ホームページによせられた声から


反対派は事実を見ようとしない
まるで一人も殺さなかったとでも言いたいかのように
目には入るが 見ようとしない
耳には入るが 聞こうとしない
なんと愚かなことだろう
犠牲者二千万人は今日も泣く


私はNY在住の大学を卒業したばかりの者です。
先日、たまたま中華街へ買い物へでかけたさいに、 ある電気屋の前で人だかりができていました。 そこでは、 どの作品かはわかりかねますが日本軍による南京大虐殺の映画のビデオをながしており、 お年よりたちが指をふるわせながら画面に食いいるようにしているのを見て、 その場にたちどまっていることができませんでした。
私は歴史教育を日本で高校まで受けて、 そしてこちらの高校へ編入してから 教えてもらわなかった日本の加害の歴史についてはじめて目をひらかされました。 私の祖父は満州で当時模型飛行機屋を経営しており、 ハルビンでの生活の話などは聞かされましたが、 実際にその街の片隅で日本が残虐な行為を許していたとは はじめは信じがたいことでした。 祖父自身、ソビエトの参戦のおりには逃げ送れて抑留された経験があり、 そして軍の撤退のために犠牲として なにも知らされずに残留した方たちの悲劇などを聞かされているため、 とても私には祖父から満州時代の話を聞くことはできません。
だけど歴史に目をつぶることは、知ってしまった以上できないことです。
はじめは祖父は戦時中一民間人であったから、 僕には関わりのないことなのだという認識でしたが、 祖父の生活基盤が成り立ったのも、 日本が中国に対して行った侵略の過程の上に存在したのだ、 と考えをあらためるようになりました。 そして、その過程の上に今の私が生きていられるということを知りました。 過ぎてしまった歴史、失われてしまった貴重な生命をとりもどすことはできませんが、 それと同じ轍を踏まないということが私にできることなのかもしれません。 「ノーモア」ってとてもいい言葉だと思います。
あの時代を生きた世代へ突っ込んだ質問ができない臆病な私ですが、 私はノーモア運動を応援したい一人です。 活動に際しての情報などございましたら連絡を下さい。


南京西南部雨花台から攻略した 第114師団歩兵102連隊の兵士の手記等は殆ど未発掘であると思います。 私の母方の祖母の弟氏(故人)は 1937年に37歳で茨城県下から中国戦線に動員されたので、 「あるいは歩百二か?」と調べたこともありましたが手がかりは得られませんでした。 茨城県立図書館に収集されている戦前の地方紙「いはらき」の復刻版には、 雨花台の激戦の手記が掲載されています。 もちろん虐殺の事実には触れていませんが、 歩百二が大きな損害を受けていたことがわかります。


政治家の中には日本の侵略戦争を否定する人が沢山います。
信じられません。これは被害者に対する侮辱です。 日本が同じ過ちを繰り返さないために これらの事実について深く反省し真剣に受け止める必要があります。 当時はそんな時代だったから仕方なかったでは絶対に許されないことです。


 

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