Japan Association for the Study of Yoseba

Last updated 2014. May. 29

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寄せ場――それは日本の下層社会である。
そこでは人間が無慈悲に奪われる。
だからこそ人間への激しい希求がある。熾烈な闘いがある。
いま――寄せ場研究は、寄せ場の現実に切り込み、これを再構成し、
そして寄せ場に投げ返さなければならない。

日本寄せ場学会年報
『寄せ場』
第26号
特集:「流動する下層労働者」再考
発売中

学会の最新情報についてはこちら(日本寄せ場学会公式ブログ)でご確認ください


2014年日本寄せ場学会総会
社会的排除と抵抗のかたち

(どなたでも参加できます。事前申し込み不要ですので、会場に直接お越しください)
日時:2014年5月31日(土)13:00 - 18:00
開催場所:龍谷大学深草キャンパス(京都市伏見区深草塚本町67)21号館101号教室

〈プログラム〉
■司会から趣旨説明など
■橋口昌治(立命館大学生存学研究センター専門研究員)
 社会的排除と個人加盟ユニオン─労働/就労とどう向き合うか
■文貞實(東洋大学社会学部教授)
 ローカルな労働運動の「たたかいかた」−個人的な経験からユニオン運動へ−
■渡邊太(大阪国際大学講師)
 場所の運動−カフェの実験から考える−
■稲葉奈々子(茨城大学人文学部教員)
 社会的排除と抵抗の<技法>
■コメント・討論

詳細についてはこちら(日本寄せ場学会公式ブログ)でご確認ください。


日本寄せ場学会年報『寄せ場』第26号を発行しました(2013年12月15日)

目次はこちら
〔編集の過程で山口覚氏の論文の付図等に誤りが生じてしまいました。
 執筆者山口覚氏及び読者には大変失礼をおかけしました。
 お詫びして、訂正します。正誤表はこちらです〕
学会の最新情報についてはこちらもご覧ください。

ISBN:978-4-8462-0408-2
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2012年日本寄せ場学会総会
「流動する下層労働者」再考

(どなたでも参加できます。事前申し込み不要ですので、会場に直接お越しください)
終了しました
日時:
2012121日(土)13001730

開催場所:明治学院大学白金キャンパス2号館1階2201号室

司会 西澤晃彦(日本寄せ場学会事務局長・東洋大学)

●基調報告:「流動する下層労働者」再考
西澤晃彦 13:00−13:30

 1988年に出版された日本寄せ場学会年報『寄せ場』第一号の 特集タイトルは、「流動する下層労働者・その現状と未来」であった。それ以後、日本寄せ場学会は、四半世紀を通じて、グローバルな資本主義の展開をにらみ ながら、国内外の「流動する下層労働者」の現実を追い、また、その歴史的展開を捉え返してきたといえるだろう。テーマは毎年たてられてはきたが、それらは 「流動する下層労働者」という大テーマの変奏であったと振り返ることができるかもしれない。それにしても、資本主義と労働市場は、この四半世紀の間にあま りにも大きく変容した。それとともに、「流動する下層労働者」のあり様ももちろん変化した。しかし、一方で、思わず「何も変わってはいない」とつぶやきた くなるような強固な構造をみてとることもできるのである。
 今回の総会シンポジウムにおいては、「出稼ぎ」「集団就職」「被差別部落」というトピックをめぐって三人の方に報告をお願いしている。
 「出稼ぎ」や「集団就職」は、「流動する下層労働者」(あるいはその予備軍)に関連するできごとであり現象であるのだが、1988年の段階ですでに過去 のこととされつつあった。しかしながら、周縁労働力の調達は対象を変えつつ「出稼ぎ」「集団就職」の応用としてなされ続けてきたのであるし、また、リク ルートの形態が変わったとはいえ東北地方がいまだに非正規労働者を大量に送り出す地域であり続けていることは確かなのだ。「出稼ぎ」や「集団就職」を今論 じることによって、資本主義の変容と「流動する下層労働者」を捕らえ続ける構造とを確認したいと思う。
 「被差別部落」については、寄せ場学会では、寄せ場との地理的歴史的連続性に焦点をあてて議論してきた。しかし、部落問題が地域問題であるかのような足 かせからどこか自由になれず、「流動する下層労働者」というテーマのもとでは論じにくさがあったようにも私は思う(そこに論じにくさを感じてしまうこと自 体、部落問題を結果的に地域問題へと矮小化してしまう同和問題の枠組みと同様の偏見に私が捕らわれていたことを意味するのだが)。しかしながら、同和地区 とされてきたその地域の人口が流動化し、地域差別はそのままに貧困層の集住地域として再編されつつある部落や、部落を離れても部落民であることには変わり がない人々の現実は、「流動」をキーワードとした新しい被差別部落の論じ方を要請していると思われる。そして、これに関する議論もまた資本主義の変容を照 らし出すものであるだろう。
 「古典的」にも見えるトピック群ではあるが、現在につながる、あるいは、現在そのものについての討議がなされる場となるはずである。

