反占領・平和レポート NO.38 (2003/12/2)
Anti-Occupation Pro-Peace Report No.38

「分離壁(Wall)」の強行で墓穴を掘る
急速に深まるシャロン政権の動揺と亀裂
−−イラク占領の破綻とブッシュ再選の危機で米国の支援にもかげり−−
Sharon Forced the Wall Building, Digging his Own Grave.
Quakings and Fissures Deepening Within Sharon Government and Israeli Establishment
-- As the Occupation of Iraq Brokendown and Bush's Reelection Endangered, US Support for Israel also Clouded --

[翻訳紹介]
「ヤアロンの“70人のヴァージン” Ya'alon's 70 Virgins」(ウリ・アヴネリ 2003.11.15)


 今回紹介するのは、「グッシュ・シャロム」のサイトに掲載されたウリ・アヴネリ氏の論評「ヤアロンの『70人のヴァージン』」です。ヤアロンの変節は、現在のシャロン政権の陥っている未曾有の政権危機を反映する最も典型的な現れの一つです。翻訳に入る前に、ここ1〜2ヶ月のシャロン政権の危機の深刻化について、少し詳しく解説しておきたいと思います。

(1)イスラエル型アパルトヘイト体制の物理的象徴としての「分離壁(Wall)」

 10月1日のイスラエル閣議は、「分離壁」の第2期工事を承認しました。この第2期工事の特徴は、約18,000人の人口をもつ最大規模のアリエル入植地を取り込むため のものだということです。さらに、10月23日には、国防省が「分離壁」の建設ルートの詳細を公表しました。それによって、イスラエル平和運動の「グッシュ・シャロム」や人権団体「ベッツェレム」などがこれまでに暴露してきたことの正しさが、当局の発表として裏付けられました。
 「分離壁(Wall)」は、これまでの長期にわたるイスラエルのパレスチナ支配が誰の目にも見える形で露呈してきたものに他なりません。それは、植民地主義的パレスチナ支配と帝国主義的領土併合、パレスチナのゲットー化とイスラエル型アパルトヘイト体制の、まさに「物理的象徴」となっています。

 7月末に「分離壁」の第1期分、約140キロメートルの完成が発表されました。それを機に国際的関心が高まり、「ウォール」反対運動が強まりました。私たちも、このアパルトヘイト・ウォールの実態を詳しく紹介し、国際オンライン署名を呼びかけました(「反占領・平和レポート No.34」)。しかし、シャロン政権は、6月末から1か月半続いた「停戦」をぶち壊して再び軍事的弾圧の強硬策を公然化させ(「反占領・平和レポート No.33」参照)、「分離壁」建設を正当化しようとやっきになってきました。

 第2期工事の閣議決定は、ウォール反対運動が現地でも国際的にもいっそう強まってきた中で強行されました。その背景にあるのは、シャロン政権に対するイスラエル国内での不満の高まりです。一方では国内の経済的財政的苦境がいっそう深刻さを増し、他方では対パレスチナ軍事弾圧路線が手詰まり状態に陥っているからです。
 シャロンは、米国が黙認してくれると判断して、またそれさえあれば大丈夫と判断して、強行突破しようとしたに違いありません。なぜなら、その前日に米国が対イスラエル債務保証の減額(「分離壁」が西岸地区に大きく喰い込んでいることに対する懲罰的措置)の決定を先延ばしすることを決めたからです。

 しかしながら、今回ばかりはシャロンは国際政治の動向を見誤り、墓穴を掘ったのではないでしょうか。第2期工事強行以降、ウォール反対闘争は、米英軍によるイラク占領反対闘争とますます結びついて、全世界的な広がりと強まりをもって闘われるようになりました。
 そのような国際的な反対運動の高まりを背景に、10月21日、国連緊急特別総会は、イスラエルに「分離壁」建設中止と撤去を求める決議を、賛成144、反対4、棄権12で採択しました。そこには、イスラエルが建設している「分離壁」が国際法に違反しているということが明記されました。この決議は、パレスチナ自治政府国連代表が起草し、EUとアラブ諸国とで協議して作成したもので、前週に安全保障理事会に提出されましたが米国が拒否権で葬ったものです。
 11月上旬には、現地と世界中でウォール反対行動が行われました。日本でも「Stop the Wall !! 実行委員会」が結成され、11月21日に東京池袋で抗議行動が行われました(http://www.stopthewall.jp/)。

