「台湾靖国訴訟」から「合祀イヤです訴訟」へ
日本による台湾統治と靖国問題を知る闘いの書
『還我祖霊(かんがそれい)――台湾原住民族と靖国神社』
白澤社発行/現代書館発売 定価2200円+税

 2006年8月15日に小泉首相が靖国神社を参拝した時、東京で繰り広げられた抗議デモの中に、「還我祖霊」という文字を染め抜いた黒いTシャツ姿の一団がありました。それは、靖国神社に合祀された祖先の霊を返せと主張する台湾原住民族の人々でした。
 なぜ台湾原住民族の人々が「日本人」として戦死し、靖国神社に合祀されることになったのでしょうか。そして今なぜ原住民族の子孫たちは、その合祀に反対し、取り消しを要求しているのでしょうか。

 台湾靖国訴訟の弁護団の一人中島光孝弁護士によるこの著書は、そうしたことを、日本による台湾統治およびその後の国民党政権による戒厳令時代の「白色テロ」の実情、そして近年ようやく始まった原住民自身による歴史と文化の回復運動について詳しく述べる中で明らかにしています。
 そして、台湾訴訟の原告である高金素梅(ガオチンスウメイ)(チワス・アリ)さん、靖国神社に合祀されている「高砂族」の子孫としてその合祀の取り消しを要求する原住民族の人々、戒厳令下で国民党政権に対する不屈の闘いを続けてきた人たちなど、これまでほとんど知りえなかった人々の闘いの姿が活写されています。
 台湾と原住民族の歴史と現状、そして靖国神社とその首相参拝をめぐる訴訟について、これほど包括的に、国際的な視野を持って、非常にわかりやすく書かれた書物はこれまでになかったのではないでしょうか。著者自身もこの訴訟に関わるまでは「台湾のことについて実はよく知らなかった」といいます。そして何度も台湾現地に足を運び、原住民族の人々と交流し、聞き取りをし、調査をしました。だからこそ、この書物は、予備知識のない人にとってもたいへん理解しやすいものとなっているのです。

 日本の台湾統治と靖国神社とは切っても切れない関係にあります。
 1895年、日本は日清講和条約で清国から台湾の割譲を受けますが、台湾の人々は、「台湾民主国独立宣言」を発し、日本の支配に抵抗しました。これを鎮圧する陸軍の近衛師団長が皇族の北白川宮能久(きたしらかわのみやよしひさ)でした。彼はその戦役で没し、台湾神社と靖国神社で祀られることになりました。
 日本の統治時代の実情は、1930年の「霧社事件」に集中的に示されています。それは、経済的にも文化的にも蹂躙されてきた原住民族の人々が武装蜂起した事件でした。これには警察だけでなく日本軍までが出動し、彼らの「討伐」のために初めて毒ガスを使用しました。
 日本はこの「霧社事件」で生き残った人々を別の地域に移住させ、その子どもたちの世代に、「天皇の赤子」になるべく徹底した「皇民化教育」を施しました。それは「御真影の礼拝」、「国旗掲揚」、「日本語の普及」、さらには死者の埋葬方法や祭祀、日々の生活習慣などすみずみまでわたるすさまじいものでした。
 1938年頃まで使用されていた修身の教科書では、次のような文章があります。
ヨシヒサシンノウサマ ハ テンノウヘイカ ノ オイヒツケ デ タイワンヘ オイデ ニナリ、イロイロナ ゴナンギ ヲ ナサレテ、ワルモノヲ オシズメ ナサイマシタ。
 台湾のこどもたちは、日本の支配に抗した自分たちの両親・祖父母を「ワルモノ」として教えられ、台湾の人々を虐殺し、その地を蹂躙した軍の指揮官を崇拝するよう教えられたのです。

 そして彼らを「高砂義勇隊」へと志願させ、激戦地域へと送り込んだのでした。著者は「民族浄化」ないしは民族殲滅に近い過酷な仕打ちを行った日本という国に対し、なぜ抗日部族の原住民族は自らの生命を提供したのかという問題提起を行い、強制移住による記憶の伝承の遮断と「皇民化教育」をあげています。
 このようにして戦死した人々は、みな靖国神社に合祀されました。しかし、遺族にはそのことは長い間知らされないままでした。1977年、靖国神社から台湾の元軍人・軍属の遺族の代表に、2万7800人分の祭神簿写と合祀通知書がまとめて送付されました。1979年に台湾原住民らが厚生省を訪れて補償を要求したところ「日本国籍ではないから」と拒絶され、靖国神社を訪れて合祀の取り消しを要求すれば、それも拒絶されてしまったのです。

