憲法と有事法制 【シリーズその3・最終回】
憲法機能を停止し改憲への道を開く有事法制
○対外的には、米の対北朝鮮先制攻撃戦争への参戦体制を完成させる。
○対内的には、国家・国民を戦争に総動員する体制、治安・弾圧体制を一気に完成させる。
2003年5月10日
アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局
T.はじめに−−有事法制が迫る二つの道。戦争への道か平和への道か。
(1)反北朝鮮キャンペーンをテコに有事法制採決を強行。「修正」しても本質は変わらず。許されない国民と世論に対する民主党の裏切り。
政府与党は北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)による「核保有」発言、ミサイル開発、「拉致問題」を最大限に利用し、反北朝鮮キャンペーンを張りながら、今国会での有事法案採決強行に向けて全力をあげています。
ここに有事法案の成立を急ぐ政府与党の意図が透けて見えます。要するに日本政府はアメリカの対北朝鮮政策の最大の選択肢の一つになろうとしている北朝鮮「先制攻撃戦争」に積極的に参加・加担する法律を成立させようとしているのです。この法律は同時に、国内では米軍・自衛隊による戦争遂行のために国家・国民の総動員体制、治安・弾圧体制の確立・強化をはかるものです。
ブッシュの先制攻撃戦略がイラク戦争で現に実行されて以降、「朝鮮半島有事」はもはや絵空事ではなくなりました。アメリカ国内ではネオコンを初め、現時点でまだどの部分も対北朝鮮軍事・外交政策を決めかねている、いや持っていないがゆえの一時的な「冷静な対応」、「抑制」局面が、現在は現れているに過ぎません。ブッシュが、あるいは国防総省や国務省が、一旦政策に影響力を与える部分が開戦を決めれば、米軍は、北朝鮮に挑発を繰り返し、何が何でも朝鮮半島で戦争を仕掛けるでしょう。「先制」的な「限定」空爆などすぐ現実の問題になりそうです。
週明けにも有事法制は強行採決されようとしています。きっかけを提供したのは民主党です。同党の「対案」をきっかけに政府与党が、待ってましたとばかりに有事法制の採決強行をごり押しし始めたのです。イラク戦争での米の短期圧勝に続いて、この野党の裏切りで政府与党は勢いを得たのです。これによって彼らは「超党派で議論した」「国民的合意だ」と言い繕うつもりなのです。
私たちは民主党の裏切りを厳しく非難します。まさしく犯罪的な仕打ちです。野党第一党の国民に対する裏切り、反戦・非戦世論の無視は、必ずや手ひどいしっぺ返しを食らうでしょう。「修正」などもってのほか、「修正」しても本質は変わりません。対北朝鮮先制攻撃戦争を制度化するような有事法制は、どんなことがあっても認めるわけにはいかない。廃案しかない。それが私たちの基本的な態度です。
(2)二つに一つしかない。有事法制による戦争と砲艦外交への道か、それとも平和憲法による徹底した平和外交への道か。
私たち日本の国民の前にある道は二つに一つしかありません。アメリカの対北朝鮮戦争遂行のために「国家総動員体制」を作る道を選ぶのか、それともあくまでも日本国憲法の平和主義原則に則り、米の反対を押し切って日朝国交正常化交渉を断固として推し進め、いわゆる「核問題」でも徹底的な平和的外交的解決を図ろうとするのか。どちらかしかありません。今選択が迫られているということを国民の前に明らかにし、後者の立場に立つことを鮮明に打ち出すべき時です。
「憲法と有事法制」シリーズ3。交戦権否定の原則、基本的人権の原則、これまで二回にわたって憲法の三大原則を踏みにじる有事法制を批判してきました。シリーズ最後の今回は、主権在民、国民主権の原則を問題にしたいと思います。その前に、もう一度政治的な観点から有事法制に反対する論点を明らかにしておきます。併せてご検討ください。
U.政府与党による数々のごまかしと問題のすり替え。有事法制の本質はアメリカの対北朝鮮先制戦争への参戦体制作り。
(1)「攻められないための準備」「備えあれば憂いなし」:一般論・抽象論で真の狙いをごまかそうとする政府与党。
有事法制の是非について、人々をごまかす最大の屁理屈は、「それでも日本を守らなくてはならない」「備えあれば憂いなし」です。小泉首相や自衛隊や政府与党の政治家たち、要するに軍国主義勢力=反動勢力は、このごまかしと問題のすり替えで、恐ろしい法律を通そうとしているのです。しかしそれは事情を知らない人々をコロッといかせる、まったく人をバカにした言い口です。
