反占領・平和レポート NO.30 (2003/5/26)
Anti-Occupation Pro-Peace Report No.30

イスラエル型アパルトヘイト体制=“陸の孤島”への「ロードマップ」
−−米・イスラエルはパレスチナ内戦を要求している−−
Roadmap To Apartheit Of Israeli Version -- US and Israel requiring the civil war in Palestine --



T.日本のメディアで一切語られない「ロードマップ」の本質:占領をなくすのではなく占領への抵抗をなくす処方箋。

(1)イラク戦争勝利を背景にブッシュ政権が押し付ける「ロードマップ」。
 ブッシュの対イラク戦争が「終結」して以降、「イラク後の中東和平」をめぐって、「ロードマップ」という聞き慣れない言葉が新聞紙上をにぎわせ始めました。そして最新の報道によれば、これまでしぶっていたイスラエル政府は5月25日、閣議でこの受諾を採択しました。これまでの和平協議と同様、色々難癖を付けた上、パレスチナ難民帰還権を拒否する付帯決議も同時に採択するというふざけた対応です。
 一体「ロードマップ」とは何なのか?日本の新聞やTVでは全く分からないその本質と実態を明らかにしたいと思います。
 私たちの確信はこうです。「ロードマップ」なるこの「新和平案」は、かつての南アのアパルトヘイト体制のような“パレスチナ民族隔離政策”であり、必ず失敗する。パレスチナ民衆、特にその若者たちによって必ず拒否される、と。

 中東和平の「ロードマップ(行程表)」が、発表されたのは4月30日です。これそのものは米国、EU、国連、ロシアの4者協議によって昨年来作成されてきたものです。しかし、いつ、いかなる形でこの「新提案」を打ち出すかは、進め方も含めてブッシュ政権が握っているのです。

 マスメディアの報道では、この「ロードマップ」をめぐるさまざまな動きが報じられてはいても、「ロードマップ」そのものが何を意味しているのかということについては、全くと言っていいほど報じられていません。あたかも真に中東和平を推し進める現実的な処方箋であるかのように美化されています。

 結論から言えば、これは、根本原因であるイスラエルによる占領をなくすのではなく、占領へのパレスチナ人の抵抗をなくそうとする処方箋に他なりません。これまで数多く出されてきたまやかしの処方箋と同様に、無理なこと、理不尽なことをパレスチナの側に押し付けようとするものに他なりません。
 あれこれの動きについて評価する前に、まずこの「ロードマップ」の内実を明らかにしておく必要があります。

(2)そもそも「ロードマップ」とは?
 「ロードマップ」の内容は概略次の通りです。
 第一段階(2003年5月まで):パレスチナ側は、即時無条件の停戦を宣言し、イスラエル人に対する一切の武装活動と暴力行為を終わらせる。そのために、イスラエルとの治安協力を再開し、イスラエル人に暴力的攻撃を加えようとする者の逮捕・拘束や不法な武器の没収を含む具体的な目に見える努力を行なう。新憲法草案を起草し、評議会選挙を実施する。
 イスラエル側は、包括的治安活動が前進するに応じて、2000年9月28日以降の占領地から撤退する。入植活動を凍結する。民間人に対する攻撃や家屋破壊など信頼関係を掘り崩す行為を控える。
 第二段階(2003年6月〜12月): 暫定的な国境線による独立パレスチナ国家の創設。
 第三段階(2004年〜2005年): 国境線、難民問題、入植地問題、エルサレム問題の最終解決。
※「ロードマップ」の英文テキスト http://electronicintifada.net/v2/article1410.shtml

 その本質は、冒頭第一段階に集中的に現れています。第一段階でのイスラエルの義務は、2000年9月28日時点、今回のインティファーダが始まる以前の段階まで軍を撤退させることと、入植地建設の凍結です。これは占領の終結とはほど遠いものです。入植地と、イスラエル軍が掌握し管理する道路網と、検問所とによって寸断されたパレスチナ自治区という、2000年9月時点の状態に戻るだけです。入植地については、新たな建設を行わないというだけです。

