1999年11月祭研究発表「見つめようこどもから―子どもと労働―」

2 タイの出稼ぎ児童労働


苛酷な農村からの出稼ぎ児童労働

フィリピンのスラムに住むストリートチルドレンの多くは、家族があり、仲間がおり、コミュニティに支えられたなかで、生きるための仕事に従事している。 一方、タイでは農村から地方への出稼ぎ児童労働が多く、いっそう苛酷な現実に向き合っている。というのは、家族の保護の目が届かない所で、親に支払われた前払い金の債務を負っている場合が多く、ほとんどただ働きに近い状態で長時間労働を強いられているのだ。
タイでは、子どもが働くことは貧困家庭以外でもあたりまえのこととみなされていた。農村では家事や農業を手伝うのは極普通のことであったが、農村の貧困から都市へと子どもの労働が移動するなかで、孤独のなかで、労働がより危険で、搾取的なものになっている。

《バンコクに出稼ぎに行く過程》

子どもたちがバンコクに出稼ぎにくる方法
@ 村々を回って、子どもたちを集めるブローカーに連れてこられるケース
Aすでにバンコクで働いている親戚や友人に連れられてくるケース
B最後は自分ひとりでやってくるケースである。

→ひとりでやってきた子どもたちは、バンコクについて、駅やバスターミナルで待ち構えるブローカーから仕事を斡旋される。
【職業斡旋所】 ブローカーたちが、駅やバスターミナルでさそってつれてきた子ども達に仕事を斡旋し、雇用主との契約を仲介する場所

子どもたちの多くは、雇用主が親やブローカーに前払い金や斡旋料を支払っているために、負債を負っての就労となる。

《仕事場での生活》

【仕事の種類】
・ 建設現場の雑用、
・ガソリンスタンドでの給油や洗車、
・配達、食堂の手伝い、メイドなど

▽ もっとも多い工場労働
路地裏にある電気製品部門、衣類、 皮革製品、雑貨、食品などを加工する小規模工場や零細企業の作業場で、子どもたちは住み込みで働いている。そこでは、窓や戸に鉄格子がはめられていたり、錠がかけられていたりして、子どもた ちが逃げ出すのを防ぎ、工場自体が外界から覗かれないような造りになっている。

《危険・搾取》

タイでは12歳以下の児童の雇用は法律では禁じられており、13歳から14歳の子どもたちは軽労働に限って雇用が認められている。その場合も労働局への申請が必要なのであるが、工場そのものを正規に登録していない経営者も多く、違法な子どもの雇用が多い。

そのような工場の中では
整備されていない作業環境
子どもには過重な労働 −→ 事故多発
充分な休息もとれない長時間労働

▼ 過労でくたくたになっていたある工場で働いていた少女が、身体のバランスを崩して、熱い鍋の上に倒れ怪我を負う

▼ 長時間同じ姿勢で働きつづけた少年の足が変形する
→様々な危険と背中合わせで働いている。
また、仕事の効率の悪さや失敗による雇用主からの暴行、居住環境の悪さや栄養失調から身体を壊す子どもも少なくないのである。

《タイの働く子どもたちが直面する現状》

タイは経済的繁栄が貧困の解消や子どもの明るい未来に結びついていない典型的な例である。政府が経済活動にほとんど無規制の態度をとってきたために、苛酷な労働を強いられる子どもたちの存在が大きな問題となっている。
このことは、出稼ぎ児童労働だけではなく、児童売春などにも深刻な実状をもたらしている。というのは、バンコクは今や悪名高い売春都市となり、タイで働く売春婦の40%は子どもであるという報告がなされている。
その子どもたちは、貧しい農村の出身で、ブローカーなどによって騙されて連れてこられるケースもある。このような子どもに対する商業的性搾取は、子どもに肉体的・精神的・情緒的に大きなダメージを与えるほか、望まない妊娠、HIV、性行為感染、薬物中毒などの深刻な状況に追い込むことになる。
このような子どもたちが一生にわたって、背負わざるを得ないような傷を与える原因が「貧困だ。」と一言で済ませてしまえることなのだろうか。
私たちとは関わりのない所で起こっている貧しい地域に住む人々の話しなのだろうか。

そんな疑問をもとに、タイでも、最も貧しい地域の一つであるイサーンについて、詳しく見ていきたいと思う。


イサーン ・ 開発がもたらした農村の貧困

タイの東北部、イサーン。
 
  ここはタイにおける児童労働の最大の供給地である。
  なぜここからたくさんの子どもが町に働きにやってくるのだろうか?