私たちは机上の世界、抽象的な世界に生きているわけではないのです。「日本を守る」とは一体どの国のどんな侵攻から「守る」のか。「備え」とは一体何に対する、どんな「備え」なのか。「憂い」とは具体的に何を意味するのか。「泥棒に戸締り」式の一般論・抽象論にごまかされてはなりません。現実の具体的な世界、国際政治と軍事バランスの具体的なあり方の中で、今有事法制を強行すると言うことがどんな危険な意味を持つのかを問題にしなければならないのです。
(2)【ごまかし・その1】有事法制とは「日本防衛」のためじゃない。アメリカの「対北朝鮮先制攻撃戦争」体制を完成させるためのもの。
政府与党のごまかしは、何よりもまず、人々に「日本の防衛」のための法律である、他国への侵略の法律ではないと錯覚させることです。しかし有事法制は「日本防衛」のためのものじゃありません。この法律の狙い・本質は、日本全土、日本の国民全体、日本の人的物的資源全体をアメリカの「対北朝鮮先制攻撃戦争」に総動員させるためのもの、先制攻撃する米軍の出撃拠点化・司令部化・兵站基地化を制度化するものなのです。北朝鮮の反撃を口実に「直接的武力行使」もやるでしょう。そうなればイラク戦争のときのカタールやクウェート以上の危険な役割を果たすことになります。
なぜアメリカは有事法制にこだわるのか。それはかつて1994年、クリントン政権時に北朝鮮を先制攻撃しようとして、日本の支援体制が整わないことが一因となって、攻撃できなかった事情があったからです。それ以降です。「日米安保の再定義」「日米ガイドライン」「周辺事態法」等々、矢継ぎ早に米側からの法制化・制度化圧力が強まったのは。そしてその総仕上げこそが有事法制なのです。一言すれば、米側が北朝鮮を攻撃したいと思ったときに自由自在に日本に総動員体制を敷き、日本の国民に戦争への協力義務を強制する法律を、言いなりの小泉政権に制定させようとしているのです。
しかし政府与党は一言もこのような本質や狙いを国民に向かって説明したことはありません。ごまかしで事を進めようとしているのです。
この法律が通れば、ブッシュの個人的な金正日憎しの感情一つで日本国民に戦争の義務が生じることなど少しも説明されていません。ネオコンの野望や支配欲一つで日本が対北朝鮮戦争の最前線に立たされることなど少しも説明されていません。日本国民の知らないところで、そしていい加減な理由で、いつでも北朝鮮に先制攻撃戦争を起こす体制がこの有事法制で完成させることができるとは全く説明されていないのです。
韓国や日本の国内世論、国際世論や国連などの圧倒的多数が反対しても、小泉首相のような好戦的でアメリカべったりの首相がOKさえすれば、ブッシュや軍産複合体の言うがままに、イラクにやったような無法な侵略戦争を起こす体制がこの有事法制で完成させることができるとは一度も説明されていません。この法律はアメリカの大統領の命令一つで、アメリカが好きなときに、好きな方法で朝鮮の民衆を大量殺戮し朝鮮半島を壊滅させることができる正真正銘の侵略法なのです。
(3)【ごまかし・その2】「北朝鮮の脅威」はウソ。先制攻撃能力を持ち、瞬時に北朝鮮を壊滅させることができるのはアメリカと米日韓軍事同盟の側。
政府与党が、有事法制の発動対象にし、実際に「仮想敵」と考えているのは北朝鮮です。ところが具体的に突き詰めると政府与党が「北朝鮮の脅威」を公式に具体的に説明したことなど一度もありません。それは根拠がないからです。政府与党と大手メディアが、右翼論壇や二流・三流週刊誌と一緒に煽っているのは、もっと情緒的なことです。拉致問題をギリギリまでエスカレートさせること、「北からの核攻撃」「北からの核ミサイル攻撃」など誇大宣伝を根拠なしに繰り返し繰り返し書き立てること、「北」への不安感、不信感、嫌悪感をこれでもかというほど植え付けること等々。
「北朝鮮の脅威」論を煽り立て、民心を惑わす最大のトリックは、第一に、軍事バランスを考える常識である“相互関係”を全く無視することです。つまり北朝鮮側の軍事力だけを取り上げること、対するアメリカ側の、更には米日韓の強大な軍事同盟の軍事力の側をまるでないかのように無視することです。
結論から言って、北朝鮮側の圧倒的劣勢は誰も否定できない現実なのです。現在の両者の軍事力の兵器体系と兵力編成からすれば、北朝鮮の旧式装備は防衛力になることはあっても、日本や米国に脅威を与えるような攻撃力にはなりません。北朝鮮側が限られた攻撃力を発動しようとしたその瞬間に、偵察衛星から全てを監視されていたその攻撃力は徹底的に破壊されるでしょう。と言うより現実には、それ以前に政治的緊張が激化した時点で、米側の勝手な判断で先制攻撃が加えられるでしょう。あるいは米側が北朝鮮側に屈辱的な仕打ちと戦争挑発を行い、「攻撃する恐れがある」と米系メディアを総動員して騒ぎ立て、「自衛権」行使を口実に先制攻撃戦争をやるでしょう。
