シリーズ:自衛隊派兵のウソと危険
シリーズ4:
イラク派兵を機に帝国主義軍隊へ脱皮を図る自衛隊
「人道復興」などそっちのけ。“至近距離の敵に対処する新たな訓練”に終始する陸上自衛隊
−−NHKスペシャル『陸上自衛隊 イラク派遣〜ある部隊の4か月〜』から見えるもの−−


1.この番組を見れば「人道復興支援」など口実に過ぎないことが一目で分かる。
 どこが「人道復興支援だ!」「どこが浄水・給水支援だ!」。この番組を見て思わず叫ばずにはおれなかった。新聞・TVなどマス・メディアで事後承認の議決をめぐる国会審議や、先遣隊のサマワ現地でのふざけたお祭り騒ぎを見せられているもとで、全国各地の自衛隊基地、駐屯地で一体何が行われていたのか。見る者が見れば、この番組は自衛隊の恐ろしい実態を鮮明に写し出すものとなっている。
 まさに自衛隊は、正真正銘の人殺しの軍隊、途上国で民衆を虐殺する軍隊に変貌を遂げるその第一歩を踏み出そうとしているのである。血でまみれた米軍のように・・・。衝撃的な番組である。「自衛隊さんは人助け、イラクの人を助けに行った」など悠長な空想に浸る人はぜひ見て欲しい。反戦運動に取り組む人もぜひ見て欲しい。

 その番組とは、2月1日に放送されたNHKスペシャル『陸上自衛隊 イラク派遣〜ある部隊の4か月〜』である。自衛隊の先遣隊が出て、本体派兵が次々と進められるちょうどその真っ最中に放送された番組だ。最初は、またいつもの「人道復興支援」礼賛のドキュメンタリーと嫌々ながら見ていたのだが、だんだん身体が震えて、恐ろしさと共に怒りがこみ上げてきたのを覚えている。
 なぜか? 番組には「人道復興支援」のジの字も出てこなかった。最初から最後まで人殺しの訓練、敵から銃撃され負傷兵を救出する訓練、まさに戦場での戦闘訓練だ。番組に出てきた一般の陸上自衛隊員が、上官の命令と新たな訓練を通じて、イラクで民衆を殺すことに平気になる、殺さなければ自分が殺される、悩みながら人殺しをやる決意を固めていく様子が映し出されているのである。

 派兵支持論者はこう反論するかも知れない。この番組は警護隊の取材を中心にしたものだからそう見えるのだ、と。しかし、陸上自衛隊の最精鋭部隊が警護隊と銘打って血塗られた侵略軍に変貌していくことで十分ではないか。しかもすでに述べたように、警護隊を含む後方支援部隊は、実際の「復興支援部隊」(これ自体役に立たないことは別途問題にした)を大きく上回るのだ。
※「シリーズ1:違憲・違法の大義なき派兵。「人道復興支援」にすり替え」V(1)派兵要員の8割、9割が「戦闘=後方支援要員」。あれほど大見得切った給水要員は何とわずか30人。−−派兵部隊の編成に現れている侵略の本質。


2.従来の「専守防衛」型訓練とは全く異なる「途上国介入」型訓練。−−民衆デモ、ゲリラ部隊をせん滅する戦闘訓練。
 番組は、最初に福島県の第44普通科連隊を取材する。北海道の部隊に次いでイラクに派遣されるのは、この東北の部隊だと言われている。そして普通科連隊は、イラクで「警備」の任務に就くという。
 4人1組で銃を構えて行動する。これはイラク戦を前に米軍が行っていた訓練だ。陸上自衛隊にとって「全く新しい訓練」「至近距離の敵に対処する新しい訓練」だ。敵と市民が混在する中で、正確に相手を見定め武器を使用できるようにする。「訓練のための訓練ではない。実戦を想定して日頃からやる」。「国内に侵入した武装勢力を想定しているが、海外の活動にも応用できる」(連隊長)。新訓練は、米軍の実戦に基づく技術に倣って進められた。「今まで以上に危険な現場」「50年間の蓄積が全くないところ」「教官の言うとおりにしていればよいという事態ではない」(連隊長)。等々。

