Japan Association for the Study of Yoseba

Last updated 2012.Apr.24
News更新

Home & News

Annual

Contact

Link

      
寄せ場――それは日本の下層社会である。
そこでは人間が無慈悲に奪われる。
だからこそ人間への激しい希求がある。熾烈な闘いがある。
いま――寄せ場研究は、寄せ場の現実に切り込み、これを再構成し、
そして寄せ場に投げ返さなければならない。

日本寄せ場学会年報
『寄せ場』第24号発売中


東京都江東区における野宿者強制排除に関する声明

 2012年2月8日、東京都江東区は区内の竪川河川敷公園において、「行政代執行」の名の下、現地で起居する野宿者のテント等を強制撤去するとともに、話し合いによる解決を求めていた当事者および支援者を強制的に排除した。こうした行為は、区がいかに“これまで各種の「支援」を行ってきた”と言い繕おうとも、現に野宿を余儀なくされている人びとの生存・存在自体を否定している点において、また、野宿者を物理的に排除し不可視化することによって彼ら・彼女らを生み出してきた制度的・社会的問題から目を背けようとしているという点において、とうてい容認できない蛮行である。私たちは、江東区のこの蛮行に強く抗議するとともに、現地の当事者・支援者との真摯な話し合いによる解決を求める。

2012年3月26日

 池田浩士(京都大学名誉教授),稲葉奈々子(茨城大学教員),入江公康(非常勤講師),太田直里,金子マーティン(日本女子大学教授・反差別国際運動事務局次長),嶋田ミカ(龍谷大学リサーチアシスタント),崔真碩(広島大学教員),常木みや子(日本寄せ場学会会員),土井智義(大学院生),中村研(労働組合なにわユニオン),中山幸雄(カフェ・テアトロ アビエルト),西澤晃彦(東洋大学教員),濱村篤(日本寄せ場学会会員),原口剛(大阪市立大学),樋口直人(徳島大学教員),松沢哲成(元東京女子大学教員),丸川哲史(明治大学政治経済学部教員),水野阿修羅,山口恵子(弘前大学),山西麻依(フリーの研究人),路上文庫 長谷川チコ
ほか非公開4名

追加コメント
・観光資源としての河川より、人の生活を優先してください。区民に対する取り繕い広報をやめてください。奪ってからでは取り返しがつきません。強制排除に反対します。
・河川に暮らす人々が命をつなぐためのぎりぎりの生存の場所を、強制排除によって奪うことがあってはならないと思います。

※上記声明を2019年3月29日付で江東区宛に送付しました。
 なお、声明の賛同主体である各個人には、日本寄せ場学会の会員以外の方も含まれています。


2011年日本寄せ場学会シンポジウム
原発労働が照射する日本
(どなたでも参加できます。事前申し込み不要ですので、会場に直接お越しください)
終了しました

 私たちは、原発労働を視野には入れていた。しかし、どうしたものか充分に議論をしてはこなかった。「おっとり刀」であるとの批判は免れないが、それでもここで何も論じあわない訳にはいかない。不可視化された下層が露呈している今こそ、その下層労働者の現実と彼らを差別し排除してきた構造を暴露しなければならない。「原発は差別で動く」(八木正)のである。このシンポジウムは、そのような想いから企画された。日本寄せ場学会がこれまで積み上げてきた認識と知をこのシンポに注ぎ込んで、差別と排除の構造を明らかにしたいと思う。(日本寄せ場学会事務局長・西澤晃彦)

2011年12月3日()13:00−17:00
東洋大学白山キャンパス6号館4階6405教室
(東京都文京区白山5-28-20)
(最寄の駅は都営地下鉄三田線白山駅もしくは東京メトロ南北線本駒込駅です)

司会 西澤晃彦(東洋大学)

●基調報告 藤田進(アラブ研究)13:00〜13:30

●講演1:「命を切り売りする原発被曝労働者の実態と運動の方向性」
なすび(山谷労働者福祉会館活動委員会)
13:30〜14:30

 2011年3月11日の福島第一原発の震災事故は、現在も深刻な労働者被曝を生み出しており、収束の目処も立たない。そもそも原発は、命を切り売りする被曝労働者なしには稼働しないプラントであり、その被曝労働者は既に45万人とも50万人とも言われている。原発労働者にはがんや心臓疾患などでの死者が多発しているが、被曝の実態は隠蔽され、1971年の商業原子炉の稼働開始以降に労災認定を受けた労働者はわずか10人に過ぎない。また、その雇用形態は土木建設産業と同様の重層的下請構造になっているが、建労法の適用にはなく、事業者や雇用業者の責任も問われずに多くの下請労働者が文字通り使い捨てられてきた。現場の労働環境も雇用形態も土木建設産業以上に劣悪な原発労働であるが、この実態は国策・原子力産業のもとで隠蔽されてきた。
 原発震災以降、被曝労働問題に取り組む中で明らかになってきた深刻な被曝労働の実態を報告し、その問題点を土木建設労働との比較の中で明らかにする。また、現在進められている運動の方向性について紹介する。