(2)イスラエル支配層内での深刻な亀裂とその拡大

 10月29日、タカ派参謀総長ヤアロンがシャロン政権の軍事強硬路線を批判していたという、驚くべき事態が露呈しました。イスラエルの主要紙が報じたところによれば、自治区の封鎖は「イスラエルへの憎しみを増幅させ、テロ組織を利する」ので封鎖を緩和するように10月中に再三政府に対して主張したが政府は対応をとらなかった、アッバス前首相が軍撤退を求めた自治区からはすべて撤退して治安権限を引き渡すべきだった、「分離フェンス」も軍に防衛上過大な負担を強いるのでルートを短縮すべきだ、などという内容です。日本の大手メディアでもとりあげられましたが、詳しい事情や背景までは報じられていません。

 「グッシュ・シャロム」のサイトに掲載されたウリ・アヴネリ氏の論評は、ヤアロンの政権批判がいかなる意味をもっているのかについて詳細に解説しています。それを翻訳紹介しました(後掲)。アヴネリ氏は、こう述べています。
 「ヤアロンのドクトリンはこうだった。−−アラブ人の頭をたたけ、そうすれば彼らは屈服するだろう。それでも不十分なら、もっと激しくたたけ。あらゆるパレスチナ人の生活を耐えがたいものにし、村や町から出られないようにし、世帯の生活の糧を破壊し、土地を取り上げろ。」「打撃に続く打撃がうちおろされると、パレスチナ人の生活は破滅の限界点に達するだろう。彼らは手をあげ、頭をたれて、イスラエル政府がこれで十分だと判断する施し物をすべて受け入れるだろう。」
 この前半については、「ヤアロンの目的は達成されてきたのである。...計画にしたがえば、パレスチナ人はとっくに屈服しているはずだった。」「しかし、不思議や不思議、それはまだ起こっていない。パレスチナ人は屈服していない。彼らは、こんなぞっとするような恐ろしい状況の中でさえ、なんとかかんとか生きのびている。」「パレスチナ人の間での唯一の議論は、自爆攻撃をイスラエル内でも続けるのか、それとも占領地の入植者と兵士に限定するのかということである。」
 軍事強硬路線から得られるはずだった結末は、予測と正反対だったのです。「タカ派ヤアロンが擬似ハト派ヤアロンになった。」とアヴネリ氏は皮肉たっぷりに論評しています。そして結論はこうです。「ヤアロンは、突如ヒューマニズムに目覚めて苦しんでいるわけではない。彼は、イスラエル大衆が徐々に彼の戦略から離れていきつつあるのを感じとっているのである。俗人でさえ彼が失敗したのだということを理解しはじめている。ヤアロンが路線を変更しつつあるのは、大衆がコースを変えはじめているからである。」と。

 今夏の「停戦」時には、ヤアロンをはじめ軍中枢は、あと一息でパレスチナ人は屈服するという認識で「停戦」に反対し、軍事行動を続行しました。その結果は、まさに彼らの思惑とは正反対のものになったのです。それに続いたのが、9月末の空軍パイロット27名の占領地空爆拒否声明でした。軍事国家イスラエルの根幹が激しく揺さぶられました。(「反占領・平和レポート No.36」「同 No.37」参照。)
 シャロン政権は、再度対外的に軍事的緊張を高めて引き締めを行おうと画策しました。シリア空爆とガザ侵攻です。特に10月9日深夜からのガザ地区南部エジプト国境のラファへの侵攻は、120戸以上の民家を全壊させ、1000人以上の人々の家屋と家財を奪いました。その後もガザ市をはじめとしてガザ地区への空爆を繰り返しました。(詳しくは「ナブルス通信」と「パレスチナ子どものキャンペーン」が報じていますので参照してください。)
 しかし、それも限界を露呈しはじめています。10月末の地方選挙は、大量の棄権とリクード党の敗北に終わりました。その直後の11月1日、テルアビブでの故ラビン首相追悼集会に15〜20万人が結集し、「占領地を放棄せよ!」「シャロンは退陣せよ!」のスローガンがあふれました。対外的に軍事的緊張を高めることで国内の人民の不満をそらせるということが、もはや困難になりつつあるのです。

