新歓学習会「子どもの権利」報告

1997年6月4日
担当:下向、田岡


1. 学習会の趣旨

 

2.学習会の内容

(1)なぜ子どもか?

(2)子どもの権利とは?

ここで子どもの頃自分が感じた「不条理なこと」「子どもの権利だと思うこと」を出してもらう。また、自分の体験だけでなく、日本や世界で子どもの権利が侵害されているのは、どんなことがあるだろう?その中で本当の権利とは何かを考えるきっかけとする。

発言:「姉ちゃんよりおこずかいが少ない。」「でも妹・弟の方が、同じ年齢ではたくさんもらってるんやんな。不公平や。」「フィリピン人と日本人の間の子どもの人権が守られていないっていうのはテレビで見たことがある。」

 

(3)子どもの権利条約成立の歴史的背景

(4)世界の子どもは今

(5)子どもの権利条約とは

(6)条約のもたらした効果

(7)これから期待される効果、及び今後の課題

(8)子どもの権利条約から見えてくるもの

 これまで見てきたように、子どもの問題の背景には社会全体の矛盾、構造的な問題があり、その構造的な問題を解決しない限り、子どもの問題の真の解決はありえない。そしてその構造を作りだし、維持しようとしてきたのは日本を始めとする先進国の商業主義、利益追求主義であり、途上国のはっきりと目に見える形で犠牲になっている飢餓、児童労働、性搾取などの問題だけでなく、日本のいじめや不登校などの問題は、子どもたちの社会に対する抗議と見ることもできよう。したがって、これまで日本を始めとする「北」の国々が追求してきた、利益追求主義、商業主義を見直す時期に来ているのではないだろうか?

 現在大人と子どもの間に「世代間の不公平」とでも呼ぶべき問題が存在しているが、今までのような開発を続けていては、現在の人類が直面している現状(環境問題、核戦争、人間精神の退廃、南北問題etc.)を考慮した場合に、このままでは未来の世代が今までのような生活を送ることが不可能になってしまうであろう。さらに言えば人類そのものの存続に関わる問題でもある。このような問題を、未来の世代(子ども)への責任という視点から見なすことが今求められているのではないか?(「持続可能な開発」との関係)また、子どもの権利という視点からだけではなく、「人間と自然」「南と北」の共存、共生ということも考えていかねばならない。

 そのためにはまず一人一人が今までの「かわいそうだから」という視点から、「人権」という視点(「大人」と「子ども」、「南」と「北」、「人間」と「自然」という関わり合いにおいて当然そうあるべき)という視点に改めていく必要がある。また、めいめいが自分の権利を主張するだけでなく、他人の権利も尊重する義務があることを認識して、すべての人々の人権が尊重される社会へ変えていく力としたい。

 

3.学習会の反省

そもそもぼくが今回「子どもの権利」の学習会をやりたいと思ったきっかけが、大田堯さんの「子どもの権利条約を読み解く(岩波書店)」と楠原彰さんの「南と北の子どもたち(亜紀書房)」であり、どちらも南の子どもの問題と北の子どもの問題を結びつけて考え、その背後にあるより大きな問題を考えることで、単なる「子どもだけの問題」ではなく、大人も含めた社会全体の問題であること、またその社会を作ってきた、維持してきたものとしての大人世代の責任を問い、大人と子どもの関係の変革を求めていると感じ、その考え方が非常に興味深く感じられたからである。

それで最初からおおよその構想はできており、ほぼ予定通りの形で仕上がったと思われるので、学習会の構成には個人的には満足している。事前の準備に関しても、興味のある本や資料やホームページなどを読みあさって、自分が納得のいくまで調べられた点に関しては満足している。

反省すべき点をいくつかあげておくと、まず本から入っているので、著者の主張がそのまま自分の主張となってしまい、自分自身の今回のテーマに対しての主張なり、考え方なりが充分考えられなかった点があげられる。したがって学習会でも他人の言葉を借りてしゃべっているようで、自分の言葉として、実感を込めて充分伝えることができなかったのではないかと思われる。

次に、そのような方法で準備を行ったので、もう一人の担当者である下向さんとの協力、役割分担や批判を通じてお互いの主張を吟味するといった作業が不十分であったように思われる。ぼくが勝手に興味を持って調べることに下向さんが協力してくれる、といった形に、結果として、なってしまったことについては反省している。

最後に、上の2つの反省とも関係していることであるが、学習会で「伝える」ことの難しさを感じた。まず、ぼくは調べること、知ることが第一の目的であったため、伝えることについては、なおざりになってしまった点。そして調べている間にあれもこれも伝えたくなってしまい、欲張ってしまったため、何を伝えたかったのかが不明確になってしまった点。さらに、興味・関心、知識、さらには参加意欲の異なる様々な参加者に対し(といっても参加者はたいしていなかったんだけど…)、どのような構成、内容、手法が望ましいのか、学習会の目的自体が参加者の興味・感心、知識、参加意欲等によって左右されるため、この点については、今後も学習会そのものの「伝える」という行為に内在する問題であるため、今後も議論が必要な部分であると考えている。<田岡直博>

 

今回の学習会では私は前半部分、学習会の内容の(1)〜(4)を担当しました。あまり学習会に人が来なくて少人数で行ったため、調子に乗って妙にアット・ホームな雰囲気になり、ただでさえ足りない時間がますます足りなくなってしまい、後半部分担当の田岡くんには大変な時間短縮をしいるという迷惑をかけてしまいました。(感想シートには私のいらんしゃべりが面白かったなどという悲しい意見も見受けられました。)

今まで子どもの権利に興味はあったのですが、きちんと調べたり、本をじっくり読んだりしたことはなく、今回の学習会が私にとって初めての体系的(?)な勉強の機会でした。田岡くんに言われるまま本を読み、宿題を出されて一生懸命にこなす、というような状態でしたが、少しずつ自分なりの意見が見えてきたり、問題意識が固まってきたりして、自身にとっては有意義な学習会でした。知識不足やレジュメの推敲の不徹底のため、学習会に参加してくれた人にとってよい学習会であったかどうかは疑問に思うし、もし今度こういう学習会をやる機会があれば、今度は少し聞き手を考えた学習会を試みたいです。<下向智子>

 

4.参加者の感想(参加者は5人。うち1回生1人)

1、2回生にはまずまずの反応が得られたが、3、6回生のような上回生の方々からは、新しく気づかされることがない、「権利」という方向からのアプローチの是非、何を伝えたいのかが明確でないなどの、いくつか有用なご意見、ご批判をいただいた。

 

 

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