11/28(日)一昨日まで、議会報告作成にてんやわんやだった。原稿が思うように進まなかったので、通常の印刷はアキラメ、3万枚!?の簡易印刷を決行!印刷をやりながら、1日12時間もの時間を費やし、とてつもなく無謀なことをしていることがわかった。でも途中ではひきかえせない。結局、2日間、ほとんど眠らず、2万7千件に配布している地域誌の〆切になんとか間にあわす。「地球の声・通信」。市議会報告と、これが、もしかすると最後の住民の意志表示ともなりそうな署名用紙をミックスした、「これでもか」版である。1回折り込みをすると10万かかるので、なんとか、この節操のない(!)議会報告兼署名ペーパーを理解していただければと祈るばかりだ。今日は、庄内ザッコ(雑魚)の会のフォーラムがあり、ひさびさに建設省のみなさんのお顔を拝見。月山ダムで毎秒2トンの流量を赤川に確保するから、河川環境整備と主張されたが、ダム水が流れることによっての河川生態系のダメージの方が、僕は、深刻なんじゃないかと思うのだった。質問の中で、赤川の上流部、既存の荒沢ダムから下流の水無し川の現状を報告した方がいて、「水がない区間は、雑魚どころじゃない、荒沢ダムの調整によって、月山ダムにたよらなくても毎秒2トンの水は確保できるのでは、という主旨の質問だったが、なるほど、と思った。午後は、朝日鉱泉ナチュラリストの家の西沢さんの講演。 なかなかおもしろい方だった。


11/6(土)鶴岡の市長選が21日。市長候補の後援会だよりなんかが各家に配られている。現鶴岡市長、富塚氏は、「毎年夏や、冬に襲われる地下水の枯渇傾向に見られるように、地下水依存は不安定ですし、地下水保全の意味も大きいので、20年前からこういう措置をしたわけです」などと氏の後援会だよりに書いている。しかしどこが「枯渇傾向」なのか?「地下水保全の意味」とは何か?読んでいきなり腹がたった。58年の断水は、寒波のために夜、水道管が破裂して、水が出っぱなしになって夜貯めて回復するはずの貯水タンクに水を貯めることができず、断水になっただけだ。報道にも「配水池の水たらず」という報道で、地下水の枯渇なんて言葉はでてこなかった。58年夏、お盆の前、市への滞在人口がぐぐっと増えるのと合わせて、水需要が一挙に増え、58年では最大の5万3千トン/日の水が必要になった。そこで58年は一時的に20%減圧した。そして今年も16日間雨降らずで配水池の水への補給が間に合わなくなる可能性があるということで同じく20%減圧した。しかし、全く一時的なことだ。両方ともお盆を越えると、通常の状態に回復した。これが、枯渇傾向といえるだろうか。甚だ疑問である。

それに、昭和55年当時から地盤沈下があり、専門家により地下水の保護、かん養が指摘されていたのにそれを全くおこなわず、今も上水道の井戸に干渉する恐れのある消雪用の井戸では地下水をとりほうだい。新潟の業者はほぼ同一水源から取水してミネラルウォーターとして販売している。工業用水でも地下水とり放題。家庭でも井戸掘り放題で何も管理してこなかったくせに。全くこの水の価値がわかっていない。風土をささえてきたこの水の価値を。

ところで、今日は、鶴岡で僕が最近特に毎回でるのを楽しみにしている雑誌、「日経ECO」の編集長の講演があった。ドイツと日本では環境意識についての情報量が全く違う。ドイツでは環境雑誌などの他、NGO、NPOがありとあらゆる方法を使って、それを伝えようとしている。そこが、日本との大きな違い。日本のNGOも情報発信をもっとうまくやるべきとのお応えをいただいた。うーむ。そうだ。まだまだ伝え切れていない。僕も。だ。まとにかく「日経ECO」は毎回楽しくためになり、日本では珍しく、グリーンコンシューマーを増やそうというMISSONを明確にもって取り組んでいる雑誌。ぜひ頑張って続けてほしい。皆さんもぜひお手にとってみられたし。またホームページもあるhttp://eco21.nikkeihome.co.jp/  です。

6時から、農業者のネットワーク、アグリフォーラム主催の映画上映「原野の子ら」を見に行く。先日訪れた阿蘇の農村を舞台に、家族、農業、教育の今、を見つめる映画だった。僕は庄内にいながら、農業のことを全然わかってない。昨日、都沢地区の小川の問題で僕は自然の維持の立場で意見を述べたが、今の農業の大変さを考えれば、小川の整備の時間なんてとられたくないし、それに余分な金を使いたくないのは、実にわかる。あの小川は、農家の人たちにまかせっきりにしない。あの小川で遊びたい子ども、遊ばせたい大人たちがみんなで管理し、草刈りなどの整備をする。みんなの川という志と実行がともなえば、すべては解決するような気がする。県の予算をおとして、コンクリートで固めて、ああ、便利、といえばいいかもしれないが、貴重な生態系をもった小川は、その改修費用の何倍もの価値があるのだということをみんな、忘れてはいけないのだ。21世紀を目前にして。さて映画、とにかく良かった。子ども達が昔の「牛おどし」を復活させ、神社の奉納を認められ、演じるところ。あれはいい。まさに「伝統体」の村おこし、の姿だった。庄内の「あれ」とは何か。みんなで考えよう。


