池明観先生を迎えて

特別講演会−「北東アジアと日韓のキリスト教」

李仁夏さんの応答


  アンニョンハセヨ。

 今まで池明観先生の書かれたものや、具体的に付き合って仲間としてやってきた働きの中で、今晩のお話ほど私を混乱させるものはなかった。池先生の講演に最後のメッセージがあるとすれば、南北和解と北東アジアの平和にとっていかに厳しいつらい時代でも耐えなければならないかということです。「耐える」という言葉は、おそらくが日本の皆さんに語りかける「日本の皆さん、お願いします。耐えながらなんとか北東アジアの平和のことを」を意味していると思います。私はそういうふうに読み取らないかぎり、語る言葉はほとんどありません。

 第二次大戦後、北から南に来て長年閉ざされた自分の故郷に帰られて見た現実にショックを受けられた池先生の気持ちは100%よくわかります。エキュメニズムすべてが南北和解運動の只中にある中で、‘91年、私も北を訪問して、今池先生が率直に語ったのとまったく同じ状況を見てきました。その後、皆さんご承知のように共和国は90年代中あたりから食料難で飢餓にさらされ、北当局発表でも20万が餓死したと認めました。政府が言う数字はおそらく、実際には2倍か3倍の餓死者が出ただろうということが私の把握している北朝鮮の現状です。私の訪問から12年たっても同じかと、うめいてしまったのですが、北に行って一番驚いたのは、一般の人々に語りかけることができないということです。私の母方、父方のおじとも北朝鮮の女性と結婚したので、北にいとこが6人います。そのうちの5人に会えました。3歳から日本に来るまでの15年間育った咸鏡北道−東北北端の田舎の町を訪れました。駅の近くに立派に舗装された道路があってびっくりして「これはどうしたのですか」と聞いたら、「ご存知でしょう、あの方がこちらにご来臨のみぎりに造られた道路です」ということでした。それとコントラストに最年長のいとこが農業をしている農村を訪ねたときに、その村に入る道を私を案内する車のために3日間かかって造ったということでした。当局の人が、私ども在日大韓教会4人の代表に向かって語るのに、「われわれは東ヨーロッパやソ連のようには崩壊はしない。われわれは週に2時間しっかり人民を教育しているから、一丸となってこの難局に立ち向かっている」と。そして掲げているスローガンが「絶対化、神格化、信条化」という言葉であると。金正日語録、偉大なる首領に忠誠を尽くす度合いはやはり「絶対化、神格化、信条化」というものさしで、国民が計られるということを見たときに、すぐ思い出したものがあります。1941年から20歳まで生きた日本というのはまさしくほぼ似たような状況だった。たとえば金日成大学を訪問すると、図書館の閲覧室に白い布で覆われているテーブルと椅子がある。これは神格化ですね。皆さんはこれを言うと信じられないと言うのですが、日本にも伊豆の温泉にいまだに入れないロイヤルルームがあります。昭和天皇が皇后と投宿した部屋がいまだに白いカバーでおおわれてている。パウロ・フレイレというブラジルの教育学者が言った言葉で理解しようと考えました。『私どもの前にはどの時代にも非人間化の力がある。それと向かい合って戦わない限り、誰も人間になることができない』。そのあとに『そういう闘いを抑圧され支配されたものも戦わない限り人間の未来がない』というのです。それから、被支配者が権力を取ったときに統治のモデルがないので非人間的力を行使する過ちを繰り返す危険性を持ってしまう。北朝鮮の場合、まさしく民主主義人民共和国と言われるこの国は李王朝が崩壊し、日本帝国主義的植民地支配下で天皇制の権力構造のモデル、さらにパルチザンで白頭山の裏側で戦っている人たちにとっては、「満州」皇帝に見られるようなそういう構造、それからスターリンの絶対主義のような社会主義における構造がもろもろ作用して、今の北の権力ができあがったと考えます.。日本に対しての戦いは未だ終わっていないのだと考えているのでしょうか。拉致事件が構造的に起こるべくして起こってしまったとも考えられます。しかし、日本は戦後処理をしないままこの4年の間に不審船から拉致問題を含めて、北の脅威のせいにしてあっという間に戦争ができる国家構造をつくってしまった。慮武鉉大統領が日本に来て日本国民の皆さんに伝えたように、北を脅威と考えて周辺事態法や有事立法をつくってしまった日本をむしろ脅威と考える国民が韓国に多いのです。4月以降3回韓国を訪問した旅の中で、私は指導者やいろいろな市民運動の皆さんに触れる機会が多く、南のスンチョンという町では主婦が日本の右傾化に対して危惧を表明していました。また、その背後でこういう構造をつくりだしているアメリカの一国覇権主義の状況に激しく抵抗している韓国の人々の気持ちを見てきました。