 この本はさらに、靖国神社そのものについて詳しく言及しています。靖国神社は軍の管轄下の軍事施設であったことが、綿密な資料に基づいて明らかにされています。合祀の手続きも、まず軍が戦没者の中から合祀されるにふさわしい者を選び出し、天皇の「裁可」を経て合祀者を決定し、官報に告知され、合祀祭を執行するという、軍事と宗教とが密接に絡み合ったものでした。それは、兵士や遺族に、戦死を「喜び」や「誉れ」と感じさせるための装置でした。
 そんな靖国神社は、戦後、解体された軍と運命を共にすることもなく、単なる「宗教法人」に鞍替えして延命を図りました。
 にもかかわらず、国と靖国神社とは戦後も密接に関わり続けています。厚生省引揚援護局と地方自治体は、200万人以上の戦死者の氏名や戦死の状況などの個人情報を靖国神社に提供し、これらの諸費用は全て国費でまかなわれました。靖国神社への合祀には、戦後の国・地方自治体の全面的な支援なしにはありえなかったのです。

 この本の表紙は、民族衣装で身を包み、顔にイレズミをして提訴に臨むチワス・アリさんと原住民族の女性の絵で飾られています。そのもつ重大な意味と彼女らの決意も本書で展開されています。
 小泉首相の靖国神社参拝に対する一連の違憲訴訟の中で、2003年に提訴された台湾靖国訴訟は2005年9月30日の大阪高裁での違憲判決という成果を残して終えました。そして、靖国神社に合祀された台湾原住民族の祖霊を取り戻し、封印されていた台湾原住民族の歴史と文化を取り戻す還我祖霊(かんがそれい)の闘いは、靖国神社そのものを相手取った「合祀イヤです訴訟」を舞台とした新たな局面に移りました。この書物はその新しい訴訟を知る上でも必要不可欠の闘いの書となっています。
 還我祖霊(かんがそれい)――それは、日本人にとっては、今なお続く「靖国」の呪縛がどのようなものであるかを、台湾原住民族の視点を通じて知ることでもあります。
(2007年1月28日 大阪Na)

注:「台湾原住民族」という呼称は、台湾で原住民族自身の運動の中から選ばれたものです。(台湾で「先住民族」というと、“すでに滅んでしまった人々”という意味があります。)「原住民族」に属する個人は「原住民」と呼ばれます。また、台湾の漢族には、日本の敗戦以前から台湾に住んでいた本省人(ほんしょうじん)と、それ以降国民党政権とともに大陸からやってきた外省人(がいしょうじん)とがいます。本書では「台湾における漢族と原住民の間、漢族のなかでも外省人と本省人の間、外省人のなかでも権力の中枢にいた者と一兵卒であった者の間には、いろいろな意味で大きな隔たりがあり、政治的立場や利害関係は錯綜している。」として、台湾について理解する上で重要で基本的な見地が指摘されています。


靖国合祀イヤです訴訟の公判の日程
第2回公判 2月13日(火) 大阪地裁にて午前10時30分開廷。(傍聴抽選締め切りは午前9時30分です。間に合うように正面玄関前に来て下さい。)
「靖国合祀イヤです訴訟」と共に闘う会のホームページhttp://www.geocities.jp/yasukuni_no/

以下公判の予定
第3回 4月10日(火) 第4回 6月5日(火) 第5回 8月28日(火)
第6回 10月16日(火) 第7回 12月18日(火)



(参考記事)
※中島光孝さんの講演報告
憲法改悪、教育基本法改悪に反対する連続講座第6回報告
「戦う国家は、祀る国家」=侵略戦争の遂行のためには、戦死者の顕彰と教育による洗脳が不可欠

憲法無視・人権否定・挑発行為の小泉首相靖国参拝 改めて台湾訴訟大阪高裁判決の意義を再確認する
[投稿]「靖国合祀イヤです訴訟」提訴!靖国神社を相手取ったまったく新しい裁判が始まる
[映画紹介]『出草之歌 台湾原住民の吶喊 背山一戦』人間の魂とは何か、人間の尊厳とは何かを問う