第二に、北朝鮮の軍事力を部分的一面的に取り上げ誇張することです。北朝鮮軍の基本的部分を占める30年も40年も前の旧式の装備体系や人海戦術を中心とする防衛戦略を無視して、極一部の未完成のミサイル技術を全体の連関から切り離して、あたかも完成した技術であるかのようにすり替えること、外交的カードでしかない数個の不完全な「核兵器」をあたかも完成された核兵器体系であるかのようにデマること等々。
いずれにしても事態は全く逆です。脅威は北朝鮮にあるのではなく、ブッシュのアメリカの側にあります。現にあるのは北朝鮮を包囲する米日韓の巨大軍事同盟の危険性なのです。国際政治の現実と軍事バランスを冷静にかつ客観的に見れば、「北の脅威」などないということは軍事的常識なのです。核兵器保有問題、ミサイル保有問題など、いわゆる「北の脅威」の虚構性については、別途詳細に検討しました。そちらもご覧下さい。
※「イラク戦争後、3ヶ国協議後の米朝関係、朝鮮半島情勢と有事法制の危険」の第X章 誇張され人為的にでっち上げられた「北朝鮮の軍事的脅威」参照。
(4)【ごまかし・その3】米に追随し日本が北朝鮮先制攻撃戦争をやれば朝鮮半島と日本が一体どうなるか、真剣に考えるべき。
イラク侵略の前にもこれと同じ事がありました。これでもかこれでもかと米系メディアやブッシュ政権が「フセイン脅威論」をがなり立てました。「フセイン独裁者論」、「大量破壊兵器の脅威論」を大々的に宣伝し、まるでアメリカよりも恐ろしい強大な軍事国家のように大衆心理に深く刻み込ませました。そう、大衆心理の操作、洗脳です。侵略戦争を起こす前には必ず相手国の指導者や政権に対する徹底的な非難キャンペーンが行われるのです。私たちは「戦争プロパガンダ」に踊らされてはなりません。
昨年の拉致事件以降、年末の核兵器開発疑惑以降、金正日政権の独裁性、脅威、その個人的な性癖まで、ニュース番組やワイドショーで文字通り毎日毎日、日本国民の頭にたたき込まれました。「まぁ、ここまで悪いやつならやっつけてしまうのも仕方ないか」と思わせ感覚を麻痺させるようとしているのです。
しかし、待って下さい。朝鮮半島で一旦戦争が起こればどんなことになってしまうか、想像してみて下さい。とても大変なことになるのです。何よりもまずイラクの比ではない膨大な犠牲者と破壊が生み出されます。アメリカは遠く離れています。彼らは好き放題しても知らん顔できます。しかし韓国内は大分裂し軍部と国民の間で想像を絶する緊張と闘いが起こるでしょう。朝鮮戦争の悲惨な記憶を持っている民衆は必ずや大反対するでしょう。
日本も大変です。隣国で起こる大量虐殺、大量破壊に日本が直接、出撃基地、司令部になったりすれば、国論が真っ二つに分裂することは間違いありません。もちろん北朝鮮からの反撃は避けられないでしょう。
それだけではありません。北朝鮮の民衆はもちろん、韓国の民衆を含め、かつての侵略戦争と植民地支配の張本人であった日本に対する憎悪と悲惨な記憶を呼び覚まし、両国民衆の間に敵意・敵対の感情が燃え上がるはずです。更には、否、むしろそれより身近で激しい対立が起こるでしょう。政府与党や右翼勢力や右翼マスコミが、在日韓国・朝鮮人の人々に対する敵意・敵対、迫害行為を煽るでしょう。等々。等々。−−簡単には言い表せないほどの対立と分裂、即座に想像できないほど深刻な事態が起こるでしょう。どんな理由があろうとも朝鮮半島で戦争を起こしてはならないのです。
(5)【ごまかし・その4】有事法制が通れば、発動される前から、法律制定直後から軍国主義化・反動化が加速する。日本の軍国主義化・反動化の大きな流れの中の突破口として位置付けなければならない。
一般の人々は、この法律が決まるだけでは世の中は何も変わらないと思い込まされています。額面通り「日本が攻められたときに発動される」と信じ込まされています。しかしそんなに甘くはないのです。戦前の「隣組」のような「自主的防衛組織」が組織されます。「防衛訓練」があちこちで強行されるでしょう。彼らはこう言います。「戦争になったときでは遅い」「日常的に戦争に備えなければならない」と。これに疑問を呈すれば「非国民」のレッテルが貼り付けられます。もう雰囲気は「戦争」「防衛」なのです。
それだけではありません。彼らのシナリオでは有事法制の後に、どんどん悪法が続きます。なぜなら彼らの目標は、究極的には実際に戦争をやることなのですから。イラクへの自衛隊派遣強行、イラクで銃撃戦が起こせるように銃規制を緩和する策動、個人情報保護という名の検閲法案のごり押し、教育基本法の廃棄と教育の自由・平等の切り捨て、そして最後は明文改憲等々、彼らは侵略戦争国家作りに邁進しているのです。私たちは、こうした軍国主義化、反動化の大きな恐ろしい流れの中で、その突破口として有事法制を位置付けなければなりません。
