新「防衛大綱」「中期防」閣議決定批判:シリーズその4
ミサイル防衛(MD)を突破口に、武器輸出三原則のなし崩し的緩和・撤廃へ
−−自民党・財界は武器輸出の全面解禁、対米下請け化で軍需産業の復活・生き残りを追求−−


【1】MDは緩和の突破口に過ぎず。自民党は武器輸出全面解禁を狙う。

(1) 昨年12月10日、政府は、新「防衛大綱」を決定し、あわせて武器輸出三原則の“緩和”を内閣官房長官談話という形で発表しました。その内容は、1)日米で共同研究している弾道ミサイル防衛(MD)システムの開発・生産については、武器輸出三原則の例外規定とする。2)MD以外の案件については、今後、個別の案件ごとに検討する、というものです。政府はついにMDを突破口にして、武器輸出三原則の緩和・撤廃に踏み切ったのです。
 政府与党は新「防衛大綱」を閣議決定し、軍事戦略の根本的な転換、つまり米軍の従属部隊として世界中に戦争と軍事介入を図る新しい戦略に転換することを国民の同意なしに、国会での審議もなしに、勝手に決めてしまいました。そして、今や改憲も含めて日本を軍国主義国家へ転落させる推進者となり、大増税・大衆収奪のラッパを吹く“政治ゴロ”となった奥田経団連会長や、トヨタと三菱重工がトップを牛耳る財界の目論見だけを聞き入れ、その軍事戦略転換の一環として何の国民的議論もなしに、武器輸出三原則の緩和・撤廃への道を開いたのです。
※武器輸出三原則についての内閣官房長官談話は以下の通り。内閣官房長官談話[平成17年度以降に係る防衛計画の大綱について]12月10日 http://www.kantei.go.jp/jp/tyokan/koizumi/2004/1210danwa.html
「(1)武器の輸出管理については、武器輸出三原則等のよって立つ平和国家としての基本理念にかんがみ、今後とも引き続き慎重に対処するとの方針を堅持します。(2)ただし、弾道ミサイル防御システムに関する案件については、日米安全保障体制の効果的な運用に寄与し、わが国の安全保障に資するとの観点から、共同で開発・生産を行うこととなった場合には、厳格な管理を行う前提で武器輸出三原則等によらないこととします。(3)なお、米国との共同開発・生産案件やテロ・海賊対策支援等に資する案件についても新「防衛大綱」の策定の過程で種々問題提起がありました。これらの案件については、今後、国際紛争等の助長を回避するという平和国家としての基本理念に照らし、個別の案件ごとに検討の上、結論を得ることとしております。」

 新聞報道によれば、自民党は、テロ支援国などを除き、米国以外にも輸出を解禁するよう求める案をまとめているが、公明党は、米国向けのミサイル防衛(MD)関連以外や米国以外の第三国への輸出に反対している、と報じられています。しかし公明党のこの「反対」は全く信じられません。これまでも公明党はイラク派兵で、有事法制で、憲法改悪で、次々と自民党に譲歩してきたからです。何のブレーキ役にもななっていないのです。今回の武器輸出三原則緩和に関しても、あたかも三原則撤廃に制約が加えられたかのようです。しかし実際には全く逆です。今回1回キリで全面的な緩和・撤廃をしなかったというだけです。MD共同開発・輸出に道を開いただけではなく、MD以外についても「個別の案件ごとに検討」していくということで、一見歯止めをかけたかのような見せかけのもとで、なし崩し的に撤廃していくことに道を開いているのです。

 官房長官談話という形式については、どうでしょうか。閣議決定を必要とする「防衛大綱」に盛り込まずに官房長官談話という形にトーンダウンしたことを、マス・メディアは、あたかも平和主義原則と三原則が基本的に堅持されたかのように報じていますが、これも全く見当違いの評価です。政府・自民党の姿勢が全面解禁であれば、逆に閣議決定のいらない単なる官房長官の談話のほうが好都合なはずです。
 いずれにしても、憲法第9条を軸とした戦後日本の平和主義原則を具体的に体現してきた重要な「国是」を、このような形でなし崩し的に撤廃していくということは、自衛隊のイラク派兵をはじめとする数々の憲法違反・平和主義原則を踏みにじる暴挙とともに、許し難い暴挙と言わねばなりません。