11/5(金)午後、内藤正敏氏の写真展「東北の原風景」を見に、山形の芸工大まで行く。新しい高速ができたので乗ってみた。鶴岡から山形まで、1時間半でいけるようになったようだ。ただし、途中の片側一車線の工事がなければ。だ。片道1400円。往復だと2800円と出費がかさむようになる。今、月山道は、紅葉まっさかり。醜悪な月山ダムの工事現場がなければ、もっと紅葉もきれいなはずなのだが。もうしかたないか。ここに水をためて、ダム湖のさつばつとした光景が広がるようになると、ここも変わる。福井県の東洋一とやらのダム湖を思い出して気分が悪くなる。さて、内藤さんの写真は、湯殿山の鉄門海上人らのミイラというか即身仏、そして、出羽三山の仏像や恐山のイタコの老婆たち、そして月山、鳥海山、岩木山などのスピリチュアルな風景を映し出していた。描写のすごく効いた、大判の即身仏の写真のそばに、「隠された一揆」とコメントされたプレートがかかっていた。それによると、当時、即身仏がはじまったときは、飢饉がはげしいときで、酒井藩の政治も荒れ、武士は農民に重税をかけ、武士はのうのうと暮らし、そして農民は飢餓で死んでいた時だったそうだ。そしてこの即身仏になった上人は、武士を斬った川工人や、農民で、世直しのために堕落した武士を斬り、農民たちの飢えをなんとかしてあげたいという祈りを託して穀物食をとり土の中にはいり、永遠の瞑想として即身仏になったという説をとなえていた。内藤先生曰く、歴史文書、酒井藩の記録などを10年がかりで調査した結果の論とのことだった。献身というか、志というか。東北、庄内の志、頑固一徹な思い。感ぜずにはいられなかった。「お前らもがんばれよ」写真で巨大化された即身仏の顔が、僕にそう語りかけたような気がした。

夜、大山地区、都沢地区の小川の改修工事懇談会に出席。土地改良区、農業用水路として三面護岸にしようとしていたものを、市の自然公園構想、自然保護団体の要望で、水環境整備事業として親水護岸をしようとしているものだ。昨年から工事がはいり、片面のほとんどが、護岸されている。けれども、ここの小川のバイオマスというか、生物生態系の環境は相当すごい。タンケという川貝がごろごろしているし、小魚が泳いでこども達がざっこしめをしているのだ。しかし、

11/3(水)文化の日。鶴岡では百万石まつりというのがあって、ミス庄内のお披露目や、花笠音頭、庄内なるこなど、のパレードが行われた。夜、ニュースステーションで、京都の「町屋の危機」が報道されていた。マンション建設で昔ながらの風情をもつ奥庭など、町屋の町並みが台無しになろうとしているというのだ。いやはや、日本には、「風土」を守ろう、日本独自の文化を守ろうと施策を行う政治が欠落しているのではないか。重要文化財だとか世界遺産だとか、国指定だとか、県指定だとか、そんなお墨付きをつけてはじめて価値をつけて、保護の対象になる。テレビで轡田さんが「でも首長ががんばればなんとかなる」ものだ。と言った。まさにそのとおり。うちの西茨湿原だってそうだ。雑木林と考えるか「東北でここしかない湿原とはんの木林」として保護するか、は首長の「志」如何なのだ。さて、京都府の首長は、このテレビでのプレッシャーをどう捕らえて判断するのか。それとも旧態然とした態度で、祖先から代々の遺産を灰にしていくのか。そうだ、これはダムの事にもあてはまるぞ!ダムでは、木頭村の村長が真っ向から反対して村の風土を未来に伝えようとがんばっている。

11/2(火)

WWNの署名用紙完成!みなさん、ご協力、よろしく! 

○銀座通りのセントルに、11/1無料インターネットコーナーができたようです。9月の産業文教委員会で「以前、旧ましまの建物で、インターネットコーナーを設けてみたら、毎日、ひっきりなし人が出入りして使用していた。セントルでも検討したらどうか」の発言が効いたのでしょうか。市民のみなさんに、どんどん活用していただきたいものです。インターネットは、市民活動の武器です。

11/1(月)WWNで署名をもう一度行うことに決定!文面作成にてこずる。

10/31(日)ジャーナリストHさんと月山ダム見学。月山ダムの手前、15年で堆砂して使いモノにならなくなった梵字川ダムでは浚渫がおこなわれていた。放水路の水を邪魔して仕方ないのか。3月のシンポジウムの時、鷲見先生が「月山ダムが堆砂で早い内に埋まるのは、梵字川ダムを見れば一目瞭然だ」と言ったことが思い出される。やれやれ。

10/30(土)午前中、ジャーナリスト?さんと田辺県議に取材。

10/29(金)夕方、ジャーナリスト?さんと関市議に広域水道計画について取材

10/28(木)帰路、東京駅で時間があったので書籍を購入。

10/27(水)安城市デンパーク、半田市 新美南吉記念館視察

半田市は、つい最近、長良川の水をひきはじめた市だ。くさくてまずい水。そして値段が高くなったと市民の苦情がすごいのだと聞いた。やれやれ。

 今回は、10/25〜28と市議の産業文教委員会の視察なのであった。1日目は松阪牛で有名な岐阜県松坂で、中央商店街の施策について、2日目は大垣の情報工房、空飛ぶ教室プロジェクトなど、そして3日目は、安城のデンパークと半田市の新美南吉の記念館にいった。松阪はとにかくしもふりのたかーい牛肉料理が自慢のところだそうで、ベンツに乗っている人ぐらいしかこれない有名店がでんと構え、その筋の商店街の利益を独り占めしている感じなのであった。僕が興味深かったのは、2日目の大垣市だ。市のキャッチフレーズが、「水の都」なのだ。大垣は、伊吹山からの豊富な地下水に支えられたところで、ここも人口役15万人が地下水からの水道水を使っている、だからとてもおいしいんだ、とまず水の自慢話からはじまった感じがあった。

