第2回総会 記念講演 全文
(1999年6月5日、於 たんぽぽ舎)

南京事件 −− 虐殺否定論の動向

吉田 裕 一橋大学教授


目次

一、南京事件をめぐる逆流をどう考えるか
  (一)2つの官房長官談話
  (二)軌道修正に対する逆流
  (三)大きな流れは変わらない
    (1)「大東亜戦争肯定論」の退潮
    (2)野中官房長官の言明
    (3)第3次家永教科書訴訟の最高裁判決
    (4)福地淳教科書調査官の解任
    (5)国民意識=極端な排外主義への不同調
  (四)無視できぬ最近の動向
    (1)若者の中に広がる大国主義的ナショナリズム
    (2)アイリス・チャンの著作について

二、南京事件をめぐる論争について
  (一)保守派内部の亀裂
    (1)偕行社の方向転換
    (2)奥宮正武『私の見た南京事件』
    (3)福田和也「南京大虐殺をどう読むか」
    (4)中村粲「『南京事件』の論議は常識に帰れ」
  (二)虐殺否定派の最近の動向
    (1)国際法の再解釈による虐殺の否定
    (2)国際法の無視による虐殺の否定
    (3)敗残兵の殲滅の正当化


一、南京事件をめぐる逆流をどう考えるか

(一)2つの官房長官談話

吉田です。 虐殺否定論の最近の動向をどう考えたらいいかということでお話ししたいと思います。 最初は南京事件をめぐる逆流をどう考えるか、 最近虐殺否定論というのがさまざまな形で盛んになってきていますので、 その背景をどう考えるかということなんですね。 その背景として、80年代から90年代にかけて日本の政府が ある程度従来の路線から軌道修正した面があって、それに対する逆流という面がある。 ひとつはそこに2つの官房長官談話とレジュメに書きました。 82年と93年の官房長官談話です。 82年は鈴木内閣の宮沢喜一内閣官房長官の談話。 この時は、ご存知のように教科書検定が国際問題化して、 「侵略」を「進出」というふうに書き改めさせた、教科書検定の国際問題化、 それで中国や韓国から非常に厳しく批判されたのを受けてですね、 教科書の内容を是正するということを、官房長官談話で発表したわけです。 それから93年は宮沢内閣の河野洋平官房長官談話で、 まあかなり慎重な言い回しではありますけれど、 慰安婦問題には軍が関与したということを認めて、関係者に謝罪する、 お詫びの言葉を述べるということを言ったわけです。 これは従来の日本政府の態度からするとかなり大きな、 軌道修正であるのはまちがいない。特に大きいのは82年ですね。 このとき教科書検定基準というのが官房長官談話に合わせる形で改訂されます。 それが、資料の1ですね。 俵 義文さんの『教科書攻撃の深層』という本の中に書いてありますように、 官房長官談話を受けて、 82年に検定基準に 「近隣アジア諸国との間の近現代史の歴史的事象の扱いには 国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がなされていること」 という文言が加わる訳ですね。 これ以降文部省はそこに書いてありますように、 「侵略」を「進出」などと書き改めさせるようなことを強制しない。 南京大虐殺に関しても、 南京事件は同事件が「混乱の中で発生した旨の記述を求める検定意見を付さない」、 あるいは「南京事件の死傷者数を記述する場合は 史料によって著しい差があることを考慮した記述をし、 その出所や出典を明示することを求める検定意見を付す」、 という新しい検定方針が示されるのです。 こういう中で教科書の見直しがなされて、 その中で一斉に731とか従軍慰安婦に関する教科書叙述が登場するようになります。 教科書との関連で言いますと、占領期から講和が発効する1952、 3年までは日本の教科書に南京事件はちゃんと載っているんですね。 ところが講和が発効して、1956年に現在の検定教科書制度ができて、 検定が非常に強まります。 そうすると一斉に教科書から南京事件が消えます。 そして74年版の高校の日本史で再登場する、これが1社です。 75年版の中学校の教科書にも2社に再登場する。 84年になるとかなり全面的に復活してきて、84年版の中学校教科書、 85年版高校教科書には一応全社の教科書に南京事件が載るようになります。 短い記述ですが全社の教科書に記述が載るようになります。