(2) 政府・自民党は、昨年の武器輸出三原則緩和の閣議決定の1年も前、2003年12月にミサイル防衛の導入を閣議決定しました。その段階で武器輸出三原則の見直しは、なし崩し的に政府・与党の既定路線となりました。なぜなら、次世代MDの日米共同研究が開発・生産段階に入れば、三原則に抵触することは明らかだったからです。

 問題は、その後1年をかけて政府・与党は一体何を議論してきたのか、です。ここに現在の小泉自民党の狙い目がはっきりと出ているのです。もちろんMDの「例外規定」ではありません。結論を言えば、MDを越えて「三原則」をどこまで骨抜きにするか、その範囲と、事実上の撤廃をどのような形式で行うかということです

 昨年の年明け早々、政府・自民党は積極的に動き始めました。MD導入を先に決定してから、武器輸出三原則が足かせとなって共同開発した部品を海外に輸出できない恐れが出てきたと言いがかりを付ける論法で、緩和・撤廃の根回しを始めたのです。当時の石破防衛庁長官はオランダ訪問中の1月13日に三原則の見直しに言及、米との間だけで行っている兵器の共同開発を第三国にも広げる考えを表明しました。もちろんなし崩しです。

 次いで昨年3月30日、自民党国防部会は、武器輸出全面解禁政策を策定しました。事実上の武器輸出三原則の全面破棄です。まず全面解禁を行い、そこから最小限の禁輸対象を除外する、例えば国連決議が認めたテロ支援、人権侵害国や紛争発生地域等々、それ以外は一定の審査の下で輸出に道を開くとした「提言・新しい日本の防衛政策」です。当時の福田官房長官も「武器輸出に関して今後どういう対応するかは大事なことだ。政府としては慎重に検討する」と語り、前向きの検討を約束したものです。
 「提言」の「13、防衛産業・技術基盤の維持と武器輸出三原則」はこう述べます。
 「防衛生産・技術基盤を維持していくためには、単なる総花的な産業保護政策にとどまるのではなく、将来のわが国の防衛にとって必要な分野については重点的に維持・育成を図っていく一方で、同盟国・友好国との連携を進める上で障害となっているものを取り除く必要がある。なお、非効率で安全保障上も支障のない分野は外国から輸入するなど、防衛産業・技術基盤における「選択と集中」を進めていくことが適当である。」

 「米国への武器技術の提供のみが例外化(対米武器技術供与)されているのみであり、米国を通じた第三国への移転についても、厳しく扱うことになっている上に、わが国からの部品及び製品の輸出を伴う共同生産は禁止されていることから、実質的に共同技術開発がいかなる国との間でもなし得ない環境にある。」
 「自由な技術協力がなし得ない状況は、単にわが国の防衛装備技術の発展を停滞させ、わが国の安全保障に支障をきたすだけではなく、科学技術立国、日本の科学技術のさらなる発展のチャンスを失わせるものである。」
 「これを解消するためには、具体的には、企業・民間レベルで、欧米諸国との軍事科学技術の交流が促進される(コマーシャルベースでの武器技術・貨物(部品及び製品)輸出の仕組みづくりを含む)ようにすることや、現在の弾道ミサイル防衛に関する日米共同研究が共同開発・生産段階に進んだ場合等に備えて、研究成果が有効活用され、日米共同開発・生産プロジェクトにおいて貨物(部品及び製品)の輸出が可能となる仕組みを創設すべきである。」

 上記のごとく武器輸出禁止の現状を批判し、「提言」は新しい「新しい武器及び武器関連技術に関する輸出管理原則」を提案する。「武器等の輸出を原則禁止とするわが国の仕組みを見直すことが必要である」というのです。
※「提言・新しい日本の防衛政策」自民党国防部会 http://www.jimin.jp/jimin/saishin04/pdf/seisaku-006.pdf