●講演:「出稼ぎ」から「ハケン」へ――青森からみる周縁労働力の流動化
山口恵子(弘前大学・社会学) 13:30−14:15

  青森は「出稼王国」と呼ばれ、長きにわたって、回帰的・季節的な(後年になると通年にて)地域移動を伴う労働力の供給地であった。しかし現在は、統計上に カウントされる出稼ぎはわずかとなっている。一方で、2000年代半ば以降、派遣労働が増加した。青森には、派遣会社の支店(窓口)が乱立し、若者たちを 中心に、関東や中部などの都市圏の製造業に送り込まれた。こうした現代の労働移動は、出稼ぎのように集落の共同性を保ったものではなく、青森の支店を通じ て、個人で働きに行く場合が多い。そして、仕事は過酷である。本報告では、青森の出稼ぎ労働と派遣労働の事例を紹介しながら、地域を超えた周縁労働力の再 編の現代的な意味について考察を行う。

●講演:集団就職をひらく―韓国人技術研修生導入問題との関係を中心に―
山口覚(関西学院大学・地理学) 14:15−15:00

  一般に集団就職は,歴史的には主に「就職列車」の運行期間において、空間的には「全国労働市場」としての日本に限定されるかたちで語られる。たとえば就職 列車の運行期間は1954年の青森発から1975年の盛岡発までとされてきた。実際には就職列車の運行期間はもっと長いし,就職列車だけをもって集団就職 の象徴とするのは誤りでもある。労働市場の長期的な制度化過程を見る必要がある。集団就職はまた、悲惨な低賃金単純若年労働者の象徴として語られるが、 「人身売買」や「家出」といったイレギュラーな労働力移動の適切化を目指すものでもあった。さらに、労働市場は国境を越え得るものであった。1957年に 始まる沖縄から「本土」への集団就職に続き、1960年代後半には新規中卒者の減少のため、韓国の若年労働力が技術研修制度によって導入されようとしたこ ともあった。単純化して語られがちな集団就職について、様々な関連現象に触れることでその姿を再考したい。

休憩 15:00−15:15

●講演:被差別部落における排除と包摂−再不安定化と流動化をめぐって
妻木進吾(目白大学・社会学) 15:15−16:00

  バブル崩壊後、日本社会は長期不況とそれを契機として急激に進む雇用のフレキシブル化に直面した。結果、社会経済的な格差の拡大、貧困層の増大が顕在化す ることになった。また、日本社会がこのような変化に直面することになった時期は、被差別部落(同和地区)にとっては、33年間継続されてきた同和対策事業 が期限切れを迎えた時期と重なっている。貧困と社会的排除が極端に集中していた多くの被差別部落(とりわけ都市部落)の状況は、長期にわたり総合的・多元 的・集中的になされた公的な「社会的包摂事業」によって大きく改善されてきたが、では、その終結と日本社会全体で生じた不安定化に被差別部落はどのように 直面することになったのだろうか。こうした問いに、様々なデータを重ね合わせながら答えることが本報告の目的である。ここでは、「再不安定化」「当事者運 動が引き出した公的事業の意図せざる帰結」「ネットワークの変容」「流動化」をキーワードとして示しておく。

●コメント トム・ギル(明治学院大学国際学部)
コメントに続いてフロアを交えた討論 16:00−17:30

会場(明治学院大学白金キャンパス2号館1階2201号室)までの交通アクセス

品川駅高輪口 徒歩約17分または都営バス「目黒駅前」行き 「明治学院前」下車
目黒駅東口 徒歩約20分または都営バス「大井競馬場前」行き 「明治学院前」下車
地下鉄(南北線・三田線)白金台駅 2番出口 徒歩約7分
地下鉄(南北線・三田線)白金高輪駅 1番出口 徒歩約7分
地下鉄(浅草線)高輪台駅 A2番出口 徒歩約7分