(二)軌道修正に対する逆流

こういう流れが出てきたことに対する逆流や反発が、 新しい歴史教科書を作る会とか自由主義史観の人々で、 彼らは中学校教科書の慰安婦叙述の削除を要求してきた。 それから、新しい歴史教科書を作る会や自由主義史観の人たちが中心になって、 南京大虐殺の否定論を展開する。これは突き詰めていくと、 はっきりしているのは二つの官房長官談話、これを取り消せという要求なんですね。 最終的には2つの官房長官談話の前言取り消しということです。 いま右翼の側が目の仇にしているのは、 鈴木内閣のときの宮沢官房長官談話のもとで改正された先ほどの教科書検定基準、 その中の近隣諸国条項というんですけれど、近隣諸国との友好、協調ですね、 国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がなされているか、 という一項が教科書検定基準に入ったために、 執筆者や教科書会社がだいぶ書きやすくなったわけですね。 この一項を削れということが彼らの主張の大きな眼目になってきているんです。 そういう点で80年代に入って政府の方針も一定程度の修正があって、 それを受けて教科書の叙述にも変化が現れてきて、 こういう流れに対する逆流として否定論が盛んになって、 右から政府の軌道修正を攻撃する動きが出てくることになります。

(三)大きな流れは変わらない

(1)「大東亜戦争肯定論」の退潮
しかし、大きな流れとしては変わっていない、 あるいは変えられないということが重要です。 教科書の慰安婦問題でも、 国会で何度も文部大臣が自民党系の議員から削除要求を突きつけられましたけれど、 削除に応じませんでした。 それから1995年の戦後50年の時も国会で不戦決議をしようという動きがあり、 それがあの「戦後50年決議」になるのですが、 それに対抗して戦没者追悼感謝決議というのを各県でずーっと挙げていったわけです。 そのときは95年末まで26県議会90市町村で採択された。 ところが慰安婦記述の削除問題では96年末までに意見書の採択が9市町村、 趣旨採択が1県1市1町、その後ある程度増えていますけれど、 それでも戦後50年のときの勢いは明らかにないということですね。 そこは非常に重要なポイントだと思います。そういった中で、 60年代にあったような大東亜戦争肯定論というのは明らかに後退してきている。 日本の戦争の意図がアジア諸民族の解放にあったというような、 戦争を丸ごと肯定するような大東亜戦争肯定論は後退してきている面がある。 それはたとえば資料の2を見てください。 これはいわゆる戦没者追悼感謝決議をやった、 終戦50年国民運動実行委員会が出した請願ですけれど、 「わが国を一方的に断罪する『反省と謝罪の国会決議』に反対する請願」、 「平成七年の終戦五十年を期に先のわが国の戦争を一方的に断罪し、 関係諸国に対して反省と謝罪を表明する国会決議を行う計画が進められています、 かかる決議は世界史上で唯一わが国のみが戦争責任を負う犯罪国家である うんぬん」 ということで、日本だけが悪いんではないといっているんであって、 日本は悪くなかったといっているんでは必ずしもないんですね、内容的には。 ですから、ここでは意図そのものを肯定しているんではないんで、 他の国も悪いことをやったけれど、日本もやった、 どうして日本だけが謝らなくてはいけないんだ。 そういう論理に実際にはなってきている。 また県議会などでの決議の場合でも全会一致で挙げますので決議の内容をみますと、 曖昧模糊としていまして、とても大東亜戦争肯定論にはならないんですね。 宮崎県議会のを見てみますと、資料の真ん中のあたり、 「この平和な豊かな今日においてこそ自らの歴史を厳しく見つめ」、 これはきっと社会党が主張したんだと思いますけれど、 「戦争の悲惨さと幾多の尊い犠牲があったことを憶い、 またこのことを次ぎの世代に語り継がなければならない」。 そういう薄まった内容のものになっていってしまうわけですね。 ですから、非常に否定論とか戦争肯定論の声が大きく聞こえますけれども、 60年代と状況が明らかにちがってきてる面があって、 たとえば60年代は大東亜戦争肯定論という林房雄の本が出てきますね、 そのころは戦争そのものを肯定していたわけですが、 今は大きな声では日本の戦争目的そのものを肯定することは 必ずしもできなくなっている。