【2】武器輸出三原則全面解禁を露骨に要求する奥田・日本経団連=財界と三菱重工などの軍需産業。

(1) 財界は、既に90年代後半から三原則の見直し・撤廃を主張し始めていましたが、2000年以降その主張をいっそう強め、昨年、新「防衛大綱」策定の最終段階へ向けて、7月20日付で経団連による政府への意見書を発表してダメ押しの圧力を加えました。そこでは、日本が防衛分野で世界から取り残されるという危機感を前面に押し出して強調しています。
「わが国では、武器輸出三原則等により、防衛生産分野において他国と連携することが制約されている。すでに、わが国は先進国間の共同開発プロジェクトの流れから取り残されており、将来の防衛装備に係る技術開発面、コスト面、ひいてはわが国の安全保障全般に対する影響が懸念される。」「すでに述べたとおり、装備・技術の国際共同開発の傾向が強まるなか、わが国ではこのような機会への参加や海外企業との技術対話も制限され、最先端技術へのアクセスができない。すでに、日本の防衛産業は世界の装備・技術開発の動向から取り残され、世界の安全保障の動きからも孤立しつつあり、諸外国の国際共同開発の成果のみを導入するといった手法には懸念が生じている。」と。

 この段階では、現在日米で共同研究が行われている次世代MDの開発・生産への移行を可能にするために三原則を見直すことは、政府・与党内では既に決着済みであったと思われます。問題の焦点は、MDだけに狭く限定するのか、もっと広げて緩和・撤廃を打ち出すのか、ということです。だからこの意見書では、三原則の緩和・撤廃の必要性を、もはやMD推進から説明するのではなく、もっと広く「防衛分野」全般の問題として説明することに力点を置いているわけです。
※「武器輸出三原則」と経団連の意見書、MD推進との関係等については、以下を参照。
  [シリーズ日本の軍需産業(上)] 財界の司令塔=日本経団連が「意見書」を提出 財界の総意として軍需産業の復活=『武器輸出三原則』の放棄を迫る−−いよいよ動き出した日本の軍需産業
  [シリーズ日本の軍需産業(下)] 米欧の軍需産業の世界的再編に乗り遅れ危機感抱く米軍需産業への「従属化」「下請け化」で生き残り図る 日本軍需産業 −−日米軍需産業一体化の合同機関(IFSEC)を設立−−


(2) 私たちは、[シリーズ日本の軍需産業(上)(下)]で、 '90年代中ごろ以降の経団連を中心とする日本の財界の動きを明らかにしてきました。
 経団連が武器輸出三原則の見直しを明確に主張し始めたのは、1995年の「新時代に対応した防衛力整備計画の策定を望む」と題した提言からです。その後、1996年に米国側8社と日本側12社の日米軍需産業が集まり「日米安全保障産業フォーラム(IFSEC)」が設立され、1997年1月に第1回会合、10月には「共同宣言」が策定され、日米軍需産業が従来とは質的に異なった協力・提携関係へと進んでいく過程が始まりました。2000年に経団連から出された「次期中期防衛力整備計画についての提言」では、武器輸出三原則の見直しは明確な方針として提示されました。さらに2002年12月にIFSECの共同宣言が改訂され、現在進行している事態が先取りされるような形で、日米の軍需産業の関心事が露骨に語られ提示されました。それらを今一度ここにまとめ直したいと思います。

1)1995年の提言の段階 : 従来の「国産化」路線を堅持しながらも米欧に取り残される危機感から武器輸出に活路を求める
 この段階では、自前の技術基盤の保持と装備の国産化にこだわる従来の立場の延長線上で、日米協力の強化と経済低迷からの脱却が模索されています。この提言はごく短いものですが、次の部分に関心が集中的に表れています。