  イサーンのすがたを見てみよう。





イサーンのすがた
・ タイの国土の約3分の一を占める
・ 人口1800万(タイの総人口の約35%)
     農業生産性が著しく低い土地
           (不安定な乾燥気候、保水力がなく鉄分の多い痩せた赤土、乏しい灌漑設備)


      日々の食べ物にも事欠く生活(昆虫やカエル、トカゲまで日常食に・・)
            低収入(一人あたり平均年収はバンコクのそれの約4分の1)
           
          
                            出稼ぎ労働
・ 農閑期には若者が村を出、残るのは年寄りと子どもばかり
・ まだあどけなさの残る小学校を出たばかりの少年・少女がバンコクへ

◆開発に取り残された貧困地帯
◆タイの地域的不均等発展を象徴する代名詞… =イサーン

それでは、「痩せた、気候条件の悪い土地で貧しいから子どもが働くのも仕方のないこと」なのだろうか?

イサーンは、しかし初めからこれほど貧しかったわけではない。

これはNHKの取材班がドキュメンタリー番組作成のためにイサーンにあるバンダーンという村を訪れた際の村長の言葉である。

「あなた方はこの村は貧しいとおっしゃいますが、いわれてみると私が小さいときよりも村は貧しくなっていますね。年々で稼ぎにゆく人は増え、出ていく人の年齢もここ数年低くなっていますし。昔は小学校を出たての子が出稼ぎにいくなんて考えられなかった。」

いったいイサーンに何が起こったのだろうか?

T 開発がもたらした森林破壊そして貧困

かつて東北タイ一帯は豊かな森林地帯であった。森は、人々によって大切に守られてきた。森は人々にキノコ、果物、小動物などの食べ物、さらには木材、薪などの幸を与えてくれたが…

 第二次世界大戦後…

外貨獲得のための輸出用換金作物(タピオカの原料となるキャッサバなど)の栽培が奨励されるようになった結果、それらの栽培のために森林が開墾された。

外資導入に伴う債務返済の必要性から木材の伐採と輸出がいっそう増加した

軍によるゲリラ対策としての森林破壊(東北部はラオスと国境を接する共産ゲリラの活動地域であった)

盗伐=伐採業者の不法伐採

森林面積は
1950年代 62%
1980年代 14% となった。

その結果・・

・「森の幸」を得ることができなくなった
・ 気候条件、土壌条件が悪化
森がなくなると・・
・ 地下水位が上がって塩害が起こる。
(水を吸い上げていた木がなくなったために地下水位が上がってしまう)
・肥沃な土壌が流出してしまう
・根からの吸水→蒸散→降雨という「水の自然循環」が断ち切られることから降雨が著しく減少、土地が乾燥化、砂漠化する。
・洪水が起こる(土壌の保水機能が低下するから)
・単一作物の連作による地力の低下を補うために多量の肥料などを投入する必要ができた→現金支出が増えた(→ますますキャッサバなどの換金作物を多く作付けするという悪循環)

《森林回復プロジェクトのワナ》

荒廃が進む森林を回復させるために、1985年タイ政府は国土の25%を経済林として民間部門にも開放し、ユーカリなどの商業植林を推進した。
イサーンでは東北タイ緑化計画として森林局が軍隊と連携し、ユーカリの植林を進めた。
が、その「緑化計画」の意味したものは…

「不法侵入者」の強制退去
土地登記の遅れているタイでは、1000万人にのぼる人々が「不法に」土地を占有して森に暮らしている。ユーカリ植林プロジェクトのために彼らは立ち退きを余儀なくされた。

生態系の破壊
・ユーカリは生育の早い木、生産するには効率のよい木だ。しかしそれは土壌からの養分、水分の吸収が激しく地力を著しく萎えさせることを意味する。
・また、医薬品や防虫剤にもなるユーカリに含まれる成分は土壌や他の作物に悪影響を及ぼす。