(2)野中官房長官の言明
それから、内閣でいうと野中官房長官の言明が重要で、2〜3年前、 自民党の幹事長代理だった時、南京の虐殺記念館を初めて訪問して、 そのときに彼は政治家としてのこれはけじめであるということを言いました。 それから今度の都知事選で石原都知事のいろいろな問題発言が 中国側を刺激しましたけれど、 そのときに野中官房長官は南京大虐殺はあったということを 記者会見で言明したんですね。 政府としてはそういう方向になってきています。

(3)第3次家永教科書訴訟の最高裁判決
第3次家永教科書訴訟の最高裁判決が97年8月29日にでましたが、 これに関しては南京大虐殺に対する検定、家永教科書への検定は違法だということで、 違法性が確定した。 家永さんの教科書に、混乱の中の出来事だったということを書けということを、 検定官が強制して、結局、 「激昂裡に南京に入城した日本軍は」というようなったんですが、 これは違法性が確定して、先ほどの俵さんの資料にありますように、 南京大虐殺が混乱の中で発生した旨の記述を求めないというふうに、 文部省もなってきているんですね。

(4)福地淳教科書調査官の解任
非常に重要なのは4番目の福地淳という教科書調査官、 これは新しい歴史教科書を作る会系の高知大の教授で日本史の専門家なんですね。 これが教科書調査官に、異例ですけれど(逆はありますが)、 大学教授から直接教科書調査官になる。 この福地さんは新しい歴史教科書を作る会の エージェントではないかといわれたんですけれど、 彼が座談会で教科書検定基準の近隣諸国条項、 ああいうものがあるから日本の教科書は自虐的になるんだということを発言して、 出版労連とかいろんな会から解任要求が出ます。 江沢民が来る前だったと思いますが、解任されました。 政府としては近隣諸国条項を守らざるを得ない。 対外的な公約として守らざるを得ないということですね。

(5)国民意識=極端な排外主義への不同調
それから国民意識としても極端な、 非常に極端な排外主義を煽るような動きが強くなってきているのは 事実なんですけれども、必ずしも国民全体が同調しているわけではない。 そこで総理府の世論調査をみてみますと、従来から非常に気になっていたるのですが、 96年の総理府世論調査の嫌米感、嫌韓感、嫌中感ですね、 嫌米感というのは従来からあまり変化はなくてたいした割合ではないんですけど、 96年の世論調査から中国に親しみを感じないというのが51%、 韓国に親しみを感じないというのが60%と急に増えてくるんですね。 そういう中国や韓国からの対日批判に対する反発がおそらくこういう形で出てくる。 この傾向は変わらなかったのですが、昨年の調査では、嫌韓感、 韓国に親しみを感じないという人たちがかなり、 そのデータをメモしてこなかったんですが、かなり大きく減少しているんですね。 『月刊世論調査』という総理府が出してる月刊誌で、 恐らく今度の6月号で結果がでると思うんですけど、新聞に一部載りました。 これは金大中の訪日、その後の向こうの日本文化の解禁政策、 そういうものが日本側でも受け入れられている面があって、 そう言う形でお互い歩みよりがみられれば、かなりの変化が出てくる、 そういう可能性を孕んでいる。 論壇のレベルではかなり嫌米意識というか嫌米感が強くて、 くりかえし太平洋戦争はルーズベルトの陰謀だとか、 そういう議論が非常に多くて戸惑ってしまうんですけれど、 しかし総理府の世論調査で見る限りでは嫌米感に変化はありません。 ですから、論壇とはかなりずれがあるんですね。 そういう点で逆流も激しいのですが、 日本社会が変わっていく面も一方であるのではないか。