 「国内防衛生産・技術基盤を維持することは、わが国の防衛政策・国土国情に合った装備品の調達や適時適切な維持・補給、あるいは有事の際の緊急取得にとって不可欠である。また、基盤の存在により、国際紛争が抑止され、防衛技術協力等を通じて日米の絆を強化することができる。
 欧米諸国とは異なり、わが国には国営の軍需工場は存在しないため、わが国の防衛生産・研究開発、装備の維持・補給・能力向上を支えているのは、産業界である。また、装備品の生産は、中小企業を含む多数の企業の参加により可能となっている。しかし、市場が国内に限定された中で、ここ数年、装備予算が削減されてきていることから、各社とも技術者や生産ラインの維持が困難になってきている。...産業界も、人員の配置転換や合理化などに必死に取り組んでいる中で基盤の維持に努めているが、政府としても、基盤の維持・強化のために、装備の国産化に引き続き配慮するとともに、新中期防の中で以下の施策を実施すべきである。(以下項目列挙−−略)」
 「わが国としては、装備品のハイテク化・高価格化と防衛費の圧迫傾向に対処するため、米国等との国際協力を検討する必要がある。まずは、安全保障上、深い関係にある米国との間で、共同研究開発・生産を円滑に実施できる環境を整備すべきである。」

 米の軍産複合体の大再編が劇的な形で進み、それに引きずられるように欧州でも再編が始まったこの時期に、日本経済はバブル崩壊後の低迷にあえいでいました。米欧のはざまに埋没したくなければ、何らかの打開策を講じなければならないという危機感・焦燥感がにじみ出ています。独自の技術基盤を放棄して軍装備を主に輸入に頼るという選択肢は論外であって排除するとすれば、積極的に国際交流・共同開発(特に米国との)などのできる態勢にして、米欧に遅れずについていけるようにする必要がある、それはまた経済的苦境からの脱出にとっても必要である、そういう観点が表明されています。ここでは明言されてはいませんが、そのためには武器輸出三原則を見直さねばならないということははっきり意識されています。

2)2000年の提言の段階 : 「国産化」路線の行き詰まりとその打開策としての「対米従属化」路線への転換、MD推進へ
 この段階では、世界(米欧)から孤立する危機感が深まり、自前の技術基盤を堅持・強化し「国産化」にこだわるという路線は後退し、「対米従属化」路線に転換したかのようです。まず情勢認識が、従来の国産化路線の行き詰まりを反映して次のように変化しています。

 「防衛予算の削減の中で、欧米ではここ数年、防衛企業の統合・再編が進められてきた。最近は、米国防衛企業と欧州企業の提携に向けた動きも見られ、防衛装備品の国際的な共同研究や開発が増えていくと考えられる。わが国防衛関連企業も、そのような世界の動きから孤立して技術基盤を維持していくことは困難であり、技術基盤の強化に努める一方、米国防衛企業等との提携(包括提携、試験・要素研究)や共同開発、国内における同様の提携等も視野に入れる必要がある。」

 ここでは、米国軍産複合体と積極的に結びついて活路を開こうとする姿勢が明瞭に表明されています。そして、国産化については、もはや基本路線として堅持するのではなく、「重点的に国産化すべき防衛装備・技術の明確化」を求め、「ギブ・アンド・テイクの関係の構築」を追求しようとしています。

 この段階でさらに特筆すべきことは、MD推進が「望まれる」としていることです。それは一方では、対米従属化へ向けて後戻りできない一歩を踏み出すことを意味し、他方では、歯止めなき軍事予算の拡大要求を意味します。それは、「防衛予算という枠組みに留まらず、政府全体の危機管理体制の整備という観点から予算等を確保し、整備を推進することが重要である。」という言明に明瞭にあらわれています。
 そして、軍事技術・軍需産業の面でも対米従属化へ向けた協力体制、共同開発・生産、とりわけMD推進のために、武器輸出三原則の見直しをはっきりと求めています。