 それに対してパレスチナ側の義務は、「テロ」の放棄、あらゆるイスラエル人に対する一切の攻撃の停止、そして武装解除です。強大な軍事力を誇るイスラエル軍は、ただ自治区から撤退するだけで、武装解除など問題にもなりません。武力の不行使すら義務づけられません。パレスチナ人活動家の殺害を公然と行ない、それも周りにいる全く関係のない民間人もろとも殺害することを平気で行ない続けてきた軍隊なのにです。パレスチナ側の義務は、すべてのイスラエル人への攻撃の停止というように明確であるのに対して、イスラエル側の義務は曖昧で、パレスチナ民間人に対する攻撃だけを控える、したがってイスラエル軍の軍事行動はほとんど縛られないに等しいと解釈できるものになっています。

 つまり、「ロードマップ」の本質は、占領をなくす前に、占領への抵抗をなくそうとするものに他なりません。もしそれが本当に実現するなら(実現するはずがないものですが)、それはパレスチナ人が占領におとなしく従って抵抗しない状態ということになります! そういう状態になって初めて、飛び地だけのアパルトヘイト国家をご褒美として与えようというものに他なりません!
※参考:「強制収容所へのロードマップ Roadmap To A Concentration Camp 」(マヒール・アリ、2003.5.11、Zネット)
http://www.zmag.org/content/showarticle.cfm?SectionID=22&ItemID=3604
 「ロードマップは、言いかえれば、占領そのものではなく占領に対するパレスチナ人の抵抗が主要な問題なのだというイスラエル人の偏見の是認と支持だと解釈することができる。」「最近コンドリーザ・ライスは、シャロンが派遣した代表者たちに次のように請け合った。ロードマップは公式には国連、EU、ロシアを含む4者が作成したものだが、運転席に座っているのは米国だ、と。」

(3)なぜシャロン政権は渋ったのか?その理由を突き詰めることから本質が見えてくる。
 ここで2つの大きな疑問が生じてきます。パレスチナ新内閣はこの「ロードマップ」を即座に無条件全面受け入れをしました。これはパレスチナ側にとって屈辱的と言えるものです。なぜ受け入れるのか、インティファーダの闘いは一体何であったのか等々、相当激しい論争と対立があったと思われます。にもかかわらず受諾したのです。なぜか? 一部のパレスチナ内部の親米派や親イスラエル派は、「現実的」選択として受け入れました。イスラム原理主義ハマスは、「パレスチナの大義と抵抗運動を一掃するための陰謀だ」と非難し、この新和平案を拒否する姿勢を表明しました。
 しかし大勢はやむを得ざる「妥協」なのではないでしょうか。一言すれば、シャロン政権誕生以来の止むことない侵略と大量殺戮と大量破壊に対して束の間でも「息継ぎ」が必要だからです。イラク戦争の米軍側の短期圧勝も衝撃を与えたと思われます。

 それでは、シャロン政権はなぜ受け入れを渋ったのか? この疑問に答えるためには、2つのことをお話ししなければなりません。
 第一に、歴史的回顧。オスロ合意、今次インティファーダの始まり、シャロン政権の登場、パレスチナ自治区への軍事侵攻という、この間の事態の推移を歴史的に振り返る必要があります。
 第二に、「壁建設」問題。シャロン政権が今一番力を入れている「分離壁」建設の内実を明らかにする必要があります。


U.なぜパレスチナの若者たちはインティファーダに立ち上がったのか。アパルトヘイト型「和平」の押し付けは必ず破綻する。

(1)「ニュー・インティファーダ」がなぜ起こったのか? 中東問題を理解するには、「イスラエル型アパルトヘイト体制」を見抜かねばならない。
 まず第一番目の歴史的回顧について考えてみましょう。「ロードマップ」の不毛性、不可避的な破綻は、歴史を遡り、「オスロ合意」がなぜ破綻したのか、その原因を理解すれば一目瞭然なのです。