 参謀総長ヤアロンの政権批判が報じられるや否や、シャロンは激怒してヤアロンに謝罪を要求し、モファズ国防相もヤアロンを譴責したと報じられました。しかし法相はヤアロンを支持し政権内の意見対立が表面化しました。また、シャロンがヤアロンに対して辞任要求を差し控えたのは、これ以上の強硬路線には批判的になっている軍が全体としてヤアロンを支持しているためであるとも報じられました。占領地での軍務拒否の広がりがエリート軍人にまで達し、軍内部が激しく動揺しはじめ、政府に対する軍の忠誠と支持まで動揺しはじめているのです。

(3)参謀総長に続いてシンベト(国内治安機関)元長官4人が政権批判

 11月14日には、イスラエル最大の日刊紙「イディオト・アハロノト」のインタヴュー記事で、4人の元シンベト長官(在任期間1980〜86、88〜95、95〜96、96〜2000)がシャロン政権批判を展開しました。その主要な内容は次の通りです。

 アブラハム・シャローム(1980〜86在任。現在は国際的企業のコンサルタント):「我々がとっている方策のすべてが、和平への熱望とは正反対のものである。もし我々がイスラエルのすべての土地に固執するというこの方針から離れないのであれば、そしてまた、もう一方の側のことを理解しはじめることがないのであれば、我々はどうにもならないだろう。我々はもう一方の側が存在していることを認めなければならない。それが感情を持っていて、苦しんでいて、そして我々が不名誉なふるまいをしているということを認めなければならない。そう、不名誉に(disgracefully)...。他にピッタリの言葉 はない。我々は、誤った手段を用いる哀れな戦士の一民族になってしまった。」
 ヤーコヴ・ペリー(1988〜95在任。銀行家、企業家):「我々は、ほとんどすべての領域−−経済的、政治的、社会的領域、そして安全保障の領域−−で、破滅にむかって坂を転げ落ちようとしている。」「我々は、我々自身の手に状況を掌握する必要がある。付随するあらゆる困難を排してガザを離れ、そして不法入植地を解体する必要がある。ナブルスの丘やヘブロンの中に心地よく身を落ち着かせるイスラエルの土地があってほしいと願う入植者のグループが、...いつもいるものだ。我々は、彼らと衝突しなければならないだろう。」
 カルミ・ギロン(1995〜96在任。最近までデンマーク大使。現在、地方議会議員・議長):「もし我々がパレスチナ人との紛争を続けるなら、この国はますます悪くなっていくだろう。...政府は、次のテロ攻撃をいかにして妨げるかという問題にしか対処していない。いかにして今日我々が陥っているこのメチャクチャな状態から抜け出すのか、という問題を無視している。...我々が破滅へと向かっているということは、私には明らかだ。」
 アミ・アヤロン(1996〜2000在任。元海軍司令官。灌漑システム会社経営):「我々が今とっている方策は、イスラエル国家が民主主義でなくなりユダヤ人の故郷でなくなるようなところまで、確実に寸分の狂いもなく導こうとする方策である。」「もしイスラエルがガザ地区を放棄すれば...そして本当に不法入植地を解体しはじめれば、...パレスチナ人は交渉のテーブルに着くだろう。」
(註:4人の言明は、「グッシュ・シャロム」の配信メールより訳出しました。)

 これら4人は、かつて国内治安組織のトップであったというだけでなく、現在もイスラエル支配層の中で確固たる地位をもっています。イスラエルの支配層の中にシャロン政権を見限りはじめた部分が現れて、公然と政権批判を始めるところまできています。

(4)軍事強硬路線の破綻とシャロン政権の術策的「方針転換」

 パレスチナ自治政府クレイ内閣は、10月5日の発足当初からイスラエルとの間での停戦合意をめざし、パレスチナ各派への停戦の呼びかけを行なってきました。それに対してシャロンは、当初から冷淡な姿勢をとり続けましたが、10月30日(参謀総長ヤアロンの政権批判が報じられた翌日)、クレイ首相といつでも首脳会談を行う用意があると演説し、ガラリと方針転換しました。
 さらに11月5日には、モファズ国防相が、西岸各地に配備中の軍部隊を削減すると発表しました。11月12日にクレイ新内閣が正式に発足するとすぐに、イスラエル外相が、シャロン=クレイ首脳会談が10日以内に行われると発表しました。11月17日にはシャロン首相自身が、訪問先のローマでクレイ首相と数日中に会談することを希望していると語りました。
 そのようなシャロン政権の方針転換に対して、クレイ自治政府首相は、「結果が伴わなければならない」と述べて、イスラエル側の実行ある譲歩を要求しました。その後、来年夏までに複数のユダヤ人入植地を撤去し入植者を南部のネゲブ砂漠に移住させるという計画が出てきました。部分的であっても入植地を実際に撤去するというのは、シャロン政権の基本方針にかかわる政策転換です。これは、11月21日に表明されました。
 これらの方針転換は、参謀総長ヤアロンや元シンベト長官らの意見と合致しています。シャロンは、政権内部および軍と支配層内部の亀裂の修復に動いたと考えられます。