3)2002年12月のIFSEC共同宣言改訂の段階:「対米従属化」路線の明確化とその目的に沿う形での武器輸出三原則の見直し
 この段階では、米国の巨大軍産複合体との一体化、実態は従属化・下請け化の方向性が鮮明に打ち出されています。
 「IFSECの対話において、冷戦の終了に伴い、防衛産業に大きな変化がもたらされたことが指摘された。技術の進歩、防衛調達の減少、コストの増加等に直面するなかで、防衛生産・技術基盤を維持する必要があることから、防衛装備の取得における互恵的な協力の重要性が高まっている。IFSECのメンバー間でも、日米の防衛産業協力のあり方が、単なる供給者(米国)と顧客(日本)の関係から、将来の防衛システムの開発におけるパートナーシップを構築する関係へと発展していることが認識されている。この防衛協力の発展は、連携協力が市場での取引や調達という枠を超えて、将来の防衛装備のニーズの共有にまで及ぶに違いないことを意味している。」

 ここでは、日米の軍需産業が単なる商取引関係から共同パートナーの関係へ発展し、それが日米軍事一体化と軌を一にして進んでいることが、「将来の防衛装備のニーズの共有」という形で表現されています。そしてさらに、その具体的内容が次のように語られています。
 「IFSECが初めて開催された当時、防衛産業協力は、日本に対する米国の装備品の販売やライセンス供与が中心であった。防衛関連技術に関する研究開発活動は軍事作戦上のリクワイアメントに関して、ほとんど配慮を払うこともなく、例外的に扱われてきた。それ以来、日米の相互依存関係が地域的安全保障の利害関係に及ぼす影響力が強まり、共同防衛運用の重要性が高まってきた。この考え方の変化は以下のような現在の政府の取り組みにもみられる。
・S&TF(日米装備・技術定期協議)の所掌範囲が研究開発に関する関心事からより広範な調達の問題へと拡大
・防衛運用上の問題を対象とした戦略的対話の場の設置
・米軍、自衛隊間のリクワイアメントに関する対話の推進
・装備品の購入やライセンス生産だけでなく、産業間協力の拡大を重視した形での防衛システムの共同研究開発までをカバーする了解覚書(MOU)の締結を通じた共同調達に向けた動き」

 このように、日米の共同防衛運用や軍事作戦上の要求が語られ、政府間の包括的な了解覚書の締結が検討されていることまで述べられています。事態はもうここまで進んでいるのです。そして、武器輸出三原則に関して、次のように述べられています。

 「...日本の武器輸出三原則によって、かなり厳格な輸出管理の運用が行なわれており、依然として、防衛装備・技術協力の推進が大きく妨げられている。IFSECでは武器輸出三原則の緩和は難しいと考える。むしろ、以下のように武器輸出三原則のより柔軟な運用がなされるべきである。
・防衛装備品の開発・生産における日米産業間の効果的な連携の推進を図る
・特定の目的に関しては、米国、および多国間の防衛プログラムに関与している第三国で適切と考えられる国に対して、技術移転と同様、ハードウエアについても、ケースバイケースで移転を認める
・射出座席、ミサイル防衛に関する共同研究プロジェクト、洋上哨戒機のような実際のプログラムへの取組みを通じた先例の構築」

 この叙述を読めば、巧妙な形でなし崩し的に三原則を骨抜きにしていくことが、2年も前から語られ検討されていたことがわかります。そしてまた、建前は維持するということが、自分たちに都合のいい形で「管理」していくことに好都合でもあるのです。冒頭に示した官房長官談話の実際的内実は、まさにここに示されていることなのです。



【3】武器輸出三原則の歴史的意義−−軍国主義復活の産業的基盤、経済的衝動力を作らせない。

(1) 私たちが武器輸出三原則のいかなる緩和・撤廃にも反対なのは、この問題が単に武器輸出の問題のみならず、日本の国家のあり方、産業のあり方の根幹に関わるものだからです。米国のように軍需産業や軍産複合体が大統領や政治、軍事外交政策を動かすような危険な国になっていいでしょうか。今ではもう明らかですが、今回のイラク戦争の衝動力の一つは、ブッシュ政権に深く食い込む米国の巨大軍産複合体への“くれてやり”でした。軍需産業や軍産複合体、つまり“死の商人”が産業構造の中で重要な位置を占めると、戦争をすることが産業振興となってしまいます。利潤追求と市場拡大のために戦争をするとても危険な国になってしまうのです。私たちは、日本を米国のような軍需産業が大きな発言力を持つ戦争国家にさせてはなりません。
※私たちは「ブッシュ政権と軍産複合体」(署名事務局発行)において、軍産複合体が政治を動かす恐ろしい実態を明らかにした。