地図(明治学院大学webサイト内)


東京都江東区における野宿者強制排除に関する声明

 2012 年2月8日、東京都江東区は区内の竪川河川敷公園において、「行政代執行」の名の下、現地で起居する野宿者のテント等を強制撤去するとともに、話し合いに よる解決を求めていた当事者および支援者を強制的に排除した。こうした行為は、区がいかに“これまで各種の「支援」を行ってきた”と言い繕おうとも、現に 野宿を余儀なくされている人びとの生存・存在自体を否定している点において、また、野宿者を物理的に排除し不可視化することによって彼ら・彼女らを生み出 してきた制度的・社会的問題から目を背けようとしているという点において、とうてい容認できない蛮行である。私たちは、江東区のこの蛮行に強く抗議すると ともに、現地の当事者・支援者との真摯な話し合いによる解決を求める。

2012年3月26日

  池田浩士(京都大学名誉教授),稲葉奈々子(茨城大学教員),入江公康(非常勤講師),太田直里,金子マーティン(日本女子大学教授・反差別国際運動事務 局次長),嶋田ミカ(龍谷大学リサーチアシスタント),崔真碩(広島大学教員),常木みや子(日本寄せ場学会会員),土井智義(大学院生),中村研(労働 組合なにわユニオン),中山幸雄(カフェ・テアトロ アビエルト),西澤晃彦(東洋大学教員),濱村篤(日本寄せ場学会会員),原口剛(大阪市立大学),樋口直人(徳島大学教員),松沢哲成(元東京女子大学 教員),丸川哲史(明治大学政治経済学部教員),水野阿修羅,山口恵子(弘前大学),山西麻依(フリーの研究人),路上文庫 長谷川チコ
ほか非公開4名

追加コメント
・観光資源としての河川より、人の生活を優先してください。区民に対する取り繕い広報をやめてください。奪ってからでは取り返しがつきません。強制排除に反対します。
・河川に暮らす人々が命をつなぐためのぎりぎりの生存の場所を、強制排除によって奪うことがあってはならないと思います。

※上記声明を2012年3月29日付で江東区宛に送付しました。
 なお、声明の賛同主体である各個人には、日本寄せ場学会の会員以外の方も含まれています。


2011年日本寄せ場学会シンポジウム
原発労働が照射する日本
(どなたでも参加できます。事前申し込み不要ですので、会場に直接お越しください)

 私 たちは、原発労働を視野には入れていた。しかし、どうしたものか充分に議論をしてはこなかった。「おっとり刀」であるとの批判は免れないが、それでもここ で何も論じあわない訳にはいかない。不可視化された下層が露呈している今こそ、その下層労働者の現実と彼らを差別し排除してきた構造を暴露しなければなら ない。「原発は差別で動く」(八木正)のである。このシンポジウムは、そのような想いから企画された。日本寄せ場学会がこれまで積み上げてきた認識と知を このシンポに注ぎ込んで、差別と排除の構造を明らかにしたいと思う。(日本寄せ場学会事務局長・西澤晃彦)

2011年12月3日()13:00−17:00
東洋大学白山キャンパス6号館4階6405教室
(東京都文京区白山5-28-20)
(最寄の駅は都営地下鉄三田線白山駅もしくは東京メトロ南北線本駒込駅です)

司会 西澤晃彦(東洋大学)

●基調報告 藤田進(アラブ研究)13:00〜13:30

●講演1:「命を切り売りする原発被曝労働者の実態と運動の方向性」
なすび(山谷労働者福祉会館活動委員会)
13:30〜14:30

 2011 年3月11日の福島第一原発の震災事故は、現在も深刻な労働者被曝を生み出しており、収束の目処も立たない。そもそも原発は、命を切り売りする被曝労働者 なしには稼働しないプラントであり、その被曝労働者は既に45万人とも50万人とも言われている。原発労働者にはがんや心臓疾患などでの死者が多発してい るが、被曝の実態は隠蔽され、1971年の商業原子炉の稼働開始以降に労災認定を受けた労働者はわずか10人に過ぎない。また、その雇用形態は土木建設産 業と同様の重層的下請構造になっているが、建労法の適用にはなく、事業者や雇用業者の責任も問われずに多くの下請労働者が文字通り使い捨てられてきた。現 場の労働環境も雇用形態も土木建設産業以上に劣悪な原発労働であるが、この実態は国策・原子力産業のもとで隠蔽されてきた。
 原発震災以降、被曝労働問題に取り組む中で明らかになってきた深刻な被曝労働の実態を報告し、その問題点を土木建設労働との比較の中で明らかにする。また、現在進められている運動の方向性について紹介する。