 ところが、ここでシャロンにとっての大きな誤算が生じました。11月25日、米政府が対イスラエル債務保証を約2億9千万ドル削減することをイスラエルに通告し、26日に、削減したと発表しました。3年間で90億ドルという額の約3%で、「象徴的な措置にとどまっている」と論評されていますが、シャロンにとって誤算であることはまちがいないでしょう。
 シャロンは、2日後の11月28日に、ロードマップの進展を図るために数週間以内に西岸自治区からの軍撤退と仮入植地の撤去を行うことを計画中であると、急遽発表しました。

 しかし、他方で、それらの「譲歩」と引きかえに、「分離壁」の建設はいっそう加速させ、パレスチナ人居住区を西岸の40%以下にとどめるように境界を一方的に確定することを公然と主張しはじめました。パレスチナ人の居住地域を約40%に縮めるというのは、シャロンの当初からの計画でした。それをついになりふりかまわず公然化させました。一連の術策的「方針転換」は、イスラエル型アパルトヘイトを完成させる「分離壁」を最後までゴリ押しするための煙幕にすぎないのです。
 「分離壁」こそがシャロンの政策の根幹となっています。自治政府クレイ首相は「分離壁」建設の中止を要求し、建設を続ける限りシャロン首相との首脳会談を行わないと11月29日の記者会見で述べ、「分離壁」を焦点化する姿勢を鮮明にしはじめました。

(5)“戦争経済”の破綻。経済危機の深化と人民生活の窮乏化、財政危機の顕在化と緊縮予算。社会・経済全体の疲弊。−−それらを基礎とする大衆レベルでの意識の変化

 シャロン政権は、かつてない危機に瀕しています。その深刻さを最も奥深いところで規定しているのは、経済危機の深化です。イスラエル建国以来の未曾有の経済危機は、人民生活を窮乏化させ、財政危機を顕在化させ、緊縮予算によっていっそう人民生活を圧迫しようとしています。

 2000年9月末に今次インティファーダがはじまってから、イスラエル経済は大きく落ち込みました。90年代に高成長をとげたハイテク産業と観光業が大打撃を受け、個人消費も落ち込んで、GDPは2001年、2002年と連続してマイナスとなり、失業率が10%を突破しました。今年に入ってストライキが頻発しています。9月30日には、2004年予算の緊縮方針に反対してイスラエル労働総同盟が全国ゼネストを呼びかけ、2500人が参加する港湾ストが行われました。

 財政赤字はGDPの6%に達し、政府は緊縮予算を余儀なくされています。新年度予算案をめぐって国会審議が行われていますが、福祉予算は5%カットが予定され、人民の反発が高まっています。国有企業の一部売却も予定され、それに反対する公的部門労働者が連続的にストライキを行なっています。

 イスラエル経済の危機の根源は“戦争経済”、経済の軍国主義化です。軍事費の負担がイスラエル経済を食い潰すところまできているだけではありません。対パレスチナ戦争の長期化、深刻化が、社会全体を戦争一色に塗りつぶし、経済・社会全体を疲弊させ始めているのです。軍でさえ12%の予算カットが組み込まれていると伝えられています。そのことによって、軍は予備役の新たな召集をストップせざるをえなくなりました。

 いわば“戦争経済”の破綻です。これが経済的・財政的危機の深化と人民生活への圧迫、それに対する反発と闘いを招き、大衆の意識を大きく変えはじめています。経済的苦境をもパレスチナ側の責任にして軍事弾圧強硬路線への大衆的支持をとりつけてきた従来のやり方が、もはや通用しなくなるところまで危機が深まってきているのです。このような基礎の上に、イスラエル支配層内の深刻な意見対立と亀裂が生じてきているのです。

(6)イラク占領の破綻でシャロンどころではないブッシュ

 イスラエル・パレスチナ情勢の大きな転換は、イラク情勢と軌を一にしています。米国のイラク占領統治の破綻は、今や誰の目にもはっきりしています。それは、ブッシュの再選をあやうくするまでになっています。