 “死の商人”が軍事と政治を牛耳るのは何も米国だけではありません。他人事ではないのです。実際、今からちょうど60年前の敗戦に至る「15年戦争」下の戦前・戦中の日本の歴史そのものなのです。当時日本は天皇・皇族・宮廷官僚、軍部、右翼、特権的政治家などに支配され、これらの勢力が天皇を元首に頂き、天皇制軍国主義国家を作り上げました。そして彼ら軍国主義勢力に資金援助をやったのが新興財閥と旧財閥、つまり金融資本です。新旧財閥は、貧困にあえぐ人民大衆から搾り上げた血税を巨額の軍事予算を通じて自らが経営する軍需産業に吸い上げ、ボロ儲けしました。武器輸出三原則は、日本を二度とこのような侵略国家、軍国主義国家へ転落させないため、軍国主義の産業基盤と経済的衝動力を作らせないための根本的な条件なのです。


(2) しかし武器輸出三原則は、自動的に「国是」になったのではありません。日本の反戦・非戦世論と反戦運動が自民党政府に押し付けたものなのです。日米政府・財界がこぞって骨抜きにしようとしている武器輸出三原則とは、いったいどのような経緯で生まれたのでしょうか。それを振り返ってみたいと思います。

 武器輸出三原則は、そもそもベトナム戦争中の1967年4月に当時の佐藤首相が衆議院決算委員会で表明、@共産圏諸国、A国連決議による禁止国、B国際紛争の当事国やその恐れのある国への武器輸出を禁止したものです。きっかけは、東大が開発した「ペンシルロケット(万年筆大の小型ロケット)」がインドネシアとユーゴスラビアに輸出されていたことが明らかになったことです。
 時はベトナム戦争の真っ最中、米ソ冷戦の真っ直中です。沖縄を中心とする日本の米軍基地がベトナム戦争の出撃拠点となる状況の下で、日本においてもベトナム反戦運動が大衆的に闘われたときでした。同時に日本が「防衛力整備計画」という長期的な計画を経る中で軍需産業を育成し、武器輸出が可能になる段階に達した事情がありました。社会党の華山親義氏が佐藤首相に対して、憲法の平和の理想からみて武器輸出を禁じるべきだと追及したのです。佐藤首相は、ベ反戦のうねりに押されて、武器輸出は厳格な管理のもとで行うということを表明せざるをえなくなったのです。もっともこの時の佐藤首相の答弁は、あくまで武器輸出はすべて禁止されるわけではないということの方にウェイトがありました。
※「1967年4月21日衆議院決算委員会議事録」 http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/055/0106/05504210106005c.html