今、有事法制を通過させようとする政府与党、防衛庁や自衛隊、右翼反動勢力、右翼新聞や右翼マスコミは、在日韓国・朝鮮の民衆に対する人権抑圧や弾圧など、何とも思っていません。彼らはブッシュなネオコンのような、いわばミニ・ブッシュ、ミニ・ラムズフェルド、ミニ・ウォルフォウィッツのような戦争屋なのです。戦争したくてたまらないのです。戦争国家作りへの、そして戦争への最大の突破口である有事法制を何としても廃案にさせましょう。
V.有事法制の根本矛盾。二律背反の有事法制と平和憲法。下位法(有事法制)が上位法(平和憲法)を覆すことはできない。
(1)有事法制は違憲であり現行憲法は有事法制を排除する。実は有事法制を国会審議すること自体も越権行為、違憲行為である。
まず議論の大前提として有事法制の存在そのものが日本国憲法下では違憲なものであることを確認しておく必要があります。最も重要な点でありながら、政府与党がはなからまったく無視している点でもあります。
何よりも日本国憲法には有事法制の存在を根拠づける明文規定はありません。憲法制定過程での論議、日本国憲法の内容から見て、国家の「緊急事態」を予測した規定はありません。むしろ積極的に緊急事態に陥ることを避ける方策をとり、緊急事態に対処する法律(有事法制)の制定を排除しているのです。これは1946年、第90回帝国議会における、民主政治および国民の権利を保障する立場から緊急事態制度を設けないと説明した金森国務大臣の答弁からも明らかです。
なぜ現在の日本国憲法が有事法制を排除したのか。それは現在の平和憲法の誕生の根本原因に関わることです。明治時代から昭和の敗戦まで、いわゆる15年戦争を含めて、絶対主義的天皇制の独裁体制、その下での息つくひまもなかった侵略戦争の連続、朝鮮・中国などアジア・太平洋の甚大な犠牲者と悲劇を繰り返してはならないという侵略的過去の反省を踏まえたものだからです。有事=緊急事態制度を排除しようとする理由は、軍事的政治的権力が天皇に集中した明治憲法の下での危険極まりない緊急制度に対する反省からくるものなのです。
(2)なぜ日本国憲法は有事法制を排除したのか。その理由の中に有事法制の危険がある。
では、現在の日本国憲法は、有事(非常事態)に根本的に対立する政治体制をどのように考えているのでしょうか。
第一に、言うまでもなく一連の平和主義条項にあるように戦争放棄、武力の不保持、国の交戦権の否認を規定し、徹底した非武装国家への道を要求しているのです。逆に国際紛争の解決は、むやみやたらに戦争に訴えるのではなく、また武力を背景にした砲艦外交をやるのではなく、平和的外交的解決に徹することを要求しているのです。戦前・戦中の戦争に次ぐ戦争の時代をきっぱり拒絶することを国の基本戦略に据えているのです。だから武力の行使に伴う緊急事態制度、有事法制の制定の要素など入る余地など少しもなく、むしろそれらを積極的に否定しているものと解されるのです。
第二に、従って日本国憲法は、諸外国憲法(仏・独・伊)及び明治憲法に見られた「国防の義務規定」を排除しました。軍への協力義務はもとより宣戦布告(大日本帝国憲法13条)、常備軍の規模、決定権(同12条)、戒厳令体制(同14条1項)などのような非常事態を生み出す規定を設けませんでした。
第三に、戦争に明け暮れる戦前・戦中の暗い時代には認められなかった基本的人権を徹底的に取り入れ中心に据えることを基本原理にしました。日本国憲法は、国民の基本的人権を国政の上で最大限尊重することとし、明治憲法下で見られた反戦的出版物等の検閲を禁止し(同21条2項)、徴兵制のような奴隷的な拘束からの自由(18条)を保障し、さらに軍事法廷である特別裁判所の設置も廃止しました(76条2項)。
また日本国憲法下で何より「平和に生きる権利」を保障し、国民の思想、信条、言論の自由を何らの制約を伴わないものとして保障(19条―21条)しました。
(3)本来有事法制を制定すること自体が違憲行為である。
もう一点確認しておかねばならないのは、違憲そのものの有事法制が国会で堂々と論議されていること自体の異常さもさることながら、そもそも上記の誕生過程からも明らかなように、憲法で排除されたはずの有事法制が法律として成立させること自体が違憲行為だと言うことです。当然です。それは明治憲法の侵略的本質を復活させるものであり、憲法の基本原則全てをことごとく否定し、覆してしまうからです。
