「憲兵だった父の残したもの」読後感
個を貫くことの大切さを改めて感じる

加藤健一


  「憲兵だった父の遺したもの」[1]の著者、倉橋さんのお話を聞いた[2]。また、この本を読んで、ますますこの方が、この種の本の作者にしては実に正直な方、素直な方だということを感じた。父の遺言を巡って悩む気持ちが、他人である私にも理解できる表現であり、告白でもあった。
  もちろん、大学の文学部を出た方であり、また文学サークルにも入っておられる方であるから、文章のうまさ「こなれ」の良さは秀逸であることは言うまでもないが、自分をこれでもかというくらい、さらりとさらけ出しているところに、正直さとともに、父、雄吉さんに対する愛情や周囲の肉親に対する、鋭いが暖かさもある気持ちが書き込んであり、倉橋さんの「迷い」に共感を覚えながら読み通した。
  素直さという面では、お父さんの雄吉さんも同じだなと痛感する。また勇気がある方だなと感じた。病床で、「俺が死んだらこれを墓に彫りつけてくれや」と嫁に行った娘に頼んだ雄吉さんの気持ちは、さらりと言った言葉のなかに、長い間の悩みが感じられるとともに実に個性が強いというか、「自分」というものがキチンとある方だなと思う。
  おおかたの日本人はいくら懺悔の気持ちがあったとしても、ここまでは言わないなと感じる。普段、強気の言動をしていたなかにも、謝るものは謝るといった挙にでたということは、この方の底に流れていた性格は「自分」のなかに「個」というものが強くあったということであろう。
  とかく日本人は「横並び志向」だ。「長い物には巻かれろ」「責任逃れ」など自分を表に出さない性向がある。「和」を大事にするといって、波風を立てない事を基本としている。逆にいうと個性埋没ともいえる。そういう点からみると、倉橋さん親子は自分でキチンと「落とし前」を付けることをした人たちだ。
  文中に野田正彰さんのお話として「個として一生を終えようとしたお父さんに対して、個ではない、一族、一家のようなものが、まだ、生きているのでしょうか?」という問いに対して、この言葉を消化しきれぬまままに「父は一人の人間として生き、一人の人間として死んでいこうとしたのだと思います」と倉橋さんは答えている。
 結局、倉橋さんは野田さんの「お父さんは、させられた戦争ではなく、自らがした戦争としてとらえ、個として責任を全うする」という視点に同意し、積極的な意味で、この遺言の彫り込みを実践した
。   紆余曲折はあったものの、父の本当の意思に気が付き、主体的な父の意思を実現する方向で行動した。ということは、もともと倉橋さんは気が付くまでに多少時間はかかったものの、個性が強いというと不適切かもしれないが、お父さんと同じように、「個」を持っている方だから、結論は父の意思を尊重したのであろう。その強い意志が親戚の方にも伝わっていったのではないだろうか。
  文中に倉橋さんは書いている。「出来た碑を手で撫でながら、“良かったね、父さん。やっと形になったよ”と心の中で話しかけました。不思議なもので石には違いないけれども、文が刻まれると一つの明確な意思と威厳が備わってきて、それが父のように思えてくるのです」
 「そのときの写真を見ると私が泣いているのか笑っているのか、良く判らぬ老けた顔つきでした」と、その章の文を締めくくっていたが、その時の心境に対して、「本当に良かったですね」と私自身感じると同時に、ホッとした倉橋さんにご苦労様と声をかけたくなった。
 「個」ということをつくづく考えるのは、私たち日本人にとって、新しい時代になっても一向に変わらない課題というか、性向だからである。民主主義時代になったとはいえ、戦前から続く個が出しにくい性向、傾向は変わらない。
  市民活動や内部告発が活発化してきたとはいえ、「個性埋没」「出る杭は打たれる」「触らぬ神に祟りなし」といった風潮はあまり戦前と変化はしていない。
 そういう私もそうだ。10年ぐらい前までエネルギー産業の大企業にいたが、そのような企業のなかで個を貫く事の難しさを嫌と言うほど味わってきた。正直にモノをいうことの大変さを身に染みて経験してきた。その壁を突破する勇気の大変さを感じる。原子力発電もそうだ。ノーとは言いにくい。   また、例えば水俣病の時、企業内でもし勇気のある人がいたら、あの災害はもっと軽くてすんだであろう。狂牛病も同じだ。個のある役人がいたら、もっと牛の災害は防げたであろう。民主主義になった現在でも個が確立した時代になったとはいえない。
  雄吉さんは戦前の人だが、憲兵という職業の中で、また家庭人として問題はあったかも知れないが、個という点ではきちんとしたモノを持って生きた人なのであろう。
  また、お父さんの事をここまで突き詰め、悩み、そして碑をお建てになった倉橋さんも個を貫いて生きている典型的な方だと思う。
  倉橋さんは最後にこう書かれている。「今までこの国の大多数の人の生き方は自分と言うものを持とうとせずに時代に流され、それゆえ責任を取ることもしないという生き方だったのでは。こうした生き方を変える事は非常に困難で、おいそれとは変わらない気がします。ただ一つ確かな事は、そうあって欲しくないと願う自分がここに居るということです。」この願いや希望に共感を覚えつつ、私の読後感とします。(2002年7月7日)

[1]倉橋綾子著、「憲兵だった父の残したもの−父娘二代、心の傷を見つめる旅−」
   (株)高文研、2002年
[2]2002年6月8日(土)、亀戸文化センタ、ノーモア南京の会第2回公開学習会での講演




[ホームページへ] ・ [上へ] ・ [次へ][前へ]


メール・アドレス:

nis@jca.apc.org