 「オスロ合意」とは、1989年〜1991年にかけてソ連と東欧、社会主義体制が崩壊し、その衝撃を受けてアメリカによって押し付けられた「中東和平」でした。1993年にクリントン大統領の仲介の形で合意されました。それに基づいて1994年から「パレスチナ暫定自治」が始まりました。
 しかし、そのもとで7年にわたって進行した事態は、かつての南アのバンツースタン型アパルトヘイトをいっそう洗練された形で純化させたような「イスラエル型アパルトヘイト」の構築だったのです。そのことは、日本でも世界でも大手マスメディアによっては全く報じられていません。当時も、今も。

 そしてその「イスラエル型アパルトヘイト」体制に我慢に我慢を重ねてきた若者たち、大勢のパレスチナ民衆が堪忍袋の緒を切らせたのが、2000年9月末にはじまる今回の「ニュー・インティファーダ」だったのです。パレスチナ人民の人民蜂起といえるこの抵抗運動は、「オスロ合意」下の「イスラエル型アパルトヘイト」構築に対する、我慢の限界を超えた怒りの爆発なのです。
※私たちは、ニューインティファーダがはじまって以来、主にインターネットを通じて情報を収集し、「反占領・平和レポート」を通じて「イスラエル型アパルトヘイト」の実態を暴露し明らかにしてきました。また「平和通信」発行のパンフレット『ニューインティファーダ』でもイスラエル=アパルトヘイト体制の実体が暴かれてきました。
※「バンツースタン」とは、かつてのアパルトヘイト体制の南アフリカ共和国における「擬制国家」のこと。人口の圧倒的多数を占める黒人を農業もできない遠く離れた不毛な「バンツースタン」という農村や都市近郊に金網や塀で囲まれた「タウンシップ」(居住区)に押し込め、特に前者の「バンツースタン」を「国家」であるといいくるめ、必要なときに必要なだけ南アの主力産業の労働力として黒人を「出稼ぎ外国人労働者」として利用する、まさしく人道に反する特殊な体制。黒人解放団体ANCはこれを「国内植民地」と規定しました。

 オスロ合意後に姿を現した「イスラエル型アパルトヘイト」とは、次のように要約することができます。
1)パレスチナ自治政府が民政機能と警察機能を掌握したエリアAは、旧軍事占領地域の中に飛び地としてバラバラに、陸の孤島のように存在しているにすぎない。民政機能のみが自治政府にあるエリアBと民政機能もイスラエルと分有しているエリアCは、かつての軍事占領とほとんど変わらない。これら暫定自治政府支配地域を分断する入植地と縦横に走る道路網、これらはすべてイスラエル領土である。パレスチナ人が自らの「国土」を移動するにも、いったん国外のイスラエルに出て再び自国に入国するという形をとらねばならない。その「国境検問所」はすべてイスラエル軍が管理している。
2)水資源をはじめとする重要資源をイスラエルが管理し独占している。パレスチナ自治区には重要産業はなく、多くのパレスチナ人は、「飛び地」から「イスラエル領内」へ出稼ぎに出るしかない。ヒトとモノの流れがすべてイスラエルによって管理されている、経済的従属の極致。
3)拡大し続ける入植地。「イスラエルの安全保障」と称して、また「犯罪者」を出した家族への集団懲罰として、パレスチナ人住居が軍用ブルドーザーでどんどん強制的に取り壊され、パレスチナ人はどんどん追い出されている。
4)抵抗する者に対する容赦ない武力弾圧。空爆と戦車砲と武装ヘリによる破壊と無差別殺戮。政治的指導者や要人に対する暗殺。国家テロを国家政策とする正真正銘のテロ国家体制。