●講演2:「雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ〜第一原発の放射能にも負けぬ飯館村の労働者たち〜」
トム・ギル(明治学院大学)
14:30〜15:30

 福島県飯舘村は「計画避難区域」となり、村民はほとんど全員村を離れて生活している。ところが、村にある工場はまだ動いていて、毎日仕事に通っている労働者は数百人いる。村にある老人ホームもそのまま営業中であり、スタッフは避難先から通っている。それに村民は24時間体制・3シフトで空き巣などを防ぐために村を歩き回るパトロールを組んで、村入りをしている。寄せ場の雇用対策と似ている形で、このパトロールの仕事は安い単価ではあるが、村が賃金を払っている。こうした現象は主に村長の政策を反映している。村はすでに「住まい」の機能を失っていて、「職場」の役割も消えたら共同体そのものが消えてしまう恐れがあると彼は見なしている。一方、放射能の危険性を十分認識していないため、こういった雇用対策は労働者の健康を犠牲にする恐れがあるという批判がある。

休憩 15:30〜15:45

●コメント 水野阿修羅(日本寄せ場学会運営委員長)15:45〜16:15

質疑応答 16:15〜17:00


2011年度日本寄せ場学会総会
博覧会と都市暴動
釜ヶ崎における差別と抵抗の系譜を辿る
※どなたでも参加できます(予約不要・直接お越しください)
終了しました

2011年7月2日()、3日(
場所:西成市民館3階講堂(大阪市西成区萩之茶屋2−9−1
(3日はフィールドワークとなります)

1日目(2011年7月2日(土))13:00-17:30

趣旨説明:原口剛(神戸大学)13:00−13:10
博覧会と都市暴動−釜ヶ崎における差別と抵抗の系譜を辿る

 1961年8月1日、車に轢かれた労働者に対する警察の差別的な処遇をきっかけとして、第一次釜ヶ崎暴動が勃発した。今年は、第一次暴動が勃発してから50年という節目にあたる。50年の歳月を経て、いま、釜ヶ崎の姿は大きく変わろうとしている。日雇労働者や野宿生活者の姿はますます見えなくなり、寄せ場は急激に縮小しつつあるのだ。だが一方では、「総寄せ場化」と称せられる現在的状況のなか、新たに再編された下層労働者が生み出されている。彼ら彼女らに対しては、かつての釜ヶ崎と変わることない差別のまなざしが注がれ続けている。いまこそ、わたしたちは釜ヶ崎に積み重ねられた差別と抵抗の系譜を辿り、下層から現代を照射する術を学ばなければならない。
 このような問題意識から、2011年度総会では二つのテーマを掘り下げる。その一つは、「博覧会」である。1903年に開催された第五回内国勧業博覧会は、釜ヶ崎が成立する契機となったイベントであった。また、人類館事件に象徴されるように、それは近代国家が沖縄のような周縁を植民地支配に組み込む装置でもあった。さらに80年代以降は、天王寺博覧会などの都市イベントが、野宿者排除を正当化する装置として働いた。博覧会をテーマとすることで、近現代を貫く差別と排除の機制を浮き彫りにすることができるだろう。
 そして冒頭でも述べたように、今年度は第一次暴動50周年にあたることから、二つ目のテーマとして「都市暴動」を掲げる。釜ヶ崎では、第一次暴動をはじめとする幾多もの暴動が積み重ねられてきた。こうした釜ヶ崎の暴動の系譜を辿ることによって、米騒動のような民衆の抵抗史を捉え直すことができるだろう。あるいは、現代の中東における蜂起といった民衆の抵抗へと連なる視点を切り開くことができるかもしれない。
 以上のように釜ヶ崎固有の地域的文脈である「博覧会」と「都市暴動」という個別的テーマを深め、架橋することによって、ひろく民衆の差別と抵抗を考えるきっかけとしたい。