 シャロン政権は、これまでブッシュ政権の、特にそのネオコンの全面的支持・支援によってささえられてきました。しかし、その頼みの綱である米国の支援にもかげりが見えはじめています。それは、対イスラエル債務保証の減額を決定したことにはっきりあらわれました。もちろん、ブッシュ政権がシャロンを見限ったわけではありません。あまりにも露骨な国際法違反の領土併合的な「分離壁」建設だけはやめよ、と一定の圧力をかけているにすぎません。米国がかばいきれないような、ハメをはずしたことだけはやめてくれ、これ以上紛争を拡大し、もめ事を多くするのはやめてくれ、イラクだけで手一杯なのだから、ということです。

(註:債務保証の減額というのは、入植活動の拡大に関連する出費については減額するという条項が根拠となっています。法案成立の際に議会が付け加えたものです。しかし、バウチャー国務省報道官は「分離壁の建設分は削減分よりも多い」ことを認めました。さらに新聞報道によれば、減額の算定方法をめぐってはイスラエル政府の意向を尊重したとされています。)

 しかし、シャロンの方にもブッシュ政権の都合に合わせるわけにはいかない事情があります。何らかの形で事態を打開する必要に迫られています。一方で「大胆な譲歩」を演出し、他方で強硬姿勢も堅持するという、綱渡り的な政策運営を余儀なくされています。その中心環に「分離壁」が位置づけられているのです。シャロンも引くに引けないのです。
 このように、「分離壁」問題は、米・イスラエル間の現局面における利害対立の集中点にもなっているのです。

(7)和平気運の高まりと「ジュネーブ合意」をめぐる複雑な情勢

 3年間にわたる血みどろの闘いに、イスラエル国民も疲弊しはじめ、パレスチナ人民も困窮を極め、和平を切望する気運が高まっています。双方が長く悲惨な戦争で疲弊しきったのです。そのようなタイミングを見計らうかのように、10月13日に「ジュネーブ合意」が公表されました。12月1日には、カーター元大統領を含む数百人が参加して大々的な調印式も行なわれました。にわかに浮上してきた「ジュネーブ合意」をめぐって、複雑で錯綜した状況が現出しています。

 この「ジュネーブ合意」というのは、かつて「オスロ合意」を推進した当事者たちが、2000年夏のキャンプデイビッドでの決裂以降も秘密会合を重ね、和平案の合意に達したというものです。イスラエル側はメレツ党ヨシ・ベイリン元法相、パレスチナ側はアベド・ラボ前自治政府国務相が中心です。イスラエル側にはミツナ前労働党党首が加わっており、パレスチナ側は自治政府が支持していると伝えられています。
 その主要な内容は、決裂したキャンプデイビッド交渉をベースにして、パレスチナ難民の帰還権放棄とユダヤ人国家イスラエルの認知を代償に、ヨルダン川西岸の98%とガザ地区からなるパレスチナ国家を樹立するというものです。

 この秘密交渉は、米国のイラク占領政策が破綻する中で中東全域の不安定化を懸念するEUが、特に力を入れて推進したものです。公表されてすぐにEUと国連が、「ロードマップ」を推進するものとして歓迎と支持を表明しました。米国は、公式のコメントを何も出さず静観しました。
 しかし、11月7日には、パウエル米国務長官がベイリン元法相とラボ前国務相に歓迎の私信を送ったことが公表され、米国も「ジュネーブ合意」に関与しはじめました。米軍によるイラク占領の破綻とネオコンの凋落、中東和平の行き詰まりとシャロンの暴走、そのもとで米国も、シャロン一辺倒ではない選択肢をさぐりはじめたのではないでしょうか。一定の圧力をかけてシャロン政権が米国の望むような軌道修正をすればよし、さもなければ「ジュネーブ合意」の当事者たちを受け皿にしてシャロンを見限ることもありうる、そのような、両者を両天秤にかけた対応に移行しているのではないでしょうか。