●講演2:「雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ〜第一原発の放射能にも負けぬ飯館村の労働者たち〜」
トム・ギル(明治学院大学)
14:30〜15:30

  福島県飯舘村は「計画避難区域」となり、村民はほとんど全員村を離れて生活している。ところが、村にある工場はまだ動いていて、毎日仕事に通っている労働 者は数百人いる。村にある老人ホームもそのまま営業中であり、スタッフは避難先から通っている。それに村民は24時間体制・3シフトで空き巣などを防ぐた めに村を歩き回るパトロールを組んで、村入りをしている。寄せ場の雇用対策と似ている形で、このパトロールの仕事は安い単価ではあるが、村が賃金を払って いる。こうした現象は主に村長の政策を反映している。村はすでに「住まい」の機能を失っていて、「職場」の役割も消えたら共同体そのものが消えてしまう恐 れがあると彼は見なしている。一方、放射能の危険性を十分認識していないため、こういった雇用対策は労働者の健康を犠牲にする恐れがあるという批判があ る。

休憩 15:30〜15:45

●コメント 水野阿修羅(日本寄せ場学会運営委員長)15:45〜16:15

質疑応答 16:15〜17:00


2011年度日本寄せ場学会総会
博覧会と都市暴動
釜ヶ崎における差別と抵抗の系譜を辿る
※どなたでも参加できます(予約不要・直接お越しください)
終了しました

2011年7月2日()、3日(
場所:西成市民館3階講堂(大阪市西成区萩之茶屋2−9−1
(3日はフィールドワークとなります)

1日目(2011年7月2日(土))13:00-17:30

趣旨説明:原口剛(神戸大学)13:00−13:10
博覧会と都市暴動−釜ヶ崎における差別と抵抗の系譜を辿る

 1961 年8月1日、車に轢かれた労働者に対する警察の差別的な処遇をきっかけとして、第一次釜ヶ崎暴動が勃発した。今年は、第一次暴動が勃発してから50年とい う節目にあたる。50年の歳月を経て、いま、釜ヶ崎の姿は大きく変わろうとしている。日雇労働者や野宿生活者の姿はますます見えなくなり、寄せ場は急激に 縮小しつつあるのだ。だが一方では、「総寄せ場化」と称せられる現在的状況のなか、新たに再編された下層労働者が生み出されている。彼ら彼女らに対して は、かつての釜ヶ崎と変わることない差別のまなざしが注がれ続けている。いまこそ、わたしたちは釜ヶ崎に積み重ねられた差別と抵抗の系譜を辿り、下層から 現代を照射する術を学ばなければならない。
 このような問題意識から、2011年度総会では二つのテーマを掘り下げる。その一つは、「博覧会」である。1903年に開催された第五回内国勧業博覧会 は、釜ヶ崎が成立する契機となったイベントであった。また、人類館事件に象徴されるように、それは近代国家が沖縄のような周縁を植民地支配に組み込む装置 でもあった。さらに80年代以降は、天王寺博覧会などの都市イベントが、野宿者排除を正当化する装置として働いた。博覧会をテーマとすることで、近現代を 貫く差別と排除の機制を浮き彫りにすることができるだろう。
 そして冒頭でも述べたように、今年度は第一次暴動50周年にあたることから、二つ目のテーマとして「都市暴動」を掲げる。釜ヶ崎では、第一次暴動をはじ めとする幾多もの暴動が積み重ねられてきた。こうした釜ヶ崎の暴動の系譜を辿ることによって、米騒動のような民衆の抵抗史を捉え直すことができるだろう。 あるいは、現代の中東における蜂起といった民衆の抵抗へと連なる視点を切り開くことができるかもしれない。
 以上のように釜ヶ崎固有の地域的文脈である「博覧会」と「都市暴動」という個別的テーマを深め、架橋することによって、ひろく民衆の差別と抵抗を考えるきっかけとしたい。

