京大ユニセフクラブ2000年度11月祭研究発表
「私たちのお金がこわす途上国の暮らし」

コラム 「フィリピンの農村にて」


2000年、夏。場所はフィリピンのセブ島。
その日、僕は子供たちがわいわい騒ぐ声で目を覚ました。
「おーなみ、こなみ、でんぐり返して♪」
日本語の歌が聞こえてくる。一瞬ここがどこだかわからない。
あぁ、ここはカルメン村だ。
僕は、ネグロスキャンペーン(フィリピンの農村の自立を支援するNGO)のスタディツアーで「カルメン」という村を訪れていたのだった。
外へ出ると、一緒に来た日本人の女の子二人が子供たちと縄跳びをして遊んでいる。
内容は、「大波小波」。
もう覚えてしまったのだろう、その村の子どもまでが日本語で「おーなみ、こなみ♪」と歌っているのが微笑ましい。
そんなのどかな風景を眺めながら、僕は昨晩聞いた衝撃的な話を思い返していた…。

その前日の夜、僕らは村の人と交流会をもった。
村の集会場に村人達と集まり、ラム酒(フィリピン名物!)を飲み交わした。
最初は農地改革の話だった。
フィリピンにはまだまだ大土地所有制が残っていて、土地を持たない小作民が多い。彼らは貧しい生活を強いられている。農民の生活向上を目指すなら農地改革は不可欠なのだ。
ここカルメン村も昔は貧しかったらしい。
しかし、皆で組合を作って協力し、地主や政府に交渉してきた。結果、農地改革は成し遂げられつつあり、生活は楽になってきたようだった。
村人達の顔は、とても誇らしげであった。

しかし、その後聞いた話が衝撃的だった。
このカルメン村を含む周辺の村々を対象とする工業用地化計画が持ち上がっているらしいのだ。これが実施されれば、カルメン村の人々は村から立ち退かなければならない。
しかも、その工業化を実施する企業の内の一つは日本企業(!)なのだ。
そして、さらに考えられることがある。今、セブ島では政府の方針で全島規模で農地から工業地への転換が行われている。その資金源は、実は日本のODAなのだ!
カルメン村の工業化に日本のODAが使われるかどうかはまだわからない。しかし、セブ島の各地で日本のODAを使った工業化によって立ち退きがなされているのは事実である。
目の前で僕らと楽しそうに飲んでいるこの人、にこにこ笑っている子ども達。彼らの幸せが他でもない日本のせいで奪われる。そう考えると、申し訳なくて胸が苦しかった。

村の組合長さんはとても憤っていた。

「工業化が不必要だとは思わない。でも、ここは私たちが生きている場所だ。食べ物を得 ている土地だ。地主から勝ち取り、大切に育ててきた土地だ。それを奪うなんて許せない!」

さらに、彼はこう訴えた。涙を流しながら。

「日本に帰ってこの事実を日本政府、日本企業に伝えて欲しい。
そして、この計画を止めて欲しい。
もしこの計画が実行されれば、米もココナッツもパパイヤももう採れない。
働けない老人達は生きて行けない。
君らが5年後ここに来ても皆はもういないよ。
君の横にいるその子の笑顔ももう見ることはできないよ。」

僕に何ができるだろう?
何もできないよ、なんて諦めたくない。でも何かできるとも思えない。でも何かしたい。
そういう思いを持って作ったのがこの冊子。
途上国への日本の影響はとてつもなく大きい。そう、簡単に人生を変えてしまう程に。
それを自分が良く知ること。そしてそれを人に伝えること。
今はそうすることしかできない。
でもそうする事が一番大切だと今は思う。

(京大法3亀山 元)

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