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死の影の谷間から
<死の影の谷間から>
ムミア・アブ=ジャマール/著
今井恭平/訳
現代人文社/刊
ムミアの論考集

ユーゴの戦争を糾弾する
 1999年4月14日

萩谷 良/訳
英語版(オリジナル)


 ユーゴでハイテク爆弾の雨が死を引きおこしているとき、米国では、メディアを操ってのプロパガンダの雨がアメリカ人の感覚を麻痺させている。人権を守るという美名のもとに、主権国家に対してさらに苛酷な手段を行使することを、米国民に支持させるためだ。

 NATOは、米国の「利害関心」を隠すいちじくの葉にすぎず、ユーゴ空爆はアメリカ帝国の情け容赦なさを地球規模で示すデモンストレーションでしかない。デモンストレーション? そうだ。第二次世界大戦で、実際上すでに負けていた日本に、あの非道な原子爆弾を落としたのは、軍事的必要があったからではない。世界のボスはこれまでも、これから先もアメリカなのだということをソ連に見せつけるという、政治的必要による、大規模な破壊的デモンストレーションだったのだ。

 だから、ユーゴスラビアへの爆撃においてセルビアは、大戦中の米国の日本に対する扱いがそうだったように、帝国の権力を見せつけるための道具にすぎない。

 商業マスコミが四六時中流している、米国は「人権」に関心を寄せているとか、「少数民族の諸権利」に関心を寄せている、という情報を検討してみよう。米国で最大の少数民族アフロ・アメリカンはどうなのだ。世界じゅうで尊敬されているアムネスティ・インターナショナルは、今回の爆撃の数日前、ピエール・サネ事務局長を通じて、「アメリカ合衆国における人権侵害はやむことがなく、広く蔓延しており、人種あるいは民族的少数者の人々に圧倒的に大きな影響を与えている」と通告しているのだ。

 サネは、米国での警察の暴力や死刑を批判している。さらに、国際的な観点から、米国が抑圧された人々の「解放運動」にどう対応しているかを見るがいい。プエルトリコ独立の闘志たちが声をあげるようになったとき、米国はこの「少数民族」を支持せず、彼らを抑圧し、投獄し、沈黙させようとした(また今もそうしている)のだ。

 パレスチナ人、クルド族、東ティモール、コロンビアの反抗はどうか。米国が一貫して支持してきたのは誰か? 被抑圧者か、米国の軍隊に支えられた政府か。

 問題は「人権」でも「少数民族」でも「ジェノサイド」でもない。ここで問題になっているのは、米国が来世紀の世界のボスになること、ロシアをその場所につなぎとめておくこと、欧州連合をウォール街の思いのままにすることなのだ。

 セルビア空爆は、過去半年間によその3つの国(イラク、スーダン、アフガニスタン)で行った爆撃の延長である。また、その理由もまったく同じだ。いわゆる「国際法」の規定がどうであろうと、米国にはそういうことができるということを見せつけたいのだ。それは、前大統領ジョージ・ブッシュがしようとして失敗したこと、すなわち「新世界秩序」の確立に、米国資本が手をつけるために、世界全体に恐怖を浸透させることである。

 NATOは、空爆開始の数日前、ポーランド、ハンガリー、旧チェコスロバキア(チェコ共和国)を、新しいメンバーとして加入させ、それで、ロシアをほぼ孤立させた。セルビアとユーゴだけがNATO入りを拒んできた。空爆は、その罰である。

 我々の、傑出した、尊敬される国民的指導者マルコムXは、我々に、歴史を検討しろ、と教えた。我々が歴史を見るなら、ユーゴ空爆の意味は明らかになる。

 帝国が維持されるのは、理性によってではなく、情け容赦ないテロによってである。ローマもそうだった。米国もしかり。ブラックパンサー党の創設者で、すぐれた革命家だったヒューイ・P・ニュートンは喝破した「アメリカ合衆国はもはや国(ネーション)ではない。我々はそれを帝国と呼んだ。帝国とは、世界のあらゆる領土と人民を支配する強国へと変容した国民国家のことである」(1973)。

 そのとき、ヒューイは正しかった。そして、我々のそのときの反応は、帝国に対立することだった。我々は今そうすべきである。

 帝国主義打倒。空爆をやめよ。NATO/米国はユーゴから手を引け。