IV 底辺層の女性労働者を支えるNGO


1.中・下流カーストにおける女性運動

 ここまで見てきたような女性運動の扱っていたサティーや幼児婚などの社会慣習は、主に上位カーストの女性たちにとって特に深刻な問題であり、その運動の担い手も都市の教育を受けた女性たちにほぼ限定されてきた。それでは、中・下位カーストに属する女性たちの間に運動がなかったかと言うとそうではない。中・下位カーストの女性たちにの運動が活発になったのは比較的最近のことではあるが、多くの組織が都市を中心に組織化されており、大きな成果をあげてきた。ただし、添えぞれの運動は構成するメンバーの属する社会階級やカーストが異なるために、必然的にその扱うテーマや目的も、そのニーズにあわせて異なっている。

 先に挙げたサティーや隔離といった問題はほとんど存在しなかったし、女性は比較的自由に男性と交流を持つことができ、再婚も認められていたようだ(ただしダウリーに関しては、前述の通り現在中・下位カーストまで拡大し続けている)。隔離や抑圧から自由である理由の一つとして、中・下位カーストの家庭にとっては(中・下流階級に属することが多いので)、女性も一人の働き手として経済的に期待されていることがあげられるだろう。だがその代わりに、貧しい生活を支えるため女性は時に男性よりも過酷な労働を強いられる。ここにも上位カーストとは別の形でのジェンダー支配が存在しているのである。

 このような状況の中で彼女たちもまたより良い環境を手に入れるために運動を行っている。どちらも実生活の切実な要求から生じたものではあるが、上位カースト女性が社会構造における地位向上を求めるためにフォーマル性・統合性を重視するのに対し、中・下位カーストの女性は主に経済的・物質的な意味での生活水準の向上を求めるためにインフォーマル性、草の根レベルの浸透を重視する。そこで、そのような活動の触媒の役割を果たすのが、ある特定の地域で地域に密着した活動を行うNGO(非政府組織)である。

 このようなNGOの活動は、全国的に見ると幅広い差異があり、地域によって様々である。しかし全体として見ると、細部では異なってはいてもある程度の共通したモデルをそこに見ることができる。一つは、多くの場合女性は自己の法的権利について知識を持っておらず、それゆえ父権的なイデオロギーに支配されているので、現在の状況を当然のものとして受け入れてしまうことが多い。そのような問題に対して一般の意識を喚起し、より客観的に自分たちの置かれている状況を把握できるようにすること(「意識化(conscientisation)」)するための機関としての機能。そしてそのような問題に対し、デモなどを行って他の多くの大衆を基盤とした組織と同様に圧力集団としての機能である。その2つの機能を持って運動全体が目指す目標は、一言で言うならば女性の総合的なエンパワーメントと言うことができる※4。

 貧しい女性たちを支援する代表的なNGOとしては、SEWA(Self-Employed Women's Association 自営女性労働者協会)やWWF(Working Women*s Forum 勤労女性フォーラム)※5があげられる。ここでは、インフォーマル・セクターで働く女性たちの支援を行なっているSEWAの活動を取り上げることにより、具体的にどのような形で貧しい女性たちのエンパワーメントがなされているのかを見ていくことにする。

※ 4 エンパワーメントという言葉の定義自体については議論があるが、ここでは「社会的・経済的・政治的・及び心理的な力を獲得すること」「社会的弱者である女性がパワー(市民的権利)を獲得していくプロセス」という意味で使っている。

※ 5 WWFについてはここでは扱わないが、興味を持たれた方は「NGO大国インド」を参照されたい。

 

2.SEWAの活動

(1) SEWAとは

 SEWA(Self-Emloyed Women's Association 自営女性労働者協会)は、インドの西部のグジャラート州に、1972年にインフォーマル・セクターで働く最下層の女性のために設立された労働組合である。1920年にマハトマ・ガンディーによって創立された、インドで最も古い最大規模の繊維労働者組合を母体としている。実に女性労働者の94%がインフォーマル・セクターで働いているにもかかわらず、彼女たちの労働はそれまでほとんど無視され、制度的に搾取される状態に置かれてきた。このため、SEWAは「インフォーマル」や「未組織労働者」といった否定的な表現ではなく、自ら雇用する”Self-Employed”という新しい名前をつけることによって肯定的に捉え、労働者としての権利を勝ち取ろうとしているのである。