市内には、図書館や文化施設がかたまって創られた「スイト」ピアセンターがあり、タクシ−は、スイトタクシーだった。「水の都」大垣は、なんたって地下水の水が自慢。その大垣での視察は、岐阜県事業のソフトピアジャパンという情報産業起点都市事業とあいまって行われている「情報工房」という事業である。ハード面、ソフト面、うむ、気合いが相当はいっている感触をうけた。その工房の一機能としての教育へのインターネット普及事業「空飛ぶ教室プロジェクト」があり、そのビルの一室にはその事業を担う専門の先生が様々なソフトを開発しているという感じで、各学校へのコンピュータ普及率とあわせてなかなか力が注がれているなあという気がした。そこに集う市民は、インターネットを楽しげに使っていた。製作近くのわき水のでる神社で水を汲んでいた市民は、パソコンより、旨い水とばかり「あんなところいかないよ」というのであった。ま、市民全員を満足させる施設なんて、ほとんどあり得ないのだと思うが、この情報工房は、どうだろう。

10/26(火)大垣市視察

10/25(月)行政視察とやらに出発。産業文教委員会。松阪牛の松阪視察。夜、伊勢まで行って猿田彦神社参拝。夜9時に着いたのに、ねぎさんと思しき方ががらがらと扉をあけてくれる。導きの神、猿田彦。僕が長良川に行っていたとき、実は、ここでは「おひらきまつり」が行われていた。月山に来ていただいた鎌田先生や岡野さん、細野晴臣さんらが奉納演奏をし、フォーラムを昨年に引き続きおこなっていたのだ。まさに「伝統体」を動かしている素晴らしい取り組みをされている神社だ。

10/24(日)第5学区の小学生6名と芭蕉トレック第1弾!晴天に恵まれ、カヌー4挺で内川を下る。天気もよく、水は澄んでいた。雑魚がたくさん見れた。

10/23(土)24日の予行練習。山大生のスタッフを特訓!?内川にて。

10/22(金)月山文学祭に行く。ゲストの谷川俊太郎の生のポエットリーディングに感動。新しい詩集、「みんな、やわらかい」の中に地球を読んだ詩がある。とてもいいのでオススメだ。大日本図書「みんなやわらかい」1200円也。谷川さんの詩には、先日、詩のボクシングの実況中継のテレビで見てぐぐいとひきこまれた。昔、東京に住んでいた時、多摩川のほとりで、わけもわからず、「20億光年の・・・・」などを一人朗読していたこともあったっけ。水の事について読んでいる箇所があるので、ここだけ引用しよう。

「ひとしずくの露がやがて海へと育つ星、水の星」

うむ。すごく。わかる。でしょ?

その後、「山の宴会」にいく途中。くじら号、バイクの青年に突っ込まれる。やれやれ。

10/21(木)銀座通りの中心部、セントルの使用方法について、女性団体Wネット他、市民からの意見聴取、を市がおこなうということを聞き、傍聴希望と要望したが、聞いてもらえなかった。「議員さんには、又の機会に」ということと、「議員がいると、自由な意見が言えない人がいる」ということが理由らしいが、なんか納得いかなかった。施策の決定、政策を固める段階で、どんな風に、市民の意見を聞いているのか。そしてそれをどう反映させていくのか。意見聴取というか、ワーキングっぽくなっているところはなかないいと思っているのだが、僕らの傍聴も許さないのは、疑問が残った。行政とは何か、議員とは何か、市民とは何か。中心市街地活性化は、とても大事な問題。ワクをとっぱらって、やるべきなのに、まだまだ鶴岡では排除の論理が働いているような気がするのだが、みなさんはどう思っているだろうか?

10/20(水)

10/19(火)調整日。休憩。

10/18(月)一日東京にてすごす。

10/17(日)長良川デイ。今日は、デモの日。シンガーソングライターで僕も中学時代からあこがれの「南こうせつ」さんが「川よよみがえれ」と歌い、インターナショナル・リバーズネットワークのオーエン・ラマーズや海外ゲストが、さすがに世界中のダム問題について声をあげている団体の代表格らしく、パワフル!にステージから訴えかけた。毎年カヌー組みの僕も今年は、アマノさんやオーエン達と歩け歩け隊で激しくほえまくった。河口堰のまわりにはヘドロが2m以上も堆積し、「大丈夫大丈夫、ここから魚がたくさんのぼるのが見えますよう、」と建設省がつくった魚道の窓からは、ものすごく濁った水と死の水域の情景がのぞけるだけだった。カヌーをするもののあこがれの川の一つ、長良川の河口は、今、死につつある。日本の最大のしじみの産地、長良川のしじみはもう、味わえない。河口が死んでしまったということは、ここを通過するすべての川魚に影響するということだ。アユも、サツキマスも、ウナギも他、雑魚として建設省なんかがまともにあつかってくれない魚たちも多くは、みなこの河口の汽水域を一生のうちのひとときを過ごしてそこでしか味わえない栄養分を蓄える。それがなくなってしまうということは、彼らの死を意味するのだ。やれやれと思いながら河口堰を後にした。アキラカニ、失策!ナゼミトメナイ!そしてナゼミンナ、オコラナイ!?