(四)無視できぬ最近の動向

(1)若者の中に広がる大国主義的ナショナリズム
その一方で無視できない傾向もあって、 若者の中に大国主義的ナショナリズムというか、嫌米感、嫌中感、 嫌韓感が広がってきているということ、これは私の実感でもあります。 大学で若い学生と接してきて、非常に従来とはちがうなあと思うのは、右翼的な、 小林よしのり的な言説をまじめに信じている学生が増えてきているのは、 おそらく間違いがない。 先ほどの総理府の世論調査を見ても、若い世代が嫌米感、嫌中感、 嫌韓感が強いんですね。 若い世代の方がです。 日本が大国になったという意識と、その中で、外国から、 アジアから批判されることに対する反発というようなものが 若い人たちの中にあるということはいえると思います。 その場合、小熊英二さんが『世界』の論文の中で書いていて、 これは重要だなと思ったのですが、 新しい歴史教科書を作る会とか藤岡信勝とか小林よしのりとかいうのは 天皇のことには触れないんですね。 これは確かにそうなんです。 自由主義史観でもなぜ天皇の事に触れないんだという会員の批判があって、 自由主義史観というのは一番右は本当の右翼ですから、 そういう人たちは大変不満をもっているようですけれど、 確かに天皇のことには触れない。 小林よしのりも天皇はおまけなんですね、彼の『戦争論』を読んでいても。 さきほど説明を落としましたけど、資料3が小林よしのりのまんがで、 これもたとえば、「でも動機はインドネシアに石油採りにいったんでしょ」、 「大東亜共栄圏って後付けでしょう」、 「欧米の後で支配者になるつもりだったんでは」、 「アジアの人民に差別感情ももったでしょ」、「無駄な人殺しもしたくせに」、 「掠奪強姦もしたはずだよ」、「日本兵の無駄死に多すぎじゃん」、 「動機が不純」、「動機は侵略」、「動機は帝国主義」、「動機が不純」、 「動機なんかいくら不純でもいい」、「結果が良ければいい」、 「結果主義だ」っていうんですね。 結果としてアジア諸民族を独立させましたということになってるんですね。 そういう意図があったといってるのではないわけです。 そういう点では本来の大東亜戦争肯定論ではないんですね。 同時に天皇の問題があまり出てこないということです。

それに照応するように、右翼の評論家、福田和也という自称右翼がいるんですけど、 彼は天皇ぬきのナショナリズムということを今年に入ってからかなり言うんですね。 皇室というのが国民の精神的統合という意味をもたなくなってきていると、 だからこれからのナショナリズムは天皇はなくてもいいんだということをいって、 ちょっと波紋を呼んでいます。 そういった動きが出てきています。 それは実際、世論の中にもあって、資料4ですね、時事通信の世論調査ですけど、 天皇に対してどうい感情をもっているかという世論調査ですが、 尊敬しているが25.8%、親近感をもっているが34.3%、 尊敬や親近感はないが19.3% 、関心がないが18.6 %。 新天皇になってから尊敬の気持ちや親近感がないや関心がない、 無関心層が無視できない数になってきてるんですね。 だからますますあせって、君が代、 日の丸の法制化とかそういうことを言うんでしょうけれども、無関心層ですね、 尊敬の念をもたない無関心層がかなり増えてきている。 それからもうひとつ重要なのは、女性でもいいんじゃないかという議論ですね、 問い11あなたは女性が天皇になることに賛成ですか反対ですか、 賛成27.8%反対21.4% 。 この3年前の世論調査くらいからこういう傾向が出てきました。 それと同時に世論調査の側がそういうことを聞き始めます。 といいますのは、皇室典範の改正が必要になる情勢になってきているのですね。 今の皇室典範というのは男系主義です。 皇位の継承者は男系の男子、つまり男の子のところに生まれた男の子。 つまり、さーやって女の子がいますよね、 さーやが男の子と結婚して男の子がうまれても、 その子は皇位継承者にはなれないんですね。 結婚するともう皇族の身分を離れちゃいますから。 明治憲法の主義をそのまま引き継いでいるわけです。 そうして考えてみますと、今のお姫様たちが子供を産む年齢というのが、 まあ高年齢出産というのがだいぶ可能になってきましたけど、 もうそろそろ生理的というか肉体的な限界なんですね。 今、皇室で生まれた最後の男の子が、あの髭のなまずの殿下、秋篠宮、 あれはもう34〜5になるんじゃないですか。 それ以後30数年間男の子が生まれていない、 これをめぐってってかなり水面下でちゃんちゃんばらばらがあってですね、 数年前に読売新聞がスクープしましたけど、宮内庁の内部文書では、 どうするかいろんな場合を想定しているんですけど、 できるだけ女にはしたくないというのが底流にあって、 いろんな案を考えているんです。 たとえば終戦直後に臣籍降下という皇族のリストラをやりましたよね、 そのリストラされた皇族をまた呼び返して皇族にして天皇にするとか、 かなり苦労してるんですけど、 まあ明日あたり産まれたとか御懐妊ということになるかもしれないですけど、 どうもこのままでは危なくなる、 そうすると天皇の皇位継承者がいなくなるという事態がこのままではでてきてしまう。 これは実は明治憲法を作るときも、 男系男子に限定するというのは危ないんではないかという議論があって、 女系でもいいんではないか、女帝ではなくても女系で、 女性のところに生まれた男の子でもいいんじゃないか、 という憲法草案がいくつもあるんですけど、 結局最終的に男系男子になっちゃったんですね。 その理由はよくわからないんですけれども、 おそらくで大元帥としての天皇というイメージを、 近代化の過程で国民の中に植え付けていこうとしましたから、 大元帥というのが女性では・・・、というのがどうもあったようで、 ジャンヌダルクのような例がありますけど、結局男系男子にしちゃったんですね。 このままでは、おそらく皇室典範の改正にまで進むと思います。

