池明観先生を迎えて

特別講演会−「北東アジアと日韓のキリスト教」

東海林勤さんの応答


 先日来、池明観先生が韓国の現在の政権に大変失望していらっしゃるということをうかがっていましたし、先ほど上げられた『韓国文化』9月号にある先生の「北朝鮮旅行記」も読みました。この旅行記の文章によれば、北朝鮮の現状は本当に先生には衝撃だったようです。今も先生の「あまりにも悲観主義かも知れないが」と言っておられる言葉を聞いていて胸が痛いです。

 先生は韓国の政権に失望なさったかもしれないが、日本の状況は我々が失望していたらいつも失望していなければならないくらいです。特にここ近年の周辺事態法あたりから、日本は方向を変えてしまった。それに対抗する力をもつことが出来ないでいるわれわれの嘆きがありますから、先生がおっしゃることは私の思いにも重なります。本当に胸が痛いです。

 70年代、80年代の民主化闘争に触れて、連帯などとえらそうなことは言えませんが、心を燃やしながら関わらせてもらって、一種の希望を得たことは否定できないという思いがあります。池明観先生も同じだと思います。たとえば、7世紀の仏教が次の時代を用意したように、我々も次の時代のための用意、準備をしている、とおっしゃるのは、やはり希望を語っておられるのです。決して、ペシミズムで終わっているわけではありません。、私もこういう困難なときにこそ、どうしたら希望を持って生きていけるかを考えていきたいと思います。

 韓国の民主化運動に触れて感動をもって知ったことは、韓国の教会の方たちが自分自身の転換、悔い改めをはっきりと経験しているということです。池明観先生が、民主化闘争の決起が始まる前の66年に新教出版社から出された『流れに抗して』の中に、韓国の教会の転換のことが記されています。1960年の4.19学生革命で多くの学生が血を流して非暴力民主革命を成し遂げます。その学生革命から、教会が「自分たちはいったい何をしてきたのか」と問うようになって、教会の転換が始まります。池明観先生はご自分が編集主幹をつとめる総合雑誌『思想界』等を通して、鋭い議論を展開されました。「我々は民衆の要求にちっとも応えないで、個人的な信仰にとどまっていた。よくて個人倫理、家族道徳にとどまっていた。まるでこの世の富を得た上に精神的な富も欲しいというような、自己中心的な信仰でしかなかった」と、痛切に自己批判を込めて教会批判をされました。教会批判は自己批判を伴わなければ意味がないとも言っておられます。

 私たち日本のキリスト者にも大きな感動を与えた地下宣言、「1973年韓国キリスト者宣言」の中に、この意味の悔い改めがはっきり表現されています。これは池明観先生が中心になってつくられたもので、先生の思想がこの中にはっきりあると思います。

(1) われわれは具体的な歴史的状況の中で神のみ言葉に服従すべきであるとの神の命令をうけている。今日われわれを動かしているのは勝利することを期待する感激ではない。それはかえって神に向かっての罪責告白からくるものであり、韓国の今日の状況の中で真理を語り、それにしたがって行動せよといわれる主の命令からくるものである。

(2) 韓国国民は、キリスト者たちを仰ぎ見ながら、今日の与えられた状況において行動してくれることを要請している。それは決して我らキリスト者が彼らを代表しうる資格をもっているからではない。われわれは今までわが国民がわれわれにかけた期待に十分こたえることができなかった。それにもかかわらず、今われわれはこのような行動を、このような道を選び取れと言う国民の催促と激励を受けている。われわれはわが国民の苦悩を見るとき、この邪悪な時代から救い出そうとする神の御心を知るに至る。

(3) われわれは解放をめざしたこのような戦いに参与するとき、独立を目指して日本植民統治に抵抗した韓国キリスト教会の歴史的伝統を継承するようになる。われわれは、わが教会が決定的な態度を取ることにおいて、しばしば勇気に欠けていたことをよく知っている。また神学的な姿勢において、革命的役割を果たすべくあまりにも敬虔主義的であった事実をよく知っている。しかしわれわれは、われわれの兄弟の何人かが弱いからといってつまずいてはならない。わが教会の歴史的伝統の底にある強い信仰の意志の中で、われわれの神学的信念を求めねばならない。

(1)の「神に向かっての罪責の告白からくる」、そして(3)の「われわれは、わが教会が決定的な態度を取ることにおいて…中略…あまりにも敬虔主義的であった」の、敬虔主義的という言葉で、個人的内面的信仰にとどまって、社会的責任を担おうとしないことが言われています。「この反省、つまり悔い改めによって、教会は変わらなければならない」、という主張です。

それは同時に、民衆が苦しんでいるのに、その民衆の苦しみに対して心を閉ざし、目を向けようとしなかった、という反省でもあります。これは、71年にチョン・テイルさんという製縫工場の青年が、16歳にもならない女工たちの苦しみを見ていられず、市役所や警察や法務部などに待遇改善を訴え、一生懸命つくしてもだめで、ついに抗議の焼身自殺をした。そのことに学生たちが、自分たちは何をしていたのか、民衆がこの苦境の中にいるのに何をしていたのか、という若者らしい悔い改めをおこして、工場やスラムに入っていくことが大きな波になって、民主化闘争の前段になります。こういう転換があって、あれだけの闘争の盛り上がりがあったということだと思います。

 現在私たちはなすべきなのにできていないことばかりで、しかもその私たちさえこの国全体からみれば本当に少数者になってきているような思いがします。そういうときに、我々も何をしてきたのだということを、今問われているのではないかと思います。日本の教会の現状もそうです。私の属する日本基督教団の現状を全体的に見れば、たとえばいろいろな教区で沖縄問題を取り組みつづける等の形はありますから、それをしっかり見ていきたいし、そういう人たちといっしょにやっていきたいと思います。しかし、今、日本が東アジアの平和のブレーキ役になっている状況で、ますます緊張、疑念をまわりに深めているこのときに、自分たちのあり方そのものが問われているというところから問題を捉えなおしていきたい、この意味の悔い改めから再出発しなければならない、と思うわけです。