 帰り、新幹線移動して、ぎりぎり、代々木でおこなわれていた、レインボーパレードに顔をだす。ヤワラカな革命、レインボーパレード。僕が着いた時は、岡野さんやゴクーのみんなが強烈なドラミングをしているフィナーレの真っ最中。月山以来の強烈なグルーブ!月山に来てくれたクリエイター、アーティスト、ダンサー。みんな元気にここで活躍していた。そして、新しい価値観づくりの模索とカタチづくりをみんな一生懸命やっていた。NPOとか、なんとか、今国が認めるかどうか、法人格だなんだと言っているが、これはカタチの問題ではない。長良川やレインボーギャザリングに集まってくるみんなの自由な発想、行動力、それが、まさに市民の革命なのではないか。米国のNPOの連中と共通の意識なのではないか。なーんて思ってしまったのだ。

10/16(土)新幹線に乗り継いで長良川現地へ。桑名からタクシー1200円で国際シンポジウム会場の長島中央公民館へ着く。今回のスピーカーは、昨年私がインターンでお世話になったIRN(国際河川ネットワーク)からオーエンラマーズ、他にもドイツ、ニュージーランドなどなどから、各地でダム、河川に関わるNGOの代表者が集い、国際シンポジウムが行われた。世界の潮流は、「ダムを壊し、川を NGOと政府が協力して元のように蛇行するように、また、氾濫源を確保するように回復させはじめている。それに対して日本は、まだ500以上のダムを計画、建設している。おまけに国土交通省なんか作って、逆行しまくりだ!」ということ。夜、国土交通省止めナイトでは進行担当。新潟の鳥居川を一人で守っているというCWニコルさんら、ゲストも多数。全国から集まっているダムファイターとともに盛り上がった。

10/15(金)夜、長良川へ向かう。深夜バスにまた乗る。10/12(火)午後より、鶴岡市を含む6ケ町村衛生処理組合の決算委員会傍聴。

10/11(月)山大環境研の5名と赤川でカヌー。蛾眉橋の次の橋まで約12kぐらいの川旅4時間といったところか。24日には、第五学区のこども達をのせて内川でカヌーをおこなう予定になっている。今日は、そのガイド養成講座といったところ。出始めの渦にまかれて1挺が沈。下流のなんでもないところで油断したかもう一挺が沈。おかげでレスキューの講習会もできた。赤川は、サケがのぼりはじめたのか、ヤナがかけられ、途中、モクズガニを採っている川漁師に会う。アユ釣りも全盛といったところ。川面を飛ぶカワセミを一羽発見。見事なるり色をひさしぶりに体感。はじめて見たという女性部員は大喜びだった。渡り鳥が飛来しはじめているのだろうか、いくつかの群を発見した。流れも澄んでいた。しかしながら川底には、数百の空き缶を発見。そして、枝には、ビニル袋がいたるところに、、、。250年前。松尾芭蕉もここを下っている。でも、そのときは、川の風情を台無しにしてしまうそんなものは落ちてなかったんだろうなあ。と思うと、便利近代社会をうーむと思ってしまうのだ。


10/10(日、祝)

午後、事務所で「月山炎のまつり」のミーティング。24日に月山炎のまつり2000へむけての第1回ミーティングをおこなうことに決定。


10/9(土)

庄内浜ビーチクリーンアップ。総勢20名。ラジオで呼びかけ、市広報、コミュニティ新聞でも協力してもらったのだが、なかなか動員がうまくいかないのだなあ。これが。いや、連休の初日だからなあ。ちと日程調整がまずかったなあ。などと思いながらも先鋭スタッフによるビーチクリーン大作戦。でも初参加の方もいらして、とてもうれしかった。それに、今年、東京の大学に進学した、去年、鶴工でクリーンアップを企画してくれた女の子が、なんと今年も参加してくれて、非常にうれしかった。全国事務局と目と鼻の先に住んでいるそうなので、今後の彼女の行動に大いに期待したいものだ。レジンペレットもあいかわらず多かったし、プラスチックゴミもあいかわらずだった。ただし、今、山からくるみがたくさん落ちてくるらしく、くるみがたくさん拾えた。これは割って食べれるのだなあ。海で山の幸を感じた日でもあった。


10/8(金)ビーチクリーンアップ準備など。台湾プロジェクト、原稿書きとUP

10/7(木)情報収集。夜、wネット主催のシンポジウムに行く。市長の大学の説明の中、6月議会でとりあげた、人口将来ビジョンについて少しふれて、資料も添付してあった。それによると、鶴岡市の場合も、少子化で人口は減るだろうと予測されていた。うむ、ならば水の需要はどうか。なのである。どうだ!?

