「人権と教育」月刊315号(2000.3.20)
■日本の友人へ■

歴史事実としての「南京大虐殺」の抹殺は許されない

高 興祖


南京大虐殺をウソとする戦争賛美集会に施設利用を許可した大阪国際平和センターの 問題については本紙前号で紹介したが、 米国に滞在申の高興祖氏はテレビ報道でこの事実を知り、 怒りのメッセージを送ってきた。
高氏は南京大学歴史学部教授であり、 南京大虐殺など日本の中国侵略戦争の犯罪的実相を専門的に研究してこられた。 『増刊・人権と教育』第31号に高氏の執筆にかかる 「日本軍の細菌戦の罪責について」が掲載されている。   (編集部)

 

1月15日、新年早々、米国のテレビは、 日本の右翼勢力が1月23日に大阪国際平和センターで 主催する南京大虐殺を否定する反中国集会を、 大阪府が許可したことについて報道していた。 それを見て私は怒りを抑えられなかった。 1937年12月13日日本軍は南京を占領した後、 ほとんど2ヵ月にわたって30万以上の無垢なる民衆と 武器を放棄した中国兵を虐殺するとともに、無数の婦女を強姦し、無数の商店、住宅、 官庁、倉庫を強奪し、 焼きつくし破壊つくして南京全市の三分の一が灰と燃えかすに帰した。 南京大虐殺は日本侵略軍がその本性を表した最も典型的な犯罪行為の一つであり、 また、それは人類の歴史上最も野蛮な行為であり、最も暗黒なる一ペ−シである。 わが国内外の中国人は決しでこのことを決して忘れず、 また日本の右翼勢力がこの歴史事実を抹殺することを決して許さない。

第二次世界大戦が終了してまもなく、 極東国際軍事法廷がまさしくこの事件について裁判を行い、 日本侵略軍が南京で行った暴行は国際公法への重大な違反であり、 戦争犯罪を構成し人道に違反する罪であると認定し、 この暴行の直接の責任を負う一級戦犯の 華中派遣軍司令官松井石根に絞首刑を言い渡した。 中国の戦犯軍事法廷は、この他、 南京を血で血を洗った二級戦犯第6師団長 谷寿夫に死刑を言い渡した。 このように南京人民に空前の災難を与えた日本の戦犯は しかるべき懲罰を受けたのである。

日本はサンフランシスコ講和条約によって独立した。 当該条約の第11条は、 「日本国は極東軍事法廷と日本国内と国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受け入れ、 併せて日本国内で拘禁されている日本国民に これらの法廷が科した刑を執行するものとする」と規定している。 日本はこの条約に対して国際的な義務を負っている。

中日両国が国交を回復して以来、日本政府は、 中日共同声明等一連の文書で日本の歴史において対中国侵略があったことを認め、 あわせて「深刻な反省」を表明していた。 これは、中日両国関係の政治的基礎である。 1998年江沢民主席が日本訪問したとき、 日本の首相は中日《共同宣言》と会談において再度、過去の中国への侵略を認め、 あわせてまさに中国侵略戦争が中国人民に重大な災難を与えたことを深刻に反省し、 謝罪すると表明したのである。 歴史の事実を抹殺することは許されないのである。

大阪府はこれらの事実と平和条約の文書の規定が、 人が言ったことがまだ耳に残っているように明らかに知っておりながら、また、 日本の右翼が長期にわたって南京大虐殺の血なまぐさい事実を あらゆる方法で否定しようと企むことを突破口として、中国人民の感情を害し、 中日友好の大勢を破壊しているのを熟知しながら、 あえて南京大虐殺を否定する反中国集会を許可した責任は逃れられない。 このようにして、わが国内外の中国人の感情をきわめて激しく害するのみならず、 しかも両国関係の政治的基礎を動揺させた。 このことはおおいに中日関係の正常な発展に不利益をもたらした。

日本各界の正義を堅持している人士は、右翼勢力が侵略を否認し、戦争を美化し、 南京大虐殺を抹殺しようとする言動に、一貫して反対してきた。 これに対して我々は賞賛し、あわせて、新しい千年において、 われわれと日本の正義の人々はこれからも、引き続き歴史の事実を擁護し、お互い、 手を携えて中日友好事業をすすめるための闘争を前進させていく。   (2000年1月19日ボストンより)
(柴崎・訳)


「人権と教育」編集部のご厚意により再録させて頂きました。


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