|
News更新 |
|
|
|
|
|
![]() |
|||
東京都江東区における野宿者強制排除に関する声明 2012年2月8日、東京都江東区は区内の竪川河川敷公園において、「行政代執行」の名の下、現地で起居する野宿者のテント等を強制撤去するとともに、話し合いによる解決を求めていた当事者および支援者を強制的に排除した。こうした行為は、区がいかに“これまで各種の「支援」を行ってきた”と言い繕おうとも、現に野宿を余儀なくされている人びとの生存・存在自体を否定している点において、また、野宿者を物理的に排除し不可視化することによって彼ら・彼女らを生み出してきた制度的・社会的問題から目を背けようとしているという点において、とうてい容認できない蛮行である。私たちは、江東区のこの蛮行に強く抗議するとともに、現地の当事者・支援者との真摯な話し合いによる解決を求める。 2012年3月26日 池田浩士(京都大学名誉教授),稲葉奈々子(茨城大学教員),入江公康(非常勤講師),太田直里,金子マーティン(日本女子大学教授・反差別国際運動事務局次長),嶋田ミカ(龍谷大学リサーチアシスタント),崔真碩(広島大学教員),常木みや子(日本寄せ場学会会員),土井智義(大学院生),中村研(労働組合なにわユニオン),中山幸雄(カフェ・テアトロ
アビエルト),西澤晃彦(東洋大学教員),濱村篤(日本寄せ場学会会員),原口剛(大阪市立大学),樋口直人(徳島大学教員),松沢哲成(元東京女子大学教員),丸川哲史(明治大学政治経済学部教員),水野阿修羅,山口恵子(弘前大学),山西麻依(フリーの研究人),路上文庫
長谷川チコ 追加コメント ※上記声明を2019年3月29日付で江東区宛に送付しました。 2011年日本寄せ場学会シンポジウム 原発労働が照射する日本 (どなたでも参加できます。事前申し込み不要ですので、会場に直接お越しください) 終了しました 私たちは、原発労働を視野には入れていた。しかし、どうしたものか充分に議論をしてはこなかった。「おっとり刀」であるとの批判は免れないが、それでもここで何も論じあわない訳にはいかない。不可視化された下層が露呈している今こそ、その下層労働者の現実と彼らを差別し排除してきた構造を暴露しなければならない。「原発は差別で動く」(八木正)のである。このシンポジウムは、そのような想いから企画された。日本寄せ場学会がこれまで積み上げてきた認識と知をこのシンポに注ぎ込んで、差別と排除の構造を明らかにしたいと思う。(日本寄せ場学会事務局長・西澤晃彦) 東洋大学白山キャンパス6号館4階6405教室 (東京都文京区白山5-28-20) (最寄の駅は都営地下鉄三田線白山駅もしくは東京メトロ南北線本駒込駅です) なすび(山谷労働者福祉会館活動委員会) 13:30〜14:30 2011年3月11日の福島第一原発の震災事故は、現在も深刻な労働者被曝を生み出しており、収束の目処も立たない。そもそも原発は、命を切り売りする被曝労働者なしには稼働しないプラントであり、その被曝労働者は既に45万人とも50万人とも言われている。原発労働者にはがんや心臓疾患などでの死者が多発しているが、被曝の実態は隠蔽され、1971年の商業原子炉の稼働開始以降に労災認定を受けた労働者はわずか10人に過ぎない。また、その雇用形態は土木建設産業と同様の重層的下請構造になっているが、建労法の適用にはなく、事業者や雇用業者の責任も問われずに多くの下請労働者が文字通り使い捨てられてきた。現場の労働環境も雇用形態も土木建設産業以上に劣悪な原発労働であるが、この実態は国策・原子力産業のもとで隠蔽されてきた。 トム・ギル(明治学院大学) 14:30〜15:30 福島県飯舘村は「計画避難区域」となり、村民はほとんど全員村を離れて生活している。ところが、村にある工場はまだ動いていて、毎日仕事に通っている労働者は数百人いる。村にある老人ホームもそのまま営業中であり、スタッフは避難先から通っている。それに村民は24時間体制・3シフトで空き巣などを防ぐために村を歩き回るパトロールを組んで、村入りをしている。寄せ場の雇用対策と似ている形で、このパトロールの仕事は安い単価ではあるが、村が賃金を払っている。こうした現象は主に村長の政策を反映している。村はすでに「住まい」の機能を失っていて、「職場」の役割も消えたら共同体そのものが消えてしまう恐れがあると彼は見なしている。一方、放射能の危険性を十分認識していないため、こういった雇用対策は労働者の健康を犠牲にする恐れがあるという批判がある。 博覧会と都市暴動 釜ヶ崎における差別と抵抗の系譜を辿る ※どなたでも参加できます(予約不要・直接お越しください) 終了しました 場所:西成市民館3階講堂(大阪市西成区萩之茶屋2−9−1) (3日はフィールドワークとなります) 博覧会と都市暴動−釜ヶ崎における差別と抵抗の系譜を辿る 1961年8月1日、車に轢かれた労働者に対する警察の差別的な処遇をきっかけとして、第一次釜ヶ崎暴動が勃発した。今年は、第一次暴動が勃発してから50年という節目にあたる。50年の歳月を経て、いま、釜ヶ崎の姿は大きく変わろうとしている。日雇労働者や野宿生活者の姿はますます見えなくなり、寄せ場は急激に縮小しつつあるのだ。だが一方では、「総寄せ場化」と称せられる現在的状況のなか、新たに再編された下層労働者が生み出されている。彼ら彼女らに対しては、かつての釜ヶ崎と変わることない差別のまなざしが注がれ続けている。いまこそ、わたしたちは釜ヶ崎に積み重ねられた差別と抵抗の系譜を辿り、下層から現代を照射する術を学ばなければならない。 ●講演1:水野阿修羅(日本寄せ場学会運営委員長) 13:30−14:30 博覧会と底辺社会 博覧会がいつも政治的な意味を持っていることはよく語られているが、そこと底辺社会との関係はあまり語られていない。釜ヶ崎が今の場所に生まれることになったキッカケとして、第5回内国勧業博覧会の開催があることはよく知られたことだが、そこに、菅野すがや片山潜らが関わりを持っていたこと。彼ら彼女らが、長町とどう関わっていたか。借家人組合をつくった逸見直造が博覧会に店を出していたこと。「人類館」との関係はどうなっていたのか? 大原社会問題研究所の元となった石井十次の活動との関係は?「事実は小説より奇なり」のことば通り、謎が増えるばかりだが、地理的な問題より人間関係を重視した視点で博覧会と底辺社会を見つめ直してみた。車夫暴動や米騒動ともからみ、長町が今やメイドカフェやフィギュアショップがあふれる街に変遷する過程にもふれてみたい。 米騒動(1918)と第1次釜ヶ崎暴動(1961)から何を学ぶか ある事件が起きたとき、事件そのものの分析も重要だが、事件後何がなされたかを知ることも大切である。ここでは釜ヶ崎と深い関係にある二つの事件を通して考えてみたい。 天災+人災−暴動<(木賃宿+人間襤褸)× 無政府共産 案内人:水野阿修羅 集合場所・時間:「フェスティバルゲート」(新今宮駅東口改札を出て浪速区「新世界」側にある巨大遊園地) (大阪市浪速区恵美須東3-4-36) 正面入口階段下に9:00集合 |
|||
|
過去(2010年以降)のNewsはこちら 2002-2009年のNewsはこちら 2001年以前のNewsはこちら |