 SEWAは自分たちを単なる組織ではなく、労働運動と協同組合運動と女性運動をあわせた3つの合体運動と位置づけている(<注>それゆえ「女性運動」という狭い枠組みの中で捉えてしまうことは望ましくない。)。そして、SEWAの会員のみならず、インド全体のインフォーマル・セクターの女性たちの状況が改善されるようにアドボカシー活動や、他の女性団体への支援活動を非常に重視している。SEWAは非暴力と真理という方法で社会変革を行うというガンディーの理念を標榜している。SEWAの実際の活動は、労働組合と協同組合と会員への支援事業、農村開発の4つに分かれる。現在労働組合としての職能グループは35,協同組合は67,また、農村の貧しい女性が組織化したDWCRA(Development for Women and Children in Rural Area)グループは80ある。そして支援事業には、(1)SEWAによる貯蓄と融資、(2)保健ケア(3)保育ケア(4)住宅援助(5)法的援助(6)社会保障(7)研修・養成がある。

 SEWAの特色はそのアドボカシー活動にあるといっていいだろう。政府の政策をきちんと批判したり、要求するといった活動をしながらも、政府から頼られる存在にまで成長している。インドのNGOの内には政府からの補助金を受けて、開発の下請け的な役割を果たすように腐敗したNGOも多い。それに対して、SEWAは政府をきちんと批判しながらも密接な関係を保つという、新しい形での政府とのパートナーシップを確立しているのである(この実例については本章第2節〜を参照されたい)。SEWAが現在のような地位を築いた背景として、まず第一に、貧しい女性の草の根の体験を直接理解していること。第二に、問題を顕在化させる労働組合運動と女性運動の経済的基盤を固める協同組合運動がたがいに支え合う「共同行動」をとっていること。第三に会員主体という原則によって、貧しい女性自身が運営を行い、しかも経営が成り立っていること。そして第四に、スタッフの2割を占める高学歴の女性たちが、研究・調査・データ収集・文書化する能力を持っていることが挙げられる。

(2)労働組合運動

 労働組合として始まったSEWAは、設立当初から労働条件についてのアドボカシー活動を積極的に行ってきた。インフォーマル・セクターにおいては雇用ー非雇用の関係が正式には存在していないため、政府を交渉相手とするロビー活動が多く行われる。この20年間の労働組合運動の中で勝ち取った最も大きな成果は政策決定者を含む社会全体に対して、それまで無視されてきたインフォーマル・セクターの女性達を労働者として認めさせたことだ。まず労働者として認めさせ、インフォーマル・セクターで働く女性たちの問題を顕在化させることが、具体的な政策変更を求めるためのステップとなる。

 まず、SEWAはインフォーマル・セクターの女性の実態調査を行う特別委員会の設置を州政府(1984年)と中央政府(1985年)に求める決議案を提出した。そのロビー活動の結果1986年に、中央政府はついにインフォーマル・セクターのための委員会の設置を決められた。しかも翌年には、設立メンバーの1人であるイラ・バットがラジブ・ガンディー首相に国会議員に任命され、この委員会の委員長を努めるよう要請されたのである。この調査委員会はインドの18州をまわり800回にわたる公聴会を開き、「シュラムシャクティー(女性の労働する力という意味)」という報告書をまとめた。この報告書の中では、インフォーマル・セクターの女性たちの労働条件を改善するような政策を求めた提言を広範囲にわたって行っている。

 またロビー活動と平行して、インド各地のインフォーマル・セクターの女性のネットワーキングも始めた。各地のSEWAの連合体は「SEWAバーラット」と呼ばれており6州にわたって現在21万人の会員を抱えている。

(3)SEWA銀行

 SEWAの銀行部門として設立されたSEWA銀行は、この20年で貧しい人々を対象にした、政府や外部援助金に依存しない自立的な銀行経営が可能であることを証明した。1974年に行商や煙草巻など零細自営業を営む女性達が、約4000人の仲間に呼びかけて出資金を集め設立したのが始まりだ。当初33万ルピーで始まったSEWAの運転資金は、1995年現在1億4000万ルピーにまでのぼっている。設立当初は誰も貧しい人々を対象にした銀行経営が成り立つことを信じようとはしなかったが、今では多くの機関がSEWAの例に学ぼうとしている。