 「1973年韓国キリスト者宣言」の中心的な信仰告白の部分は、その後に展開された民衆神学の先取りです。その内容は、一言で言うなら「虐げられた人達と共に苦しみを担う」ということです。あるいは共感、共苦を土台にした福音の捉え方です。今日日本では、社会でますます自由が失われて行き、経済的な快適さを求めているうちに心が空虚になり、生きることにどんな意味があるのかわからないで毎日をおくるような若者や、精神的に病んでいる子どもなど、いろいろな問題がわれわれのまわりにあります。それは、韓国の人たちが捉えていたあの時代の民衆とは違う人々です。われわれがその人たちとどういうふうにして人間らしい生活を作っていったらいいかという問いに直面しています。と同時に、東北アジアという視野でいうなら、今や焦点になっている北朝鮮の人たちは、まさに最も大きな痛みを負っている人たちです。自分の国の政権から抑圧されているわけですが、実は、長い日本の支配による歴史の痛みをずっと負いつづけてきた人たちです。ですから、戦後北朝鮮を敵視することはけっして許されないのです。それなのに日本はアメリカと一緒になって敵視してきました。池明観先生が北朝鮮の現状を見て衝撃を受けて肉体的にも立ち直るのに何日もかかったという程の状況を誰がつくりだしてきたのか。そのことを考えると、今の日本の状況は根本的に間違っているのです。そのことをわれわれ自身に問われている問題として、特にこの民衆神学的な福音理解の視点から、考えていかなければならないと思います。

 拉致問題が選挙にどんどん影響して困ったことだと思い、どうしたらよいかわからず李仁夏先生と話し合って、横田めぐみさんのお母さん‐横田早紀江さんを支える祈祷会に行って、早紀江さんにお会いしてきました。祈祷会は純真な信仰の人たちが集まっています。突然娘を失って長年苦しみを抱えてきたお母さんに対する同情・共感で、早紀江さんを祈りで支えようと集まっている人たちです。ところが、拉致という非道を避難するのは当然ですが、だから経済制裁をしなければならない‐という方向に家族会を持っていく人がクリスチャンとしてそこに参加している。こういうことをどう考えたらよいかが、我々の一つの課題だと思います。拉致問題で被害者に共感しながら、その共感は日本人同志の範囲に限られ、少しでも朝鮮の人々の苦しみには目を向けない。いや、向けさせない力が働く。そして経済制裁をせよと言わされる。経済制裁はかの地の飢えた人々を死に追いやるかもしれないのに、です。横田さんご夫妻はそういう人々に目を向ける温かい心を持ってていらっしゃるが、それなら経済制裁せよという主張をどうお考えか、私にはまだわかりません。とにかく、人の痛みに共感するなら、国内の日本人に対してだけでなく朝鮮にいるもっと大きな苦しみを持っているたくさんの人たち、それから日本でもわれわれのまわりにいる在日朝鮮人たちに、なぜ心が向かないのか。そういうことをわれわれキリスト者の問いとして持ち、たとえば人道支援などの意味をしっかり考えてやっていかなければならないと思います。

 世論を北朝鮮攻撃にもっていく力は時代や歴史をどういうふうに考えるのかは、「新しい歴史教科書」を読めばわかります。あの教科書の立場は、ものごとを優劣や勝敗で計る価値観です。それはキリスト教にある表現だと天使と悪魔の戦いという発想です。自分たちは天使としてで悪魔を討つということ、敵味方の考え方です。ですから勝負し勝たなければならない。これは今の競争社会にある意味でマッチします。そのようにして、意気地なしになった日本人をもう一度日本の国をしっかり守る国民としてたたきなおさねばならないという歴史観です。今、それに「教会、福音」を強調する人たちも乗せられていくのではないかという状況があります。私たちはこれを教会の問題として、東アジア全体との関係の中でしっかり考えていかなければいけないという気がします。

「対話と圧力」と言ったとたんに、圧力のほうが強くなって対話は意味がなくなります。つきつめれば対話か圧力かなのです。我々クリスチャンとしては、和解のつとめは対話しかありません。20世紀は戦争の世紀でした。それ以前の5千年の戦争による死者をこえる数の死者が20世紀に出ました。われわれ人間は21世紀になってまた同じことをやろうとしています。そういう状況の中で我々は「備えれば憂いなし」ではなく「備えれば憂いあり」で、備えないことが一番の平和、安全で、信義によって、愛によって隣人と交わること以外に平和はこないことを徹底して捉えて、そのことをキリスト者がハッキリ打ち出していかねばならない時ではないかと思います。

 私は、高麗博物館という小さな市民運動をしていますが、その中で日朝の交流史を見ると、それは2000年の豊かな友好の歴史です。大きく言えば、秀吉の侵略と近代の侵略とは短い期間です。あとの長い間は友好です。そういうことで我々は希望を持つことができます。北朝鮮の政権にたいへん問題があるとしても、日朝首脳会談のときの、ある種のほんの小さな和らぎ、小泉首相が謝罪をし、金正日総書記もごめんなさいと言った一瞬の和らぎ志向を、私たちキリスト者は大切にしたいものです。と同時に、私たちは国家のしばりを越えて、歴史的罪責を認める謙虚な心で人間対人間のつながりを求めていきたいものです。そういうつながりが、東北アジアの和解・平和の基礎になると思います。

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