京大ユニセフクラブ2000年度11月祭研究発表
「私たちのお金がこわす途上国の暮らし」

ODAが現地の人の暮らしを壊しているってホント?


この冊子の冒頭の「はじめに」にもう一度目を通して欲しい。これは僕がこの夏フィリピンのバタンガスという港町で実際に体験した出来事である。僕が訪れた集落は、お世辞にも裕福な暮らしをしている様には見えなかった。狭い土地にぎっしりと詰まった粗末なバラック式の家々。そこら中に転がっているがらくた達。もちろん、電気や水道なんてあるわけない。その彼らは日本のODAによって住んでいた場所から追い出されたんだよね…。
あれれ?おかしいぞ。ODAって貧しい人を助けるためのモノじゃなかったっけ?彼らはODAのせいで逆に貧しくなったんじゃない?

これはどういう事なんだろう?まず、バタンガス港プロジェクトについて見てみよう。

・バタンガス港プロジェクトとは

バタンガスには、もともと国内専用の港があった。それを円借款57億8800万円かけて8倍に広げ、国際港として利用しようというのがこのプロジェクトだ。
このプロジェクトが大規模な住民立ち退き(約1500世帯)を伴うことは計画当初から明白であった。が、フィリピン政府は有効な対処をせず…。
ついに、事件発生!
1994年6月27日。住民がまだ立ち退きに反対している中でフィリピン政府は強制立ち退きを実行。その過程で、警官隊の発砲により住民が撃たれるなど数名の重軽傷者が出た。これは、日本のODA初の流血事件である。

流血事件が起こるなんて!なぜこんな事態になってしまったのだろう?

◆なぜ住民はここまで立ち退きに反対したのか?
反対する理由その1 立ち退かされる住民の負担がとてつもなく大きいこと。
19ページのコラムを参考にして欲しい。農村と港の差はあれど、立ち退きの被害の本質は変わらない。バタンガスの人々は港で仕事をし、コミュニティーを築いてきた。その今まで作り上げてきた生活を壊されるダメージは計り知れない。
でも、そのダメージを補償するものがあれば住民も文句を言わないはず。しかし…、

反対する理由その2 立ち退きに伴う補償が不十分であること。
先述のように、バタンガスの人々は港を中心に生活を築いてきた。だから、立ち退きがやむを得ないのならば、港の近くに移転地が欲しい、と政府に求めた。しかし、政府が用意した移転地は港から内陸部へ7キロ、または18キロも離れた土地だったのだ。それは、港近くは地価が高いが、内陸の山がちな土地は安いためである。しかも、安いだけあって地理的条件は悪く、商売もしにくい。これでは不満を言いたくもなる。

◆なぜフィリピン政府はきちんとした補償をしなかったのか?
フィリピン政府は、「資金不足」を理由としてあげた。立ち退き住民のための費用など出していられない、ということなのだろうか。

◆それでは、なぜ補償が不十分なこの計画に日本政府はODAを出すのか?
資金不足が理由でならば日本が補償の分貸してあげれば良いのでは?
そう言うと、日本政府は「自助努力」がODAの理念であると言う。それは、お金をただあげる、貸すというのではなく、それによって相手の努力を促し、最終的に相手国の自立を目指すということである。だから、立ち退き等の費用は相手国が負担すべきだ、と政府は主張する。要するに、甘やかしちゃいかん、ということだ。
しかし、フィリピン政府にお金が無いこともわかっている。それゆえ、立ち退かされる住民の生活が壊されることもわかっている。だったら、ODAをそのプロジェクトには出さない、または、立ち退きの費用までODAで出す、という対応が必要なのではないだろうか?
結局、バタンガスの件では十分な補償はされず、多くの住民は港の近くにバラックを築いて住みつくことになった。それが、僕が会った人々である。現地住民を貧困に突き落とす。そんなものが「援助」と言えるのだろうか?

「はじめに」で紹介した、日本のことを嫌っていたフィリピン人。
日本のODAによる立ち退きが行われる度に彼の様に日本を嫌う人が増えるのだろうか。
現地の人に喜んでもらえない、それどころか憎まれているODA。
ODAは誰のためにしているのだろう。

(京大法3 亀山 元)

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