 平壌宣言の中味は、韓日条約にくらべてはるかにまだましなものです。金正日が冒頭で詫びて、そして村山ラインの植民地支配の謝罪があって、それから今後の国交正常化と経済支援とを小泉首相が約束しました。その目標としているところは、北東アジアの安全保障と平和のために日本と朝鮮の間に国交正常化のレールを敷くことでした。これがすべて反故にされ、なぜ「拉致」問題に流されているのかということが日本の皆さんに対する私の訴えです。拉致問題に関して、私は韓国籍だから関係ないとは受け止めていない。朝鮮民族のルーツを共有しているので、あの拉致事件が起こって以降、今日まで毎日のごとくテレビで、日本の人たちから私個人が激しくたたかれ、バッシングをうけている思いをしています。

 池明観先生は日本が今韓国との間に行っている経済交流のことを話されましたが、私が知っている数字で言うと、日本のものが韓国で2兆5千億ドル売れ、韓国のものが日本で1兆5千億ドル。1兆ドルの差で日本の儲けになっています。韓国はそのマイナスを中国に物を売って埋め合せしています。市場経済に日本と韓国だけでなく、中国を加えた時にどういう夢をわれわれは持つべきかが地域と地球規模で問われます。白楽晴(ソウル大名誉教授)あるいは70年代に大学から追われた韓国の知識人たちの対談を日本の雑誌を通して読みました。北東アジアの平和と簡単に言いますが、トータル15億の人口がもし結束し一つの経済圏を構築したときに、アメリカやヨーロッパにどれだけの恐怖感を与えるか、ハンチントンの『東西文明の衝突』を書いている状況で予想されます。ところが70年代に大学を追われて韓国の民主化を闘っていた彼らの言葉の中に、私は希望を見出しました。彼らのディスカッションの中で言われていることは、これはわれわれの地域だけの繁栄ではない。地球全体におぞましいほど貧富の格差が広がって41カ国のアフリカやラテンアメリカの国々が、国そのものがつぶれ破産している。それを支えることができるのは北東アジアの安定と平和と共同繁栄の時代を築くことだというのです。苦しみを耐えぬいて大学を追われて10数年放浪した知識人たちが語る言葉に、私は民主化運動というものが様々な平和状況をつくるうえでのひとつの原点になる闘いだった、と思いました。だから、『世界』の11月号に次のように書きました(以下引用)「『韓国からの通信』にこめられた多くの叫びを日本人はもう一度聞いて欲しい。その叫び、すなわち70年、80年代の韓国の民主化を求める抵抗運動が、国際的に強力な支援を得て今日の南北の和解と協力の流れを作り出せるようになったと筆者は思う。もちろん新政権は国内の右翼パワーの抵抗にあいながら、金大中大統領の南北和解と協力路線を堅持していることは周知のとおりである。今、日本の市民たちに求めたいことは、米国のブッシュ現政権を支えるネオコンとの関係を、両足をすくわれる日本であっては困る。そうではなくてせめて片足は朝鮮半島かアジアに日本がおろす営みを真っ先にやって欲しい。」