(2) 「オスロ合意」が破綻したように、「ロードマップ」もまた破綻する。
 オスロ合意の最終局面は、2000年夏キャンプデービッドで当時のクリントン米大統領とバラク・イスラエル首相がアラファト議長に、この「イスラエル型アパルトヘイト」の永続化をのませようとして決裂しました。当時マスメディアでは、「東エルサレム問題以外はほとんど合意に達していた」と報じられ、「バラク首相のかつてないほどの寛大な提案をアラファト議長が拒絶した」と報じられました。バンツースタン型アパルトヘイトの軍事監獄版ともいえる内実、パレスチナ人民の奴隷状態を永続化するものに他ならないという実態には一切触れずに、パレスチナ側が偏狭にも拒絶したという印象が全世界に流布されました。オスロ合意は、軍事占領の形を変えた継続=イスラエル型アパルトヘイト体制の構築であったが故に、パレスチナ人民が拒否し、破綻したのです。

 2000年9月末、東エルサレムにあるアルアクサのイスラム教聖地にシャロンが挑発的に足を踏み入れ、それに抗議するパレスチナ人デモ隊にイスラエル軍と警察が銃撃で応えました。それをきっかけに、抑えに抑えられてきたパレスチナ人民(特に若者たち)の怒りが爆発しました。それに対して、労働党バラク政権は軍事弾圧で応えました。オスロ合意で米国とイスラエルがパレスチナに押し付けようとしたことの本質が、軍事占領の形を変えた継続であること、逆らえばいつでも軍事力による弾圧が待ち構えているということが、如実に示されました。自治区は完全封鎖され、強大なイスラエル軍の軍事力によって攻囲されました。しかしパレスチナ人民は奴隷状態を拒否して闘い続けました。

 2001年3月のイスラエル総選挙で労働党が敗北し、リクード党が勢力を伸ばして、第二党ながら労働党と大連立を組み、「挙国一致」のシャロン政権が成立しました。シャロン政権が推し進めた政策は、オスロ合意の破棄と軍事力による自治政府の暴力的破壊と、抵抗するあらゆるパレスチナ人の抹殺でした。そして、そのもとでのいっそうの大規模な土地収奪、入植地のいっそうの拡大、パレスチナ人の追い出しでした。

 1967年の中東戦争でイスラエルが勝利して以降、「軍事占領体制」が続き、1993〜94年の「オスロ合意」と「パレスチナ暫定自治」以降は「イスラエル型アパルトヘイト体制」が続きました。シャロン政権は、パレスチナ人にパレスチナ人を支配させるこの「間接統治」=「アパルトヘイト体制」を、再び「直接統治」=「軍事占領」へ歴史的に引き戻そうとしたのです。古典的な植民地主義から新植民地主義へ、そしてもう一度古典的植民地主義へ。シャロン政権の治世下で一体どれだけの血が流されたか。


V.シャロン政権の新たな野望:“壁建設”=新たな大規模土地収奪=帝国主義的な領土併合。

(1)新たに浮上している「ウォール(壁)建設」問題。
 皆さんにぜひ知って欲しい問題があります。「ウォール(壁)建設」です。これは決定的に重要な問題であるにも関わらず、日本のメディアではほとんど無視されています。
 ところが「ロードマップ」を無視しながら現在シャロン政権が最も力を入れているのが、「分離壁」の建設なのです。これは、当初はグリーンライン(1967年の占領以前の国境線)に沿って建設するということで、イスラエル労働党が熱心に提唱し、リクード党は冷ややかでした。しかし、昨秋以降、シャロン政権は積極的に取り組み始め、現在急ピッチで建設中です。イスラエル政府はこの「ウォール」の建設計画を公式には発表していませんが、シャロン政権が力を入れて取り組みはじめたときから、この「ウォール」の道筋はグリーンラインからかなり西岸地区へ食い込み、入植地をすべてイスラエル領内にとり込むものであることが明らかになりはじめました。さらに驚くことに、実はこの「ウォール」の道筋はほぼパレスチナ自治区エリアAだけを囲い込むものであることが明らかになってきています。


DISSIDENT VOICE ウェブサイト(http://www.dissidentvoice.org/)より

 つまり、シャロン政権は、パレスチナ国家樹立前に国境線を一方的に確定する既成事実を作りあげようとしているのです。それも西岸地区のごく一部のエリアAを中心とする地域に将来のパレスチナ国家の領土を限定しようとしているのです。これは、さらなる大規模な土地収奪、領土併合を意味します。