手続き論からも言えます。難しい法律用語で説明するなら、こうなります。つまり日本国憲法下の国会は、国民主権下の議会として、憲法を通じて国民から授権されている権限を国民のために行使する、国民のための機関にすぎません。「緊急権」の名において、違憲の「有事法制」を法律の形式で整備するような地位を国会に認めることは、統治権の担当者にすぎない国会に統治権の部分的な簒奪を認め、かつ国会を部分的主権者にすることに他ならないのです。国民のまさに生命と財産に関わる事柄が一部の機関・人々によって決定されることは許されません。
いずれにしても有事法制の制定が、いやこれに関わる論議が進行していること自体が憲法の「平和条項」の存在そのものを否定し、蔑ろにし、ついには改憲につながる道を準備させていることは間違いありません。
(4)活気付く右翼・改憲勢力。明文改憲に道を開く有事法制。
この間支配層内部の改憲勢力は九条を中心に、急速に改憲攻撃を強めています。今年の憲法記念日の新聞各紙には、かねてからの改憲論者産経紙、読売紙はもとより、各紙で「改憲」の文字が踊るものになりました。ここでも反北朝鮮を最大限に利用して「行け行けどんどん」です。
自民党憲法調査会が作成している憲法改正草案が暴露されました。首相に「国家非常事態命令」を発動する権限を与え、国民に「国家を防衛する義務」を課すとしています。さらに「陸海空3軍その他の戦力」の保有を明記し、集団的自衛権の行使を認めている他、天皇を元首とし、「日の丸」を国歌、「君が代」を国歌と規定。さらに国際協力活動への戦力使用を含む積極参加を盛り込んでいます。まさに明治憲法もどきへの復古です。
また自民、自由両党国会議員や右翼文化人を糾合した「新しい憲法をつくる国民会議」(自主憲法制定国民会議)が発表した「新憲法案」も上と大同小異の改憲論を展開しています。要するに自民党、右翼は一体となってことに「天皇の元首化」を要求し、九条に集中的攻撃を浴びせ、復古的、反動的、軍国主義的主張を繰り広げているのです。
事は与党(「加憲」の公明党も含みます)に止まりません。与党の主張の威勢が良いのは、諸野党も同じような主張を掲げているからです。民主党の憲法調査会は昨年7月、従来の「論憲」から新憲法を作る「創憲」へ踏み出す最終報告をまとめました。国連の集団安全保障を肯定し、自衛隊が国連平和維持活動(PKO)だけでなく、正規の国連軍や多国籍軍にも参加する選択肢を持つべきだとの考えを打ち出しています。また、自由党は2000年12月に「新しい憲法を創る基本方針」を決定。国連による集団安全保障に積極的に参加する考えを示しています。
改憲の主張は一層声高になりつつあります。この流れの中で衆院憲法調査会は、2005年に作成する最終報告について、「あるべき『この国のかたち』について一定の方向性を国民に明確に提示する必要がある」(中山太郎・衆院憲法調査会会長)として、憲法改悪の具体的な方向性を示したい意向を明らかにしました。
(5)有事法制は、個人情報保護法制定、教基法破棄など軍国主義化・反動化の突破口。
反動的・軍国主義的な改憲論議が幅を利かせるのは、違憲そのものの有事法案が提出され、それが公然と論議される今日の社会の右翼的傾向、保守的潮流と無縁なものではありません。有事法案だけではありません。マスコミ規制、国民の表現・思想の自由を管理・統制するとあれほど批判されている個人情報保護法案が衆院を通過しました。
また中教審の最終答申を受け、教育基本法の改悪までが日程に上りつつあります。教育基本法は教育の憲法、いや日本国憲法の教育部分ともいわれるものです。これを破棄し教育勅語もどきを復活させることで政府・文科省は、「国を愛する心」「新たな『公』の創出」を教育の場に定着させ、エリート創出のための差別・選別教育を徹底し、現在教育現場で進行している教員の管理・統制のための方策をすべて合法化しようとしているのです。改憲、個人情報保護法案、教基法改悪、有事法案、これらの正当化の議論の中で展開される主張、すなわち「公の福祉」のための「私権」の制限、「国」のために喜んで命まで捧げること、実際に戦争できる国作り等々、それらは例の「つくる会」教科書の主張そのものです。何のことはない、「つくる会」に大糾合した右翼、保守反動層がこうした攻撃を下支えしているのです。
有事法案の成立はこうした軍国主義化・反動化攻撃の「突破口」になるでしょう。なぜなら違憲そのものの有事法は、それが実質的に機能すれば、現在の憲法の機能を停止させるものであり、実際上「法的クーデター」とも呼べる事態を創りだすからです。