 北東アジアの平和と共同繁栄の文脈で、南北の経済格差がそれを阻害する要因となって大きくのしかかっていることは周知のことである。北の食料不足を認識している北の体制も昨年以来、「核」云々とは裏腹に経済改革の転換も必死にやろうとしていて、韓国も政府、民間レベルと付き合って、2年前の6.15の南北和解と統一の方向を探っているようだ。したがって、平壌宣言(9.17)の方向づけで日本が経済断絶(一部の政治家と市民)ではなく、むしろ経済交流を進めることが拉致問題を解決する早道ではないかと私は思う。 

 北に日本の経済協力が必要だという示唆を与えられたのは、アマーティアス・センというケンブリッジ大学で教えているインドのノーベル経済学者からです。大江健三郎さんと往復の書簡を、朝日新聞の夕刊に何回かにわたって載ったことを思い出して、それ以降注目してみています。大江さんはとにかくグローバリゼーションが南北の貧富の格差をひろげており、これをなんとかしなければならないという批判的なトーンで言いましたら、センさんは、やんわりとそれはそうだと、自分の経済学は今つぶれている国々を再興できる経済学が基礎なのだが、にもかかわらずマーケットシステムが透明性と説明性を持って来る、と。私が思うのに、かつての韓国の開発・独裁は自己矛盾だった。開発と共に経済の力の中で、あの独裁政権は変わらざるを得なかったという民主化を求める人々の抵抗とそういう相関関係を捉えなおした時に、北はインフラがほとんどない状況と地域住民相互交流も遮断されている状況と合わせてより厳しいのは確かだ.。だから崩壊を待つのは、より犠牲を大きくする。「拉致」への報復という戦略だけでは、北の「核」問題をめぐる6カ国会談が、やがて発展して欲しい北東アジアの安全と平和の方向に水を差すことにならないだろうか。

 私はもっと冷静に考えて、9.11以降、ブッシュ政権が取っている報復戦争が泥沼化している今、9.11の犠牲者たちの家族が叫んだ言葉に耳を傾ける必要があるのではないか。「…ノー、家族を犠牲者として考えるのだったら、絶対家族のためにも、報復はしないで欲しい」と言って、ブッシュにメッセージを送ったSeptember 11th, Families for Peaceful Tomorrows、アフガニスタンへの先制攻撃の最中は人気のなかった集団ですが、今ようやく力を得て、このグループは国際人権賞をもらえるようになったのです。その代表を招いて、米・日・韓の市民による平和集会を計画しました.。

 11月28日金曜日に、日本教育会館一ツ橋ホールで800人に集めて、北東アジアに真実・和解・平和をという副題で、“平和な明日を”という集会を開きます。この中で家族の共同代表の一人であるデービッド・ポトーティさんにおこしいただいて、アメリカの市民、一国主義に走っているアメリカの権力に抵抗しているアメリカの市民と日本の市民が手を結び、そして韓国からは私どもの仲間である金容福さんを招きました。このお二人と中山千夏さんと高橋哲哉さんがリレートークをし、在日大韓川崎教会の若者が平和のパーフォーマンスをします。耐えなければならないが、しかし、何か叫ばなければならない。日本が平和のためにリーダーシップを取れる国になって欲しいという願いを込めて行います。この平和大会に顔を出して、あまり暗い雰囲気にならないで、まだ走ることのできるようにと、私のようなものも訴えるわけです。

 池明観先生の言葉にこめられている背後の真意があると思います。北が食べられないから、私たちが関わらなければならないと思います。豊かであれば、その必要はありません。私は人道支援の働きをこつこつ、自分のボーナスを捧げて行っている日本人の地方公務員の方を知っていますが。北にミルクを送り、やせ細っていた子どもたちが、2年後にはよくなっていると、写真で対比してよろこんでいる姿を見ているからこそ、どちらかというと、一歩ひくのではなくむしろ参加するということを、池明観先生も結果的には同じだと思うのですが、訴えて私の応答ということにさせていただきます。

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