船橋市西図書館の蔵書廃棄問題について(見解)

図書館問題研究会常任委員会

 船橋市西図書館で昨年(2001年)8月に廃棄された一般図書170冊について、107冊が廃棄基準に適合していなかったとされる新聞報道があった。このうち、船橋市立図書館全体の蔵書として一点のみ所蔵していたものは17冊だったが、廃棄された図書の内訳が特定の著者のものが多く、いくつかの新聞や雑誌で批判的な記事が掲載された。これらの著者は、いわゆる「自由主義史観」の著者で、廃棄に政治的・思想的な意図があったのではないかとの疑いが出ているものである。 船橋市教育委員会の調査の結果、廃棄に不適切な点があったとして、司書と館長が処分されることになり、日本図書館協会の調査も行われた。同調査は、さらに続けられるが、廃棄の理由・背景についてはいまだに不明なままである。
 事実を解明した上でなければ、適切な見解を公表することはできないが、図書館資料としての図書の廃棄にあたって、図書館としてどのように考えるべきか社会的に問われているので、図書館問題研究会常任委員会として、一般的見解をここに明らかにするものである。 なお、ここでの見解は、一般的な市区町村立図書館の一般的なコレクションのあり方を述べたものである。都道府県立図書館や国立図書館、大学や学校の図書館、特殊なコレクションなどは、廃棄の考え方の水準そのものが異なることを付言する。

1 公共図書館における図書の廃棄について

 市区町村立図書館においては、直接、利用者が接する書架については、新鮮さと使いやすさが求められる。 そのため、利用の少ない図書、発行の古い図書、盗難・書き込みのおそれが高い図書を、書庫に入れたり、書架構成をわかりやすく保つために、一部の図書を別置するなどの方策をとるのが一般的である。消耗の激しい図書、相対的に利用の少ない図書を廃棄するという行為も、限られた書架を新鮮で使いやすい状態に維持する目的で行う方策の選択肢の一つである。
 しかし、市区町村立図書館の図書は、通常、その大半が自治体の予算により購入したものであり、住民の財産であって、安易に廃棄することはできない。したがって、図書の廃棄にあたっては、住民に説明できる客観的な基準に基づいて行うことが必要である。

2 自治体における図書館行政の役割

 以上のことから、自治体教育行政においては、住民の信託にこたえうる専門的教育機関として図書館が機能できるように条件整備を行うことが求められる。まず、司書の専門職制度を整備することが必須である。図書館で行われる業務のうち、専門的なものについては、司書を採用・配置すべきである。また、これら専門職集団の長としての図書館長には、当然、専門的能力を有した人材が求められる。地方分権の推進の中で、規制緩和の一環という政府側の位置付けによって、図書館長の資格要件がまったくなくなったが、このようなことは、今回のような事態(事実がどうであれ、図書館長がチェックできない)を多く招きかねない。自治体行政の見識として、司書資格があり行政運営能力と教育に関する識見を持つ図書館長を配置する努力が求められる。人材を広く全国や他館種からも求めることが必要であろう。また、国としても、図書館長に専門的能力・行政運営能力・教育に関する識見を備えた人材の配置を促進する施策が必要である。
 さらに、図書の保存に関して言えば、書庫の整備や、他の図書館との協力が推進されなければならない。

3 今回の廃棄処理の問題点

 今回の廃棄については、当該の司書のみが関与したことなのか、図書館全体の問題なのか、ミスであるのかどうかといった事実でいまだ不明な点があるが、少なくとも次の問題点がある。

(1)廃棄基準に適合しない資料が多数あったことは、事実である。たとえ、ミスであるにしても、図書館資料の廃棄は慎重に行わなければならないことであり、それ自体、責任を問われる問題である。

(2)もし、何らかの政治的・思想的意図があったとすれば、「図書館の自由の宣言」の「第2 図書館は資料提供の自由を有する」の1に述べられている「図書館は、正当な理由がないかぎり、ある種の資料を特別扱いしたり、資料の内容に手を加えたり、書架から撤去したり、廃棄したりはしない」という文言に明らかに抵触する。また、同宣言の資料の収集について述べたところであるが、「第1 図書館は資料収集の自由を有する」「2 図書館は、自らの責任において作成した収集方針にもとづき資料の選択および収集を行う」「(2)著者の思想的、宗教的、党派的立場にとらわれて、その著作を排除することはしない」に本質的に抵触するものである。極めて重大な問題であり、司書や図書館全体に対する信頼失墜行為であり、その責任は大きい。

(3)仮に、政治的・思想的な意図がなかったにせよ、実際に廃棄対象になった図書の内訳を見ると、特定の著者が多く、かつ、廃棄基準に沿っていないものがあり、極めて不見識な行為と言わざるを得ない。

(4)当該の司書が実際にどの程度、関与していたのか、今後の調査を待たなければならない部分があるが、司書の資格を有している職員が、このように問題のある廃棄にかかわっていたとすると、その責任は大変重いと言わざるを得ない。関与したとされる司書は、専門家としての説明を公式に行う責務がある。

(5)図書館長は教育機関として決済を行う。図書館長のチェックが入っていなかったこと自体が大きな問題である。司書の資格を持っていなかったにせよ、図書館長がチェックを行っていなかったことの責任は重い。

(6)船橋市立図書館は職員の司書の比率も大変低く、図書館長も司書の資格を持っていない、専門職制度を導入しているとはいえない図書館である。これでは、司書集団としての専門家同士のチェック機能が働かず、教育機関としての図書館長の決裁権も実質的な意味を持たない。図書館をこのような状態にしておいた行政側の責任も重い。市及び市教育委員会としても、図書館に司書の専門職制度を正式に導入し、図書館長にも司書を配置し、図書館としてのチェック機能が働くようにすべきである。

4 図書館の自由とは何か − いわゆる「良書主義」との訣別を

 「図書館の自由」とは、住民の知る権利を保障する図書館の働きを示す言葉である。住民の知る権利を保障する確かな砦としての図書館の教育機関としての独立性を宣言したものである。図書館はこの住民の信託にこたえなければならない。今回の問題は、廃棄の意図がどのようなものであったにせよ、住民の不信を招くものである。
 「図書館の自由」とは、司書の評価する資料を中心に住民に提供することができることを表明するものでは断じてない。司書は、専門職として、当然、資料の評価は一定できなければならないが、それは、公平・公正であるべきであるのは言うまでもなく、評価しない資料についても、住民の要求や必要性に応じて提供しなければならないのである。この点、いわゆる「良書主義」と呼ばれるもの−住民に悪い影響が及ぶと考える資料を排除する考え方−は、知る自由を保障する図書館として取るべき態度ではない。この点について、司書及び図書館は今一度、認識を再確認する必要がある。
 国立国会図書館の壁には「真理はわれらを自由にする」と書かれている。しかし、「真理」とは、誰かが一方的に押し付けるものではない。さまざまな立場から書かれた多様な資料(判断材料)を比較検討することによって、だんだんと明らかにされるものである。図書館の壁にこの言葉が書かれている意味を再度、確認したい。図書館問題研究会としては、この問題を大きな反省材料として、「図書館の自由に関する宣言」についての一層の理解のために、図書館職員自身、また、各方面に対する普及活動に取り組みたい。

2002年5月28日


(参考)・・・ブラウザの「戻る」ボタンで戻ってください。
図書館の自由に関する宣言(日本図書館協会のホームページより)
図書館員の倫理綱領(日本図書館協会のホームページより)
船橋市西図書館の蔵書廃棄問題記者会見(船橋市のホームページより)


トップページへもどる要望等のページへもどる