子どもたちは二度殺される【事例】



注 :
被害者の氏名は、一人ひとりの墓碑銘を私たちの心に深く刻むために、書籍等に掲載された氏名をそのまま使用させていただいています。ただし、加害者や担当教師名等については、個人に問題を帰すよりも、社会全体の、あるいは学校、教師全体の問題として捉えるべきではないかと考え、匿名にしてあります。
また、学校名については類似事件と区別するためと、隠蔽をはかるよりも、学校も、地域も、事実を事実として重く受けとめて、二度と同じ悲劇を繰り返さないで欲しいという願いを込めて、そのまま使用しています。
S.TAKEDA
951206 いじめ自殺 2000.9.10. 2001.9.9 2003.6.15更新
1995/12/6 千葉県香取郡の町立神崎(こうざき)中学校の鈴木照美さん(中2・13)が、午後1時頃、自宅1階の台所とリビングルームの間のカーテンレールにビニールのひもをかけて首吊り自殺しているのを母親が発見。
遺書・他 部屋から自殺した理由といじめの経過などを2ページに書いたB5サイズのノートが発見された。

「私はクラスの男子にいじめられていた。その人たちの名前はX、Y、Zだ。口のいじめだった。染めていないのに髪の毛を染めたでしょうと言われた。でも私はがまんした。けど、どんどんひどくなっていく。少し学校を休んだ。でも休んでいるうちにもっと行きたくなくなっていた。
ある日、先生にうちあけた。そして先生は三人を前にして謝らせた。でも私は謝られても困る。なぜなら許す気はまったくないから。でも謝られたから、少しは許す気になった。だけどYは『俺たち別に何にもしていないのにただ口で悪口言ったら、先生にチクッタんだぜ』って言っていた。
私は許す気だったけど、先生の前だから謝ったんだと思った。でも我慢した。負けてはいけないと自分に言い聞かせた。夏休みが終わって、学校に行ったら女の皆が『髪の毛そめた?』とか『そめたでしょう』とかいってきて私はイヤだった。でも我慢した。それは私の責任、ストレートパーマをかけていたんだから。自分でかけて痛ませちゃったんだからって私は我慢した。ある日の帰りの会の時、私の隣のAと前のBが『テルミ髪染めているなら染めているっていいなよ』っていってきた。でも私は染めているわけじゃないから『ドライヤーとかイオンとかストレートパーマをかけたから痛んだんだよ』っていったら、Bが『私もやってるけど、そんなに茶色くならない』といった。それで私はこう思った。Bは私が染めてるって言うまで、嘘をついてもいいといっている。きっと私をいじめたいにちがいない。それに皆Bのことを嫌っている。転校して来た時もそうだった。みんなが『Bって嘘つきだから友達にならないほうがいいよ』って、でも私は嘘をつかれた覚えもないしBを信じた。だけど今、分かった。私はこんなつらい思いをしてまで神崎中にいたくない。二Aの皆嫌いだ。私はまだ、思い残したものがいっぱいある。高校にも行きたかった。仲良し(前の学校)のCと妹のKと三人で暮らしていきたかった。
ちゃんとした仕事にも入りたかった。でも私は中二。中三まで神崎中では暮らしていけない。今まで面倒をみてくれたみんな私は死にます。さようなら 鈴木照美 
写真はどちらかを使ってください。最後のお願い

などと具体的に男女5人の生徒たちの氏名をあげた遺書が見つかる。

経 緯 照美さんは転校生だった。転校から自殺まで1年経過していなかった。

9/ 夏休みに、天然パーマを気にしてストレートパーマをかけた結果、髪が傷み茶色になり、親しい女子生徒らから「染めているだろう。うそをつくな」と言われ、いじめが始まる。親の訴えに、いじめた生徒たちに謝らせるが、その後もいじめが続く。その後、照美さんは「体調が悪い」と保健室に行くことが多くなった。「学校へ行きたくない」という照美さんを心配して担任に相談するが、「時期的なもので心配ない」と言われる。

「タヌキ」とあだ名をつけられていた。

12/5 母親が学校に迎えにいくと照美さんは校門の前で泣きながら「またいじめられて、もう学校へは行きたくない」と母親に告げた。夕方、母親はこのことを担任教師に電話で相談した。