(6)下位法(有事法制)が上位法(平和憲法)を覆す「法的クーデタ」。しかしこの根本時矛盾は明文改憲までずっと残る。そこにこそ有事法制の弱点があり、闘いの糸口がある。闘いはまだ始まったばかり。
こうした意味で有事法案の成立は、教基法改悪攻撃と合わせて改憲への道を掃き清め、明文上の改憲にも大きく道を開き、ついには、平和主義、基本的人権の尊重、国民主権を高らかに謳った世界に類を見ない日本国憲法を最後的に葬り去る決定的な契機となります。国民が何も言わなければ、闘わなければ、後は一途軍国主義化・反動化の道しかありません。
しかし下位法(有事法制)が上位法(平和憲法)を覆すことは、根本的原理的にあり得ないことです。憲法から排除された異質なものが現行の憲法下で成立させられることそのことが根本的矛盾なのです。この憲法的矛盾、平和か戦争かをめぐる法的矛盾は、明治憲法や教育勅語のような時代錯誤的な異様な憲法が制定されるまで続くでしょう。明文改憲まで、すっとこの矛盾が最大の政治的法的争点になるでしょう。いわゆるデタラメな「国民保護法制」や「個別法」はこれから制定されていきます。だから私たちの、今のこの有事法制廃案を掲げる闘いは、こうした歴史的パースペクティブの中で位置付けられなければなりません。その意味で有事法制反対の闘いは中長期的な、長い闘いのまだ最初の段階なのです。
W.有事法制はいかに憲法三大原則を蹂躙するか。−−いよいよ直接的武力行使が可能になる。人権侵害だけじゃなく、戦争協力が義務化される。
有事法案がいかに日本国憲法と相容れないものであるか、その基本原則、根本原則と根本的に対立するものであるかについては、本HP上でこれまで2回にわたり論じてきました。ここに改めて論点を整理し、有事法制が、それ自体でいかに違憲なものであるか、実質改憲へとつながっていくものであるかについて確認するとともに、残された国民主権原則との関わりでの批判を試みたいと思います。
(1)有事法制は「交戦権否定」条項を最後的に葬る。
日本国憲法は第九条の1項で戦争放棄、武力による紛争の解決放棄など平和的手段による紛争の解決を根本精神としてそれを明文化し、その上でその担保として第2項で「戦力の不保持」と「交戦権放棄」の二つの条件を規定しました。
有事法制が第1項に真っ向から対立するものであることは言を待ちません。問題は第2項です。前段の「戦力の不保持」はすでに完全に否定されてしまいました。今回の有事法制は後段の「交戦権放棄」までも完全に否定するのです。
私たちの考えでは、「交戦権」は、@他国への直接的な武力行使、A国家総動員体制の確立、この二つの要素からなります。有事法制はこの二つの要素を同時に突破するのです。日本の軍国主義は有事法制によって「交戦権放棄」を全面否定する最後的な段階を迎えたというべきではないでしょうか。
※【憲法と有事法制シリーズその1】憲法第9条と有事法制 有事法制は憲法「交戦権放棄」条項を最後的に葬るもの
勿論、日本の軍国主義も一直線にここまでやってきたのではありません。それは反戦・平和勢力、護憲勢力との闘争の歴史であり、逆から見ればそれら勢力が軍国主義の伸長をその都度何とか押しとどめてきたことの成果でもありました。今有事法案はその成果を一挙に押しつぶすものでもあります。
最後的段階に至るまで幾多の攻撃がありました。まず「警察予備隊」の発足以来、第九条2項が真っ先に掘り崩されました。その後政治的焦点は「戦力不保持」の問題から「交戦権放棄」へと移動しました。
そんな中「PKO法」によって、「領域外」問題でも「武力行使」問題でも「交戦権放棄」条項に初めて「風穴」を開けられたのです。
そして「周辺事態法」で初めて朝鮮半島有事、台湾海峡有事を想定した「領域外」での対米支援が可能になりました。
さらに「テロ対策特措法」で対米軍事協力の「領域外」範囲を一挙にインド洋にまで拡大したのです。このように攻撃はエスカレートしてきましたが、それぞれにまた自衛隊=軍隊の行動の性格と行動範囲に多くの制約を課したままのものでした。
ところが今回の有事法制は、この最後の皮一枚として残っていた「直接的武力行使」にあからさまに踏み込んだのです。そしてタガが外れたように、どんな状況下でも、どんな地域でも、どんな戦闘行為も可能になるかのようなメチャクチャな法律案として提出されたのです。
第一に、すでにインド洋まで拡大された「領域外」行動は、有事法制では「行動範囲」をめぐっては何の制約も限定もありません。「領域内」はもちろん、「領域外」のどこででも活動できるということです。
第二に、戦後初めて「直接的武力行使」を可能としています。自衛隊の行う戦闘行為に何の制約も付いていません。「日本が攻撃された場合」というフィクションを前提に作られた法案ですから、どんな反撃でもできることになります。