(2)シャロンが渋った真の理由:計画的な大規模土地収奪。
 ここに、シャロン政権が今回の「ロードマップ」の受け入れを渋った最大の理由があります。つまり、「ロードマップ」が要求している「入植活動の凍結」と真っ向から対立するわけです。シャロン政権が現在推進しているのは、「入植活動」の最たるもの、大規模土地収奪=領土併合であるからです。
※参考:「『分離壁』はパレスチナ人を彼らの土地から分離する The "Separation Wall" -- separating Palestinians from their land ...」(「グッシュ・シャロム」による暴露)
http://www.gush-shalom.org/thewall/index.html
 「イスラエル政府はウォールの完全な公式マップを公表していない。ウォールの道筋は、「土地調査センター」と「パレスチナ水利学グループ」によって資料収集された。それは、パレスチナ人土地所有者に対して発せられた没収命令に基づいている。」「ウォールは、西岸とガザのイスラエル占領の具体的あらわれであり、パレスチナ人の土地のいっそうの収奪政策の別な遂行手段である。」

「壁」による大規模土地収奪

DISSIDENT VOICE ウェブサイト(http://www.dissidentvoice.org/)より

※「オスロ合意」で確認されたパレスチナ側の「領土」を「壁建設」で略奪しようと企むシャロン政権の野望。地図の茶色で塗られた部分が、「壁」でパレスチナが喪失する土地。どれほど広大であるかが分かる。
※「The Apartheid Wall」by Ran Ha’Cohen Dissident Voice May 21, 2003
http://www.dissidentvoice.org/Articles5/HaCohen_Apartheid-Wall.htm


W.「兄弟殺し」を米・イスラエルに期待されているアッバス・パレスチナ新内閣。

(1)パレスチナ新内閣をめぐる米・イスラエルの狙い。
 パレスチナ新内閣人事をめぐるアラファト自治政府大統領・PLO議長と、アッバス初代首相・PLO事務局長との対立が、4月23日、アラファト議長が折れる形で妥結したと報じられました。21日から22日にかけて、EU、ロシア、エジプトなどを中心にアラファト議長に対する集中的な「説得」が行なわれたとも報じられました。米国務省は、即刻、歓迎を表明しました。
 新内閣をめぐる今回の対立は、3月10日のパレスチナ評議会で首相職を新設する決定が行われて以来続いてきたものです。内相と治安担当国務相をめぐって激しく対立してきたことが報じられていますが、それが何を意味しているのかについては、マスメディアの報道からはほとんどわかりません。

 4月25日、「グッシュ・シャロム」のサイトにウリ・アヴネリ氏の論評が掲載されました。イスラエルにあってパレスチナ問題に精通した平和運動活動家であり闘士であるアヴネリ氏の論説は、今回の事態の本質とパレスチナの現局面を理解する上で重要な論点を提示しています。
 アヴネリ氏は、パレスチナ人民の置かれた特異な状況を、民族解放闘争とミニ国家の統治を並行して行なっていく必要がある状況としてとらえています。そして、前者をアラファト氏が担当し後者をアッバス氏が担当するという妥協が成立したのだととらえています。アッバス氏はパレスチナ内部の上層部に支持されているが、アラファト氏のような人民に基礎を置く支持基盤はなく、そのかわりに米国およびイスラエルに強力なコネをもっていると考察しています。そして、米・イスラエルは、アッバス新内閣をプッシュすることで、民族解放闘争をアラファト氏もろとも抹殺したいと考えているというわけです。
 アヴネリ氏は、一定の妥協が成立したものの今後実際上の多くの問題が生じてくることは不可避であるとして、いくつもの問題点を挙げています。その中でも、「最も重要なもの」として次の問題を指摘しています。「アブ・マーゼン(アッバス)は、兄弟[姉妹]殺しの戦争の準備ができているのだろうか? あるいは、すくなくともイスラエルがすべての入植活動を停止し全占領領土でのパレスチナ国家に同意するまでは、全人民的統一が維持されるのであろうか? 米国とイスラエルは、パレスチナ人が彼ら自身の国家へ向けて一歩を踏み出す前に、彼(アッバス首相)が武装組織を清算整理し武器を押収することを要求している。このことは、もちろん、シャロン政権を喜びで満たしその地位をいっそう強固なものとするような、内輪同士の血なまぐさい闘争を必然的に必要とするのである。」と。
※「アブ(アラファト)対アブ(アッバス) Abu against Abu 」(ウリ・アヴネリ、2003.4.23付。グッシュ・シャロム)http://www.gush-shalom.org/archives/article246.html