 北海道・旭川駐屯地での、イラク派遣を前提とした準備でも、この福島と全く同様の、「正確に相手を見定める訓練」「至近距離での射撃訓練」が行われていた。そのためにわざわざ旭川第6師団長が福島の訓練を視察した。建物の中に潜む敵に、至近距離で射撃する訓練。
 師団長:「武器を持って制圧する際、どういう時には撃ってよくて、どういう時にはいけないかの判断は?」。
 教官の1人:「撃てと命じられて撃つのはできるが、自分で撃てと言えるか、判断できない」。
 師団長:「人に対して撃った経験は誰もないが、そういう心理的負担は?」
 教官の1人:「今までは100m単位の距離が離れていたが、声も届く範囲の敵というのは、戸惑いもある」。

 関西の普通科連隊と米軍との共同訓練でも実戦を想定した訓練に明け暮れていた。米兵の多くはイラクからの帰還兵だ。自衛隊側にとっては、米軍の、戦場さながらの救護訓練が特に印象的であったという。「負傷者が出るのは当たり前。我々は救護にはこれまで無頓着だった」。裏返せば他国に侵略しないから、戦場での救護訓練は必要なかったのだ。

 こうして福島の部隊が行っている「武装ゲリラ対策」の全く新しい訓練が、イラク派兵をきっかけに途上国への海外派兵における虐殺訓練そのものになっていることが分かる。当初これは「北朝鮮対策」としての、国内に侵入してきた「武装ゲリラ」訓練だった。しかしそれは口実に過ぎず、世界中に軍事介入する米軍の対途上国戦闘訓練、イラクなど途上国現地でレジスタンス闘争がある場所での戦闘訓練、掃討作戦の訓練がその本質であることが分かる。


3.イラク民衆を敵に見立てた「至近距離の敵に対処する新しい訓練」−−「日本防衛」ではなく「国際貢献」のために民衆を殺す訓練。
 この訓練の中心は実際に人を殺せることだ。これまで自衛隊の訓練は「日本防衛」を想定し、まとまった部隊として本土防衛に出動し、上司の命令に従って発砲し、戦闘距離は至近距離ではなく一定の距離を取っていた。
 しかし今回のイラクは全く違う。サマワの市民は歓迎していると言うが、いつ豹変するか分からない。なぜならイラク国家は存在せず、その同意を得ていないからであり、国連の承認すら正式には得ていないからである。至近距離から突然攻撃される危険がある。友好的と思っていたものが突然敵対するものに変わる。テロや自爆攻撃の形を取る。あるいは民衆からの武装抵抗闘争があり得る。等々。部隊ごとの整然とした戦闘などはない。およそソ連を相手にしたような整然たる正規戦とは異なる状況下、突然の攻撃に即座に相手を殺さなければならない緊張した状況下で対応しなければならないのである。

 従来の自衛隊員の訓練では対応出来ない。指揮官の命令がなくとも反応し、命令を待たず、怪しい人物は直ちに撃つ、躊躇せずに撃つ訓練を繰り返すことが必要だ。何よりもまず、これまで実際に人を殺したことがない自衛隊員に躊躇なく人を殺すことができるように、訓練でたたき込むことが必要なのだ。繰り返し繰り返し訓練する中で、「日本の防衛のために」と思っていた意識を「国際貢献のためには相手は敵だ、殺してもいい」と思うようにし向けて行く、洗脳していくことが必要なのだ。最終的には理性を殺しても動物的に条件反射で相手を殺せるところまでたたき込む必要がある。

 同時に、野戦とは異なり、ゲリラ相手の、都市の中での、接近戦の訓練を体に覚えさせようというのである。野戦よりも対ゲリラや待ち伏せなどの訓練を一からたたき込む必要がある。ゲリラが潜伏しているような、あるいは人民大衆が蜂起したり抵抗するような想定は当面のところ国内(本土防衛)ではあり得ないから自衛隊は全くしてこなかった。侵略的任務をこなすためにはこのような状況を想定した実践的訓練が必要なのだ。(しかし長期的将来的には国内の治安弾圧に自衛隊が出動する場面が十分あり得る)