 これが1976年2月に三木内閣で3地域以外にも対象を拡大し、事実上全面禁止にしたのです。しかも首相答弁ではなく三木内閣の政府統一見解です。そのきっかけは、まさにこの2月の米国チャーチ委員会での暴露を皮切りとするロッキード事件の発覚です。ロッキードL1011“エルテンイレブン”トライスターという民間機売り込みに伴う国際的な贈収賄事件です。この事件にはもう一つ、ロッキード社のP3C対潜哨戒機の導入疑惑も発覚しており、それには中曾根康弘(防衛庁長官)や後藤田正晴(官房副長官)が当事者に浮上、重大な疑いがもたれたのです。三木内閣と自民党は、日米安保に関わる武器輸入をめぐる汚職疑惑、まずP3C問題をもみ消さねばなりません。政府は野党と国内世論の猛烈な追及をかわすために、政府統一見解を出さざるをえなかったのです。
※1976年2月27日衆議院予算委員会議事録 http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/077/0380/07702270380018c.html
 内閣総理大臣・三木武夫氏が述べた政府統一見解は下記の通りである。
 一、政府の方針
 「武器」の輸出については、平和国家としての我が国の立場から、それによって国際紛争等を助長することを回避するため、政府としては、従来から慎重に対処しており、今後とも、次の方針により処理するものとし、その輸出を促進することはしない。
(一) 三原則対象地域については、「武器」の輸出を認めない。
(二) 三原則対象地域以外の地域については、憲法及び外国為替及び外国貿易管理法の精神にのっとり、「武器」の輸出を慎むものとする。
(三) 武器製造関連設備(輸出貿易管理令別表第一の第百九の項など)の輸出については、「武器」に準じて取り扱うものとする。
 二、武器の定義
 「武器」という用語は、種々の法令又は行政運用の上において用いられており、その定義については、それぞれの法令等の趣旨によって解釈すべきものであるが、
(一) 武器輸出三原則における「武器」とは、「軍隊が使用するものであって、直接戦闘の用に供されるもの」をいい、具体的には、輸出貿易管理令別表第一の第百九十七の項から第二百五の項までに掲げるもののうちこの定義に相当するものが「武器」である。
(二) 自衛隊法上の「武器」については、「火器、火薬類、刀剣類その他直接人を殺傷し、又は武力闘争の手段として物を破壊することを目的とする機械、器具、装置等」であると解している。なお、本来的に、火器等をとう載し、そのもの自体が直接人の殺傷又は武力闘争の手段としての物の破壊を目的として行動する護衛艦、戦闘機、戦車のようなものは、右の武器に当たると考える。


(3) ところが '80年代に入って、米国レーガン政権の対ソ核軍拡・宇宙軍拡がはじまりました。時の中曽根首相は積極的に対米協力し、それを通じて日本の軍国主義復活を果たそうとしました。米レーガン政権は、対ソ軍事対決に日本の優れた技術を動員しようとして猛烈な圧力をかけ、中曽根政権はそれに応えて、83年に対米武器技術協力は「三原則」の例外とすることにしたのです。しかし実質的には大々的な武器輸出には発展しませんでした。それを今回、小泉内閣の下で、全面解禁に道を開こうとしているのです。

 米軍事戦略への従属と米軍需産業への従属は一体のものです。私たちはその両方に反対です。従来、日本の支配層は、独自の軍国主義復活をめざす物的基盤として、自前の軍需産業、自前の軍備を根本においては死守しようとしてきました。しかしながら、財界は、すでに見てきたように、90年代後半から米欧の軍需産業の世界的大再編の中で日本の軍需産業が埋没していく危機感をつのらせ、軍需産業の面でも次第に対米従属的協力関係へと動き始めたのです。それは、2000年以降加速しました。
 しかし武器輸出三原則の緩和・撤廃過程はまだ始まったばかりです。当面の緩和対象であるMDもまだ未完成・未成熟な技術です。スムーズに開発・製造・配備が進むとは考えられません。闘いのチャンスはいくらでもあるはずです。かつて中曽根政権の時に武器輸出三原則に風穴が開けられた際にも、その後の闘いと政治展開の中で、この緩和を押し返してきました。闘いはこれからです。

2005年1月27日
アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局





新「防衛大綱」「中期防」閣議決定批判:シリーズその1
−−血まみれのブッシュの侵略戦争と軍事覇権に全面奉仕する愚挙


新「防衛大綱」「中期防」閣議決定批判:シリーズその2
−−2005年度軍事予算案:「1%減」はごまかし、実際は1.7%増。


新「防衛大綱」「中期防」閣議決定批判:シリーズその3
「被災民救済」の名の下、米軍指揮下で「対テロ戦争」を想定した日米軍事演習 日本政府によるスマトラ沖大地震の軍事利用に反対する
−−三自衛隊の統合運用整備、海外派兵「本来任務」化、海外派兵「恒久法」への弾みを狙う−−