反占領・平和レポート NO.32 (2003/6/5)
Anti-Occupation Pro-Peace Report No.32

占領36周年の反占領平和集会

○「哀歌の終わりを求めて Searching to End the Lament 」(ギラ・スヴィルスキー)
○「平和をめざす女性連合への所感 Remarks for Colition of Women for Peace 」(シンディー・コリー)


■1967年6月5日、イスラエル軍はエジプトを奇襲攻撃し、エジプト軍の数百機を破壊して制空権を握り、6日間で電撃的にガザ地区、シナイ半島、ヨルダン川西岸地区、ゴラン高原を占領しました。「第三次中東戦争」です。まもなくイスラエルは、国際社会の反対を押し切って東エルサレムを併合しました。
 イスラエルによる新たな占領地のうち、シナイ半島は、1979年のエジプト・イスラエル平和条約締結の後、1982年にエジプトに返還されました。その他の地域は、36年間占領され続けています。

■イスラエル現地では、5月30日の「平和をめざす女性連合」の集会を皮切りに、6月8日まで、占領36周年の反占領・平和の様々な取り組みが行われています。
 「女性連合」のギラ・スヴィルスキーさんが、5/30の集会の模様を報告して世界に発信しています。感動的かつ臨場感あふれる集会報告ですが、そこから3つの重要な点を読み取ることができます。
 (1)占領の終結と公正な和平を求めて闘うイスラエル人とパレスチナ人の交流と共闘が(特に女性たちのそれが)、着実に前進しているように感じられることです。
 (2)イスラエル国内での貧困層の社会的正義を求める運動と反占領平和運動との交流と連帯も、粘り強く取り組まれ続けているということです。これは、1年前の35周年のときから特に意識的に開始されたものです(「反占領・平和レポート No.20」参照)。
 (3)イスラエル軍による国際連帯活動家やジャーナリストへの攻撃がエスカレートしたことをきっかけに、現地での闘いと国際連帯の活動との結びつきが逆にいっそう強化されつつあることがうかがわれることです。これは、イスラエル軍のブルドーザーによって轢き殺されたレイチェル・コリーさんの事件が、特に大きな意味をもちました。コリーさんの母親シンディーさんが、「女性連合」の集会にメッセージを寄せ、それが集会で高らかに読み上げられました。
 ギラさんの集会報告と合わせて、シンディー・コリーさんのメッセージも翻訳紹介します。

■現在、「ロードマップ」にもとづく米ブッシュ大統領による「中東和平」の「仲介」が世界の注目を集め、和平への期待感を高めています。これについての私たちの評価は、既に No.30で明らかにしました。まやかしの「和平」は、「オスロ合意」のときと同じように、必ず行き詰まるときがきます。真の和平は、イスラエル政府が一切の入植地拡大を中止し、すでに入植した部分、更には全占領地からの撤退をせずには、一歩も前進しません。

 ギラさんは、報告の最後を、イスラエルとパレスチナ、敵対する2つの民族の民衆同士の交流・連帯・共闘をうたい上げて、こう結んでいます。
 「占領地での状況がいっそう悪化するとき、目撃者が暴力の現場から締め出されるとき、政治的レトリックが期待を高め、そしてその後その期待を収縮させるとき、私たちの希望は、それでも、...存在しています。誠実さを保ち続け、お互いにその痛みの中から手を差しのべ合い、この哀歌が終わるのを待ち、そして協働する、パレスチナ人とイスラエル人の二重奏とともに存在しています。」と。

2003年6月5日
アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局




哀歌の終わりを求めて
Searching to End the Lament

by ギラ・スヴィルスキー
2003.5.30


ああ、母なるエルサレム
あなたは、恐れをいだいてそこに裸で横たわる 
魅せられた臥床の中の人魚
あなたを取り囲む壁
ロウソクのように内から燃えて
だが家々は 固く閉ざされている
寂しさと涙の中で
Oh, Mother Jerusalem,
You lie there naked with fear,
A mermaid in an enchanted bed,
A wall encircling you,
Burning like a candle from within,
But the houses - locked shut
In loneliness and tears.