 そのような状況の中で、「ジュネーブ合意」に対する国際的な支持が広がりはじめ、それがパレスチナ和平をもたらすかもしれないという期待が広がっています。しかし、そこには大きな危険がひそんでいます。「オスロ合意」とその後の7年をかけて現出した諸過程を、いっそうひどい状況で、それもパレスチナ難民を切り捨て犠牲にするという許し難い暴挙を伴って、繰り返すことになるかもしれないという危険です。(「オスロ合意」とその後の推移、そこにおいて構築されていったイスラエル型アパルトヘイト体制、および「ロードマップ」については、「反占領・平和レポート No.30」参照)
 ここではっきりさせておかなければならないことがあります。占領の終結と1967年国境(グリーンライン)にもとづく完全な主権をもったパレスチナ国家の樹立は、パレスチナ和平の最終目標ではなく、真の和平の前提条件だということです。完全な主権国家同士の対等な関係として、はじめて、パレスチナ問題の根本原因と1948年難民問題も公正な解決へ向けた話し合いが可能となるのです。「オスロ合意」も「ロードマップ」も、そしてこの「ジュネーブ合意」も、真の和平の前提条件を切り縮め、ねじまげ、イスラエルによるパレスチナの帝国主義的植民地主義的アパルトヘイト的支配体制の存続を前提とした、彌縫策的「解決」(必ずやパレスチナ人民の不満がいつか爆発することが不可避な、解決とは言えない「解決」)でしかありません。

 今のところパレスチナの解放勢力の側でも、イスラエルの左翼・民主勢力の側でも、この「ジュネーブ合意」をめぐっては賛否が割れています。そこにはそれぞれの立場から来る歴史の違いや苦しい現状の違いが反映しています。しかしはっきりしていることは、双方とも、まずはシャロンを倒さなければ中東に和平はやってこないという点で一致しているということです。
 この「合意」が現実の国際政治の中でいかなる役割を果たすか、それは、米国とEUをはじめ国際的な力関係の趨勢、パレスチナ及びイスラエル現地の闘争、これに連帯する世界的な人民大衆の闘いが決定するでしょう。かつて失敗した「オスロ合意」の再現に終わるのか、これを突破口として真の和平に向けて大きく前進することができるのか、それは、今後の闘いのみが決定していくにちがいありません。

2003年12月2日
アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局



[翻訳紹介](「グッシュ・シャロム」のサイトより)
ヤアロンの「70人のヴァージン」
ウリ・アヴネリ
2003.11.15

 参謀総長モシェ(「ボギー」)・ヤアロン中将にいったい何が起こったのだろうか?
 最近まで彼は、軍の中でも、おそらく国全体の中でも、最も攻撃的なタカ派だった。突如として、彼は、ほとんどハト派に変わりつつある。

 彼は聖なる啓示でも受けたのだろうか、キリスト教徒を迫害するためにダマスカスへ赴いたがイエスの使徒としてそこに到着することとなったタルススのラビ、サウロのように?(訳注:「サウロ」とは、最初はキリスト教の弾圧者だったが、ダマスカスへ行く途中に啓示を受け、後にキリスト教を広く布教する役割を担った有名なパウロのこと。)

 今に至るまで、ヤアロンの福音は、このナザレ出身の心優しいユダヤ人伝道師サウロの説教とはほど遠い。ヤアロンのドクトリンはこうだった。−−アラブ人の頭をたたけ、そうすれば彼らは屈服するだろう。それでも不十分なら、もっと激しくたたけ。あらゆるパレスチナ人の生活を耐えがたいものにし、村や町から出られないようにし、世帯の生活の糧を破壊し、土地を取り上げろ。

 これは、ほとんど数学的公式であった。−−打撃に続く打撃がうちおろされると、パレスチナ人の生活は破滅の限界点に達するだろう。彼らは手をあげ、頭をたれて、イスラエル政府がこれで十分だと判断する施し物をすべて受け入れるだろう。彼らは、戦闘員(占領者の用語では「テロリスト」、被占領者の用語では「人民的英雄」)を引き渡すだろう。彼らは、イスラエルが許す飛び地で暮らすか、あるいは他の国でよりよい生活をさがすだろう。

 今、突然、参謀総長はこの戦略から離れていこうとしている。彼は大衆に、政府の政策は「破壊的」だと語る−−彼はその最も忠実な支持者であり続けてきたのだが−−。テロを一掃するかわりにテロを生み出している、と彼は語る。パレスチナ人の生活は緩和されねばならない、彼らに希望を与えねばならない、と。