この、「東北タイ緑化計画」を日本は「東北タイ造林普及計画」というODAプロジェクトで支援していた。

日本政府
この計画は「現地住民がその自発的意志により植林活動を行い、これを自らの生活レベル、福祉の向上に結びつけ、同時に森林、農地の合理的利用や保全を通して自然環境の保全を図ること」が目的の「みどりの国際協力」だ。

製紙会社
 最近環境保護運動の高まりなどで、次々と森林を伐採してばかりでもいられない。「育てる資源」という試みが重要だ。日本の紙供給の安定のためにもぜひODAでユーカリプロジェクトを支援して欲しい。

地域住民
立ち退き、土壌の劣化・・ユーカリは私たちの生存さえも脅かしてしまう。

U増える現金支出

これまでイサーンの人々のいのちを支えてきた森が破壊されてきた状況を説明してきた。つまり得られる食糧、「収入」(=金銭的な意味だけではない)が少なくなってきた状況だ。
が、それだけではない。
「収入」が少なくなると同時に「支出」が多くなった、それがイサーンの人々の置かれている状況である。

人々が貧しくなった原因のもうひとつに現金支出が増えたことが挙げられる。
村の近くに大きな道路ができ、村に電気が引かれる。
ラジオ、テレビによって「外の世界」の情報が入り、
「外の人」が便利な電気製品を持って巧みに宣伝販売にやってくる。

テレビ            扇風機           冷蔵庫
                
               炊飯器              化学肥料         農薬       耕耘機

                              
                              便利な製品

                            無理を承知で月賦で求める


    
                           借金がかさんでしまう

《イサーンの子どもと私たち》

イサーンの子どもたちがバンコクへと働きに行く、それはまさに「貧しさ」ゆえのことである。
「貧困」「貧しい」ということ。
それは、いろいろな原因で起こる。
そこには長い歴史が、いろんな人の、いろいろな思惑が、いろんな事情がからんでいる。
長い時間をかけて、いろんなことが影響しあって、「貧しさ」はつくられていく。
そのことはすでにフィリピンのストリートチルドレンの章で見てきた。
ここでは、もう一歩踏み込んで「貧しさ」のつくられていく、その過程に関わる自分の存在を見てみよう。

「つくられた貧困」の中でバンコクへと働きに行かざるを得なくなる子どもたち。その子どもたちの多くが小規模な町の工場で働く、ということは先に述べた。
小規模な町の工場・・それは多くの場合大企業の下請け、そのまた下請けを意味する。大企業はその下請けにコストダウンを迫り、そのしわよせはそのまた下請けにいく。そしてコストダウンをもう他に転嫁できない末端の零細企業は労働力を安い子どもに頼るようになるのである。安い土地、労働力、税金に惹かれて多くの日本企業がタイに進出していることを考えるとその「大企業」がしばしば日本企業を意味するだろうことは想像に難くない。
実際、児童労働の過酷な状況や警察の手入れを報じた現地の新聞記事の中には日系企業のからむものも登場する。焼き鳥用の竹串をつくる工場、日本から輸入した人工宝石を研磨する工場、日系企業の下請け工場に納めるネオン灯の部品をつくる工場・・。普段私たちが使う、あるいは口にするごく身近なものがイサーンの子どもたちの手を経て作られているかもしれない。しかもそれら日本企業は直接子どもを雇っているわけではないため児童労働の事実を否定するだろう。

子どもをバンコクに送り出す背景をながめてみてもそうだ。

OA化の中でも減るどころかますます増えていく日本の紙の需要。それをまかなうためにタイにユーカリの木が植えられ、立ち退かされた人々は生活基盤を失う。

日本からやって来た立派な家電製品はしばしばイサーンの人々を魅惑し、そして借金のワナに陥れる。

もちろん児童労働でつくられたものを買わなければいいというほど、紙を節約すればいいというほど、タイにものを売らなければいいというほど、問題は単純ではない。
しかし、タイの子どもたちを働かせているその構造の中にまさに自分がいるのだということを私たちは知らなければならないのではないだろうか。

参考文献

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