6(水)半日休み。事務所にて

5(火)朝一番、ダム問題の政策担当者、午前中、アップルコンピュータ・ジャパンに今回の台湾プロジェクトの要請をおこなう。正午、虹のまつりスタッフとミーティング。午後、NPO活動で、いろいろとお世話になった

4(月)台湾現地からスタッフの吉村氏が一時帰国するということで、合流のため上京。ヒアリングする。しかし、委員会の勉強会があったことをすっかりわすれていて、動揺。大変申し訳ありませんでした。

3(日)防災訓練

2(土)

1(金)政令施行75周年 祝賀会へ。

30(木)朝、飛んで鶴岡着。

29(水)熊本、幣立神宮参拝 飛行機にのる。夜元気村へ。台湾の状況をヒアリング。

28(火)熊本、阿蘇、昼から諌早湾干拓事業視察 愛野町議会議員原田氏と対談。

27(月)熊本市視察。昼食で市役所近く、アンナプルナという有機レストランで、熊本市議、村上博氏と対談。村上さんは車椅子の市議会議員。数年、低床式のチンチン電車など、福祉のモデルケースをつくっているというグループで活躍なさって今年の春から自分と同じように議員になった方だ。66万人人口の都市なので、鶴岡とはなかなか比較の対象にはならないかもしれないが、非常に刺激になった。午後から、行政視察ということで水保全課の方に色々と説明をしていただきながら、熊本の水源とその保護についてうかがった。熊本のえらいことは、阿蘇とのつながりを市民にどんどんPRしている点。パンフレットなどもサスガという感じ。なんといっても市内の水前寺公園の池で、水が湧いているところが見えるところがいい。市の後、県、そして市の水道局を訪れた。説明を聞く中で、感心したのは熊本市で上流部の村の土地を購入し、地下水かん養林として育てているということ。うーむ。66万人の水がめを支え、未来につなげようという姿勢を見せていただいたような感じがした。しかしながら、住民への意識づけというのはなかなかむづかしいのだと、担当者の方は言われていた。でも施策として色々努力している姿勢はなかなかなのである。颱風直撃のすぐ後という状況の中、急な視察をなんの抵抗もなくうけいれてくださった水保全課の北島課長さんならびに、議会事務局の方にお礼をいいたい。どうもありがとうございました。

26(日)水源連総会 各地からの報告の中で、月山ダムについて報告。岐阜の徳山ダム、岡山の苫田ダムなど、似たケースがいくつか、、、、いや、ダムありきで過大な水需要ということでは全く一緒。そして水をひきたくないのは長良川だって一緒だ。川辺川をせめて、今のままの姿にしたいと、漁業権などの件で色々とやりようがあることを学んだ。夜 現地の西田さんらに送っていただいて熊本市内へ。、、、しかし熊本だけ馬を食う文化というのはどうしたことか。うーむ。などといいながら、金沢大学の碇山先生と馬刺を堪能!?たまにはぜいたく。

25(土)東京→鹿児島 飛行機 昼より川辺川ダムができると沈むといわれている五木村視察。うーむ。いい村。それも中心部の役所とか商工会議所が沈む計画にはうーむといった感じ。五木の子守歌の碑のところで「整調」というのを聞いてその奥にふれた気がした。日本の風土は、やはり軽んじられている。この川辺川周辺にも農業用水としての六角水路があったり古くから大事にされてきた水辺の周辺の営みがある。そして何より川辺川、球磨川の川漁師と川下りの船頭など、川文化が脈々と息づいている場所だ。それが、そう、その真ん中にある澄み切った清流が、ダム湖からのうす汚れた乳白色かかった気持ちの悪い水になるかと思うとぞっとする。夜川辺川フォーラム では、水源連 熊本県人吉市にて。

24(金)いきなり出発。颱風直下のため電車動かず深夜バスで東京行き



9/23(祝)台湾で21日におこった地震がやはり気になる。元気村と連絡をとりあい、長期的な支援ができる方策として、日本にいる台湾からの留学生が現地へいき、現地で活動がとれるようにしたらどうかという話になり、台湾からの留学生を現地へ送るプロジェクトを始動!エバー航空が、無料航空席を確保してくれるという連絡がはいる。現状では、以下のとおり。台湾の留学生の諸氏、ぜひ一度帰って安否確認。そしてぜひとも長期滞在して現地の「元気」づくりに貢献してほしい。


9/22(水)夜

今日で、僕の2回目の議会、9月定例会が終わった。ふう。

家でひと休みして、今23日の午前零時をさっきまわったところ。事務所に来ると、あいかわらずの空間がそこにあった。なんだか選挙戦以来、ひさしぶりにほっとした気分になっている自分に気が付いた。昨年の12月に月山炎のまつりの構想がもちあがって以来、まつり頭がああでもないこうでもないと働きそこのエネルギーの場にいろんな人との出会いがあり、それは虹のまつり、月山炎のまつりとなって毎週火曜日、ああでもないこうでもないミーティングがはじまった。その間に、3/14の建設省、県、市水道部を巻き込んでの「水道シンポジウム」そしてそれを通じて日本の環境NPOとしての限界を感じ、選挙戦の立候補を決意。そしてそう、この事務所のスペースにも出会い、そのときちょうど払いさげの家具にも出会い、そして、そのエネルギーの場でもいろんな出会いや、興奮や、笑い、泣きがあった。支持してくれた2968名の市民のみなさんの思いを僕は、今、もう一度確認する。ところで、今、ニーナシモンがかかっている。「NINA&PIANO」下北沢のジャズ喫茶、いーはとーぼで店番をしていたころ、なにかというといつもこれをかけていた。いーはとーぼは、木創りで、なんだか乾いたお昼のひるさがりの臭いがした。そこに響きわたるニーナの声はなんだかしっくりと心になじむのだった。今、なんだかそんな時の事が鮮明に思い出された。こんな気持ちでニーナシモンを聴くのはひさしぶりだ。