(2)パレスチナ人どうしの内戦をそそのかそうとしている。
 この観点は、重要な本質をついています。特に米国とイスラエルの思惑については全くその通りだと思われます。しかし、パレスチナ内部の状況はもっと複雑なようにみえます。最も重要な点は、アラファト氏がパレスチナ民族解放闘争を代表してきたと同時に、自治政府の行政機能にともなう一定の腐敗をも代表してきたということです。良くも悪くも、パレスチナの全体をアラファト氏が代表してきたのです。
 自治政府の腐敗に対する批判は、パレスチナ内部の自治政府に参加しなかった部分から行なわれてきただけではありません。アラファト氏の支持基盤であるファタハ内部にも、民族解放闘争を共有しつつ腐敗を批判する勢力が存在します。この部分がニューインティファーダで最も頑強に闘ってきた部分だと思われます。アッバス氏は、相対的に行政機能を代表する側面が強く、自治政府の特権的腐敗の中心部にいたことはまちがいありません。しかし、全体としてのファタハの支持を得ている以上、民族解放闘争を闘っている部隊の一定の支持もあるにちがいありません。

 パレスチナ内部の状況は、情報が乏し過ぎて私たちにはよくわからないところが多くあります。しかし、確かなことは、米国とイスラエルはアッバス新内閣にパレスチナの内戦を要求しているということです。イスラエル人ジャーナリストで反占領平和運動の立場で活躍しているタニヤ・ラインハルト記者は、最近の論説「失敗が保証されているロードマップ」で次のように述べています。
 「イスラエルは、またもや同じ古い反対の仕方をしている。さらに、イスラエルは、交渉によるテロの休止では十分ではない、求められているのは新たな治安部隊と反対組織との間の実際の対決である、と強調している。(つまり内戦である。)」と。
※「失敗が保証されているロードマップ Guaranteed Failure Of The Roadmap 」(タニヤ・ラインハルト、2003.5.15。「Zネット」)
http://www.zmag.org/content/showarticle.cfm?SectionID=22&ItemID=3622


X.イスラエルの全占領地からの即時無条件の撤退抜きに「真の中東和平」は一歩も前進しない。

(1)パレスチナ人は「バンツースタン型アパルトヘイト」か「内戦」かの二者択一を迫られている。
 以上見てきたように、米・イスラエルは「ロードマップ」を押し付けて、パレスチナ人に二者択一を迫っているのです。「バンツースタン型アパルトヘイト」を黙って受け入れるか、それともパレスチナ人どうしの内戦を繰り広げるか。言うまでもなく、私たちはその両方を厳しく非難します。中東和平への唯一の道、唯一の「ロードマップ」の前提条件、それはイスラエル軍が1967年以降軍事力で略奪した全ての占領地から撤退することです。

 今年1月のイスラエル総選挙は、リクード党の大勝、労働党の歴史的凋落という結果に終わりました(詳しくは「反占領・平和レポート No.26」)。シャロン政権は、対イラク戦が切迫しているという状況を最大限利用しました。しかしながら、イスラエル国民は熱烈にリクード党とシャロン政権を支持したわけではありません。いわば消極的選択であったことは、これまでの中で最も低い投票率に示されています。また、リクード党単独では過半数にはほど遠く、不安定な連立内閣であることに変わりはありません。何らかの対外的政治的譲歩は即座に連立崩壊につながりかねない脆さをかかえています。「ロードマップ」受け入れを渋った理由はここにもあります。