 これは、イスラエルにおける抗議行動の最も感動的な場面の一つだったかもしれません。数百人の黒ずくめの女性、男性が、テルアビブのシネマセークの外で横たわり、建物の前の大広場を完全に埋めつくしました。最初は、きっかり昼の12時にそのようなことをするには暑過ぎるようにみえました。だからはじめは、あおむけに横になるというのは方針まちがいだと思われました。しかしそのとき、レーム・テルハミの伴奏なしの声が歌うような詠唱を始めました。それも太陽がまだ昇りきらない夜明け時のラマダンでの祈祷を思い出させるような、人を魅きつけずにはおかないハーモニーで。それですぐに全くの静寂がおとずれました。熱が腕や背中や脚に伝わってきて、まぶたに太陽の熱を感じながら、私もそこに横たわって、すぐにレームの深く悲しみに満ちた哀歌のなかに入っていきました。「寂しさと涙の中で In loneliness and tears」と彼女は3回歌いました。それぞれにやさしく悲しげに。最後の一節が空中に消えゆくとき、私は頬が涙にぬれるのを感じました。

 それで「平和をめざす女性連合」の今日のデモンストレーションが始まりました。イスラエル占領36周年を刻印し、占領の終結を要求し、私たちの生命と生活を包み込んでしまった殺戮の終結を訴えました。いったいどうして今なおこんなことが私たちに起こっているのか? 36年はもう十分すぎるほどではないのか?

 発言者は、イスラエルのユダヤ人とパレスチナ人、占領地の2人のパレスチナ人女性、非暴力で介入する努力に生命まで危険にさらしている国際活動家を代表して一女性、それらの人々が入れ替わり立ち替わり発言しました。ユダヤ人女性解放運動活動家ダリット・バウムが、暴力のあらゆる形態−−占領、貧困、女性に対する暴虐−−の間の共通の根をもった結びつきを示すことによって、発言の口火を切りました。パレスチナ人作家でヘブライ大学で博士号をとっているスヘール・アブウクサ・ダウドは、自分自身の人生がどのようにして怒りから平和活動へと移行したかを話しました。ユダヤ人の間でミズラヒームの権利を守る女性解放運動活動家ヤリ・ハシャーシュは、社会的正義への私たちのとりくみを吟味し、テルアビブの貧困に突き落とされているイスラエル人の野営地を訪れて連帯するという課題を、私たちに提起しました。

(訳注:「ミズラヒーム」とは、中東地域出身のユダヤ人のこと。ヨーロッパ出身のユダヤ人「アシュケナジーム」がイスラエル社会の上層を形成しているのに対して、「ミズラヒーム」は下層の貧困層を形成している。詳しくは「反占領・平和レポートNo.20」参照。)

 国際連帯運動(ISM)の米国人平和活動家フロー・ラゾウスキーは、平和人権活動家が占領地へ入ることをイスラエル政府がいかに妨害しているかを述べました。そして、彼女自身、イスラエルが自分を国外追放するのを妨げるために闘っているということを強調しました。レイチェル・コリー−−パレスチナ人家屋の破壊を妨げようとしてブルドーザーで轢き殺された米国人の平和活動家−−の母親シンディー・コリーからの、特別に感動的な手紙が高らかに読み上げられました。その一部を紹介します。「私は何も発言せずにいる時がずっと続いてきました。というのも私よりも多くのことを知っている人がたくさんいると感じていたからです。でも、私はもう、専門家や批評家に萎縮することはありません。結局のところ、私の娘はブルドーザーの前に立つ勇気を持っていたのですから。」[全文を後に添付しました]。前イスラエル閣僚で公正と平等の率直な擁護者シュラミット・アローニーは、流血の終結と平和の時代の幕開けを要求することにおいて、とても雄弁でした。

 占領地からパレスチナ農業協会のファドワ・カーダーが、平和の手を差しのべにやってきました。パレスチナ自治政府の高官で平和運動、婦人運動、労働運動に全生涯を捧げてきたザヒーラ・カマルは、「私は女性の力を信じます。女性たちの運動はあらゆる人間存在の尊厳という意識に基礎を置いています。私たちは占領を終わらせるために協働することができると信じます。また共に平和に暮らすことができると信じます。」と宣言しました。イスラエルのパレスチナ人ラウダ・マーカスは、心がうずくようなそして感動的な詩で発言を締めくくりました。