 部屋が実に汚く思えて、片づけをしながらこれを書いている。フラットにすること! 選挙戦が終わって初議会があった。僕は水道問題を真正面から斬っていった。それが終わると月山炎のまつりが1カ月前。とにかく突っ走った。動員が頭にあって、湯野浜でよくチラシ配りをやっていた。スポンサー廻りもやるにはやったが、なかなか廻りきれなかった。毎週毎週スタッフミーティングしていたが、毎日フルコミットしてくれるスタッフがなかなか見つからない。仕事をふろうにもふれない。でも祭の志だけはぶれないようにしたかった。元気村や、地球のヒーロートークでやれた、カネが媒介しないフルコミットメント。僕の選挙戦でもその世界があった。月山でもそれは可能のようにも見えた。大部分はそういったところでできたような気もする。僕自身も実にいろんな欠点を暴露したと思うし、すべてをとっぱらって裸になって祭れるだけ奉らせていただいた。そんな思いがある。えっと。月山炎のまつりは、ただのにぎやかしではない。心や町の活性化には、本来のボクラのルーツというべきつながりを取り戻さないといけない、つまり、自然とのつながり、仲間とのつながりを取り戻す。眠る伝統を掘り起こして動きを与える、そうしたことをすべきだと思ったのだ。今はまだまだ地方都市は、土建屋経済が主流だ。ま、だんだん変わってきてはいると思うのだけれど。公共事業としての工事をし、利益を得る。そのために声なき自然は破壊されまくった。ボクラも都会的な暮らしの快適さにかまけて、本来「神」としてまつってきた自然とのつながりをどこかに置いてきてしまった。心の時代といわれる今、ぼくは、そうした根元的な日本人の縄文スピリットみたいなものが本来の元気の源のように感じられてしょうがなかった。それでそうしたことに気づいている人たち、つまり虹の祭の先生方や天空、ゴクーといったアーティストのみんなと祭を通じてそうしたメッセージを発信できないかと思ったのだ。祭は嵐ではじまり、風でティピーやテントがとばされたりした。でもライブ中は、雲が会場を避けていった。夕方見た夕焼けの空、雲の流れはこの世の光景を越えていた。そして会場で虹がでまくった。みんなの思いが通じたようにも思えた月山の会場。色々あったが、やって良かった。次にぜひ、続けていこう。みんなでその思いを共有することができたような気がした。

祭が終わって、清算もままならぬまま、僕は、どうも気になっていた、川喜田次郎先生の月山移動大学に2週間いくことに決めた。kj法はまさに世直しの哲学と確信。・そして本当の民主主義や、21世紀型のまちづくりに欠かすことのできないノウハウだと思った。79歳の先生は、ボクラとともにキャンプをし、そのシンプルな生活の中で、非常に優秀な若手行政マン、学生達とともにぐりぐりブレーンストーミングを繰り返した。それを終えるか終えないかで9月定例議会に突入。大学院誘致の件、水問題が炸裂した一般質問、など今回も僕にとっては密度の濃い議会だった。

最近、シンポジウムでも耳にした、「すでに時代のステージが変わった」という言葉を今回議会でも使わせていただいた。ほとんどの市民がその「シフト」について気が付いているのではないか。でも議会の中ではあいかわらずの高度経済成長期の理論がはびこっていまいか。そうだ。9/9には、ごめんな祭をおこなったのだった。僕は炎の祭の会場近くの叶宮に午後9時に行き、素っ裸で叶宮橋を3回くぐり、祈り、デジュの奉納演奏をろうそくの火のもとでおこなったのだが、もう、地球にごめんな祭しちゃったのである。新しいステージで僕は今、生き始めていると自分でもそう思っているのだ。

ということで、今日と明日は整理整頓日というやつですかねえ。僕の最も苦手な分野なのだなあ。これが。

と書いていたら、中学の時の同級生が若い衆をつれて、事務所にやってきた。実にこういうのがうれしい。一瞬さびしんぼだった僕は、コーヒーを一緒に飲み、ラーメンを一緒に食べにいった。なんだか実に癒された思いがした。うむ、こういうのもいいんだなあ。

9/19(日)仙台。NPOフォーラム99東北会議に行く。情報公開の分科会。コーディネーターは、新川達郎氏。報告者として宮城県知事の浅野史郎氏、情報公開を求める市民運動の奥津茂樹氏。9時半から、3時まで、じっくりと時間をかけたワークショップ型の分科会で、実に贅沢な時間だった。浅野宮城県知事は、正午から2時半ぐらいまで、たっぷりと2時間半、時間をこのプログラムにでて、実に率直にご自分の意見を述べていただいた。僕自信の当面の活動の目標は、この国をかえる事。本当の民主主義のまちづくりができること。ということになるかなあ、と思っている。アメリカのNPOインターンでさんざん言われまくったのが、「官僚大国日本」だったから。バージニアホジキンソンさんにも、デビッドブラウアーにも、パトリックマッカリーにも、「市民が弱すぎるのよ、しっかりしなさいよ」とはっぱをかけられるのが、常だったから、なんとかしたい。とまず思っている。宮城の浅野知事にお会いして、「本当の民主主義」という事をしっかりと意識して行動されている方だなあとつくづく思った。まず、こうしたNPOの会にしっかりと2時間も時間をさかれ、しっかりと討論に加わる姿勢は、全国の都道府県、市町村の首長に学んでいただきたいと思ったし、実に率直に表裏なく話す姿というか、そのまっすぐさに、僕は少し心打たれた。ともかく、このワークショップは「情報公開」について実に様々な示唆をいただいた。最も、重要と思えるところをぬきだそう。浅野知事は、おまかせ民主主義から、本当の民主主義のためには、3つの要素を充実させなくてはいけないと語り、第一に、情報公開によって、市民の監視ができるようにする、そして対案づくりなどが可能なようにする事、第二に、地方分権。そして第三に、NPOなのだと言った。NPOは、本物の民主主義を根付かせるために絶対に必要で、方法論の複線や、アンチテーゼをつくるものであって、行政をいい意味で変えるために必要なのだと語った。そしてこの3つの要素は、まだまだ発展途上で今やっとスタートラインだということ強調した。また議会の役割について議論になったが、有る意味で行政を監視するチェック機関であると同時に、特に最も大事なのは、唯一の立法機関なのだということ。浅野知事のこの思いが議会に伝わっているせいか、宮城県では、議員提案の条例がこの1年で3本つくられているということだ。情報公開のメリットは、知事自身、経営者として安心だし、市民も安心、そして常に見られているという意識は、行政側にとってもエキサイティングな仕事になるんじゃないかと思うと述べてくださった。宮城県のホームページでは浅野知事の定例記者会見の言葉が、毎週火曜日には更新されている。このspiritを学んでいきたい。

