの壁崩壊から20年でした。そんなに昔のことだったのですか。ついこの間みたいな気がしていたのに・・・

ついでに言うと、1989年に崩壊した壁が建設されたのは1961年のことでした(訳知り顔に言っているけど、記憶にはございません)。

大昔から存在していた気がしていましたが、実際は27年間でした。けど、人生にとって27年間は充分長いです。その頃生まれた赤ん坊は成長して子を持つ年頃になってますし、その頃年老いていた親は肉親に再開できないまま亡くなってしまったかもしれません。人類の愚行の記録の一つです・・・

と、柄にもなくしんみりしてしまいました。

秘書が個人的な事情にかまけている間に、進歩めまぐるしい社会から取り残されたような気がします。

昨日、印鑑証明書が必要で(なけなし遺産の相続用)役所に行きましたら、いきなりカードの作り直しから始まりました。以前作ったカードは、窓口で提示すればハンコを持っていかなくても発行してくれる、けど本人じゃない誰かがカードを持って行っても発行してくれる、という便利だか危ないんだか分からないものでした。今度のは、自動発行機にカードを差し込んで暗証番号を押せば窓口より安く発行してくれるというもの。いつの間にか進歩したのですけど、考えてみたらいまどき当たり前のシステムかも。驚いている秘書がアナログなんですな。

その2。お家のスカイプを立ち上げたら、バージョンアップのご案内が出ましたのでホイホイクリックしてインストールしたら、再起動してもスカイプが立ち上がんねえです。げっ、いろいろ調べたら、新バージョンはお家のMac OS10.4には対応していなかったのでした(使えねえご案内なんか表示するなよっ)。その後苦労して古いバージョンをダウンロードさせてくれるサイトを探し出し、英語サイト(oldapps.com)だったので、あれこれあてずっぽで試してようやく使えるバージョンをダウンロード。ようやく以前通り使えるようになりました。あ~あ~

その3。大不調のままのMac OS9をリストアしました。9.2.2が9.0に戻っちまいました。ソフトウェアアップデートをしようとしたら、げーっ、9.1も9.2.1も9.2.2も自動で出来なくなっちまいました。しかもappleのサイトが模様替えしちまってるので、どこに古いアップデータがあるのか、そもそもIEも古い4.5なのでappleのサイトがまともに開かない。(中略)苦労して辿り着いたものの、9.2.1のデータがばかでかくて、古いiMacの古いIEではダウンロードできません。

かくなる上は、とMac OS10.5でダウンロードしてUSBで持って来たら、「開けません」ですとぉ。サファリで落としたんじゃダメなのですか~。とここで閃き。windowsのIEで落としてみよう、バージョン8だけど、同じIEだもん・・・おほほ、開けましたことよ、おほほほほっ、マイクロソフトは偉大だわさ。

けど、Mac OS9のiMacは大不調のまんまです。もう寿命だとあきらめなさい、ということですか。画面の色が変なだけなのに。外部モニタをつなげばいいのかな・・・買うのは嫌だな・・・誰か古いモニタを捨てるという人いないかな・・・

とぐじぐじ言ってないで、Mac OS9の古いiMacを捨てろよ、というのが世間様の反応でしょうね。

2009年11月6日(金) 晴れ

おかしいよっ、と先日来さんざん悩んだiMacグラファイト OS X 10.4Tigerですが、その後どうしたかというと、昨日お家に帰ったら、スイッチングハブが昇天しておりました。

それまでは、同じスイッチングハブにつないだiMacボンダイブルーOS 8.6がばりばり元気にネットもメールもこなしておりましたから、原因はiMacグラファイト OS X 10.4Tigerにあると思い込んだのですが、iMacボンダイブルーOS 8.6までいけなくなったら、これはもう、(ルーター)モデムかスイッチングハブか、はたまたその日に限りプロバイダーがお手上げになってるか、です。

さあ、どれじゃ。

とあやうくモデムを初期化しかけましたが、待てよ、とモデムから伸びるLANケーブルをスイッチングハブから引っこ抜き、直接iMacグラファイト OS X 10.4Tigerにつないでみました(スイッチングハブのランプが着いたり消えたりして挙動不審だったもので)。すると、

おお当たり~

すいすいネットにつながります。も一回ハブを経由すると、

あきましぇーん。

も一回モデム直接つなぎに戻してネット検索すると、スイッチングハブは案外寿命が短いらしいです。秘書んちのはそろそろ5年以上使ってるし・・・(そういえば某社の某オヤジ様なんぞは、ハブを室内蟻塚に埋めて発火寸前にして昇天させちまいましたねえ。)

で、早速本日買いに行ってきました。5ポートで1480円なり。安くなりましたね~(って、一番安いのを買って来ただけですけど)。某オヤジ様が昇天させたのなんぞ、同じ5ポートで5000円位した記憶があります。

さて、明日はスイッチングハブをとりつけて、フィルムスキャンでネガを取り込んで、そうそう古いWindows98SEパソコンのお手入れをして(ウイルスソフトを入れなくちゃ。チェコ製のフリーのやつ)、そうだアマゾンでSDHCカードも注文しなくちゃ、レーザープリンタのトナーも切れそうだし・・・