 銀行が設立されるまで、SEWAの女性たちはそのビジネスの元手となる材料や商品を仕入れたり、道具を借りるのに、仲買人から前借りをしたり、高い借り賃を支払っていた。そこでこのような貧しい女性のニーズ(サインができない/わずかな額を貯金したい/夕方仕事が終わってから銀行に行きたい/ローンを受ける担保がない)に応えられるような女性専門の銀行の設立が必要であった。それゆえ貸付金は基本的に道具や材料の仕入れなど女性の仕事の生産性や利益を高めるために使われることを原則としている。

 SEWA銀行の銀行経営を通じて様々なことが明らかになった。第一に貧しい女性の貯金に対する意欲である。彼女たちは機会と適切な機関さえあれば貯金したいと願っている。第二に貧しい女性たちの返済能力の高さ。SEWAが銀行経営を初めてから、ローンの返済率は95%と常に高率を保っている。第三に貧しい女性たちも資本金さえあれば生産的な活動を始められるということである。

 さらにSEWAは銀行活動の中で、資産獲得運動を通じて変革を行った。つまり女性がローンを受けて何らかの資産(家、土地、家畜、道具など)を得るときには、必ずそれを女性の名義にすることを条件にしたのだ。こうして資産の所有主となった女性は、自信をつけ、家庭内での発言力も増す。そして、女性が資産を持つことが何ら間違ったことではないというメッセージを、社会に向けて発信することになったのである。

(4)会員への支援事業

 SEWAはこれまで紹介した労働組合運動や銀行経営の他にも、会員の個別のニーズに基づいて様々なアドボカシー活動を行っている。その中でも主なもの2つあげておく。

◇妊産婦検診・妊娠手当の獲得

 会員が妊娠すると15ルピーを支払って産前検診を受けられるようにする。そして彼女ら出産すると10ルピーの出産手当を渡すというプログラムを行なった。このプログラムによって母子の死亡率は低下し、プログラムが徹底した12の村では妊産婦の死亡も乳児死亡もゼロにすることができた。そして政府に対してロビー活動を行なった結果、グジャラート州政府やその他の州でも、労働省を通じてSEWAの協力を得ながらこの「妊産婦保護プログラム」を開始された。

◇ 家族計画・人口問題

 インドは独立後人口抑制政策を展開していた。しかし、ほとんどの決定が政府と人口学者や国際機関で決められるため、草の根の女性の声がまったく尊重されていない。こうした主張をメディア等を通じて積極的に提言を行なった結果、政府の人口政策専門委員会は1994年4月に新しい人口政策を発表した。その政策案では、それまでと違って特に貧困女性の立場や健康を重視した内容になっていた。

(5) 協同組合活動

 SEWAの協同組合活動における主要な成果は、1977年に「政府が商品を購入する際には、女性団体が生産する品物を優先的に買い上げなければならない」というグジャラート政府の決議を勝ち取ったことである。これによって生産物の販路を確保することができ、女性の協同組合が発達史、女性の経済状況が安定するようになった。

 また、SEWAは販路を確保するだけでなく、安定して安価な原材料を得るためのロビー活動も続けている。例えば、森林省に対してかご作りの協同組合に竹の材料の供給を求めた活動が成功を納めている。森林が国有化されてから、竹が非合法な形で製紙工場に流れるようになったため、安価な竹の材料を得にくくなってしまった。それに対して、SEWAは423人のかご作り職人を組織化しロビー活動を行った結果、1989年に州政府はSEWAの協同組合に対して、定期的に低価格で竹の材料を割り当てることに同意したのである。

 

3 SEWAの例から見えてくるもの

 以上のようにSEWAは様々な分野にわたって積極的にアドボカシー活動を行い、大きな成果をあげてきた。SEWAの例から分かるのは、社会階級的にも低い地位にあり、社会から無視されてきた女性たちが、SEWAのような媒体を通じて結びつき、行動することで社会を変革できるということである。それまで社会から無視されてきたインフォーマル・セクターの女性たちを「労働者」として認めさせ、社会的な地位を確立したことにより、それが彼女たち心理的なエンパワーメントにもつながった。また、そのような活動を続けることによって周囲に与える社会的な影響も見過ごせない。力強く社会を変革していく女性たちの運動は、それまでの父権的社会が持っていた「女性像」を大きく変えるものであった。

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