9/18(土)油戸海岸、魚の森づくり事業の、植林作業に出かける。小、中学校、地元の漁師さんたち、一般の市民の皆さんなど、200名ぐらいいただろうか。植林と一言出言っても、苗木が倒れないように、丈夫に育てるには、それなりのノウハウがあることを知った。実にいい事業だし、子どもたちにとっても非常にいい環境教育になるだろう。植林が終わってお昼に、みんなで、漁協の方がおつくりになった具のいっぱいはいったタラ汁(すけそうだらだそうです!冬のたらとはちょっとちがう感じ)をごちそうになり、大満足。食べながら、「うーむ、まさに海とヤマのつながりを肌と味!で感じるなあ」などと思いながらおかわりをしていました。どうもみなさん、お疲れさまでございました。その日は、湯野浜では、「ノルディックウォーク」がおこなわれた。ストックをつきながらハイクをおこなおうというもの。300名が参加。いつも漂着ゴミですごい浜辺は、連日のクリーンアップ作業で実にきれいになっていた。海水浴シーズン前にやれば、一石二鳥かも。準備に顔をだして、国際交流村でおこなわれていた清水邦明氏の講演に。「清水さんの「自然とともに暮らすいきかた」というのは、実に、虹のまつりや僕らのやろうとしているベクトルと同じやなあ」と実感した。


9/10、「え、3回ルール!?ですかあ?」

産業文教委員会の席上、質問を繰り返していると、五十嵐議員が、「円滑の議事の運営のため、意見をいうのは極力やめて、予算についてに限るべき」と発言。「何を言っている。予算がつくには、その背景の志について確かめなければならないし、その調整をおこなうのがこの委員会なのではないか」と思ったので、「この場は議論をする場なのではないですか」と僕は返した。

それから、吉田委員長が、議員必携をとりだし「同じ項目についての質問は一人3回までという決まりがある」と発言。確かに、議会会議規則の中、第7節発言の中に、質疑の回数という項目があり、「第56条 質疑は、同一議員につき、同一議題について3回をこえることができない。ただし、特に議長の許可を得たときはこの限りでない」とある。僕は、これは多分に本会議の場合を想定しているのではないかと思った。

有る程度ざっくばらんに話あいがとられて、コンセンサスをとっていく傾向のある委員会にもこのまんま適用したら、なんだか、議論しないよう、できないよう、規則が組まれているようにしか思えない。ここに、議長の許可を得たときは、、、云々あるわけなので、この辺は大目に見るのが、委員会の議長を努める委員長の志なのではないかと思った。その発言の後、「今、何回目」みたいな意識が残って、なんだか小学校のゲームでもやっているような気分になったし、逆に意識の上で円滑な質疑の邪魔をしているようにも思われた。ぐぐっと、質疑の本質の中にはいって頭が回転しているのに、変な次元で「まった」がかかるのだ。事実、私は、今回、「草島さん、もうその件では3回を越えている。要望としての発言ならどうぞ」などと言われたりした。規則だからと従ったわけだが、結局、納得のいかないまま決議してしまったような気がしてならないのだ。

こんなことで、本当にいいのか。産業文教委員会終了後、未だ長引いている総務常任委員会を傍聴にいった。その場では何度も何度も有る程度納得のいくまで質疑が繰り返されていた。「3回とかなんとか、そんな幼稚な規定」などどこかに行っていて本質の中に質疑がおこなわれていた。議員も当局もベテラン議員も多いせいか、なんだか議員が思う存分語っているような気がしたし、それを見ていると、いかにボクラの委員会が不自由なのかと思った。

くだらないことばかりとりあげても僕も気分が悪くなるので、産業文教委員会、その内容に移ろう。僕は、とにかく、自然の価値、特に、子ども達が心のよりどころにするような、「ただの」雑木林、小川などについて、現状、全く価値が見いだされていない。教育委員会では「文化財」に指定されなくては保護の対象とならないようになっている。西茨湿原はいい例だ。環境教育でもその素材が失われてしまっては何もならない。だから、なんとかそうしたものに価値を置く体制を創り出してほしいと要望するところに落ちついた。イロイロ、自然の価値について、質問して、答えていただいたが、教育委員会で予算づけをしながら扱えるものは文化財指定などの「いわく」つきのものしかできないとしっかりと言われた。だから「自然保護課」を提案したんだけどなあ。