 あらゆる苦痛に満ちた言葉が尽きたとき、私たちのユダヤ人とパレスチナ人の共同司会者ヤーナとハーヤが、私たちに再びアスファルトの上に横になるように求めました。そのとき私は、最初の瞬間を再現することはできないと思いました。でも私たちは再び横になりました。そしてレームが再び哀歌を始めました。まもなく彼女の涙ぐんだ声に合わせて、とても静かな拍手が聞こえてきて、その二つがいっしょになって新しい空間が創り出されました。レームの歌の寂しさと涙を私たちの静かな手拍子が迎える空間。そこには深い悲しみがありましたが、私たちはもはや、「固く閉ざされている / 寂しさと涙の中で」ではありませんでした。

 占領地での状況がいっそう悪化するとき、目撃者が暴力の現場から締め出されるとき、政治的レトリックが期待を高め、そしてその後その期待を収縮させるとき、私たちの希望は、それでも、静かな手拍子にやさしく包まれた哀歌という人々の二重奏とともに存在しています。誠実さを保ち続け、お互いにその痛みの中から手を差しのべ合い、この哀歌が終わるのを待ち、そして協働する、パレスチナ人とイスラエル人の二重奏とともに存在しています。

シャローム / サラーム  エルサレムより
ギラ・スヴィルスキー



「平和をめざす女性連合」への所感
Remarks for Coalition of Women for Peace

2003.5.30
レイチェル・コリーの母、シンディー・コリーより

 私は、今日皆さんにお便りする機会を得て、とてもうれしく思っています。平和の名のもとに今日集まられた、イスラエルの女性(ユダヤ人とパレスチナ人)の皆さん、占領地のパレスチナ人の女性の皆さん、そして同じ精神で集まられた男性の皆さん。私は、いま世界中で、私の娘レイチェルの模範に心を動かされて行動に駆り立てられた人がたくさんいるということを知っています。米国での比較的安全で快適な生活を離れて占領地に赴き、そこで勇敢にも非暴力で占領の恐ろしい抑圧に反対するという、彼女の大胆な決心に心を動かされてです。でも、今日、私は、皆さんに次のことを申し上げたいと思います。レイチェルの死の直後から、私たち家族が、皆さんの活動や皆さんの模範によってどれほど慰められ力づけられたかということです。

 レイチェルが今年3月16日に死んだとき、eメールがさっそく世界中からあふれるほど寄せられ始めました。早々と寄せられたものの中には、次のようなものがありました。なぜレイチェルがガザへ来たのか、なぜ彼女がその日ブルドーザーの前に立ったのかを理解し、彼女の思いやり深い心には人間すべてに対する愛があったということを理解していたイスラエルのユダヤ人によって、「ハ・アレツ」紙に載せられた広告です。あなたがたからお便りをいただいたことは、また、占領に反対しているユダヤ人がイスラエルの中にいるということを、他の米国人に知らせることができたのは、私たちにとってとても力添えになりました。eメールは、占領地のパレスチナ人の方々からも来ました。それには、レイチェルのおかげで正義のために非暴力で活動する努力をしつつあると述べられていました。このようなお便りを受けとり、また、次のことを他の米国人に知らせることができたのは、私たちにとってとても力添えになりました。つまり、信じられないほどひどい状況の中で暮らしながらも、子どもたちに食事を与え服を着せ教育して、日々家族を養うために最善を尽くしながら非暴力で抵抗しているパレスチナ人が、イスラエルにも占領地にもいるということをです。

 2002年6月に、レイチェルは大学の研究課題の中で次のように書きました。「私は、戦争や抑圧に反対する人々にとって、戦争や人種差別主義や不正義について語るのに加えて、私たちは同じ一つのコミュニティーの一員としていかなる存在であるのかについて語ることが大切だと思う。私たちはコミュニティーの外部に存在しているのではない。私たちが自分たち自身を同じ一つのコミュニティーとして定義づけるような形で、人権運動や抑圧への抵抗もその内に含まれることが大切だと、私は思う。」と。