はっ・・・

ここのところ、金が漏水の如く流れ出ている。カード決済が・・・

2009年11月5日(木) 曇り

寒くなりましたなあ。

田舎に帰った週末があまりに暖かだったので、地球温暖化はやっぱり本当かとしみじみしましたが、その後の冷えること冷えること。さっそく電気ストーブのお世話になっております。

実家では少々お片づけをして参りました。といっても四十九日前なので、盛大にものを捨てるようなことはいたしません。こっちのものをあっちにおいてあっちのものをこっちにおいてカバーをかけて・・・と根本的に質量のプラスマイナスのない移動だけ。

いろいろと捨てられないものがあります。思えば5年前のお父様逝去の際はモノに執着がないお母様が「こんなものいらん」と豪勢にお父様の遺品をさっさと処分しますもので、それはちょっとどうかと・・・みたいに思っておりましたが、今となってはあの時お母様が躊躇なく捨ててくれたもので助かりました。二人分の遺品整理なんて、考えただけでくらくらする・・・

片付けながら、これでもう実家は「帰る家」ではなくなったなあ、と実感いたしました。こうやって人間は故郷と縁が切れて行くのですね。ううっ・・・(泣きマネ)

ちょっと落ち着いたのも事実です。田舎に帰るたびに悩まされた不眠症は消え失せた気がします。以前は同じ屋根の下にお母様が寝ているということだけで眠れなかったのに。いろいろお母様とシンクロしていた気がします。ひどい風邪を引いたのも一緒、喉になにかつかえている気(ストレス球)がしたのも一緒、片方が怒ればもう片方が爆発して・・・

さて、いろいろ整理のついでに、秘書んちにあるネガも整理を始めました。昔フィルムカメラでせっせととった写真のネガがどっちゃりことあるです。その中からお母様とお父様の写っているのを焼き増しして実家に持って行こうと考えたのですが(存命中にやるべきだったという横槍は入れないでくださいまし)、いちいちネガをかざして探すのにうんざりして、そうだフィルムスキャンしよう、と思いつき(中略)、ネットでコンパクトフィルムスキャンを買っちゃいました。CABIN Compact Film Scan35 CFS-2.5です。

さあ、スキャンするぞっ、と意気込んだのですが、あれえ、保存用のSDカードがついていません。げっ、買いに行かなくちゃ。(中略)2GBのSDカードを買ってきました。すいすいスキャンできます。今日中に全部できるかな、と思ったら、落し穴がありました。フィルム2本目で「FULL」表示が出ました。うっそ~

で、XPパソコンにつないで確認したら、2GBのカードが28MBしか認識されていません。あれ~。

どこにも対処法の説明がありません。メーカーに電話するか、と箱をしげしげと眺めたら、記録メディアは4/8/16GBのSD/MMC/SDHCですと。

もっとでかく書いておいて下さいまし。

4GBのカードを買ってこなきゃなんねえです。ついでにいうと、近くの某ヨドバシカメラはなぜかSDカードが高いです。某アマゾンなら安いけど、1500円以上買わないと送料がかかるんだよ~。

ついでに使ってみての感想。とにかく早い。すいすいスキャンできます。パソコンに移して、どんな写真があるか調べるにはもってこい。けど、色は変です。青っぽくなりまして、ソフトでの修正が必要。解像度は粗いんですけど、パソコンで見るだけならねえ・・・

「本格的に写真をやってます」という方には不向き。きちんとしたフィルムスキャナーを買いませう。(秘書も一瞬本格的なスキャナーを買おうと考えました。けど、今は携帯でしか写真を撮らないのだから、むだむだ、と財布の虫が騒ぎまして・・・)

そうこうしているうちに、自宅のiMac、Mac OS10.4がおかしくなりました。インターネットに接続できねえです。あれこれいじり回しているうち、電源コードを抜いて少々放置(こういう方法もあるのです)したら、内蔵電池が切れていることも判明。近くの某ヨドバシカメラに走りまして電池を買ってきて、分解して交換しましたよ。

ああ疲れた、というのは嘘。初代iMacはメモリを増設するのさえ、カバーを外し配線を外しCDドライブも外れちゃったりして大変だったけど、iMacDVの電池交換もカバーを力任せに外したり苦労しましたけど、自宅のiMacはその後の製品ですから、メモリ増設用の窓を外したら、上の方に電池が見えまして、本当はカバーを外して取り替えるのでしょうけれど、小形秘書は手も小さい指も細いので隙間に指をつっこんでほじほじかぱっと外してさっさと取り替えちゃいました。

これでOK、うっふん。

と思ったら、まだインターネットにつながんねえです。「設定ができてない」から設定しろでうとお。設定はあってます。定番PRAMクリアしてアクセス権の修復をしてサファリをリセットして・・・(中略大幅略)

あれこれいじり回すとつながるようになります。で、再起動すると元の木阿弥様。じゃスリープならいいか、と一晩寝かせておいて起こしたらまたダメ。どうしましょうかねえ。再インストールですかねえ。ディスカッションボードに聞くべきか・・・


青筋立てて怒るうし うし うし