 また、11年の補正予算では、特に銀座通り商店街のまちなか活性化事業で、商店街のまんなかにあるセンター「セントル」の1Fに喫茶店をつくるために1千4百万円使う事業について質問。どこでどうして決めたのか。どういった将来ビジョンで「喫茶店」の構想になったのか、それだけのハード予算が組まれるのだったら、10、20以上ぐらいのソフトの構想があるべきと思うのだがどうか、と質問。当局にお答えいただいたが、釈然としなかった。釣りバカ会館などのように、箱はできてもソフトがなくて失敗してしまった事業を経験しているわけだから、「ただのこぎれいな喫茶店」で本当にいいのか、それにイロイロどう付加価値をつけていくのか、その辺を聞きたいとかなり突っ込んで質問を繰り返した。この構想をすすめるにあたっては、地元の主婦、商店主の女性たちで組まれているネットワーク、Wネットの構想などが活かされる計画になっているとも聞いた。これはすばらしいことだし、女性が集まる場になることは、いいことはわかる。しかしながらその他にもイロイロと考えて仕掛けをしている市民の方はいるわけだ。だからそうした生きた市民の声が反映されるような窓口なりを設けていただいて、その構想については決定される前に市民にはかるなど、開かれた施設にすることが大事なのではと提案した。せっかく1400万円もの税金を投入するわけだから、しっかり120%活用してほしいと要望し、質疑終了、まだイロイロ聞きたいこともあったが、「3回ルール」ということで最後に「要望ならよし」と許されて発言し、11年度補正予算を僕も承認した。

産業文教委員会が終わって、総務常任委員会の傍聴にいったが、その合間に建設部に訪れた。上水道への地下水と、消雪道路の地下水の干渉について、全く考えられない、影響ないと答えた建設部長の言葉の元となった資料を確認しにいったのだ。聞いてみると、55年の柴崎先生の資料2冊を、担当がもって説明をしにきた。しかし柴崎先生の資料の中に、その井戸の影響については具体的には示されていなかった。どこでどうその資料から、影響ないと言い切ったのか。問いただすと、地層だとか、地下水の流れ道がこうこうだから、、、と、その資料の図面を使って、勝手な解釈でしゃべり始める。なんだか、口のでかさでまるめこむような、発言になってきたので、僕も負けじと、「なんだかそれはわからない。それじゃ、この影響しない理由について、どう解釈しているのか、文書で私に提出してください」と強く言って、その場を立ち去った。さて、どんな文書ができてくるか楽しみである。


9/8、一般質問。戦いました。ご覧下さい。

鶴岡市議会9月定例議会 草島進一、一般質問 ほぼ全文9月8日


9月6〜一般質問開始。僕は、8日の午後最後である。今回の一般質問は、庄内広域水道、地下水などについての「水」関係の質問が、18番、阿部一也議員、12番、本城昭一議員、17番、吉田義彦議員、25番、石川一郎議員などからだされた。18番議員は、前回のトリハロ論争を出し、「鶴岡の水は宝」と誰かが選挙戦で言いまくったことをそのまま発言しながら、水道部長に質問。それをうけて、ダムの水も安全で十分おいしいと確認した、と発言。12番議員は、水道問題について、住民の納得するPRが足りないのではないかとして、こうしたPRにはカネを惜しんではいけない。プロにお願いして、キャラクターを起用してしっかりとPRすべきだ。と発言。僕は、本質がずれていることをどんな手を使ってPRしてもだめだと思うんだけど、、、と率直に思った。

17番議員は、県道、市道あわせて一日2万6千平方メートル使用しているs消雪用地下水の利用について質問し、建設部長がそれに応え、「昭和55年の調査によると、消雪用の地下水は、上水用の地下水の井戸には影響しないとある。と発言。17番議員は、「安心しました」と応えた。僕は、「ええっ!完全に干渉しないって本当に言えるの?と疑問になった。」ま当然でしょう。


9/2(木)市議会9月定例会開始。総括質疑。大学院、慶応大学先端科学技術センターの鶴岡公園近く、旧野球場跡地への無償譲渡という案件に揺れる。市民側からは、「市民の憩いの場である公園敷地内ではなく郊外への希望」ということで、3000名を越える署名と要望書が先日提出されている。僕は、元の城跡である鶴岡公園敷地の風土について、大事に思っている方がいらっしゃるということなのかと思い、質疑の中で、鶴岡市の風土や、致道館教育の伝統、などの風土を踏まえているか、また「開かれた大学」になっているか、そして特に、バイオの関係の研究が行われるとされている「先端...」については、「危険性が本当にないか」など、慶応大学側に提示している条件などはないか、尋ねた。市長の答弁は、「慶応も相当の覚悟で臨んでいるから、大丈夫」とのことのようだったのだが、みーんな本当に手放しで、それも無償でその土地を譲り渡していいのか疑問がのこり、大学については、風土の「風」をふかす存在、そして様々な交流の場などとして、理解できなくもないのだが、やはり内容の軸がハッキリしないので、賛成側として立つことをやめた。また、勇気をもって自分の意見をのべ、3千の署名を集めた方の意向を、しっかりと受けとめながらその志をくみとって運営や計画に反映させてほしいという願いをこめて、立たないことにした。結果として共産党議員と僕の他はみんな無償譲渡賛成だった。

バラエティにとんだ市民側から様々な意見がでるのは当たり前で、それをしっかりとカタチにしてくれたのだから、むしろ僕は喜ぶべきなんだと思う。「開かれた」大学への大きな手がかりとして、3000名の署名が活かされたらいいなあと思うばかりだ。