第三に、イラク型の無法な先制攻撃も可能となります。なぜなら同法の発動要件はことごとく曖昧にされ、時の首相と内閣が自らの思惑と判断で勝手に開戦できるようになっているからです。(実際には米政府とペンタゴンが決めることになるのですが)。同法が「わが国に対する武力攻撃」だけでなく、「武力攻撃が予測されるに至った事態」を法案に盛り込んでいるのは、まさしくアメリカの先制攻撃戦略に見事に呼応したものでもあります。
さて今回の有事法案は「包括案」として提案されています。これが可決されればその下で2年間かけて「個別法」を作るとされています。そこで日本が侵略戦争を遂行する法的制度的保障が全て完成することになるのです。すなわち、有事法制は、アメリカが引き起こす侵略戦争に「国をあげて」協力するために「関係諸機関」や「地方自治体」、さらには国民、市民の一人一人にまで「協力」という名の義務と服従を強い、そのための国内治安弾圧体制を合法化する法律を整備していくのです。
有事法制は、@「交戦そのもの」「武力行使そのもの」を認める法律であると同時に、A実際に戦争を遂行するための「戦争国家体制」「国家総動員体制」の法的制度的保証をもなすものです。有事法案はこの二重の条件をクリアする法律であるということなのです。
(2)「国民の保護」なんて嘘っぱち。「公共の福祉」論振りかざし、国民の基本的人権を踏みにじり、同時に戦争協力と「国防の義務」を無理強いする。
次に有事法案が、日本国憲法で保証された基本的人権をいかに剥奪、蹂躙し、かつ憲法では何らの規定も見ない、戦争への協力と国防の義務を国民に強いるものであるかという点です。
※憲法と有事法制 【シリーズその2】「国民保護」とは全く逆のことを目論む有事法制
注目すべきは国会審議中に政府が持ち出した「公共の福祉」という新しい論理です。政府はそれを人権侵害と戦争・国防義務の押しつけの“万能の武器”として持ち出しているのです。曰く、戦争は「国及び国民の安全を保つという高度の公共の福祉」だ。曰く、自衛隊や米軍の作戦行動の自由を保証せよ、よって「軍事的に必要とされる事項」に通常の行政の公共性より一段と高い「高度の公共性」を認めよ。等々。
@戦争は「公共の福祉」である→Aだから「公共の福祉」のためには個々人の権利や私権は切り捨てる。戦争のためには我慢せよ。→新たに戦争協力の義務、国防協力の義務を甘受せよ→C逆らえば罰則を与える。監獄にぶち込む、等々。運用次第で非常に恐ろしい事態を招くことができるのです。
しかし平和主義を掲げる憲法の原理からして、戦争=「公共の福祉」は憲法違反そのものです。従って「公共の福祉」など如何なる屁理屈をこねようと、国民の基本的人権を切り捨て、民間企業の「責務」や「国民の協力」について無理強いすることもまた憲法違反です。基本的人権制限の具体的なあり方については、事態対処法や自衛隊法などの個別法によって定めるとしています。要するに今後の法制にすべて「白紙委任」し、政府によって任意に制限するのだということです。これも全て憲法違反なのです。
X.首相に独裁的権限が付与されるため、今とは比較にならない違憲行為・違法行為が可能になる危険。
(1)小泉政権と今の与党ほど違憲行為・違法行為を平気でやる政権はない。戦争大好き首相に独裁権限与えれば大変な事態になる。
いわゆる「武力攻撃事態」が規定する「有事」は、日本国憲法下の“政権のあり方”“民主主義のあり方”をどんどん否定して進むことの危険を指摘しなければなりません。
今でも議会制民主主義は腐り果て、金権政治と政官財の癒着構造は、目を覆うばかりの惨状であり、国会の多数を握る自民党・公明党・保守新党の戦争党による軍国主義化、反動化をめぐる違憲行為、違法行為が相次ぐひどい現状です。有事法制の採決強行がその典型ですが、ペンタゴンの軍事機関に要員を派遣することなどもそうです。自衛隊の銃撃戦や武力行使に道を開く発砲規制緩和、個人情報保護という名の検閲法のごり押し、テロ対策特措法のなし崩し的な延長に次ぐ延長、そしてイラク戦争への「給油」、「修正」協議で「基本的人権の尊重」の文言すら盛り込まない点に露骨に出ている反憲法的態度等々、数え上げればキリがありません。
(2)国会権限の否定・無視、地方自治体の権限剥奪により主権在民原則はあからさまに掘り崩される。
こんな小泉政権が有事法制を武器に独裁的権限を握れば一体どうなるか。「武力攻撃事態」=「有事」の宣言を含めて、首相が事実上全権力を掌握し、自衛隊、国の行政機関、地方公共団体、公共機関あげて米軍への支援体制を強力に指揮・命令するはずです。まさに「首相独裁」です。一旦選ばれた首相が独裁者のように振る舞える、そんな危険な事態が可能になるのです。民主主義の原理とはおよそかけ離れた事態が起こることは容易に見てとれるでしょう。政治状況、社会状況は、好戦的な雰囲気で一杯になるでしょう。