●釜ヶ崎大弾圧をめぐって−NDSからのメッセージ 13:10−13:30

講演1:水野阿修羅(日本寄せ場学会運営委員長) 13301430
博覧会と底辺社会

 博覧会がいつも政治的な意味を持っていることはよく語られているが、そこと底辺社会との関係はあまり語られていない。釜ヶ崎が今の場所に生まれることになったキッカケとして、第5回内国勧業博覧会の開催があることはよく知られたことだが、そこに、菅野すがや片山潜らが関わりを持っていたこと。彼ら彼女らが、長町とどう関わっていたか。借家人組合をつくった逸見直造が博覧会に店を出していたこと。「人類館」との関係はどうなっていたのか? 大原社会問題研究所の元となった石井十次の活動との関係は?「事実は小説より奇なり」のことば通り、謎が増えるばかりだが、地理的な問題より人間関係を重視した視点で博覧会と底辺社会を見つめ直してみた。車夫暴動や米騒動ともからみ、長町が今やメイドカフェやフィギュアショップがあふれる街に変遷する過程にもふれてみたい。
 次の日にフィールドワークをする予定。(平井正治さん追悼もこめて)

●講演2:小柳伸顕(釜ヶ崎キリスト教協友会) 14:30−15:30
米騒動(1918)と第1次釜ヶ崎暴動(1961)から何を学ぶか

 ある事件が起きたとき、事件そのものの分析も重要だが、事件後何がなされたかを知ることも大切である。ここでは釜ヶ崎と深い関係にある二つの事件を通して考えてみたい。
 一つは、米騒動であり、いま一つは第1次釜ヶ崎暴動である。時代も背景も異なる。しかし、そこには共通はないだろうか。
 富山県魚津の漁民のおかかやおばばどもによって1918年7月23日、「米を旅に出さんでくれ」を合いことばに始った米騒動の波は、事件後わずか19日で釜ヶ崎に到達した。「旅へ出すから、値が上って、おらども食べられんようになってしまうじゃ」。この願いから、8月11日、天王寺公会堂で国民党主催で「米価調節市民大会」が開かれ、大会後釜ヶ崎のおかあの提案でデモが起きた。これが大阪における米騒動の出発点であり、全国化への一歩と言えよう。騒動後、大阪市は、釜ヶ崎を中心に職業紹介所、共同宿泊所、公益質屋、民面委員などの民生対策をたて実施した。
 1961年8月1日の夜、釜ヶ崎の路上で1人の労働者がタクシーに跳ねた。警察はまだ生きている労働者にムシロをかけ、まず現場検証をはじめた。それを目撃した労働者たちは「アンコかて人間や」と警察の行動に抗議した。それはやがて暴動へと発展した。「アンコかて人間や」は、釜ヶ崎労働者の人権宣言と言っても過言ではない。事件後、大阪市、府はどう対応したか。三者、大阪府、大阪市、大阪府警が中心になって対策が立てられ、府は労働、市は民生、府警は治安を担当。その象徴が釜ヶ崎の各所に設置された西成署に直結する監視カメラである。
 二つの出来事のその後をたどる中で、今日に続くものを見出したい。(2011.4.16記)

休憩(15分)

●講演3:池田浩士(京都精華大学)15:45−16:45
天災+人災−暴動<(木賃宿+人間襤褸)× 無政府共産 

 博覧会と暴動とをつなぐものとして、同時代の「社会主義」(より正確には「無政府共産主義」)の動向・実践に目を向けたいと思います。幸徳秋水の「東京の木賃宿」や「世田谷の襤褸市」はあまりにも有名ですが、襤褸市とは似て非なる博覧会への「天皇行幸」のために木賃宿街が抹消される社会で、「大逆犯」たちが語り合ったといわれる「平民(プロレタリア)が大挙して皇居に押し入る」というような事態が、はたしていかにして可能だったか(あるいは、可能と考えられたのか)を、考えてみたい、というのが主旨です。あわせて、日本の歴史のなかで、「暴動」というもの(ローザ・ルクセンブルクの「マッセンストライキ」、幸徳の「直接行動」との関連は?)、反体制側によってどう考えられてきたかも、討論できれば、と願っています。

●全体討論16:45−17:30

(※寄せ場学会運営委員会17:30−18:00)

第2日目(2011年7月3日(日)9:00−12:00

フィールドワーク
案内人:水野阿修羅
集合場所・時間:「フェスティバルゲート」(新今宮駅東口改札を出て浪速区「新世界」側にある巨大遊園地)
(大阪市浪速区恵美須東3-4-36)
正面入口階段下に9:00集合


過去(2010年以降)のNewsはこちら
2002-2009年のNewsはこちら
2001年以前のNewsはこちら