4.先制射撃を狙う政府与党。−−無責任で危険極まりない武器使用基準の緩和・撤廃の動き。
 しかし、実際には大きなギャップがある。番組の中で出てくるように、現在のところ自衛隊にはまともな発砲の法的基準はない。現在の形での派兵では、自己防衛の場合にしか発砲は許されていない。だが対ゲリラ戦闘の訓練は、実戦の形で、現実に起こる戦闘を想定して行われる。それは瞬時の躊躇も許されない、殺すか殺されるか、ただそれだけである。法律上は自己防衛は先制攻撃を許さないし、日本の刑法をクリアするためには警察官職務遂行法に準じなければならない。それは警告や、命を奪わない部位の射撃など、武器使用の厳格な手順があり危害射撃に大きな制限がある。それと現実の対ゲリラ訓練とのギャップは大きい。警告などしていられない、してはならないのである。

 一方では訓練の現場で「躊躇なく撃て」という先制射撃訓練をしながら、他方では法的には警告と厳しい射撃手順を必要とする。結局は、現場重視、現場判断にまかされることになり、責任が曖昧なまやかしの発砲の法的基準になる。現実には、法的形式にとらわれずに発砲出来る訓練、先制射撃訓練をしており、そのような先制射撃が必要になる戦場イラクに送るのである。
 このままでは、イラク民衆への発砲事件、虐殺事件が起こったら、事実関係を徹底してごまかし隠し通すか、開き直るか、あるいは、それが一番ありそうだが、これをきっかけに武器使用基準を米国並に(彼らは国際基準という)、自由自在に途上国民衆を虫けらのように殺しまくる基準に緩和・撤廃する方向へ世論を誘導するつもりなのだろう。

 この番組自体は、イラクに派兵される自衛隊の武器使用が非常に制限されていることを強調し、その中で法律で縛られ戸惑いながら任務に向かう自衛官への共感を促すという、従って武器使用基準の緩和を世論に働き掛ける悪質な宣伝番組であるとも言える。
 しかし番組に出てくる自衛官は、現在のところ自分の撃った弾によって人を傷つけること、殺すことに対して、かなりの抵抗感を持っている。その意味で、今のところは人間的であり、逆に言えば、とても戦争できるようなメンタリティではない。そうした隊員を、イラクの戦場に放り込み、そんな悠長なことは言っておれない状況に追い込む。「殺らなきゃ、殺られる」、同僚が撃たれ、自分もいつ撃たれるか分からないという状況になれば、撃つのが当たり前になる。そうした実体験を積ませていく。その中で、まだ理性を持ち生身の人間であった自衛官を、人間的な感情を失った「殺人のプロ集団」、あるいは「戦争ロボット」「殺人マシーン」に作りかえる。そして自衛隊を、本当に戦争できる軍隊へと進化させる・・・・。
 死者が出ることも織り込み済み。「戦死」を当たり前のこととして受け入れられるようにならないと戦争はできない。「戦場慣れ」そして「戦死慣れ」。自衛隊員の「戦死」は、それが小泉政権に与える影響とは別に、支配層の最も右翼的な部分にとっては、今後戦争国家、侵略国家へ変貌を遂げていく当然踏むべき一段階にすぎないと考えているのであろう。

2004年3月3日




番組紹介
NHKスペシャル「陸上自衛隊 イラク派遣 〜ある部隊の4か月〜」(2004年2月1日放送)


■「福島駐屯地第44普通科連隊」
「自衛隊にとって大きな転機となる年が始まりました。
陸上自衛隊のイラク派遣。全国のどの部隊の隊員もいずれ交代でイラクへ派遣される可能性があります。」
「1月 福島駐屯地。この部隊の指揮官も派遣を自らの課題として受け止めていました。『今年、平成16年は、われわれ陸上自衛隊にとって、新しい頁を開く試練の年になります。北部方面隊の部隊が、まもなくイラクに派遣される。われわれ陸上自衛隊が文字通り、身の危険の中で任務を遂行する時代を迎えた。』」