 レイチェルを失うというこの経験を通して、私たち家族は、私たちのコミュニティーが次のように変化し拡大しているとわかりました。つまり、人々が街のいたるところ、米国のいたるところ、そして世界のいたるところに手を差しのべ広がっていくように、です。そして私たちに次のことを知らせてくださるのです。人々がレイチェルの理想を分かち合っていると。そしてまた、人々が彼女の模範に感動して、あなたがた皆さんが戦争と人種差別主義と不正義に反対して行なっているような活動を行なうようになっていると。このような世界的な広がりをもった結びつきを達成することは、私たちの仕事を行なうのをいっそうたやすくしています。あなたがたの計画について聞いたり、eメールを交換したり、何千マイルも離れたあなたがたと対話したりすることは、私たちに外へ出て米国人に語りかける勇気と決意を与えてくれます。私たちは、これが単にパレスチナ−イスラエル紛争だけの問題ではないということを知っています。これは、米国−パレスチナ−イスラエル紛争であって、米国人はそこにおける自分たちの役割を理解する必要があります。私は何も発言せずにいる時がずっと続いてきました。というのも私よりも多くのことを知っている人がたくさんいると感じていたからです。でも、私はもう、専門家や批評家に萎縮することもありませんし、悪口を言う人々に萎縮することもありません。結局のところ、私の娘は、3人の幼い子供をもつパレスチナ人家族の家を守るためにブルドーザーの前に立つ勇気を持っていたのですから。私には、レイチェルの母として、次のことを声を大にして言う責任、要求する責任があります。専門家、政策決定者、議会、ホワイトハウスは、私たちの価値観−−一つ一つの生命の尊厳についての、一人一人の人間の平等についての、正義と法の支配についての私たちの信念−−を反映すべきであると。

 私たちは、パレスチナの平和建設者のコミュニティーとの新たな結びつきを大切にします。私たちは、イスラエルの平和建設者のコミュニティーとの新たな結びつきを大切にします。私たちは、レイチェルが死んでから初めてモスクを訪れました。また、初めてシナゴーグに出席しました。私はこう信じます。私の神そしてレイチェルの神は、ただ単にキリスト教徒の神であるだけではなく−−もっともそれは私たちのバックグラウンドであり信仰であるのですが−−、またユダヤ教徒の神であるだけでもなく、イスラム教徒の神であるだけでもなく、どんなものであれただ一つの宗教の神であるのではない、と。それは、より愛すべきもっとまともな世界を創り出すべく私たちの多くに強力に力を及ぼす、私たちすべての神であると私は信じます。私の神は、ある意味では、私が娘の精神といつも結びついているようにすることを助けてくれるものだと思います。彼女は私の人生の中で、美しく、愛すべき、不思議な光でした。私は、レイチェルが思い描いたコミュニティーのために私にできることをしていくつもりです。私は、彼女がガザから私に書いてよこした次の言葉を忘れないでしょう。「これは止めなければなりません。私たちすべてにとって、あらゆることを捨ててこれを止めさせることに私たちの生涯を捧げるということは、すばらしい考えだと私は思います。私は、今ではもう、それが過激主義者のすべきことだとは思いません。私は今でも本当に、パット・ベナターへ行って踊りたいし、ボーイフレンドも欲しいし、共同製作者と漫画作りをしたいと思います。でも私は、これを止めさせることもしたいのです。不信心と恐怖、それが私の感じていることです。失望も。私は、これが私たちの世界の基礎にある現実だということに、そして私たちは実際それに加わっているのだということに、失望感を抱いています。これは、私がこの世に生まれ出たとき求めていたものでは全くありません。これは、当地の人々がこの世に生まれ出たときに求めていたものでは全くありません。これは、お母さんとお父さんが私を生もうと決めたときに、私を送り出したいと思ったそのような世界ではありません。」

 今日、みなさんが集まり、このひどく恐ろしい紛争で死んだすべてのイスラエル人、パレスチナ人、米国人を追悼して共に横たわるとき、私も皆さんとともにあり、皆さんとともに追悼したいと思います。でも、私はまた、レイチェルの言葉「これは止めなければなりません」にこだわるつもりです。そして、米国人に、これを止めさせるためのあなたがたの活動に加わるようにお願いしていくつもりです。

皆さんに平和を
シンディー・コリー


*このページの写真はすべて、「平和をめざす女性連合」(http://www.coalitionofwomen4peace.org/)のサイトからのものです。