 労働党が連立に加わらない第二次シャロン内閣のもとで、経済的・財政的苦境からの脱出策が政治焦点化しました。財務相に就任したネタニヤフの、弱者切り捨ての収奪プランに対する国民の反発が表面化しました。一方で、福祉国家の体面をかなぐり捨てるような緊縮プランでありながら、他方では、経済を活性化させるためという想定での富裕層を優遇する税制改革。これに反発した労働組合連合はイスラエル史上初のゼネストに突入する様相を示しました。このシャロン政権の苦境を救ったのは、米の対イラク戦争でした。
 シャロン政権は、米国の対イラク戦争を最大限に利用しました。国内的には、戦時体制を呼号して国民の不満を抑え込み、パレスチナ自治政府とパレスチナ人民に対しては、新たな大規模軍事侵攻の可能性をちらつかせて脅しをかけました。パレスチナ自治政府が米国にすがるように「ロードマップ」の無条件全面受け入れを即座に表明した理由の一つは、ここにあります。シャロン政権は新たな大規模な「民族浄化」を本当にやりかねない、という状況が現にあります。部分的侵攻を頻繁に繰り返し、国際的支援者・人権活動家やジャーナリストへの攻撃もエスカレートさせました(「反占領・平和レポート No.29」参照)。

(2)シャロン政権は全能ではない。緊縮・収奪政策で守勢に立つ。
 現在、ネタニヤフ・プランに対する公然たる反対が再び表面化してきています。シャロン政権にとっては、イラク戦争が早期に終結したことは一つの誤算となっています。ネタニヤフの緊縮・収奪プランを強行突破で実現するために「戦時」をフルに利用しようとしていた目論みがうまくいかなかったからです。

 しかし、シャロン政権は、イラク戦争のドサクサに「分離壁」のルートを大幅変更したと伝えられています。パレスチナ国家の実現を事実上不可能にしてしまうかもしれないほどの新たな大規模土地収奪=領土併合を画策しているこの「分離壁」は、完成までにあと2年かかるといわれています。
※「懸案のロードマップ ROAD MAP IN THE AIR -- An Editorial Overview」(「もうひとつのイスラエル The Other Isurael」2003年4−5月「編集局展望」)
http://members.tripod.com/~other_Israel/ed.html
「The Other Israel」は、イスラエルで「グッシュ・シャロム」や「女性連合」などと緊密に協力しながら活動している平和団体。同名の月刊誌を発行し、全世界にメールニュースを発信している。この最新の論説では、1月の総選挙以降の諸過程を克明に明らかにしている。

 何らかの口実をもうけて和平交渉をサボタージュし引き延ばし、頓挫した責任をパレスチナ側に押し付けるという、これまで繰り返し繰り返し行われてきたことが、今回もまた再現されようとしています。シャロン政権がパレスチナ新内閣に支持や期待のポーズをとっているのは、極めて危険なことです。シャロンは、「ロードマップ」が実現しないことの責任をアッバス内閣に押し付けて苦境を乗り切ろうとするにちがいありません。

 タニヤ・ラインハルト記者は、イスラエルによる新たな軍事侵攻の危険性に警鐘を鳴らしてこう述べています。「数か月ごとに“和平プラン”がホワイトハウスの引き出しから取り出されて、数週間世界の耳目を集める。この儀式には決まったパターンがあって結末が決まっているにもかかわらず、イスラエルの多くの人々が今回は違うと信じることに引きつけられるのは奇妙なことだ。」「...このイニシアティヴ(2002年3月の米特使ジニの調停とチェイニーの中東訪問)の終わりとともに、イスラエルは、米国の承認のもとに「守りの楯」というとんでもない破壊に乗り出した。」と。
※前掲「失敗が保証されているロードマップ Guaranteed Failure Of The Roadmap 」(タニヤ・ラインハルト、2003.5.15。「Zネット」)


(なお、引用や紹介をした論説は翻訳して掲載する予定で現在準備中です。)

2003年5月26日
アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局