先ず第一に、国会無視が横行します。今と比べものになりません。政府はまず“国会の事前承認なし”に、「対処基本方針」を作り「対処措置」を実施することができます。首相は安全保障会議を開催し、そこで自衛隊の制服組に補佐されながら「対処基本方針」を策定します。この「基本方針」は、閣議決定を経て“事後に”国会の承認にかけられますが、それに基づく「対処措置」は“国会の承認を待たず”に開始できるのです。
第二に、地方自治体や公共機関の権限を奪います。首相の強権発動が可能になるのです。特に対処措置の実施段階では、首相は「武力攻撃事態対策本部長」として「総合調整」権限をふるいながら、事実上全権を掌握して措置を指揮します。この本部長である首相の指示に、自治体や指定公共機関は強制的に従わされ、従わない場合は、対処措置を代わりに執行されることもあるのです。対処措置の「現場」では、自衛隊員が指揮命令することも想定されます。
(3)軍隊(米軍と自衛隊)が日本の政治に強大な権限を振るう危険。シビリアン・コントロールの掘り崩し。
有事法制はもっと危険なものになります。建前では戦争前から「戦時体制を発動する」ことができるのですから、実態的には米日の軍部が戦争前から日本の国政を左右する危険が一気に高まります。例えば、安全保障会議では、米日軍部のシナリオに基づいて首相主導で“密室審議”が行われます。国民が全く知らないところで事が進められていくのです。首相に強大な権限が集中することで、軍部が首相を飾りにして自分たちの権力を振るうことが可能になります。またその集中した首相権力が「権限の委任」を通してその権限を自衛隊(自衛官)に委任できるシステムが組み込まれています(武力攻撃事態法案第十三条)等々。
軍事を政治・国会の支配下におき、それを一人の人間(首相)の判断、特定の集団(与党)の判断で好き勝手に動かせないようにするには、軍に対する民主的な統制が不可欠であり、日本国憲法下では国民の代表機関である国会がその役割を担うのです。ところが今回の有事法制では、その国会が「有事」の認定をできなかったり、「対処基本方針」に対する承認が事後のものになったり、「武力攻撃が予想される」だけで「有事体制」が国会の承認ぬきに動き出したり、「有事体制」を終了させることすらできないといった形で、「国権の最高機関」が有名無実化させられるのです。また国会承認ぬきで「防衛出動」の可能性がさらに拡大し、国会を飛び越え、自衛隊による防衛施設の構築等、「有事体制」が前倒しになる可能性だってあります。シビリアン・コントロールはズタズタに打ち破られるのです。
このように今回の有事法案は、国会を黙らせたまま、政府主導で、その実は米日軍部主導で、いかに効率的にアメリカが起こす戦争への体制作りを行うかというところに狙いがあるのです。
(4)21世紀の日本の政治の針路を決する。有事法案廃案で日本政治の暗い時代への回帰に歯止めを掛けよう。
以上見たように有事法案は日本国憲法とその原理・原則に真っ向から敵対する極めて軍国主義的、反動的でな法案です。
それが採決されるか否かが、21世紀の今後の日本政治の進路、日本政治の在り方を決すると言っても過言ではありません。一途戦争の道を選ぶのか、「平時」と「有事」の区別も曖昧で、「公共の福祉」の名の下に基本的人権の剥奪・蹂躙も当たり前の時代を良しとするのか、首相に権限が集中され、軍部や右翼反動勢力が大きな顔をしふんぞり返る時代を受け入れるのか、国民が戦争協力や戦争動員を無理強いさせられる世の中を選ぶのか、要するに戦前のように戦争に明け暮れる時代を選ぶのか。それとも平和外交に徹し、他国との善隣友好めざし、基本的人権が保障され、国民主権が貫かれる世の中を選ぶのか、まさに今日本は重大な岐路に立たされていると言えます。
日本の百年の進路を誤らせないためには、ここで有事法制を廃案に追い込むしかありません。それが改憲への道を閉ざし、日本の軍国主義化と反動化に痛打を浴びせ、少しでもそれらを後退させる唯一の道です。有事法廃案を要求して闘いましょう。
憲法と有事法制シリーズ
その1 憲法第9条と有事法制−−有事法制は憲法「交戦権放棄」条項を最後的に葬るもの
その2 「国民保護」とは全く逆のことを目論む有事法制
シリーズ 有事法制:討論と報告
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