 いったいぜんたい何が起こったのだろうか?
 この計画の最初の部分は予想を越えて達成された。パレスチナ人の生活は、ほんとうに地獄のようなものになった。彼らの大部分は貧困ライン以下で暮らしている。多くが飢餓線上にあり、実際に飢餓状態の者もいる。数十万人のパレスチナ人の子どもたちが栄養不良で苦しんでいる。あらゆる村が、完全に道路封鎖されて収容所となっている。交通はほとんど不可能である。多くのパレスチナ人が、仕事場に行けず、病院へ、大学へ、学校へ行けず、生産物を市場へもっていくことができない。イスラエル軍兵士が町や村をうろつき、家屋を取り壊し、活動家を逮捕し殺し、同時に女性や子どもまで殺す。遠くに飛行機のエンジン音がしただけで、全住民が息をひそめる。

 この意味で、ヤアロンの目的は達成されてきたのである。大虐殺が現実に起きることをのぞけば、これ以上に恐ろしい状況を想像することは難しいだろう。計画にしたがえば、パレスチナ人はとっくに屈服しているはずだった。

 しかし、不思議や不思議、それはまだ起こっていない。パレスチナ人は屈服していない。彼らは、こんなぞっとするような恐ろしい状況の中でさえ、なんとかかんとか生きのびている。広範なアラブ人家族のあらゆるメンバーの互助が役立っている。さらに、パレスチナ人の圧倒的多数が武力攻撃(占領者の用語では「テロ」、被占領者の用語では「武装レジスタンス」)を支持し続けている。自爆者は、誇りと賞賛で見られている。自爆する「殉教者」ひとり毎に、百人がその後に続こうとする。

 パレスチナ人の間での唯一の議論は、自爆攻撃をイスラエル内でも続けるのか、それとも占領地の入植者と兵士に限定するのかということである。

 ヤアロンと将軍たちは、自分たちのキャンペーンは失敗したという結論に達したようにみえる。パレスチナ人へのこれ以上の圧力は逆効果になるだろう、いっそうの憎しみと敵対心を生むだろう、したがってこれ以上の攻撃をしても何の成果も得られないままいっそうの軍部隊を動員し、いっそうの資源を投入するばかりだろう、と。

 タカ派ヤアロンが擬似ハト派ヤアロンになった。しかし、彼の新しい方策も、誤った前提にもとづいている。「彼らの頭をたたけ」にかわって、今では「彼らの状況を緩和せよ」である。では、どのように? 数千人にイスラエルで働けるようにせよ? 数百人の商人がイスラエルに入ってイスラエルの商品を買えるようにせよ?(イスラエル経済はきっとそれを利用できることだろう。)あちらこちらで道路封鎖を解除せよ? 棍棒を使うのを もっと少なくし、にんじんをもっと多くせよ?

 それもまた、前もって失敗が予見される方策である。というのも、前の方策とそれに付随するあらゆる誤った予測(ヨーム・キプールを思い出すべし!)と同様に、それは、一般的にはアラブ人に対する、特殊的にはパレスチナ人に対する底なしの蔑視にもとづいているからである。しかし、極右シオニストのリーダー、ウラジミール・ジャボチンスキーは、既に80年前に次のことを理解していた。つまり、アラブ人を金で買い取ることはできないということ。全般的な地獄状態をちょっとましな地獄状態に変えても、彼らの民族的目標を諦めさせることはできないということ。

 たとえ占領地がこの世の天国に変わるようなことがあっても、軍事政府がすべての男性住民に70人のヴァージン(イスラム教の天国で約束されているように)を提供するようなことがあっても、それでもパレスチナ人は占領の終結を望むだろう。西岸とガザ地区の全領域に、東エルサレムを首都とした自分たちの国家を望むだろう。

 しかし、ヤアロンによって約束された「緩和」は、天国をつくり出すことからはほど遠いどころではない。それは、熱く焼けた石の上に落とされた一滴の水のようなものである。そしてそうこうしているうちに、おそろしい「防護壁」が何千何万もの人々の土地を奪い、隔離し、その生活を日々破壊していくのである。

 ヤアロンは、突如ヒューマニズムに目覚めて苦しんでいるわけではない。彼は、イスラエル大衆が徐々に彼の戦略から離れていきつつあるのを感じとっているのである。俗人でさえ彼が失敗したのだということを理解しはじめている。ヤアロンが路線を変更しつつあるのは、大衆がコースを変えはじめているからである。

 原則を堅持する人なら、首相のところへ行って将軍の徽章をテーブルに置き、こう宣言すべきだろう。「申し上げます。私は失敗しました。私は退官します。そこで申し上げますが、私はあなたに同じようにすることをご忠告いたします。」と。