●釜ヶ崎大弾圧をめぐって−NDSからのメッセージ 13:10−13:30

講演1:水野阿修羅(日本寄せ場学会運営委員長) 13301430
博覧会と底辺社会

  博覧会がいつも政治的な意味を持っていることはよく語られているが、そこと底辺社会との関係はあまり語られていない。釜ヶ崎が今の場所に生まれることに なったキッカケとして、第5回内国勧業博覧会の開催があることはよく知られたことだが、そこに、菅野すがや片山潜らが関わりを持っていたこと。彼ら彼女ら が、長町とどう関わっていたか。借家人組合をつくった逸見直造が博覧会に店を出していたこと。「人類館」との関係はどうなっていたのか? 大原社会問題研 究所の元となった石井十次の活動との関係は?「事実は小説より奇なり」のことば通り、謎が増えるばかりだが、地理的な問題より人間関係を重視した視点で博 覧会と底辺社会を見つめ直してみた。車夫暴動や米騒動ともからみ、長町が今やメイドカフェやフィギュアショップがあふれる街に変遷する過程にもふれてみた い。
 次の日にフィールドワークをする予定。(平井正治さん追悼もこめて)

●講演2:小柳伸顕(釜ヶ崎キリスト教協友会) 14:30−15:30
米騒動(1918)と第1次釜ヶ崎暴動(1961)から何を学ぶか

 ある事件が起きたとき、事件そのものの分析も重要だが、事件後何がなされたかを知ることも大切である。ここでは釜ヶ崎と深い関係にある二つの事件を通して考えてみたい。
 一つは、米騒動であり、いま一つは第1次釜ヶ崎暴動である。時代も背景も異なる。しかし、そこには共通はないだろうか。
 富山県魚津の漁民のおかかやおばばどもによって1918年7月23日、「米を旅に出さんでくれ」を合いことばに始った米騒動の波は、事件後わずか19日 で釜ヶ崎に到達した。「旅へ出すから、値が上って、おらども食べられんようになってしまうじゃ」。この願いから、8月11日、天王寺公会堂で国民党主催で 「米価調節市民大会」が開かれ、大会後釜ヶ崎のおかあの提案でデモが起きた。これが大阪における米騒動の出発点であり、全国化への一歩と言えよう。騒動 後、大阪市は、釜ヶ崎を中心に職業紹介所、共同宿泊所、公益質屋、民面委員などの民生対策をたて実施した。
 1961年8月1日の夜、釜ヶ崎の路上で1人の労働者がタクシーに跳ねた。警察はまだ生きている労働者にムシロをかけ、まず現場検証をはじめた。それを 目撃した労働者たちは「アンコかて人間や」と警察の行動に抗議した。それはやがて暴動へと発展した。「アンコかて人間や」は、釜ヶ崎労働者の人権宣言と 言っても過言ではない。事件後、大阪市、府はどう対応したか。三者、大阪府、大阪市、大阪府警が中心になって対策が立てられ、府は労働、市は民生、府警は 治安を担当。その象徴が釜ヶ崎の各所に設置された西成署に直結する監視カメラである。
 二つの出来事のその後をたどる中で、今日に続くものを見出したい。(2011.4.16記)

休憩(15分)

●講演3:池田浩士(京都精華大学)15:45−16:45
天災+人災−暴動<(木賃宿+人間襤褸)× 無政府共産 

  博覧会と暴動とをつなぐものとして、同時代の「社会主義」(より正確には「無政府共産主義」)の動向・実践に目を向けたいと思います。幸徳秋水の「東京の 木賃宿」や「世田谷の襤褸市」はあまりにも有名ですが、襤褸市とは似て非なる博覧会への「天皇行幸」のために木賃宿街が抹消される社会で、「大逆犯」たち が語り合ったといわれる「平民(プロレタリア)が大挙して皇居に押し入る」というような事態が、はたしていかにして可能だったか(あるいは、可能と考えら れたのか)を、考えてみたい、というのが主旨です。あわせて、日本の歴史のなかで、「暴動」というもの(ローザ・ルクセンブルクの「マッセンストライ キ」、幸徳の「直接行動」との関連は?)、反体制側によってどう考えられてきたかも、討論できれば、と願っています。

●全体討論16:45−17:30

(※寄せ場学会運営委員会17:30−18:00)

第2日目(2011年7月3日(日)9:00−12:00

フィールドワーク
案内人:水野阿修羅
集合場所・時間:「フェスティバルゲート」(新今宮駅東口改札を出て浪速区「新世界」側にある巨大遊園地)
(大阪市浪速区恵美須東3-4-36)
正面入口階段下に9:00集合


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