「陸上自衛隊が行うイラクでの人道復興支援活動。各地の隊員たちは、危険を伴う新たな任務をどう受け止めてきたのか。ある部隊の4か月を見つめました。」

「イラク派遣第一陣の北海道の部隊は、隊員の安全を確保するという理由から、事前取材が制限されていました。北海道の部隊は、最初の半年を担当すると見られています。私たちが取材することになったのは、その次に派遣される候補の一つ、東北の部隊でした。」

■「去年10月」
「福島駐屯地の第44普通科連隊です。」
「普通科部隊。いわゆる歩兵部隊で、戦闘訓練を日頃から行っています。イラクで警備を担当するのも主に普通科の隊員たちです。厳しい任務に直面するこの隊員たちに私たちは注目しました。」

小銃を担いで駆け足訓練中の隊員を呼び集める隊長。そして、米軍の訓練を紹介する。
「『軍事研究』の6月号に出ているが、イラク戦争が始まる前、米軍が4名一組でやっていた訓練だ。」
「部隊の幹部は、この時すでに、イラク派遣を強く意識していました。第44普通科連隊の隊員1000人を率いるS連隊長です。」

「去年10月、部隊は全く新しい訓練に取り組んでいました。至近距離の敵に対処する訓練です。」

訓練が紹介される。自衛隊員は、いつでも撃てるように小銃を前に向けて、前進。
「さあ撃て!」指揮官の声が響く。

「敵と市民が混在する中で、正確に相手を見定め、武器を使用する訓練でした。国内に進入した武装集団を想定していましたが、連隊長は、海外の活動にも応用できると考えていました。」

至近距離の敵に対処する新たな訓練。隊員たちを指導する教官がいました。模範を示しているのが教官チームです。1000人の部隊から選抜されました。集中訓練を事前に受け、部隊の指導に当たっていました。」
 教官チームは、3名が重なり合って、小銃を前に向けて進む。これが模範だ。
 訓練は、相手を至近距離から撃つことに重点が置かれている

「教官チームは、全員、東北地方の出身でした。Tさん、34歳。山形県出身です。入隊したときは、自分が銃を扱うことになるとは考えていなかった、と言います。」

「地元福島県出身のYさん。43歳。二人の子供の父親です。
自衛隊員になったのは、地元に定着する公務員になりたかったからだと言います。」

「教官チームがミーテイングを開いていました。チームは合わせて9人。隊員たちはイラク派遣について語りました。」
 Tさん:「もし、自分たちが本当にイラクの方に行けと言われたら、アメリカ軍みたいに動けるのか。」「どうやって知らない人のために戦うのか。」「自分の国を守るのだったらいくらでもがんばりますが。」
 Yさん。:「自分には家族がある。国の中だったら血を流してでも、最終的には家族のため、日本国のため、命を投げ出しても守る。しかし、自分の国でなく、他の国だ。他国に行くことにためらいを見せる

「新しい訓練を開始して三日目。訓練のビデオを見ながら、ミーテイングが開かれていました。」
「一般の隊員の関心は、まだ、訓練の新しさや珍しさに集まっていました。」
笑顔で笑い声を交えて語る隊員たち。「面白みを感じました。」「楽しくできた。」

新しい訓練は、アメリカ軍の実践に基づく技術に習って進められていました。」
 アメリカ軍のビデオが流される。

「S連隊長は、この訓練で想定しているのは、今まで以上に危険な現場だと言うことを強調しました。」
 S連隊長は、「楽しかったとか、面白かったとか」そんなものじゃやない、として、
マニュアルのない世界、死んじゃいけない、死なないためにどうするか、これのノウハウがまだない。自分の命を守るためには、教官から言われたことをやっていれば大丈夫だという世界ではもう無い。どうすれば生き残れるのか、一人一人がよく考えろ。」と言う。隊員たちは、当初の笑顔が消えた