最近出た文藝春秋の文春新書で、 高橋紘さんと所功さんのお二人が『皇位継承』という本を出しているんですけど 、 そこでも世論調査の結果が出ていて、「参考までに、共同通信加盟の各誌は、 今年の『みどりの日』に皇位継承についてのアンケート調査結果を掲載した。 それによると50%が女性を天皇と認めてよいとしている。 前回、平成4年には容認派は33%だったから、 この6年間で17ポイントも増加している。 一方 『男子に限るべきだ』とする”典範遵守派”は前回の47%から31%に減じ、 今回の調査で双方の比率は逆転したことになる。」ということをいっている。 こういうことを考えると,ナショナリズムは若い世代の中にあるんですけど, それは必ずしも戦前と同じような復古的なナショナリズムではない、 場合によったら福田和也がいうような天皇抜きのナショナリズム、 少なくとも天皇の占める位置は非常に低いものになる可能性があるように思います。 それとても流動的なところであり、軽率には言えないところですが、 しかし大分いろんな意見が出てきていて、皇室典範に関しては加瀬英明のような、 皇室のスポークスマンのような人でも「皇室典範の改正止む無し」 ということを週刊誌などでいってますので、これはちょっと面白い状況だと思います。

(2)アイリス・チャンの著作について
一方アイリス・なチャンの本が出て、僕も読んだのですが、 これも難しい問題を孕んでいて、 外国人の目から見れば日本人というのはこういう風に見えるんだな、 ということが非常に良くわかるし、 戦後の日本社会が南京大虐殺の問題を曖昧にしてきたということもわかるんです。 しかし、歴史家の側から見ると内容的にはいろいろ異論があって、 特に戦後の日本社会で曲がりなりにも南京大虐殺のいろんな研究があった、 その研究成果が反映されていない。 これは語学の問題があると思いますから、 そういう意味では日本の研究者の著作をしっかり海外に紹介していく作業が、 これはやっぱり必要なのではないかなと思います。 それからもうひとつ読んで感じたのは、日本社会について、 彼女は「セカンドレイプ」っていうんですね、 戦後の日本社会が南京大虐殺を曖昧にしてふたをして、確かにその通りなんですけど、 その一方、たとえば80年代には教科書にしてもすべての教科書に、 たった二、三行ですけど載るようになった。 教科書執筆者の側、特に家永裁判というのが大きかったと思います。 外国からの批判に加えて、内側からの努力としては、 家永裁判というのは大きかったと思います。 そういう努力によってすこしずつ変わってきている、 そちらの面にも少し目を配ってほしいというのが、 歴史家としての僕らの言い分ですね。

 

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