12/6 朝、照美さんは「気分が悪いから学校を休む」と言い、母親が学校へ電話していた。同校の生徒指導主任の女性教師が午前中、鈴木家を訪れて、休んだ理由を聞いたところ、いじめの話も出て、対処法について3人で話し合った。教師が「髪はそんなに茶色じゃない。気にすることはない。いままで頑張ってきたのだから、少しぐらいのことにめげずに頑張ろうよ」「体調が悪くないなら学校へおいでよ」などと励ました。照美さんが、「午後には登校する」と話したため、主任は学校へ戻り、母親も外出した。その間に自殺。
学校・ほかの対応 12/7夜に、学校は遺族に対して「あまり騒ぎ立てないでほしい」と電話で要請した。
葬式のとき、「今回の照美さんの死は学校の責任」と、校長と教頭が霊前で土下座して謝罪するが、その後連絡なし。事件翌日には、「いじめはなかった」と校長が発表。

12/10 学校はPTA臨時総会を開き、事情を説明。教育委員長、校長らが約3時間にわたって説明。名前をあげられた5人の生徒について、「名前をあげられたことに対しショックを受けているようだ」と話した。また、「指導担当から詳しい報告を受けておらず、深刻ないじめという認識が不足していた」「照美さんはシグナルを発していたが、自分の命を絶つとは思わなかった。母親から(学校に)電話があったときも、仲の良い友だちにかけるよう指導するなど、学校として十分な対応をした」と釈明。
校長は役員会で、「広い意味のいじめはあったが、全国的に言われているようなひどいいじめはなかった」と報告した。

12/11 全校集会を開き、照美さんの死が自殺だったことを生徒に報告。「人間の命が何物にも代えられないことを肝に命じてほしい。自分を大切にするのと同じように他人も大切にして下さい」と話した。
担任の対応 1995/9中旬 新しく班替えをして班のマークを作ることになったが、照美さんはやりたがらず、作業が遅いことを理由に男子生徒3人が「いいよ。おれたちがやるよ」と言ったのを仲間はずれにされたと感じたらしい。担任の男性教師に言われて、男子生徒が「のけ者にするつもりはなかった」と謝ったことで解決したと判断していた。

保健室に行く回数が9月以降少なくなった。明るさも戻っていたので、いじめが続行しており深刻化しているとの認識はなかったと話す。
事故報告書 教育委員会に「事故報告書」を見せて欲しいと要望するが、「千葉県の教育委員会に行けばとれる」との返事で、遺族に見せることを拒否。
後日、教育委から電話で、「報告書のほうは、新聞に出た通り」との連絡が入る。
加害者 遺族が催促の電話をかけて初めて、遺書に名指しされた5人の子どもと両親、校長が謝りにくるが、子どもたちは何も言わない。遺族は「うわべだけ謝ってもらってもしょうがないんですよ」と言った。その後は来訪なし。
作 文 12/7 クラス全員に書かせた作文からも、自分たちの不利にならないようなことしか書かれていない。いじめた生徒たちも、「こんなかたちで亡くなるとは思わなかった」「相談に乗ってもらってありがとう」と他人事のような内容で、罪の意識は感じられない。「悪口を言ってごめんね」という内容のものが複数あった。
その後 双子の妹は転校させる。
関 連 神崎中学校では、1991年にも男子生徒(中2)が、入学直後から同級生4〜5人にトイレなどに連れ込まれ、2年足らずの間に計1万回以上も殴られた。髪や眉毛を抜かれ、ズボンを破かれるなどした。(事例 No.910400 参照)
参考資料 月刊「子ども論」1996年2号 12月1日−12月31日/クレヨンハウス、『せめてあのとき一言でも』/鎌田慧/1996年10月草思社、季刊教育法2000年9月臨時増刊号「いじめ裁判」/2000年9月エイデル研究所2001/1/24西日本新聞・夕(月刊「子ども論」2001.4/クレヨンハウス)、2001/1/24朝日・夕オピニオン叢書緊急版「間違いだらけのいじめ指導」/小宮山要/1996年10月「いじめ自殺 子を亡くした親たちのメッセージ」/野口清人・折出健二・堀尾輝久著/1998.8.20かもがわ出版



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