■「11月、旭川駐屯地」
北海道の第一陣の部隊が、イラク派遣を前提に、準備を始めていました。その訓練の映像です。」
 至近距離から人型を狙って短銃の射撃訓練が行われている。
 人型の的が動く。それを狙って小銃で撃つ。
正確に相手を見定める射撃訓練です。至近距離の射撃を福島駐屯地の部隊と同じように行っていました。」
「イラクで警備に当たる隊員に必要な技術だと言います。」
「武器使用を巡る法律を隊員一人一人が理解することも重要な課題となっていました。イラク派遣の目的は、人道復興支援で、戦闘を行うことではありません。このため、イラクで武器を使用する場合、日本の法律による制約があるのです。」

「東北の部隊では、幹部を対象に、イラク支援法の講義が、始まっていました。」
参加した幹部の関心は、イラク支援法の武器使用の規定に集まっていました。講師は、法律の専門家の幹部自衛官。陸上幕僚監部法務課S法規班長。派遣第一陣の北海道の部隊で、同じ講義を行ってきたばかりでした。」
 講師は、火炎瓶を手に持って、説明している。
「この火炎瓶を一人の人間が、まさに投げようとしている。何も無いところに投げられても火がポーと出るくらいだから、これは、生命身体に危険を及ぼさない。しかし、まさに燃料を補充しようとしている時に、そこに投げつけられたら、状況によっては、その車輌そのものがバーンと吹っ飛ぶ。燃える可能性がある。そうした場合には、撃てる可能性がある。相当の理由がある。威嚇で足下を狙うなんて悠長なことは言っていられない。火炎瓶を持っている手そのものを撃たなきゃいけない場面もある。

「各地の部隊が交代で派遣されるため、参加した幹部たちもイラクで指揮を執る可能性があります。質問が相次ぎました。」
「イラク派遣の人の悩みとは何か?」「群衆がいる中で、紛れて武器を使用してくる。どうすればいいんだろうか?と言うのがまず一つです。後は、自爆テロそのものに対してどう対応するか?ということです。」
「発砲された、誰が撃っているのか分からない、しかし、発砲されているのでその方向にやむを得ず撃った、誤射した。ところが、そこへ行くと倒れている人はいるけれども武器は残っていない。撃った本人でない人を撃った可能性もあるし、撃たれた人の仲間が銃を持って逃げたのかも知れない、と言うような場合はどのような形になる?」
「基本的には、それが過剰な防衛、誤想防衛と言う状態。過剰と言うより誤想防衛です。正に特定をしないといけない。」


「相手を直接狙った射撃が認められるのは、正当防衛などの場合に限られます。違法な射撃でなかったと証明する必要もあります。」

「それを裁くのはどこの法律なんですか?」
「日本の裁判所です。自衛隊ではありません。正当な行為であっても人を傷付けた、殺したとなれば、刑事訴訟法上の白黒を明確に最後までつけないといけない。これは正当な射撃であったと言う証明を出さないといけない。」

「結果的に相手を傷付けた場合は、刑事責任を問われる可能性があります。イラク派遣の難しい側面を幹部たちは実感していました。」

■「宮城・王城寺原演習場」
「福島駐屯地の部隊は、訓練の視察を受けることになりました。顔に迷彩を施した教官チームです。」
「視察を行うのは、第六師団長です。福島、宮城、山形、三県の部隊を率いています。」
O師団長
「教官チームの訓練が始まりました。」
建物の中に潜む敵に至近距離で射撃を行います。陸上自衛隊の隊員は、これまで実際に人に向けて射撃をするような事態に直面したことはありません。どのような時に武器を使用できるのか。師団長は、隊員一人一人が難しい判断を求められる時代を迎えたと考えていました。

「教官チームが師団長のもとに呼ばれました。」
 師団長:「一番悩んでいるところ。武器使用。武器を持って制圧する。どういう時は、撃っていいんだとか、こういう場合は撃ってはいけないんだとか、そういうのは理解したか?」
 教官:「まだ理解はできていません。」
 師団長:「どこが一番わからないところだ。」
 教官:「撃たれてからやっと撃てると言う場面もあって、どこで自分たちが危険だと感じて、撃っていいのか。そこの判断が自分たちではできない。上官から撃てと言われれば、と言う感じです。命令を受ければ。」
 師団長:「小銃同士が敵対して、五、六十人が前におる。そういう時に、こちらから撃てということを命じられるかどうか。」
 教官:「組を指揮して組を守る立場からして、『撃て』を言えるかどうかはわからない。言えるように訓練を。」
 師団長:「もう一つ。今まで、人を目の前に置いて撃ったというのが皆無いんだけれども、そういうことに対する心理的な負担とか、撃つことについての不安感とか、それはあるか?」
 教官:「今までは、100m単位以上の敵でしたが、声も届く程度の距離での敵なので、戸惑いはあります。」

「イラクに派遣された場合、警備という任務に当たる普通科の隊員たち。武器の使用には、厳格な条件があります。実際に武器を使用した場合、隊員たちが心理的な負担を抱えることも予想されています。」


■「滋賀・饗場野演習場での日米共同訓練」
「イラクの現実にアメリカ軍を通して触れた部隊もありました。この訓練に参加したアメリカ兵の多くが、イラク戦争からの帰還兵でした。共に訓練していたのは関西の普通科部隊です。自衛隊員の印象に強く残ったのは、アメリカ兵が進める戦場さながらの救護訓練でした。自衛隊のイラク派遣でも、不測の事態が起きた場合の救護が大きな課題となります。」
 第36普通科連隊・O中隊長:「負傷者が出るのが当たり前。負傷者に対する処置もする。負傷者に対する救護の要領だとかもやっていくんだろう。私たちは、そこら辺のところが無頓着だ。

■「12月、旭川駐屯地」
「イラク派遣に向けての準備が、最終局面を迎えていました。12月9日、政府は、自衛隊をイラクに派遣するための基本計画を決定しました。北海道の部隊が派遣されることが確実になりました。基本計画が決まった翌日の映像です。陸上自衛隊のトップ(Y陸上幕僚長)が北海道を訪れ、派遣候補の隊員を激励していました。危機意識を持って準備を進めるよう指示しました。」

「イラクでの活動に向けて、車輌の改良や整備も次々と行われていました。」
「派遣候補となった隊員たちです。」一対一での戦闘訓練が紹介される。
「いつ命令が出ても対応できるよう訓練を続けていました。」

■「2004年1月」
「陸上自衛隊イラク派遣の年が始まりました。福島駐屯地では、連隊長が年頭の訓辞を行いました。」
 S連隊長:「今年、平成16年は、われわれ陸上自衛隊にとって、新しい頁を開く、試練の年になります。北部方面隊の部隊がまもなくイラクに派遣される。われわれ陸上自衛隊が、文字通り、身の危険の中で任務を遂行する。そういう時代を迎えた。日々の厳しい訓練の中で、妥協を排し、われわれ自身を徹底的に鍛えていく。どんなに厳しい状況の中でも、どんなに危険な状況の中でも絶対に死なない、生きて生きて生き抜いて、最後の最後まで任務を完遂する。

「イラク派遣への覚悟を求める連隊長の言葉でした。隊員たちは、連隊長の言葉をどのように受け止めたのでしょうか。」
「来るときがきた。」

「イラクへ派遣された場合、自分たちが担当する警備という任務について語りました。」
「自分たちは、戦争に行くのではない。世界の平和を築く。助けるために行くんだ。」と笑顔で語る若い隊員。
「人を撃ちたくない。」「人を殺したくない。人に殺させたくない。」と戸惑う隊員。

「自衛隊創設から50年。隊員たちは、これまでにない任務に臨もうとしています。陸上自衛隊の本隊は、今週からイラクへ向けて出発することになっています。イラク派遣は、自衛隊のこれからをどう変えていくことになるのか。現場の隊員たちが語った任務、家族、そして、命。それぞれの思いを抱えながら、隊員たちは、新たな任務に向き合い始めました。」